1. はじめに——問題の所在
不動産の売却を業者に依頼すると、その物件の情報はレインズと呼ばれる仕組みに登録される。売主の手元には、登録を証する書面が渡される。そこには機構の名称と物件の番号が記されている。しかし、その紙が何を意味しているのかを説明できる売主は多くない。世に流通する解説の多くは、レインズを業者間で物件情報を共有するデータベースだと述べて終わる。共有されるのは事実である。だがそれは結果であって、設計ではない。
本稿はレインズを、市場設計(マーケットデザイン)の対象として読む。市場設計とは、市場を自然に存在する場としてではなく、規則の集まりとして扱う立場をいう。誰が参加できるか。何を出さなければならないか。いつまでに出すか。誰が見られるか。どんな状態を表示させるか。これらの規則が変われば、同じ財を扱っていても市場の振る舞いは変わる。指定流通機構は、まさにこれらの規則を法令と運用で定めた制度である。すなわち設計物である。
1.1 誰が何を見られるかで、市場は変わる
設計物として眺めると、この制度が際立った選択をしていることが分かる。物件情報の一元化を義務によって担保しながら、一元化されたその情報を閲覧できる主体を、免許を持つ宅地建物取引業者に限っているのである。情報を出す義務は売主の依頼を受けた業者に課され、情報を受け取る資格は同業者に限られる。売主自身は、自分の物件についてだけ、限られた範囲を確認できるにとどまる。この非対称な開き方こそが、本稿の主題である。
1.2 本稿の問いと方法
問いは二つある。第一に、この設計は何を解こうとしたのか。第二に、何が設計の外に残ったのか。方法としては、法令が定める義務の内容と、公開されている運用の枠組みを、市場設計論の語彙——市場の厚み、探索の混雑、参加の安全性——に翻訳して読む。実際の登録データを分析するものではない。この限界については第9節で改めて述べる。
以下、第2節で市場設計論の枠組みを整理する。第3節では指定流通機構の骨格を、媒介契約に付随する義務の束として確認する。第4節で登録義務による一元化を、第5節で閲覧主体の限定を、第6節で取引状況の表示を、それぞれ設計上の選択として検討する。第7節では設計からこぼれる取引と、薄い市場という条件を扱う。第8節で売主の実務に落とし、第9節で残された課題を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、この制度の内側で働いている。自社で買い取る事業を持たず、買取や買取保証を率先して行わない立場から書いている。制度を擁護する動機も、批判して目を引く動機も、どちらも持ちうる立場である。したがって判断の材料は条文と公開された運用の側に置き、読者が自分で確かめられる形で書く。
2. 市場設計論の枠組み
市場設計という分野は、既存の市場がうまく働かないときに、規則を組み替えることで働かせる方法を扱う。医師の研修先の配属、公立学校の選択、臓器提供の交換といった領域で、理論と実装が積み重ねられてきた。不動産の流通機構も、同じ道具立てで読むことができる。ここでは以後の議論に使う概念だけを、必要な範囲で整理する。
2.1 分散した知識と探索費用
市場が扱う情報は、初めから一箇所にあるわけではない。ハイエク(1945)が述べたとおり、経済に必要な知識は、特定の時と場所の事情として無数の個人に分散して存在する。不動産では、どの家がそろそろ売りに出そうとしているか、どの買主がどこまで出せるかという知識が、まさにその形で散らばっている。スティグラー(1961)は、この散らばりを埋める行為そのものに費用がかかることを示した。探索費用である。買主が一軒ずつ確かめて回るなら、費用は候補の数に比例して膨らむ。コース(1937)が企業の存在理由として挙げた取引費用も、根は同じところにある。
2.2 厚み・混雑・安全性
市場設計の実務では、市場が失敗する形をいくつかの類型に整理する。第一は厚みの不足である。参加者が十分に集まらなければ、良い組み合わせは生まれない。第二は混雑である。参加者は集まったが、一件ずつ確かめるのに時間がかかりすぎ、期限までに処理しきれない状態をいう。第三は参加の安全性である。正直に希望を申し出ると不利になる仕組みでは、参加者は情報を偽るか、市場の外で先に決めてしまう。抜け駆けによる取引の早期化は、この安全性の欠如が生む典型的な症状である。
三つは独立ではない。厚みを増やせば混雑が起きる。混雑を減らそうとして参加を絞れば厚みが落ちる。安全性を高める規則は、しばしば参加者の自由を制限する。設計とは、この三つのあいだのどこかに線を引く作業にほかならない。指定流通機構の設計も、この線引きの一つの解として読める。
2.3 不動産はどの種類の市場か
もっとも、不動産の市場をマッチング市場と呼び切ることはできない。ゲイル=シャープレー(1962)が扱った配属の問題では価格が動かないため、誰と誰が組むかだけが問題になる。ロス=ソトマイヨル(1990)以降の研究群が精緻化したのも、価格が働かない場での安定的な組み合わせの理論であった。不動産では価格が動き、価格が需給を調整する。
したがって不動産は、価格が調整弁として働く商品市場でありながら、財が一点物で代替がきかないために探索とマッチングの性質を強く帯びる、中間的な市場である。この位置づけには含意がある。買主候補が厚いほど価格が調整弁として働き、薄いほど誰と出会うかが結果を左右する。同じ制度が地域によって違う作用を持つのは、この連続性の上に市場が置かれているからである。第7節の議論はここに接続する。
3. 指定流通機構という制度の骨格
レインズという通称は、不動産流通標準情報システムの英語名の頭文字による。制度としての名は指定流通機構であり、宅地建物取引業法が、国土交通大臣の指定する法人として定めている。全国は四つの区域に分けられ、それぞれに機構が置かれている。静岡県は中部圏を区域とする機構の管内にある。会員となれるのは宅地建物取引業者であり、免許を持たない者は会員になれない。
3.1 三つの義務の束
制度の骨格は、媒介契約に付随する三つの義務でできている。第一に登録の義務。専任媒介契約または専属専任媒介契約を締結した業者は、定められた期間内に物件を機構へ登録しなければならない。期間は、専属専任媒介契約で契約の日から5日以内、専任媒介契約で7日以内である。第二に証明の義務。登録した業者は、登録を証する書面を売主に交付しなければならない。第三に通知の義務。登録した物件について売買または交換の契約が成立したときは、遅滞なくその旨を機構へ通知しなければならない。
この三つを設計の言葉に置き換えると、出品の強制、出品の証明、退出の記録になる。出品を強制するのは市場の厚みのため、証明を求めるのは義務の履行を売主に検証させるため、退出を記録させるのは市場の状態を正確に保つためである。三つ目は見落とされやすい。だが成約の通知がなければ、機構に残るのは売れ残りの見かけだけになる。売れたものが消えない台帳では、閲覧する側は古い情報に基づいて動くことになる。
3.2 義務の重さは媒介契約の類型で決まる
| 媒介契約の類型 | 指定流通機構への登録 | 登録の期限 | 売主への報告 |
|---|---|---|---|
| 専属専任媒介 | 義務 | 契約の日から5日以内 | 1週間に1回以上 |
| 専任媒介 | 義務 | 契約の日から7日以内 | 2週間に1回以上 |
| 一般媒介 | 法律上の義務ではない | 定めなし | 法律上の定めなし |
表が示すとおり、義務の重さは媒介契約の類型に対応している。売主が依頼先を一社に絞るほど、業者が負う義務は重くなる。裏を返せば、売主が複数社に依頼する一般媒介契約では、登録も報告も法律上の義務にはならない。設計として見ると、一元化の担保が売主の選ぶ契約類型に依存していることになる。この依存が何を意味するかは、第4節で正面から扱う。
註:登録の期限の日数は、いずれも宅地建物取引業者の休業日を除いて数える。また表に掲げた報告の頻度は法律が定める下限であり、これを上回る頻度や、より細かい報告の内容を媒介契約で約定することは妨げられない。媒介契約の三類型そのものの比較は別稿の主題であり、本稿は登録義務の観点からのみ触れる。
3.3 会員制という参加規則
もう一つの骨格が、参加の資格である。機構へ情報を出し、機構の情報を受け取ることができるのは、免許を持ち会員として登録した宅地建物取引業者に限られる。運営は会員の負担によって行われている。参加資格を免許に結びつける設計は、二つの効果を持つ。入力される情報の質を、免許という参入規制が間接的に担保すること。そして、規則に反した者を、会員資格と免許の両面から規律できることである。この参加規則が生む帰結は、第5節で検討する。
4. 一元化の設計——登録義務は何を代替しているか
なぜ登録は義務でなければならなかったのか。情報を共有したほうが売れやすいのなら、業者は自発的に出すはずである。この素朴な疑問から始めるのが、一元化という設計を理解する早道になる。
4.1 一元化された情報は、自発的には供給されにくい
一元化された物件情報は、公共財に近い性質を持っている。誰かが情報を出せば、市場全体の探索費用が下がり、参加する者すべてが利益を受ける。ところが情報を出す当人にとっては、入力の手間という費用を自分が負い、利益は全員で分け合うことになる。さらに、情報を出さずに自社の内部で完結させたほうが、その一件から得られる報酬が大きくなる局面もある。個々には理解できる判断が、全体としては情報の出し惜しみに帰着する。
この構造は、公共財の供給に関する標準的な問題そのものである。放置すれば供給は過少になる。だから制度は、供給を任意に委ねず義務へ変えた。登録の義務は、業者の善意を要求する規定ではない。善意に頼らずに済ませるための規定である。ここを取り違えると、制度の話がたちまち道徳の話に見えてしまう。なお、情報を止める側の誘因がどれほどの大きさを持つかという分析は本稿の主題ではなく、別稿が扱っている。本稿の関心は、その誘因を前提として制度がどう組まれているかにある。
4.2 厚みが生む三つの効果
一元化が働くと、市場には三つの効果が現れる。第一に、買主候補への到達範囲が広がる。売却を依頼した一社の顧客名簿ではなく、区域内の会員が抱える顧客の全体が候補になる。第二に、比較可能性が生まれる。同じ地域の似た物件が同じ様式で並ぶことによって、価格が単独の主張ではなく相対的な位置として読めるようになる。第三に、価格発見が働く。成約が記録されれば、次の売主と買主はその記録を手がかりにできる。厚みとは、単に数が多いことではなく、比較と学習が成り立つ状態を指している。
4.3 一般媒介という設計上の空白
ところが、この一元化は媒介契約の類型を経由してしか作動しない。一般媒介契約には登録の義務がない。売主が依頼先を絞らない選択をすると、制度は登録を強制しないのである。理由自体は理解できる。登録義務は、依頼先を一社に絞った売主への見返りとして設計されている。独占的な依頼を与える代わりに、市場へ出すことを約束させる。交換の構造になっているのである。
しかし帰結として、一般媒介で依頼された物件は、任意に登録されるか、登録されないままかのいずれかになる。売主の側から見れば、複数社に依頼したほうが露出が増えるはずだと考えて選んだ類型が、制度上の露出保証を外す選択になっている。ここに設計の空白がある。空白があること自体は制度の欠陥とは限らない。売主が独占を与えないのだから対価も生じない、という筋は通っている。ただ、売主がその交換を理解しないまま選んでいる場合には、意図と結果がずれる。
実務上の対処は単純である。一般媒介を選ぶ場合であっても、指定流通機構への登録を依頼の内容として明示的に取り決めておけばよい。法律上の義務でないことと、当事者の合意で義務にできないこととは別である。第8節で改めて手順に落とす。
5. 閲覧主体の限定——なぜ売主に開かれていないのか
一元化された情報を、誰が見られるようにするか。指定流通機構はこの問いに、免許を持つ会員に限る、と答えた。これは技術上の制約ではなく、設計上の選択である。選択には理由があり、理由には代償がある。ここでは両方を並べる。
5.1 限定に理由がないわけではない
閲覧を会員に限る設計を支える理由は、少なくとも四つ挙げられる。第一に、情報の正確性である。入力する者と閲覧する者が同じ免許制度の下にあれば、誤った入力に対して免許を通じた規律が働く。第二に、守秘である。登録される情報には、売主の事情や物件の所在の詳細など、無制限に公開すべきでないものが含まれる。第三に、不当な利用の防止である。売却を検討している所有者の一覧は、営業目的で使いうる名簿でもある。第四に、費用の負担者と受益者を一致させることである。運営は会員の負担で行われている。
5.2 限定が生む帰結
代償は、売主が自分の物件の置かれた市場を、直接には観察できないことである。近隣に似た物件がいくつ出ているのか。それらはどの価格帯にあり、どれだけの期間で台帳から消えているのか。この情報は一元化されているが、売主には開かれていない。売主が受け取るのは、担当者による要約である。要約が誠実であっても、要約であるという性質は変わらない。売主は市場の中にいながら、その市場を地図として見ることができない。
注意すべきは、この非対称が業者の作為によって生じているのではなく、参加規則そのものによって生じている点である。担当者が誠実であっても、売主が自力で観察できる範囲は制度の設計で決まっている。したがって対処もまた、個人の姿勢にではなく、観察できる範囲を広げる装置の側に求めるのが筋である。
5.3 売主の側に開かれている三つの窓
完全に閉じているわけではない。売主の側に開かれた窓が三つある。第一に、成約価格の情報が、個別の物件を特定しない形で一般に公開されている。地域と種別と面積の帯ごとの成約の水準は、売主も見ることができる。第二に、国が整備する不動産情報ライブラリでは、取引価格の情報、地価公示、都市計画や災害に関する情報を、地図の上に重ねて見られる。第三に、登録を証する書面に記された情報を用いれば、売主は自分の物件の登録内容と取引状況の表示を確認できる。
三つの窓は性質が違う。第三の窓は自分の物件についてだけ開き、第一と第二は市場の側を映す。売主が知りたいのは通常その両方である。自分の物件が正しく市場に置かれているかと、その市場がどういう水準にあるか。制度は前者を細く、公的な統計は後者を粗く開けている。どちらも、会員が見ている台帳の代わりにはならない。それでも、何も見ないよりは判断の精度が上がる。
5.4 公開型の設計との対比
対比のために触れておくと、米国では複数のリスティング・サービスに登録された情報が、参加ブローカーのサイトを通じて一般の閲覧者にも表示される仕組みが広く用いられている。設計思想の違いは明瞭である。日本の指定流通機構は、業者間の相互協力のネットワークとして設計され、消費者への提示は各社の広告と不動産ポータルサイトに委ねられた。
どちらが優れているかを一般的に述べることはできない。公開の範囲を広げれば、正確性と守秘の担保に別の仕組みが要る。名簿としての悪用を防ぐ手当ても要る。ただ、現行の設計のもとでは売主の観察範囲が狭いという事実は動かない。設計の是非を論じるより、その事実を前提に売主が何をできるかを考えるほうが、実務としては先に来る。
6. ステータス管理——市場の状態をどう表示するか
一元化された台帳に物件が並んでいても、その一件が今どういう状態にあるのかが分からなければ、閲覧する側は動けない。すでに申込が入っているのか、まだ案内できるのか。この状態表示が、指定流通機構のもう一つの設計要素である。地味だが、市場設計の観点からは中核に近い位置にある。
6.1 表示は混雑への対処である
第2節で挙げた混雑を思い出したい。厚みが増すほど、一件ずつ確かめる費用が積み上がる。買主を抱える業者が十件の候補に問い合わせ、そのうち八件がすでに商談中であったなら、八件分の照会と応答が無駄になる。状態を表示させる設計は、この無駄を減らすためにある。表示は情報そのものではなく、情報を求めるかどうかを決めるための信号である。信号が正確であるほど、市場全体の処理能力は上がる。逆に信号が信用できなければ、閲覧側は表示を無視して全件に問い合わせるようになり、表示は存在しないのと同じになる。
6.2 三つの表示区分
| 表示 | 意味するところ | 売主が確かめる点 |
|---|---|---|
| 公開中 | 他社が買主を案内できる状態 | 売り出している期間は、原則としてこの表示になっているか |
| 書面による申込あり | 買主から書面による申込を受けている状態 | その申込について自分が報告を受けているか |
| 売主の都合による一時紹介停止中 | 売主の事情により紹介を止めている状態 | 止めることを自分が申し出た覚えがあるか |
三つ目の表示は、名称のとおり売主の事情を前提としている。売主が申し出ていないのにこの表示が付いていれば、表示と実態が食い違っていることになる。売主が自分の物件の表示を確認できる仕組みが用意されているのは、この食い違いを売主自身が見つけられるようにするためである。表示の正確性を、入力する側だけに委ねない構造だといえる。
6.3 自己申告のデータをどう担保するか
ここには、自己申告で集めるデータに共通する問題がある。入力するのは当事者であり、入力の内容を第三者が逐一検証することはできない。表示が実態からずれても、ずれ自体は台帳の上に現れない。設計がとりうる担保は、大きく二つしかない。一つは検証する主体を増やすことである。売主が自分の物件について表示を確認できる仕組みは、これに当たる。もう一つは制裁である。表示を実態と異なるものにしたことが行政上の処分に結びつくと明らかにしておけば、入力の段階で効く。近年、この二つの方向で運用の明確化が進められている。
ただし、どちらの担保にも限界がある。売主による確認は、売主が確認するという行動を実際に取って初めて働く。制裁は、事後に事実が判明して初めて働く。設計としては、表示の正確性を高い水準で保証しているとまではいえない。売り出しの初期に一度、自分で表示を見ておくことに意味があるのは、この限界の裏返しである。見ておけば、以後は表示の意味が分かる。
註:表示区分の名称と運用は、機構および所管の行政による見直しの対象であり、時期によって変わりうる。本稿が依拠するのは名称そのものではなく、市場の状態を当事者の申告によって表示させ、その正確性を検証と制裁の二つで担保するという設計の型である。
7. 設計からこぼれるもの——登録されない取引と薄い市場
ここまで設計の内側を見てきた。次に、設計の外に何が残るかを見る。一元化を目的とする制度にとって、外に残る部分の大きさは、そのまま制度の到達範囲を決める。
7.1 台帳に載らない取引の層
登録の義務は媒介契約を経由する。したがって媒介を経由しない取引は、初めから台帳の外にある。隣接地の所有者へ直接持ちかける売買、親族間の譲渡、業者が自ら買主となる買取、競売や公売による手続、自治体が運営する空き家バンクを通じた出会い。いずれも珍しい形ではない。加えて、媒介を経由しても一般媒介契約であれば登録は任意である。これらを合わせた層が、機構の台帳からこぼれる。
この層の存在は、台帳を市場の全体像として読むことの危うさを意味する。台帳に載っている物件は市場の一部であって、市場そのものではない。売主が価格の水準を考えるとき、また買主が選択肢の広さを考えるときに、この前提は効いてくる。制度が捉えているのは、媒介という経路を通った部分だけである。
7.2 成約の記録という弱い環
もう一つの穴は、出口の側にある。成約したときの通知は義務であるが、登録の期限のように日数で厳密に切られてはおらず、遅滞なくと定められているにとどまる。通知が遅れれば、台帳には売れた物件が残り続ける。価格情報の集積という機能から見ると、ここは制度の弱い環である。入口の義務をいくら厳しくしても、出口の記録が薄ければ、蓄積されるデータの精度は上がらない。市場設計としては、参加の規則と同じだけ退出の規則が重要になる、という一般的な教訓の実例でもある。
7.3 薄い市場では厚みをつくれない
より根本的な限界は、一元化という手段が前提としている条件のほうにある。一元化は、散らばっている買主候補を集めることで厚みをつくる。だが候補そのものが少ない地域では、集めても厚みは生まれない。静岡県周智郡森町は、人口およそ1万5,900人(2026年4月1日時点)の町であり、土地の相場の平均の目安は1平方メートルあたりおよそ2万6,900円とされる。磐田市の住宅地の公示地価の平均が1平方メートルあたり5万86円(2026年地価公示)であることと比べると、およそ半分の水準である。
こうした市場では、区域内の会員全体に情報が届いたとしても、届いた先に買主候補が並んでいるとは限らない。実際に効くのは、隣接地の所有者への打診、地域の縁故、移住を検討する層に届く自治体のバンクといった、台帳の外にある経路である。設計として見れば、指定流通機構は厚い市場を前提に組まれた装置であり、薄い市場に対しては、外の経路と併走させて初めて働く。同じ制度でも、地域によって作用の大きさが違う。この差は制度の不備というより、制度が扱える範囲の境界である。
7.4 秘匿と厚みは両立しない
最後に、設計が正面から扱っていない緊張がある。売主の中には、売却の事実を近隣に知られたくないという要請を持つ者がいる。人口の少ない町では、この要請は切実になる。公開の範囲は段階をなしている。現地の看板、折込の広告、不動産ポータルサイトへの掲載、そして機構への登録。上から順に絞っていけば、知られる範囲は狭まる。同時に、買主候補の数も減る。
厚みと秘匿は交換関係にあり、どこで線を引くかは売主が決めるほかない。制度はこの線引きを代行してくれない。代行してくれない以上、売主に必要なのは、どこまで絞るとどれだけ候補が減るのかという見込みを、売り出す前に説明として受け取っておくことである。絞ることそのものは選択として尊重される。説明を受けずに絞ることが、後から効いてくる。
8. 売主の実務への含意
ここまでの分析を、売主が実際に決められる事項へ落とす。順序が重要である。売り出してから確かめる事項と、売り出す前に決めておく事項を混ぜてしまうと、決めるべきときに決められない。以下は、制度の設計から素直に導かれる手順である。
8.1 媒介契約を結ぶ前に決める三つ
- 依頼する媒介契約の類型を、登録義務の有無まで含めて選ぶ。一般媒介を選ぶ場合は、指定流通機構への登録を依頼の内容として明示的に取り決めておく
- 公開の範囲を、現地看板・折込広告・不動産ポータルサイトへの掲載・機構への登録の四つに分けて、どこまで出すかを自分で決める。絞るほど候補が減ることを説明として受け取ったうえで線を引く
- 台帳の外の経路を併走させるかを決める。隣接地の所有者への打診、自治体の空き家バンクへの登録、親族への打診。併走させる場合は、問い合わせの窓口を一本にまとめておく
三つ目について補足する。経路を増やすこと自体は候補を増やすが、窓口が分かれると、同じ買主候補に別々の条件が伝わる危険が生じる。誰がどの経路を担当し、条件を変更したときにどこで足並みを揃えるのかを、売り出す前に決めておく。経路の多元化と条件の一元化は両立させられる。両立させないと、市場に出した情報が互いに矛盾し、かえって候補を減らす。
8.2 売り出したあとに確かめる二つ
第一に、登録を証する書面を受け取り、そこに記載された物件の表示・価格・取引の態様が、自分の認識している売り出しの条件と一致しているかを確かめる。一致していなければ、その時点で直せる。売り出しの初期であれば、直した影響も小さい。第二に、その書面の情報を用いて、自分の物件の取引状況の表示を一度見ておく。第6節で述べたとおり、表示の正確性は検証する主体の数で担保される。売主が見ること自体が、その担保の一部になっている。
これらは相手を疑うための手続ではない。第5節で述べたとおり、売主の観察範囲は個人の姿勢ではなく参加規則によって決まっている。誠実な担当者に依頼していても、売主が自力で見られる範囲は同じだけ狭い。装置を使うことと、相手を信頼することは両立する。むしろ、確認できる状態を先に作っておくほうが、後から疑いが生じたときに互いに困らない。
8.3 売れたあとに残す一つ
売買が成立したら、成約の通知が機構へ行われたかを確認しておきたい。売主にとって直接の利益はない。しかし、その記録が次の売主と買主にとっての手がかりになる。第4節で述べた価格発見は、成約の記録が積み上がって初めて働く。第7節で見たとおり、出口の記録は制度の弱い環でもある。自分が使った台帳を、使える状態のまま次に渡す。地域の市場を薄くしないという意味では、これも売主にできることの一つである。
9. 結論と今後の課題
本稿は、レインズの名で知られる指定流通機構を、市場設計の対象として読んできた。得られた像は次のとおりである。この制度は、専任媒介契約と専属専任媒介契約に登録の義務を課すことで、放置すれば各社の内部にとどまる物件情報を一箇所に集めた。集める理由は道徳ではない。一元化された情報が公共財に近い性質を持ち、自発的には過少にしか供給されないからである。集めることで生まれるのが、市場の厚みであった。
同時にこの制度は、集めた情報を閲覧できる主体を、免許を持つ会員に限った。正確性・守秘・不当利用の防止・費用負担という四つの理由に支えられた選択だが、代償として、売主は自分の物件が置かれた市場を地図として見られない。取引状況の表示は、閉じた設計に開けられた小窓であると同時に、探索の混雑を減らすための信号でもある。そして設計の外には、媒介を経由しない取引と、そもそも買主候補の少ない薄い市場が残る。
9.1 本稿の限界
本稿は、法令が定める義務の内容と、公開されている運用の枠組みを、設計要件に翻訳して読んだものである。実際の登録データを分析したものではない。したがって、登録がどの程度期限どおりに行われているか、表示が実態とどれだけ一致しているか、一般媒介契約での任意の登録がどの程度行われているかといった、量に関わる問いには答えていない。これらは会員でなければ観察できない領域にあり、外部からの検証可能性が乏しいこと自体が、この制度をめぐる論点の一つである。
9.2 残された論点
- 閲覧の範囲を売主の側へ広げた場合に何が起きるか。正確性と守秘をどの仕組みで置き換えるかを含め、設計の代案は本稿では検討していない
- 薄い市場に固有の設計。区域を越えた検索、隣接地の所有者への到達、自治体のバンクとの接続といった論点は、厚い市場を前提とした現行設計の外側にある
- 機構と不動産ポータルサイトという二重構造の関係。買主の入口が広告の市場に置かれていることの意味は、二面市場の枠組みで別に扱う必要がある
- 媒介契約の三類型が売主と業者のあいだで何を交換しているのか。本稿は登録義務という一つの側面からのみ触れた
四つのうち第一の論点だけは、性格が違う。他の三つが分析の不足であるのに対し、これは制度が現に選ばなかった道の評価である。設計の代案を論じるには、その代案がどの失敗を招くかまで見積もる必要がある。公開の範囲を広げた市場が、正確性と守秘をどのように守っているのかを比較して初めて、日本の設計の位置が定まる。それは本稿の射程を超える。
最後に一つだけ述べておきたい。制度とは、参加者の善意を要求せずに済ませるための工夫の集まりである。指定流通機構もその一つとして設計された。設計を知ることは、制度を信じることでも疑うことでもない。自分がどのような規則の下に置かれているかを読み、その規則の下で自分に何が決められるのかを見定めることである。売主にできることは、思われているより少なくない。
