1. はじめに——問題の所在
空き家をめぐる問いは、たいてい「いくらで売れるか」「そもそも売れるのか」という形をとる。売却の可否と価格に関心が集まるのは自然なことである。しかし所有者が答えを出せないまま時間が過ぎているあいだにも、その家は費用を発生させ続けている。草は伸び、雨樋は落葉で詰まり、税の通知は毎年届く。管理とは何もしないことではなく、費用を伴う継続的な作業である。決めないという状態は、無料ではない。
本稿が対象とするのは、所有者がそこに住んでいない住宅、とりわけ遠方に住む所有者が持つ空き家である。親が施設に入った実家、相続したまま手を付けていない家、勤務地の都合で戻れなくなった持ち家。いずれも所有者は別の場所に生活の拠点を持ち、現地には用事のあるときだけ足を運ぶ。遠方であることは、単に不便だという以上の意味を持つ。それは費用の形そのものを変える。近くに住んでいれば散歩のついでに済むことが、片道数時間の移動と半日以上の時間を要する作業になる。しかもこの費用の大半は、通帳にも家計簿にも記録されない。
1.1 本稿の問いと方法
問いは二つである。第一に、空き家の管理費用は具体的にどの費目から成り、そのうちどれだけが所有者の目に見える形で計上されているのか。第二に、保有を続ける費用と売却して得る手取りは、どうすれば同じ土俵に載せて比べられるのか。世上の助言は「早く売ったほうがよい」か「慌てて売るな」のどちらかに寄りがちだが、いずれも比較の方法を示さないまま結論だけを述べている点で同じである。比較の型がなければ、どちらの助言も検証できない。
方法として、費用を三層に分ける。第一層は通帳に現れる私的費用、すなわち税・保険料・光熱費・委託料である。第二層は通帳に現れない私的費用、すなわち自分で作業するときの時間という帰属費用と、売却していれば得られたはずの収益という機会費用である。第三層は、所有者が負担しないまま近隣と自治体へ流れ出る社会的費用である。三層に分けるのは、それぞれ見えにくさの理由が違い、したがって対処の仕方も違うからである。
金額の相場は本稿では示さない。管理費用は建物の状態、敷地の広さ、樹木の量、依頼先の有無によって大きく散らばり、地域の平均値として引ける確かな出典を筆者は持たないためである。根拠のない数字を並べれば、比較の型そのものが信を失う。本稿が提供するのは、読者が自分の物件の実額で埋めるための枠である。枠は空欄のままでも意味を持つ。どの欄が埋められないかが、そのまま次に調べるべきことを指し示すからである。
1.2 構成
第2節では、不動産管理論の側から空き家という管理対象の特殊性を確認する。第3節で費目を並べ、遠方所有がその費目をどう変えるかを見る。第4節では家計簿に現れない費用を扱い、第5節で所有者が負担していない社会的費用と、それを私的費用へ戻す制度の働きを検討する。第6節が本稿の中心で、保有継続と売却を同じ土俵に載せる三つの方法を示す。第7節で所有者が明日から着手できる手順に落とし、第8節で残された課題を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買い取る事業を持たない。本稿は売却を勧めるために書かれてはいない。費用を正しく積み上げた結果として、保有の継続が合理的だと判断されることは十分にありうる。本稿が否定するのは、費用を数えないまま先送りすることだけである。立場を隠して中立を装うことはしない。
2. 収益のない管理対象
不動産管理論は、賃貸住宅・オフィス・商業施設といった収益不動産の運営を主な対象として発展してきた分野である。空室率をどう下げるか、修繕をいつ行えば長期の収支が最も良くなるか、管理の質が賃料水準にどう跳ね返るか。問いはいずれも、収入という物差しの上に立っている。ところが空き家はこの枠から外れる。収入がゼロで、費用だけが発生する管理対象だからである。
2.1 成果が見えない管理は続かない
収益不動産であれば、管理の巧拙は収益率という数字に現れる。手をかけた分がどこかで返ってくるという実感が、管理を続ける動機を支えている。空き家にはその回路がない。丁寧に管理しても収入は増えず、資産価値の保全という効果は、売却するまで数字にならない。他方で、管理を怠ったときの損失ははっきりしている。屋根材が落ちて通行人に当たれば責任が生じ、庭木が越境すれば隣家との関係が壊れる。
つまり空き家の管理は、うまくやっても報われた実感が薄く、失敗したときだけ損失が明確になるという非対称な構造を持つ。心理的に続けにくい作業であり、しかも続けにくさは所有者の性格ではなく対象の性質から来ている。管理が滞る事例を怠慢の問題として語るのは、この構造を見落としている。
2.2 管理の三つの目的と、空き家における偏り
不動産の管理は、通常は三つの目的を同時に追う。物理的な劣化を抑える維持保全、法的・社会的な責任を回避するリスク管理、そして資産価値を保つバリュー管理である。空き家では、このうち維持保全とバリュー管理の効果が見えにくく、リスク管理だけが切実に残る。
リスク管理が前面に出るのは、制度がそれを求めているからでもある。民法717条は、土地の工作物の設置または保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときの責任を定めており、建物の所有者はこの責任から原則として逃れられない。空家等対策の推進に関する特別措置法も、空家等の所有者等に対し、周辺の生活環境に悪影響を及ぼさないよう空家等の管理に努めることを求めている。管理しないという選択肢は、制度上は用意されていない。
2.3 使わないことが劣化を早める
住宅は使用によって摩耗する。しかし無人の住宅の劣化は、摩耗とは別の経路で進む。換気されない室内は湿気がこもり、畳と建具と床下が傷む。通水されない排水管は封水が蒸発し、臭気の逆流と害虫の侵入路になる。庭の樹木は伸びて越境し、雨樋は落葉で詰まり、詰まった樋から溢れた水が外壁と基礎を傷める。人の出入りがないこと自体が、不法投棄や侵入の誘因にもなる。
ここから重要な帰結が出る。空き家の管理費用は、支払いを見送れば消えるのではなく、時間差で大きくなって戻ってくる。今年の草刈りを見送ることは、来年の草刈りを重くすることである。数年単位で見れば、管理費用は削減できる支出ではなく、支払う時期を選べる支出に近い。そして時期を後ろに送るほど、総額は増える傾向を持つ。
註:本節の劣化の経路は媒介の現場で繰り返し観察される事象を整理したものであり、劣化速度を数量的に示す趣旨ではない。建物の構造・気候・敷地条件によって進み方は大きく異なる。
3. 費目を並べる——遠方所有の空き家に何が発生するか
費用を積み上げるには、まず費目を漏れなく並べる必要がある。ここで多くの所有者が過小に見積もる。頭に浮かぶのは固定資産税だけで、それ以外は「たまに出ていく細かい支出」として記憶に残らないからである。一年を通して眺めれば、細かい支出のほうが合計では大きいことも珍しくない。以下の表は、遠方に住む所有者が持つ空き家に発生しやすい費目を、発生の仕方とともに並べたものである。金額を書かないのは第1節で述べた理由による。埋めるのは読者の役割である。
| 費目 | 発生の仕方 | 遠方所有で変わる点 |
|---|---|---|
| 固定資産税・都市計画税 | 毎年 | 額は変わらない。ただし納税通知書の送付先を現住所へ変えておく必要がある |
| 火災保険・地震保険 | 毎年または数年ごと | 住宅として扱われず、契約の条件や引受けの可否が変わることがある |
| 電気・水道の基本料金 | 毎月 | 通水と換気のために解約しにくく、使用量ゼロでも基本料が続く |
| 草刈り・樹木の剪定 | 年に数回 | 自分で行うか委託するかの分岐点が、近隣所有より手前に来る |
| 屋根・外壁・雨樋の点検と補修 | 随時 | 異変の発見が遅れ、気づいた時点で補修の規模が大きくなっている |
| 郵便物・回覧板・自治会費 | 随時・毎年 | 受け取る人がいない。転送手続や近隣への依頼が要る |
| 往復の交通費と滞在 | 訪問のたび | 一回あたりの負担が大きく、その結果として訪問頻度が下がる |
| 害虫・害獣・不法投棄への対応 | 随時 | 通報を受けてから動くため、対応が後手に回る |
| 近隣からの連絡への対応 | 随時 | 連絡先が知られていないと、市役所を経由して届くことがある |
3.1 削れない費用と、削れる費用
表は性質の違う二種類の費用を含んでいる。税・保険料・基本料金は、保有している限り毎年決まって出ていく。これらは管理の努力では減らせない。一方、草刈りの回数や点検の頻度は所有者が決められる。ここは削れる。しかし第2節で見たとおり、削った分は消えるのではなく将来へ送られる。予算を立てるときにこの二種類を分けておくと、どこを絞れるのか、絞った結果が何年後にどう戻ってくるのかが見えるようになる。
3.2 委託しても外に出せないもの
空き家の管理を代行する事業者は各地にあり、定期的な通風・通水・清掃・写真報告を請け負う。委託すれば、移動と作業に費やしていた時間を外へ出せる。これは遠方所有者にとって合理的な選択でありうる。ただし委託しても外に出せないものが二つ残る。
- 判断。修繕するか見送るか、どこまで直すか、いつ売却へ踏み出すか。報告書を読んで決めるのは所有者である
- 責任。工作物の所有者としての責任は、管理を委託しても所有者から移らない
委託は費用の形を変えるが、総量を減らすとはかぎらない。時間費用が委託料という現金支出に置き換わるだけの場合もある。置き換えたことで家計に見えるようになる点は利点だが、支出が可視化されると今度は解約の誘惑が生まれる。委託を検討するときは、料金と作業内容だけでなく、報告が判断の材料になる形式かどうかを見るとよい。写真と所見が残る報告は、後の売却の場面で開示資料としても使える。
3.3 距離が作る循環
遠方所有には固有の循環がある。一回の訪問の費用が大きいため、訪問の頻度が下がる。頻度が下がれば草は深くなり、異変の発見は遅れる。深くなった草の処理は一回あたりの費用を押し上げ、遅れて発見された雨漏りは補修の規模を大きくする。費用が上がれば、訪問はさらに間遠になる。この循環は所有者の怠慢から生じているのではなく、距離という条件から生じている。
だからこの循環を断つ手は、意志を強く持つことではなく、距離の効果を打ち消す仕組みを置くことになる。地元の事業者や近隣の知人に定期の確認を頼む、年間の訪問回数をあらかじめ決めて予定に入れる、報告の写真だけでも定期的に受け取る。いずれも費用はかかるが、循環に入ってからの費用より小さいことが多い。
4. 家計簿に現れない費用
第3節で並べた費目のうち、通帳に記録が残るのは一部にすぎない。残りは支払っているのに支払った証拠が残らない費用である。経済学はこれを帰属費用と機会費用という二つの概念で扱ってきた。空き家の保有では、この二つが合計の相当部分を占める。見えないまま放置すれば、保有の費用は体系的に過小評価される。
4.1 自分の時間は費用である
自分で草を刈り、自分で窓を開けに行くとき、支払いは発生しない。だから費用として認識されない。しかしその時間は、他の用途に使えたはずの時間である。市場で誰かに頼めば対価が生じる作業を自分で行っているのだから、対価に相当する価値をこちらが負担していることになる。これが帰属費用の考え方である。休暇を使ったのであれば休暇の価値が、仕事を休んだのであれば減った収入が、その中身になる。
金額を置くのが難しければ、金額を置かなくてもよい。少なくとも年間の延べ日数を数えることはできる。往復と作業で一日を使う訪問が年に六回あれば六日である。六日という数字は、金額より説得力を持つことがある。とくに家族で共有している空き家では、負担が特定の一人に偏っていることが、日数として初めて可視化される。誰が何回通ったかを数えるだけで、話し合いの土台が変わる。
この費用には年齢という変数も効く。通うことが体力的に難しくなる時期は、多くの所有者に訪れる。今年は苦にならない往復が、十年後には同じ費用ではない。保有を続ける想定年数を考えるとき、この点は価格の見通しよりも確実に効く要因である。
4.2 代金が生んだはずの収益
もう一つの見えない費用は機会費用である。売却して手取りを得ていれば、その資金は何らかの用途に使えた。預金に置けば利息を生み、住宅ローンや事業性の借入の返済に充てれば支払う利息を減らし、生活費に充てれば別の支出を賄えた。保有を続けるとは、この収益を見送り続けることである。
借入を抱えている所有者にとって、この費用はかなり明確な数字になる。見送っている収益率は、おおむね自分が払っている借入金利に等しいからである。借入がない場合は幅を持たせるしかないが、その場合でも、預金金利のような低い値と、自分が実際に他の用途から得ている利回りのような高い値の両端を置いておけば、後の試算で結論がどちらに寄るかを確かめられる。
4.3 価値の目減りは一定の速度では進まない
建物の価値が下がることも費用である。ただしここは慎重に扱う必要がある。築年数が相当に経った木造住宅は、市場で土地の価格に近い評価を受けることが多い。その段階に達していれば、建物がさらに傷んでも価格が下がる幅は小さい。目減りの速度は、この段階に達するまでと達した後とで大きく違う。
しかし、その先にもう一つの段差がある。劣化が進んで買主が解体を前提にせざるを得なくなると、解体費用の分だけ価格が下がる。さらに進んで、行政から管理不全の状態を指摘される水準に達すれば、保有側の税負担も変わりうる(第5節)。つまり価値の目減りは一定の速度で進むのではなく、いくつかの水準を越えるところで段差になって現れる。この段差の手前にいるのか越えた後なのかは、費用を積み上げるうえで重要な前提になる。
4.4 保有の側にある価値を差し引かない
ここまで費用ばかりを数えてきたが、逆向きの力も書いておかなければ公平を欠く。保有を続けることには、将来売るという選択肢を持ち続ける価値がある。市場の先行きが読めないほど、選択肢を保持することの価値は上がるとされる。相続人の間で方針が固まっていない段階、あるいは近隣の開発計画の帰趨が見えない段階で、決めないでおくことには理由がありうる。
本稿はこの価値を否定しない。ただし、その価値は本節までに数えた費用を差し引いたうえでなお残るかどうかで評価されるべきである。選択肢の価値を口実にして費用を数えないことが、先送りの最も典型的な形である。保有の価値そのものをどう評価するかは、別稿で扱う論点とする。
5. 私的費用と社会的費用のあいだ
ここまでは所有者が負う費用を数えてきた。しかし管理の行き届かない空き家が生む費用は、所有者の家計の外にも出ている。本節はその部分を扱う。所有者にとっては費用が「軽い」ことが問題の解決ではなく、問題の一因になっているという逆説がここにある。
5.1 外部不経済としての管理不全
管理されない空き家が周辺に及ぼす影響は、いくつかの系統に分けられる。倒壊や屋根材の飛散という防災上の危険、侵入や放火という防犯上の危険、害虫・害獣・悪臭という衛生上の問題、雑草と荒れた外観という景観上の問題、そして越境した枝や落葉による隣地の日常的な負担である。これらの費用を負うのは、近隣の住民と、対応にあたる自治体である。所有者の家計には現れない。
経済学はこれを外部不経済と呼ぶ。ある主体の行動が、対価のやりとりを経ずに他者へ費用を課している状態である。ここで生じているのは、私的費用(所有者が実際に負担する費用)と社会的費用(社会全体で発生する費用の総額)の乖離である。所有者が管理の水準を決めるとき参照するのは私的費用のほうだから、社会的に見て望ましい水準より低いところで管理が止まる。これは所有者の道徳の問題ではなく、費用の配分の問題である。
この影響には累積する性質もあるとされる。荒れた一軒があると周囲の管理水準も下がっていくという観察は、ウィルソン=ケリング(1982)の割れ窓の議論以来、広く論じられてきた。ただし地価への影響を数量的に示すことは、取引件数の少ない地方の市場では難しい。近傍の成約事例そのものが乏しく、比較の対象を欠くからである。本稿は因果の推定には踏み込まず、費用が誰に帰着しているかという配分の問題として扱う。
5.2 二つの是正の道
外部性の是正には、大きく二つの道が論じられてきた。一つはピグー(1920)に代表される道で、課税や補助金によって私的費用を社会的費用に近づける。もう一つはコース(1960)に由来する道で、権利の所在を明確にしたうえで当事者の交渉に委ねる。理論上は、交渉費用が十分に低ければ後者でも効率的な水準に到達する。
空き家では、この後者が働きにくい。所有者が遠方にいて連絡がつきにくい、相続によって共有となり決定権が分散している、登記が更新されておらず所有者を特定できない。いずれも交渉の相手方にたどり着くまでの費用が高い。近隣住民が個別に交渉して解決するという筋道は、現実にはほとんど成立しない。制度的な介入が求められるのは、この交渉費用の高さゆえである。
5.3 制度は費用をどちらへ戻すか
空家等対策の推進に関する特別措置法は、助言・指導から勧告、命令、行政代執行へと段階を踏む枠組みを持つ。このうち勧告が費用配分の観点から重要である。勧告を受けた敷地は、住宅用地に対する固定資産税の課税標準の特例(地方税法349条の3の2)の対象から外れるからである。外へ流れ出ていた費用の一部を、税負担という形で所有者の家計へ戻す装置として読める。2023年の改正で管理不全空家等の類型が設けられ、著しく危険な状態に至る前の段階からこの経路に乗るようになった。
ただし制度は外部性のすべてを内部化するわけではない。2023年に施行された民法233条の改正は、越境した竹木の枝について、催告しても切除されない場合などに隣地の所有者が自ら切り取ることを認めた。紛争の解決には資するが、切る手間と費用を隣人が先に負う点は変わらない。制度が配分し直せるのは、費用の一部である。
逆方向の指摘も必要である。住宅用地の課税標準の特例は、本来は居住を支える制度だが、老朽化した家屋を残したままにする誘因としても働いてきた面がある。保有の私的費用を軽くしてきたのは、ほかならぬ制度である。この点の詳細な検討は保有課税を主題とする別稿に譲るが、本節の観点からは次のようにまとめられる。所有者が直面する費用は、市場が決めているのではなく、制度によって形を与えられている。制度が変われば、同じ物件でも保有の合理性は変わる。
6. 保有継続と売却を同じ土俵に載せる
本節が本稿の中心である。保有を続けるか売却するかという問いに答えが出せない理由の多くは、判断材料の不足ではなく、材料の単位が揃っていないことにある。保有は毎年流れていく費用であり、売却は一度きりに受け取る金額である。前者はフロー、後者はストックであって、そのまま並べても大小は決まらない。年に十数万円と、数百万円と。どちらが大きいかという問い自体が成立していない。
6.1 単位を揃える三つの方法
揃え方は三通りある。どれかが正しいというものではなく、答えたい問いによって使い分ける。
| 揃え方 | 計算すること | 答えられる問い | 弱点 |
|---|---|---|---|
| フローに揃える | 売却手取りが生む年当たりの収益と、保有の年費用を並べる | 毎年の家計にどちらが効くか | 将来の価格変動や一時的な大きい支出を映しにくい |
| ストックに揃える | 想定年数分の保有費用を現在価値に直し、売却手取りと比べる | 総額としてどちらが大きいか | 想定年数と割引率の置き方で結果が動く |
| 分岐年数を出す | 保有の累計負担が売却手取りに追いつくまでの年数を求める | いつまでに決めるか | 一度の大きな支出があると年数が大きく振れる |
三つは同じ情報の別の見せ方である。フローに揃える方法は、月々の家計の感覚に近く、家族に説明しやすい。ストックに揃える方法は、総額で比べたい場合に向く。そして分岐年数は、金額ではなく時間の言葉で答えを返すため、期限のある判断——施設の入居費用、相続税の納期限、住み替えの日程——と接続しやすい。
6.2 置くべき四つの前提
どの方法を採るにせよ、先に前提を置く必要がある。前提を書き出さないまま計算した数字は、後から見て何を意味していたのか分からなくなる。
- 想定保有年数。市場が何年続くかではなく、自分が管理を続けられる年数から置く。健康・仕事・家族の事情がここに入る
- 割引率。借入があればその金利、なければ預金金利と自分が他の用途から得ている利回りの二つを両端として置く
- 将来の売却価格の見通し。上がる・横ばい・下がるの三通りを置き、単一の予測に賭けない
- 管理水準。自分で通う・地元へ委託する・最低限にとどめる、のどれを前提にするか。年費用はここで大きく変わる
前提を明示することが、この試算の最大の効用である。結論の数字そのものより、前提を書き出す過程で自分が何を知らないかが分かるからである。将来価格を三通り置いたとき、三通りとも同じ結論になることがある。その場合、価格の見通しは判断に効いていないのだから、それ以上調べる必要はない。逆に結論が割れたなら、割れる原因になった前提こそが次に調べるべき対象である。試算は答えを出す道具であると同時に、調べる順番を決める道具でもある。
6.3 他所の平均値を持ち込まない
この試算に、書籍や記事で見た管理費用の一般的な相場を入れてはならない。管理費用は、建物の状態、敷地の広さ、樹木の量、依頼先の有無によって大きく散らばる。平均値は、その散らばりの真ん中を示すだけで、自分の物件の位置については何も教えない。前年の納税通知書、保険証券、電気と水道の明細、業者の請求書。これらが手元にあるなら、推計より確かな数字がそこにある。
売却側の数字にも同じ注意が要る。ここで並べるべきは売り出し価格でも査定額でもなく、手元に残る金額である。仲介手数料、登記に要する費用、残置物の処理費、測量が要るならその費用、そして譲渡所得に対する課税。これらを引いた後の金額が、保有の費用と比較される相手になる。査定額のまま比較すると、売却側が体系的に大きく見える。
地域の水準が判断に効く場面もある。森町の土地の相場は2026年時点で1平方メートルあたりおよそ26,900円(前年比マイナス0.74%)とされ、磐田市の住宅地の公示地価50,086円(2026年、前年比プラス0.16%)のおよそ半分である。同じ管理費用でも、資産の価値に対する比重は地域によって違う。分岐年数は、地価の低い地域ほど短く出る傾向を持つ。
7. 所有者の実務への含意
以上を、明日から着手できる手順に落とす。順序には理由がある。後の工程で使う数字を、先の工程で作っておく必要があるためである。ここまで来ても売るか持ち続けるかを決める必要はない。決めるための材料を作るところまでが本節の範囲である。
7.1 直近一年分を、推計ではなく実額で拾う
最初にすることは、過去一年に実際に出ていった金額を集めることである。納税通知書、保険証券、電気と水道の明細、業者からの請求書、そして訪問のたびの交通費。多くは通帳と郵便物の束の中にある。ここで推計に頼らないことが重要である。推計は少なく見積もる方向に偏りやすく、しかも偏っていることに気づけない。
あわせて、金額のつかない項目も数える。この一年に何回現地へ行き、一回あたり何時間を使ったか。誰が行ったか。第4節で述べたとおり、この日数は金額に換算しなくても意味を持つ。家族で共有している場合はとくにそうである。
7.2 管理水準を三段階で書き出す
次に、管理の水準を三段階に分けて、それぞれの年費用を出す。自分で通う場合、地元の事業者に委託する場合、そして最低限にとどめる場合である。三つ目について、費用をゼロと書いてはならない。最低限にとどめるとは、支払いを将来へ送ることであって、消すことではない。荒れた状態からの草木の処理、遅れて発見された雨漏りの補修、行政からの連絡への対応、そして最終的な解体。これらが将来の一括の支出として控えている。
三段階を並べると、多くの場合、委託の年費用は自分で通う場合の現金支出より高く、時間費用まで含めた総額よりは低いところに来る。この位置関係が自分の物件でも成り立つかどうかは、実際に数字を置いてみないと分からない。距離が近ければ逆転する。
7.3 売却側を、価格ではなく手取りで出す
売却側の数字は、査定額から諸費用と税を引いた後の金額で作る。仲介手数料、登記費用、残置物の処理費、必要なら測量費、そして譲渡所得に対する課税である。取得費が分からない場合の扱いや、相続した居住用財産に関する特例の適用可否は、税額を大きく動かす。適用の可否は要件次第であり、早い段階で税務の専門家に確認しておくと、後の比較が確かなものになる。
買取という売り方を検討する場合も、比較の作り方は同じである。当社は買主にならず、買取や買取保証を率先して行わないが、売り方としての買取を否定するものではない。ただし提示された金額は、そのままでは仲介の査定額と比較できない。手数料の有無、引渡しの時期、契約不適合責任の扱いを揃えたうえで、手取りに直して並べる必要がある。
7.4 分岐年数を出し、判断の日を日付にする
ここまでの数字が揃えば、第6節の三つの方法のどれでも計算できる。実務的に扱いやすいのは分岐年数である。保有を続けたときの累計負担が、いま売却して得られる手取りに追いつくまでの年数。この数字が三年なのか二十年なのかで、判断の緊急度はまったく違う。
そして、その結果を判断の日付に変換する。「もう少し様子を見る」は日付を持たないため、いつまでも更新できてしまう。次に現地を見た日を起点に一年後の日付を決め、その日に同じ試算をやり直すと決めておく。前提のうち何が変わったかを確認するだけでよい。日付を決めておくことの効用は、決断を早めることではなく、決断を先送りしていることに自分で気づけるようにすることにある。
7.5 保有を選ぶなら、記録を残す
試算の結果として保有の継続を選ぶことは、十分にありうる結論である。その場合に一つだけ加えておきたいことがある。管理の記録を残すことである。訪問の日付、行った作業、撮った写真、補修の履歴。これらは将来売却に踏み出すとき、買主に対する説明資料になる。管理されてきたという事実は、口頭で述べるより記録で示すほうが強い。手間はかかるが、保有の期間中にしか作れない資産である。
8. 結論と今後の課題
本稿は、空き家の管理費用を誰がどのような形で負っているかを問い、保有継続と売却を同じ土俵に載せる方法を示した。主張は三点にまとめられる。
- 空き家の管理費用は、支払いを見送れば消えるのではなく、時間差で大きくなって戻ってくる支出である。したがって「今年は何もしなかったから費用はゼロだった」という認識は誤りである
- 所有者が実際に負担している費用の相当部分は通帳に現れない。自分の時間という帰属費用と、代金が生んだはずの収益という機会費用を加えなければ、保有の費用は体系的に過小評価される
- 保有と売却は単位が違うため、そのままでは比較できない。フローに揃える、ストックに揃える、分岐年数を出すという三つの方法のいずれかで単位を揃えて初めて、比較という作業が始まる
8.1 制度と実務に残された課題
第一に、管理費用の実態を示すデータが乏しい。本稿が金額を書かなかったのは、書けるだけの根拠を持たないからである。物件の属性別に管理費用の分布を示す資料があれば、所有者は自分の物件がどのあたりに位置するかを知ることができる。現状では、各所有者が自分の実額を拾うほかない。
第二に、管理代行サービスの品質を事前に判断する手がかりが乏しい。作業内容と報告の形式は事業者によって差があり、遠方の所有者は現地で確認できない。第3節で述べたとおり、報告が判断の材料になる形式かどうかが選択の基準になりうるが、契約前にそれを見分ける方法は確立していない。
第三に、外部費用の測定である。第5節で扱った近隣への影響は、存在は広く認められているものの、金額として示すことが難しい。とくに取引件数の少ない地方の市場では、地価への影響を統計的に取り出すこと自体が困難である。測れないものを制度設計の根拠にするときの慎重さが求められる。
8.2 別稿に投げる論点
第4節の末尾で触れた、保有を続けることそのものの価値——将来売るという選択肢を持ち続けることの価値——は、本稿では費用側を正しく積むという文脈でしか扱わなかった。この価値をどう評価するかは、実物オプションの考え方を主題とする別稿の課題である。同様に、解体して更地にするかどうかの判断、保有課税が売却判断を歪める構造、外部不経済の是正手段の比較についても、それぞれを主題とする稿に譲る。
空き家が市場に出てこない理由を所有者の意思決定コストから説明する議論、および行政による情報仲介の可能性と限界については、すでに別稿で扱った。本稿はそれらと対象を共有しつつ、視点を費用の負担者と比較の方法に絞っている。
8.3 本稿の限界
限界は三つある。第一に、具体的な金額を示していないため、本稿だけでは判断に到達しない。読者が自分の数字を入れる作業が残る。これは意図した設計だが、そのぶん読者の負担は大きい。第二に、遠方所有という条件の定義が曖昧である。片道一時間と片道五時間では費用構造が違うが、本稿はその差を扱いきれていない。第三に、筆者が不動産の媒介を業とする立場にあることは、費用の見え方に影響しているかもしれない。売却の局面で相談を受けるため、保有を続けて問題が生じなかった事例は筆者の視界に入りにくい。
その限界を踏まえたうえで、本稿の主張はなお成り立つと考える。費用を数えることは、売ることの理由にも、持ち続けることの理由にもなりうる。数えないでいることだけが、どちらの理由にもならない。
