1. はじめに——問題の所在
空き家をめぐる議論は、しばしば所有者の姿勢の問題として語られる。管理が行き届かないのは所有者が放置しているからだ、という語り口である。しかし公共経済学の立場から見ると、この問題の核心は姿勢ではなく費用の配分にある。ある家屋が管理されない状態に置かれるとき、そこから生じる不利益の一部は、所有者ではなく近隣の住民と自治体が負う。決定する者と、負担する者が一致していない。この不一致こそが、個々の判断がそれぞれに合理的であっても、社会全体では望ましくない結果に落ち着く理由である。
経済学は、市場の取引を経由せずに第三者の厚生に及ぶ効果を外部性と呼ぶ。第三者が利益を受ける場合を外部経済、不利益を被る場合を外部不経済という。外部不経済が存在するとき、当事者が直面する費用——私的費用——は、社会全体が負う費用——社会的費用——より小さい。小さいほうの費用に基づいて判断すれば、その行為は社会的に見て過大に選ばれる。管理を控えるという選択も、この意味で過大に選ばれている。
1.1 問いと方法
本稿の問いは二つである。第一に、管理不全の空き家が生む外部費用はどのような性格を持ち、なぜそれが所有者の保有費用に戻らないのか。第二に、その差を埋める是正手段として、住宅用地特例の解除、命令と行政代執行、除却や活用への補助という三つの制度は、どの条件でどれが優れているのか。
方法は制度の構造分析である。金額の試算は行わない。外部費用の大きさは家屋の状態と周囲の建て込み方に依存して大きく散らばり、地域の平均値として引ける確かな出典を本稿は持たないためである。ここで提供するのは金額ではなく、比較の軸である。誘因の精度、必要な情報、行政が負う費用、そして費用が最終的に誰に帰着するか。この四つの軸で三手段を並べる。
1.2 本稿がとらない立場
あらかじめ述べておく。本稿は所有者の責任を追及する立場をとらない。管理が滞る原因の多くは、遠方に住んでいること、相続の当事者が確定していないこと、体力や年齢の制約、そして買い手が現れにくい市場の薄さといった構造的な条件にある。これらは個人の努力だけで解けるとは限らない。政策手段を評価する基準も、所有者をどれだけ強く動かせるかではなく、費用が正しい場所に戻るかどうか、そして動こうとする所有者に出口が用意されているかどうかに置く。
この立場は分析上の要請でもある。原因を個人の姿勢に帰する説明は、手段の設計に何の指針も与えない。姿勢は政策の操作変数ではないからである。操作できるのは価格と規則と財源であり、外部性の理論はまさにその三つの使い分けを論じてきた。
以下、第2節で外部性の理論を確認する。第3節で空き家の外部費用を四つの類型に分け、第4節でそれが所有者に戻らない理由を検討する。第5節から第7節で三つの是正手段を順に扱い、第7節の後半で三者を比較する。第8節で所有者の実務に落とし、第9節で残された課題を述べる。
2. 外部性の理論——ピグーとコース
外部性への対処を論じる枠組みは、二人の経済学者によって用意された。一方は課税による是正を説き、他方はその前提そのものを問い直した。両者の対立点を押さえておくことが、後段の手段の比較に直接効いてくる。
2.1 ピグー——乖離を税で埋める
アーサー・セシル・ピグーが1920年の『厚生経済学』で示したのは、私的な限界費用と社会的な限界費用が乖離するとき、市場の均衡は社会的に望ましい点からずれるという命題である。処方は単純で、その差に等しい負担を行為者に課せばよい。負担を負う立場に置かれた行為者は、外部費用を自分の費用として計算に入れる。これが内部化と呼ばれる操作であり、そこで用いられる税は後にピグー税と呼ばれるようになった。
重要なのは、ピグー税の目的が財源の調達ではない点である。税収の額よりも、限界的な判断の縁——もう一手間かけて管理するか、しないか——を動かすことに意味がある。したがって税は、外部費用の大きさに応じて連続的に変化することが望ましい。この理念型を物差しにすると、現実の制度がどこで理念から離れているかが見える。
2.2 コース——問題は交渉の費用にある
ロナルド・コースは1960年の「社会的費用の問題」で、この構図に二つの修正を加えた。第一に、外部性は一方が他方に害を加える一方通行の関係ではなく、相互的である。害を避けるにはどちらかが行動を変えるほかなく、どちらに変えさせるのが安上がりかは自明ではない。第二に、権利の所在が明確で、当事者が費用をかけずに交渉できるなら、当事者間の取引によって効率的な状態に到達する。権利を誰に与えるかは、誰が利益を得るかを決めるが、資源の使われ方そのものは変えない。
この命題は、現実に交渉が起きると主張するものではない。むしろ逆である。交渉が成立しない条件——取引費用の高さ、当事者の多さ、権利内容の曖昧さ——を特定することこそが、政策の出番を決める作業になる。空き家の外部性がこの条件をどう満たしているかは、第4節で検討する。
2.3 価格手段と数量手段
政策手段は大きく二つに分かれる。価格手段は、税や補助によって行為の価格を変え、どれだけ行動を変えるかは各主体の判断に委ねる。数量手段は、基準や命令によって達成すべき状態そのものを指定する。ボーモルとオーツによる環境政策の理論は、この二分法を体系的に整理した代表的な仕事であり、外部性の是正を制度設計の問題として扱う土台になった。
どちらが優れるかは一般には決まらない。マーティン・ワイツマンが1974年に示したのは、費用に関する不確実性が残る状況では、限界損害の曲線が急峻であるほど数量手段が、緩やかであるほど価格手段が有利になるという判断基準である。損害が閾値を越えて急に立ち上がる領域では、削減の量を各主体の判断に委ねたときに生じる誤りの代償が大きい。逆に損害が緩やかに増える領域では、価格を提示して方法の選択を任せるほうが、同じ効果をより低い費用で得られる。この基準を、第6節で倒壊の危険に当てはめる。
註:以上の三つの枠組みは、いずれも汚染など連続的に測れる外部性を念頭に組み立てられている。空き家の外部性は測定が難しく、発生も断続的である。理論をそのまま適用できると考えるべきではないが、手段を比較する軸としては有効である。本稿は理論を規範としてではなく、比較の道具として用いる。
3. 外部費用は何でできているか——四つの類型
外部費用という一語で括られているものを、性格の違う四つに分ける。分けなければ、どの手段が効くかを論じられないためである。四つは、発生の頻度、損害の大きさ、そして削減にかかる費用のいずれにおいても大きく異なる。
3.1 防災——低頻度で、損害が大きい
老朽化した家屋の倒壊、屋根材や外壁の飛散、火災の延焼。これらは発生の頻度が低く、起きたときの損害が大きい。期待値だけを見れば小さく見えるが、ばらつきが大きい。しかも台風や地震という外生的な事象によって、地域内の多数の物件で同時に顕在化する。個々には小さな確率が、地域単位では無視できない規模になる。損害の一部は人身に及び、その部分は事後の金銭で回復されない。
3.2 防犯——確率が近隣に薄く広がる
無人の建物は、不法侵入、放火、ごみの投棄の対象になりやすい。ここで生じる不利益は、その建物の周囲に薄く広く分布する。誰か一人に大きな被害が出るというより、界隈全体の安全に関する見通しが下がる。ジェイムズ・ウィルソンとジョージ・ケリングが1982年に提示した、いわゆる割れた窓の議論は、無秩序の可視的な兆候がさらなる無秩序を招くという仮説であった。この仮説の実証的な当否には論争があり、本稿はその決着に立ち入らない。ただ、手入れされていないという外観そのものが情報として働きうるという点は、外部費用の経路として押さえておく価値がある。
3.3 景観と衛生——小さく、続く
雑草の繁茂、樹木の越境、害虫や小動物、臭気、そして街並みの見え方。一件あたりの損害は小さく、多くは回復可能である。しかし継続的に発生し、近隣の住環境の質として蓄積する。この二つの類型の特徴は、限界的な削減費用が低いことである。年に数回の草刈りと点検で相当部分が抑えられる。防災の類型のように除却や大規模な修繕を要しない。費用対効果の良い領域が広く残っている。
| 類型 | 主な内容 | 発生の形 | 限界削減費用 | 手段の方向 |
|---|---|---|---|---|
| 防災 | 倒壊・飛散・延焼 | 低頻度・高損害。外生要因で同時に発生 | 高い(除却・大規模修繕) | 状態の指定 |
| 防犯 | 不法侵入・放火・投棄 | 確率が近隣に薄く広がる | 中程度(施錠・見回り) | 指定と価格の併用 |
| 景観 | 外観と街並みの劣化 | 連続的・可逆的 | 低い(清掃・補修) | 価格による誘導 |
| 衛生 | 雑草・害虫・臭気 | 季節性があり反復する | 低い(定期の作業) | 価格による誘導 |
この分類から一つの含意が出る。防災の類型は限界削減費用が高く、しかも損害が閾値的に立ち上がるため、価格による誘導が効きにくい。逆に景観と衛生の類型は、わずかな費用で大きく改善するため、負担をわずかに動かすだけで行動が変わりうる。同じ制度を四類型すべてに当てるのは、設計として無理がある。
註:以上は費用の類型であって、個々の空き家が現にこれらを引き起こしているという主張ではない。管理されている空き家が生む外部費用はごく小さく、統計上の空き家の多くはこの状態にある。本稿が対象とするのは所有の事実ではなく建物の状態であり、この区別は第5節以下の手段の設計にも一貫している。
4. 内部化の失敗——なぜ費用は所有者に戻らないのか
四つの類型に共通するのは、それが所有者の負担として計上されない点である。なぜ戻らないのか。理由は四つあり、そのいずれもが所有者の意思とは関係のないところに起因している。
4.1 住環境には価格が付いていない
所有者が管理の水準を一段上げれば、近隣の受ける不利益は減る。しかしその改善に対価が支払われる仕組みはない。改善の便益は近隣に流れ、費用だけが所有者に残る。したがって私的に最適な管理水準は、社会的に最適な水準より低いところで止まる。これは怠慢の帰結ではなく、価格が存在しないことの帰結である。近隣に配慮する誠実な所有者であっても、費用を負担し続ける理由を市場から与えられないため、同じ位置に近づいていく。
4.2 交渉の当事者が多すぎる
コースの枠組みに戻れば、近隣住民と所有者が交渉して管理の費用を分担することは理論上ありうる。現実に起きないのは、取引費用が高いためである。不利益を受ける者は多数で、一人あたりの被害は小さい。誰か一人が動けば全員が便益を受けるため、自ら費用を負担して交渉に出る誘因が乏しい。マンサー・オルソンが1965年に集合行為の問題として定式化した構図がここにある。
条件はさらに悪い。どの程度の劣化から受忍の限度を超えるのかという権利の内容が曖昧で、交渉の出発点が定まらない。相続の登記が済んでいない場合には、そもそも交渉の相手方を特定できない。コースの定理が要求する二つの前提——権利の明確さと交渉費用の低さ——は、いずれも満たされていない。定理は、この場合に制度が介入する根拠を与える形で働く。
4.3 事後の責任は予防の誘因になりにくい
民法は、土地の工作物の設置または保存に瑕疵があり、それによって他人に損害が生じたときの責任を定めている。占有者が損害の発生を防ぐのに必要な注意をしたときは所有者が責任を負う構造であり、所有者の側には免責の規定が置かれていない。制度としては強い。しかし作動するのは損害が現実に発生した後であり、被害者の側が瑕疵と損害の関係を示す必要がある。予防の局面で所有者の判断を動かす力は、この構造からして弱い。責任法制は、外部費用を事前に内部化する装置としては設計されていない。
4.4 一部は近隣の地価に沈む
外部費用の一部は、近隣の不動産価格に織り込まれる形で表面化する。住宅の価格を立地や周辺条件といった属性に分解し、個々の要素の寄与を取り出す推計方法があり、これを用いて近隣環境の影響を測ろうとする研究群が国内外に存在する。ただし価格に現れるのは、売買が実際に起きたときだけである。住み続ける人が負う不快や不安、そして避けられた取引そのものは、どこにも記録されない。観測できる部分は外部費用の総量の一部にすぎないと考えるべきである。
以上の四つを合わせると、次のことが言える。空き家の外部費用は、市場によっても、当事者間の交渉によっても、事後の責任追及によっても、所有者の判断に戻ってこない。戻す経路を人為的に作るほかない。次節から検討する三つの手段は、いずれもその人為的な経路である。
5. 手段①価格——住宅用地特例の解除
最初に検討するのは価格手段、すなわち保有に伴う税負担を通じて誘因を変える方法である。日本ではこれが、新たな課税ではなく既存の軽減の解除という形で制度化されている。この形の違いが、理論的な性格に影響する。
5.1 何が行われているか
固定資産税では、住宅の敷地となっている土地について課税標準を圧縮する特例が置かれている。地方税法の定める割合により、面積の小さい部分については価格の6分の1、それを超える部分については3分の1が課税標準となる。そして空家等対策の推進に関する特別措置法に基づいて勧告を受けた特定空家等および管理不全空家等は、この特例の対象から除かれる。2023年の法改正により、危険が切迫する前の段階にあたる管理不全の類型についても、この経路が開かれた。
制度の形を正確に押さえておきたい。これは新たな税を課す操作ではなく、既に与えられていた軽減を外す操作である。基準となる状態が軽減後の水準に置かれているため、所有者の側からは増税に見え、財政の構造としては補助の停止にあたる。この差は、理論的な評価を分ける。
5.2 これはピグー税か
第2節で確認したピグー税の理念型と照らすと、三つの点で離れている。
- 負担の額が限界外部費用と対応していない。増加分は敷地の評価額に比例して決まり、その家屋が近隣に与える不利益の大小とは独立である。狭い敷地に建つ危険な家屋の負担が、広い敷地に建つ手入れされた家屋の負担より小さくなることがありうる
- 連続的ではなく閾値的に働く。勧告という行政の処分を経て初めて発動し、その前後で負担が不連続に跳ぶ。ピグー税が想定するのは限界的な調整であり、階段状の負担ではない
- 基準の置き方が逆である。外部費用をほとんど生まない管理された空き家も軽減を受け続ける一方、負担が生じるのは行政が個別に認定した物件に限られる。全体としては、家屋を残すことを支える方向の制度が土台に残っている
理論的な精度を優先するなら、家屋の状態を連続的な指標で評価し、それに応じて負担を変える設計が考えられる。しかし評価には調査の費用がかかり、争われれば行政は根拠を示す責任を負う。精度と執行可能性のあいだに取引関係があり、現行の設計は執行可能性の側に寄せた解である。理念型からの距離は、設計の失敗ではなく選択の結果として読むべきである。
5.3 それでも作動する理由
この手段の効果は、発動された件数には現れない。助言や指導の段階で、このまま状態が続けば負担が変わりうるという見通しが伝わること自体が、誘因として働くためである。制度が機能しているかどうかは、勧告に至らずに状態が改善した件数のほうに表れる。
価格手段としての利点も残っている。負担を避ける方法——修繕するか、除却するか、売却するか、貸すか——を行政が指定しない点である。どの方法がその物件と所有者にとって安いかは、当人が最もよく知っている。数量手段と異なり、その知識を使わせる余地がここにある。
6. 手段②数量規制——命令と行政代執行
第二の手段は、達成すべき状態そのものを指定する数量手段である。価格を変えて選択を委ねるのではなく、除却や修繕という具体的な措置を義務づけ、履行されなければ行政が代わって実施する。
6.1 階梯の構造
空家法は、助言または指導、勧告、命令、そして行政代執行という段階を用意している。行政代執行法が定める一般的な要件は、他の手段によっては履行の確保が困難であり、かつその不履行を放置することが著しく公益に反すると認められることである。空家法には、所有者を確知できない場合に一定の手続を経て行う略式の代執行も置かれている。要した費用は義務者から徴収する建前であり、その徴収は国税の滞納処分の例によることとされている。
この階梯は、いきなり強い手段に飛ばない設計になっている。前段の助言・指導・勧告は、第5節で見た価格手段への入口でもある。つまり同じ手続の流れの中に、価格手段と数量手段が積み重ねられている。制度を別々のものとして評価すると、この連続性を見落とす。
6.2 なぜ数量手段が正当化されるのか
倒壊の危険が現実化した家屋については、価格手段より数量手段が理論的にも支持される。理由は第2節で触れたワイツマンの基準にある。限界損害が状態の悪化に対して急激に立ち上がる領域では、削減の量を各主体の判断に委ねたときに生じる誤りの代償が大きい。負担を少し上げて所有者の反応を待つという対応は、反応が遅れた場合の損害が大きすぎる。
もう一つの理由は、損害の性質にある。人身への被害は事後の金銭で回復されず、被害を受ける相手を選べない。外部性の理論が扱う典型的な費用と違い、当事者間の補償で埋め合わせられる種類のものではない。この非対称性が、価格による誘導ではなく状態の指定を選ばせる。第3節の四類型のうち、防災の類型だけが数量手段の適用領域だと言えるのはこのためである。
6.3 内部化ではなく転嫁に終わる場合
限界は費用の側にある。個別の調査、状態の認定、手続の実施、そして争われた場合の対応まで含めれば、一件あたりの行政費用は小さくない。手段の強さと、それを使うための費用は比例している。
さらに重要なのが、代執行に要した費用の回収である。費用を負担できる資力があったなら、命令に至る前に所有者自身が動いていたと考えられる事情があり、回収が難航する例が少なくないとされる。回収されなかった費用は一般財源から支出される。このとき外部費用は所有者に戻ったのではなく、近隣から納税者全体へ移動しただけである。内部化と転嫁は、結果として近隣の不利益が消える点では同じに見えるが、費用の帰着先が違う。制度の評価はこの区別なしにはできない。
したがって行政代執行は、外部費用の内部化の手段としてではなく、危険の除去という別の目的の手段として評価するのが正確である。二つの目的は重なる部分を持つが、同じではない。危険が除かれた時点で公共の目的は達せられており、費用が誰に帰着したかは、そのあとに残る配分の問題として別に扱う必要がある。
7. 手段③補助——除却への補助と、三手段の比較
第三の手段は補助である。除却や改修、活用に要する費用の一部を公費で負担し、所有者が直面する価格を下げる。国の支援事業を財源として、市町村が老朽家屋の除却費用の一部を補助する制度を設けている例がある。制度の内容と要件は市町村ごとに異なり、予算の枠と申請の期間にも左右される。
7.1 税と補助は同じではない
価格手段としての税と補助は、短期の限界的な選択に対しては同じ向きに働く。除却するかしないかの分岐点を、どちらも同じだけ動かしうる。しかし長期の効果は逆になる。ボーモルとオーツが環境政策の文脈で論じたように、汚染に課税する制度と削減に補助する制度は、個々の主体の限界条件では等価に見えても、その活動を続けるかどうかという選択に対しては反対方向に働く。
空き家に引き直せば、特例の解除は保有を続けること自体の費用を上げ、除却補助は下げる。前者は所有の継続を割に合わなくすることで出口へ押し出し、後者は補助を受けられる範囲で所有の継続を支える。二つを同時に使えば、押す力と引く力が部分的に打ち消し合う。それでも併用が選ばれるのは、両者が効く相手が違うためである。
7.2 待つことが合理的になる
補助にはもう一つの難点がある。将来より手厚い制度が用意されると予想されれば、いま動かずに待つことが所有者にとって合理的になる。制度の存在そのものが、制度の目的を弱める。政策の側は将来の自らの寛大さをあらかじめ縛れないため、この問題は制度設計だけでは消えない。期限を区切る、要件を段階的に厳しくする、予算の総額を先に示すといった運用で緩和するほかない。
この難点は、補助が持つ性格の裏返しでもある。補助は所有者にとって望ましい情報であり、望ましい情報は待つ価値を生む。第4節で見たとおり、空き家の問題は判断の先送りとして現れることが多い。先送りに報いる可能性のある手段を使うときは、この副作用を計算に入れておく必要がある。
7.3 それでも補助が要る領域
以上は補助を否定する議論ではない。補助だけが作動する場面が明確に存在する。除却に要する費用が、更地にした後の土地の価値を上回る場合である。この状態では、保有の負担をどれだけ引き上げても除却は選ばれない。負担の増加は、滞納と所有の放置、そして相続の際の権利関係のさらなる複雑化を招くだけに終わる。
制約になっているのは誘因ではなく支払能力であり、誘因に働きかける手段は支払能力の制約を解かない。この区別は実務上も重要である。動かない所有者を前にしたとき、意思の問題なのか資力の問題なのかで、有効な手段が入れ替わる。前者なら価格手段が効き、後者では補助か、あるいは出口そのものの整備しか効かない。ここでの補助は、誘因の道具ではなく制約の解除の道具として理解すべきである。
7.4 三つの手段を並べる
| 比較の軸 | 住宅用地特例の解除 | 命令と行政代執行 | 除却・活用への補助 |
|---|---|---|---|
| 手段の型 | 価格手段 | 数量手段 | 価格手段 |
| 外部費用との対応 | 敷地の評価額に依存し、対応は弱い | 危険の有無に対応する | 除却費用に対応し、外部費用とは独立 |
| 必要な情報 | 状態の認定(勧告の段階) | 個別の詳細な調査と認定 | 要件の審査と費用の確認 |
| 行政の費用 | 比較的小さい | 大きい | 中程度(財源を伴う) |
| 費用の帰着 | 所有者 | 回収できなければ納税者 | 納税者 |
| 効きやすい状態 | 景観・衛生など緩やかな劣化 | 倒壊など切迫した危険 | 支払能力が制約になっている場合 |
表から読めるのは、三者が代替関係ではなく補完関係にあるということである。緩やかな劣化には価格手段が、切迫した危険には数量手段が、支払能力の制約には補助が対応する。どれか一つを強めても、他の二つが埋めていた領域は空いたままになる。三手段のうちどれが優れているかという問いの立て方自体が、正確ではない。
そしてもう一点、表に書けなかった前提がある。三手段はいずれも、所有者に選べる出口——売る、貸す、譲る、除却する——が存在することを前提にしている。出口が存在しなければ、負担を上げても、状態を指定しても、費用を補助しても、所有者は動けない。この前提の成否は次節と第9節で扱う。
8. 所有者の実務への含意
以上の整理を、所有者が実際に取れる行動に落とす。政策手段の比較が実務に効くのは、自分の物件がどの領域にあるかによって、打つべき手と順序が変わるためである。
8.1 自分の物件がどの類型にあるかを見分ける
まず、第3節の四類型のうち、自分の物件で現に問題になりうるのはどれかを確認する。屋根と外壁の状態、擁壁、樹木の張り出し、そして隣家との距離。切迫した危険があるなら、その除去は他のすべてに優先する。逆に、草の繁茂と外観だけであれば、年に数回の作業で相当部分は抑えられる。ここを混同すると、必要のない大きな支出を先に検討してしまい、判断そのものが止まる。
見分けの実務的な目安は、隣家や道路との位置関係にある。外部費用は距離とともに急速に減衰する。同じ状態の家屋でも、市街地の中と、周囲に建物のない場所とでは、社会的費用の大きさが違う。自分の物件を見るときは、建物だけでなく周囲を含めて見る必要がある。
8.2 行政からの連絡は、負担が変わる予告として読む
市町村から助言や指導の連絡があった場合、それは処分ではなく、制度の階梯の入口である。第5節で見たとおり、勧告の段階に進めば税の負担が変わりうる。連絡を受けた時点で状態を改善すれば、その経路には乗らない。連絡は責めではなく情報であり、判断の材料として扱うのが合理的である。放置されがちなのは、それが叱責として受け取られるためでもある。
8.3 除却と売却を、同じ土俵で比べる
- 除却の見積もりを複数から取り、補助制度の有無と要件を市町村の窓口で確認する
- 更地にした場合の土地の想定価格と、家屋を残したまま売り出した場合の想定を、それぞれ手取りの額まで落として並べる
- 除却すれば住宅用地の特例が外れるため、売却が決まるまでの期間の税負担が変わることを計算に入れる
- 判断を保留する場合も、次に見直す日を日付で決めておく
三つ目は見落とされやすい。家屋を除却すれば外部費用は消えるが、土地の保有費用は上がる。買い手が現れるまでの期間が長いほど、この差は積み上がる。除却は状態の問題を解決すると同時に、時間の問題を作る。したがって除却の判断は、売却の見込みと切り離して行わないほうがよい。
8.4 出口の側を先に確かめる
本稿の結論の一つは、三つの手段のいずれもが、所有者に選べる出口の存在を前提にしている、という点であった。売る、貸す、譲る、除却する。この出口の側が細ければ、どの手段も所有者を動かせない。実務の順序としては、負担がどう変わるかを詳しく調べるより先に、出口があるかどうかを確かめるほうが早い。売り出してみて反応がないという事実も、判断の材料になる。
なお当社は自社で買い取る事業を持たない。売却の相談を受けた場合も買主にはならず、市場で買主を探す立場に立つ。買取という売り方そのものを否定するものではないが、当社が率先して行わないのは、その取引の買主を自ら務めることと、自らの側からその方法を先に勧めることの二つである。査定額が支払う金額ではなく目指す金額であることと、この立場は対応している。
9. 結論と今後の課題
本稿の問いは、管理不全の空き家が生む外部費用をどのようにして所有者の判断に戻すか、であった。答えを三点にまとめる。
第一に、外部費用は一様ではない。倒壊のような低頻度で損害の大きい類型と、雑草や外観のような小さく続く類型では、限界削減費用も、損害の立ち上がり方も、適する手段の型も異なる。四つを一括りにした議論は、手段の選択を誤らせる。防災の類型に価格手段で臨めば反応が遅れ、景観と衛生の類型に数量手段で臨めば行政の費用が見合わない。
第二に、三つの手段のうち、外部費用を所有者に戻すという意味で内部化に最も近いのは住宅用地特例の解除である。ただしそれはピグー税の理念型からは離れており、負担の額は外部費用の大小と対応していない。行政代執行は危険の除去としては正しい手段だが、費用が回収されなければ内部化ではなく納税者への転嫁に終わる。補助は保有の継続を支える方向に働く点で内部化とは逆向きだが、支払能力が制約になっている領域では他の手段が代替できない。
第三に、三つの手段はいずれも、所有者に選べる出口があることを前提としている。この前提は、どの地域でも同じように成り立つわけではない。理論の側からは見えにくいが、実務の側からは最初に見える制約である。
9.1 薄い市場という、前提の不成立
静岡県磐田市の人口はおよそ16万3千人(2026年7月末現在)、周智郡森町はおよそ1万5千9百人(2026年4月1日現在)である。市場の規模が小さい地域では、年間に成立する取引の件数が限られ、条件の整わない物件に買い手が現れないことがある。出口が細い場所では、保有の負担を上げても所有者は動けず、負担だけが積み上がる。是正手段の有効性は、その地域の市場の厚みに依存している。薄い市場そのものの構造は、別稿の主題として扱う。
この点は、政策の順序にも関わる。出口の整備——情報の届く経路を増やすこと、権利関係を確定させやすくすること、活用の担い手を市場に呼び込むこと——が先に進んでいなければ、三手段はいずれも空振りする。負担を上げる制度だけが先行すれば、動けない所有者に負担が残る。
9.2 制度側に残された課題
制度の面では二点を挙げておく。第一に、特例の解除が行政の個別認定を経る仕組みであるため、対象となる物件の数は行政の処理能力に上限を持つ。認定を要しない、状態に応じた連続的な負担の設計は理論的には可能だが、調査費用と争訟の負担をどう賄うかという問いが残る。第二に、代執行の費用が回収できない事例において、その費用を誰が負担すべきかという問いが未解決のまま残されている。所有者の資力を超える部分を社会がどう分担するかは、外部性の理論だけでは決まらず、公平についての判断を要する。
9.3 本稿の限界
本稿は制度の構造分析であり、実証ではない。外部費用の大きさ、手段ごとの実際の効果、費用回収の実態については、金額と件数に基づく検証が要る。ここで示したのは、どの数字を見ればよいかという枠組みまでである。個別の物件について何がどれだけ発生しているのかは、その物件を前にした調査に属する。理論は、見るべき場所を指すだけである。
