1. はじめに——問題の所在
実務でしばしば出会う光景がある。相続人が四人いる土地について、誰も売却に反対していない。それでも二十年動かない。全員に事情を聞けば、売ってもよいと答える。ところが書類は揃わず、日程は決まらず、次の相続が来て当事者が六人になる。反対がないのに動かないという事態は、価格の議論では説明がつかない。市場の外側に、別の力が働いている。
この力を名指す言葉は、経済学の側に用意されている。ただし、多くの人が知っている名前ではないほうの言葉である。共有をめぐる資源の失敗として広く知られているのは、ギャレット・ハーディンが1968年に提示した共有地の悲劇である。誰も他人を締め出せない牧草地に、各人が自分の家畜を増やし続け、草地は荒れる。使いすぎによる枯渇の物語であり、その知名度は経済学の外にまで及んでいる。
本稿が扱うのは、その鏡像にあたる現象である。マイケル・ヘラーが1998年に反共有地の悲劇と呼んだのは、一つの資源に対して排除する権利が多数の主体に分散したとき、資源が誰にも十分に使われないまま遊休するという事態であった。共有地の悲劇が過剰利用の物語であるのに対し、反共有地の悲劇は過少利用の物語である。原因はいずれも権利の配置にあり、方向だけが反転している。
本稿の問いは二つある。第一に、相続を重ねた共有不動産は、反共有地としてどこまで読めるのか。読めるとすれば、その構造はどの部品でできているのか。第二に、日本の法制度は、その構造のどこに手を入れてきたのか。前者は概念の問題であり、後者は制度の問題である。
方法について、あらかじめ一点を断っておく。本稿は共有物分割や遺産分割の手続を解説するものではない。民法が共有物への行為を保存・管理・変更の三層に分けていること、遺産共有と通常の共有で手続が分岐すること、2023年施行の改正が何を変えたかは、別稿「相続不動産の共有問題」で条文に即して整理した。本稿が取り出すのは、その制度の下に横たわる構造そのもの——拒否権が増殖し、再統合されないまま残るという現象——である。制度は結論の章で、この構造への処方として位置づけ直す。
構成は次のとおりである。第2節でハーディンの共有地の悲劇を再構成し、その原因が排除権の不在にあることを確認する。第3節でヘラーによる反転を追い、両者を対比する。第4節で、共有不動産がなぜ反共有地になるのかを四つの部品に分解する。第5節で、この構造が生む費用を補完財の独占という補助線で測る。第6節で日本の制度介入を三つの型に分類し、権利保障との緊張も含めて評価する。第7節で売主の実務に落とし、第8節で残された課題を述べる。
註:筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。当社は自ら買主とならず、買取・買取保証を率先して行わない。この立場は第7節の記述に影響するため、あらかじめ明示しておく。なお相続分の算定、登記手続の可否、税の適用判断は弁護士・司法書士・税理士の職務に属し、本稿はそれに代わるものではない。
2. 共有地の悲劇——排除できない資源の運命
反転を理解するには、まず元の像を正確に把握しておく必要がある。ハーディンが1968年に用いた設定は単純である。誰でも家畜を放てる牧草地がある。牧夫は自分の家畜を一頭増やすかどうかを考える。増やせば、その一頭から得られる収益はすべて自分のものになる。一方、草地が痩せるという損失は、その牧草地を使う全員に薄く分散する。
2.1 便益は集中し、費用は分散する
この計算をすべての牧夫が同じように行う。各人にとって、一頭増やすことは合理的である。その合理的な判断が全員分積み上がると、草地は再生能力を超えて食い尽くされる。誰も愚かではなく、誰も悪意を持たない。それでも全員が損をする。ハーディンの議論が長く読まれてきたのは、この帰結が個人の道徳の失敗ではなく、権利の配置から導かれる構造的な帰結であることを示した点にある。
構造の中心にあるのは、排除する権利が誰にもないという事実である。牧草地を使う権利は全員が持ち、他人の使用を止める権利は誰も持たない。使用の権利だけがあり、排除の権利がない。この非対称が過剰利用を生む。裏返せば、排除の権利をどこかに置けば、過剰利用は止まる。
2.2 三つの処方と、オストロムによる修正
処方として古くから挙げられてきたのは二つである。一つは私有化——資源を分割して個々の所有者に割り当て、各人に排除権を与える。もう一つは公的規制——国家が入漁権や放牧頭数の上限を設定し、排除の権限を行政に集める。いずれも、欠けていた排除権を制度的に補う点で共通している。
第三の道を実証的に示したのがエリノア・オストロム(1990)である。彼女は、灌漑用水路、漁場、山林といった資源が、私有化も国家管理も経ずに、当事者の自主管理によって長期にわたり維持されてきた事例を集めた。そこから抽出された条件には、資源と利用者の境界が明確であること、規則が当事者自身によって作られ変更できること、監視と段階的な制裁が働くこと、紛争解決の場が安価に利用できることなどが含まれる。
オストロムの仕事は、ハーディンのモデルが厳密には共有ではなくオープンアクセス——誰にも管理されていない開放資源——を描いていたという批判にもつながった。共同体が境界と規則を持って管理する共有は、それ自体では悲劇を生まない。この区別は本稿にとって重要である。共有という言葉が指す状態は一つではなく、権利がどう配置されているかによって帰結は正反対にもなりうる。
ここまでで押さえるべき点は一つに絞られる。共有地の悲劇において不足しているのは、排除する権利である。ではその権利が不足するのではなく、過剰に存在したらどうなるか。次節の問いはそこから始まる。
3. 反共有地の悲劇——ヘラーによる反転
概念の原型は、法哲学者フランク・ミシェルマンが1982年に提示した思考実験に遡るとされる。彼は、誰もが他人の使用を排除でき、誰も単独では使用できないという所有形態を、通常の共有と対置する形で想定した。理論上の類型として置かれたこの状態に、現実の事例と名前を与えたのがマイケル・ヘラー(1998)である。
3.1 空いた店舗と、その前の露店
ヘラーが観察したのは、社会主義から市場経済への移行期にあったモスクワの街路であった。都心の店舗が空のまま並んでいる一方で、その店舗の前の歩道には露店がひしめき、商売が成立している。合理的に考えれば、屋根も壁もある店舗のほうが露店より価値が高い。にもかかわらず、価値の低いほうだけが使われていた。
原因は権利の配置にあった。移行の過程で、一つの店舗をめぐる権利が複数の主体に分けて配分されていた。使用させる権限、賃料を受け取る権限、売却を承認する権限、占有を認める権限が、それぞれ別の官庁や組織に属する。誰もが自分の権限を根拠に取引を止められるが、誰も一まとまりの使用権を組み立てられない。結果として、店舗は空のまま置かれた。露店は逆に、必要な権利が一人の手に束ねられていたから機能した。
ヘラーはこれを反共有地の悲劇と名づけた。共有地の悲劇が排除権の欠如による過剰利用であるのに対し、反共有地の悲劇は排除権の過剰による過少利用である。同年、彼はレベッカ・アイゼンバーグとともに、生物医学研究の領域で同じ構造を指摘した。一つの研究成果に到達するために多数の特許のライセンスを集める必要があるとき、権利者が増えるほど交渉は成立しにくくなり、研究そのものが行われなくなる。後にヘラーは、この現象を社会の各領域に見出す議論を『グリッドロック経済』(2008)としてまとめている。
3.2 二つの悲劇は対称である
ジェームズ・ブキャナンとヨン・ユン(2000)は、この二つの現象が理論的に対称であることを定式化した。共有地では複数の主体が同じ資源を過剰に使用し、反共有地では複数の主体が同じ資源への接近を過剰に阻む。どちらも、権利の重なり方が資源の利用水準を最適から乖離させる。方向が逆なだけで、原因の型は同じである。
| 観点 | 共有地の悲劇 | 反共有地の悲劇 |
|---|---|---|
| 権利の配置 | 使用の権利が全員にある | 排除の権利が全員にある |
| 欠けているもの | 他人を排除する権利 | 使用を組み立てる権利 |
| 生じる帰結 | 過剰利用による枯渇 | 過少利用による遊休 |
| 観測のされ方 | 資源の劣化として目に見える | 起きなかったこととして見えない |
| 典型例 | 開放された漁場・牧草地・地下水 | 細分化した共有地・特許の藪 |
| 処方の方向 | 排除権を作る(私有化・規制・自主管理) | 排除権を束ね直す(集約・金銭化・予防) |
3.3 見えない悲劇
両者には、認識のうえで決定的な差がある。共有地の悲劇は、枯れた草地や崩れた漁獲量という形で観測できる。損失が事象として現れるため、統計にも報道にも乗る。ところが反共有地の悲劇において失われるのは、実現しなかった利用である。空き家が二十年空き家であり続けても、そこで起きたのは何も起きなかったことにすぎない。損失は、比較対象となる別の世界を想定して初めて計算できる。
この見えなさが、問題への対処を遅らせる。誰も被害を訴えず、誰も加害者にならない。所有者は「そのうち何とかする」と考え、周囲は「他人の土地のことだ」と考える。反共有地の悲劇は、当事者にとってさえ悲劇として体験されにくい。次節では、この見えない構造が、日本の共有不動産でどのような部品からできているのかを分解する。
4. 共有不動産はなぜ反共有地になるのか
所有権は、しばしば権利の束にたとえられる。使う権利、収益を得る権利、他人を排除する権利、形を変える権利、譲り渡す権利。これらは概念上分離でき、別々の主体に配ることもできる。共有という状態を、この束の言葉で読み直すと、反共有地との接続点が見えてくる。四つの部品に分けて検討する。
4.1 排除権だけが人数分に複製される
共有において、使用と収益は持分割合に応じて分け合われる。八分の一の持分を持つ者が受け取る賃料は八分の一であり、負担する固定資産税も原則として八分の一である。ところが処分に対する拒否権は、持分割合に応じて薄まらない。八分の一の共有者が売却に同意しなければ、売却は成立しない。拒否の効き目は、一人で持っている場合と変わらない。
つまり共有は、権利の束のうち経済的な取り分だけを按分し、排除する権利については各人に丸ごと複製する。共有者が増えるほど、按分される持分は小さくなり、複製される拒否権は数を増す。持分が細分化するとは、一人あたりの利害が薄まりながら、一人あたりの阻止力は薄まらないという状態が進行することを意味する。利害の薄い者ほど、動く理由を持たないまま強い力を持つ。
4.2 賛成には作為が要り、反対は不作為で足りる
第二の部品は、行為の費用の非対称である。売却に賛成する共有者は、実印を押し、印鑑証明書を取り、本人確認を受け、決済の日程に合わせて動く必要がある。遠方に住んでいれば移動が伴い、代理人を立てるならその手当ても要る。これらはすべて作為であり、時間と費用がかかる。
これに対して反対の意思表示は、何もしないことで完成する。返事をしない、書類を返送しない、日程調整に応じない。積極的な拒絶ですらなく、単なる沈黙が結果として拒否権の行使になる。関心の薄い共有者ほど、この不作為に落ち着きやすい。反共有地における阻止が「反対する意思」ではなく「関与しないこと」から生じるという点は、実務上とりわけ重要である。説得すべき明確な反対者がいないため、交渉の相手が定まらない。
4.3 相続は拒否権を自動的に増やす
第三の部品は時間である。共有者の一人が亡くなれば、その持分はその者の相続人に承継される。二人の共有が三人になり、三人が五人になる。この分岐は、当事者が何もしなくても進行する。反共有地を作るのに悪意も紛争も必要なく、時間の経過だけで足りる。
しかも増え方は加速しやすい。世代が下がるほど、共有者どうしの関係は薄くなる。面識のない者が同じ土地の共有者となり、連絡先の把握そのものが作業になる。登記名義が更新されていなければ、誰が権利者かを調べるところから始めなければならない。国土交通省が地籍調査の結果に基づいて公表してきた数値では、登記簿上で所有者の所在が直ちに確認できない土地は、全国で2割程度に達するとされる。ここに現れているのは、個々の家族の事情ではなく、放置に対して制度が中立であった期間の長さである。
4.4 離脱の市場が存在しない
第四の部品は、出口の不在である。アルバート・ハーシュマン(1970)は、組織や制度に不満を持つ者の反応を、離脱と発言に整理した。離脱が容易であれば、人は去ることで意思を示す。離脱が困難であれば、内部にとどまって発言するしかない。そして離脱の可能性は、発言の重みを支える背景としても働く。
共有不動産において、持分の譲渡は法的には自由である。にもかかわらず、離脱は実質的に機能しない。持分だけを買った者は、自由に使えず、貸すにも他の共有者の意向に左右され、売るにも全員の同意を要する状態を引き受けることになる。そのような権利に、持分割合どおりの金額を払う買主は現れにくい。結果として、持分の市場価格は割合を大きく下回るか、そもそも買い手が現れない。離脱の道が価格で塞がれているため、共有者は内部の交渉に賭けるしかない。ところがその交渉は、前の三つの部品によってすでに硬直している。反共有地は、こうして安定した均衡になる。
5. 反共有地の費用——見えない損失を測る
構造が分かっても、それがどれほどの損失を生んでいるかは別の問題である。前節で述べたとおり、反共有地の損失は起きなかったことの中にある。ここでは、その見えない損失を測るための補助線を三本引く。
5.1 補完財の独占——クールノーの真鍮
一本目は、経済学でもっとも古い部類に属する議論である。アントワーヌ・クールノー(1838)は、真鍮を作るには銅と亜鉛の両方が要ることに注目した。銅の独占者と亜鉛の独占者が別々に存在し、それぞれが独立に価格を決めるとする。各人は自分の値上げが真鍮の需要を減らすことは考慮するが、相手の利益を減らすことまでは考慮しない。その結果、二つの価格の合計は、両方を持つ単一の独占者がつける価格より高くなり、生産量はかえって少なくなる。
共有不動産に置き換えると、各共有者は「自分の同意」という補完的な投入物の独占者である。同意は代替がきかない。一人でも欠ければ売買という生産物は完成しない。ここで各共有者が、自分の同意に対して少しでも多くを求めようとすれば、要求額の合計は膨らむ。合計が市場で成立する価格を超えた瞬間、取引そのものが消える。誰も過大な要求をしたつもりがなくても、合成の結果として市場が閉じる。反共有地の悲劇が、共有地の悲劇と同じく個人の合理性の集積から生じるというのは、この意味においてである。
5.2 ホールドアウトと、最後の一人
二本目は交渉の側からの補助線である。共有者のうち九人が同意し、一人が留保しているとする。この最後の一人が持つ交渉上の位置は、持分割合とは無関係に強い。彼が動かなければ全体が動かず、彼だけが取引の成否を左右する。同意の調達が進むほど、まだ同意していない者の相対的な力が上がる。これがホールドアウトと呼ばれる現象である。
ここで注意すべきは、この力が意図的に行使されるとはかぎらないことである。前節で見たとおり、拒否は不作為で成立する。ホールドアウトの利得を計算した者だけでなく、単に手続に関心を持たない者も、同じ位置に立つ。交渉の相手が戦略的な主体であれば、条件の設計によって説得の余地がある。相手が無関心である場合、条件を上げても反応がない。反共有地における膠着の少なくない部分は、後者の型に属する。
またロナルド・コース(1960)の議論が示唆するように、権利の初期配分が誰であっても、取引費用がゼロであれば資源は最も高く評価する者の手に移る。逆にいえば、取引費用が高いほど、初期配分がそのまま固定される。共有不動産では、当事者の探索、連絡、説明、日程調整、書類の往復といった費用が人数とともに増える。人数が増えるほど組み合わせは膨らみ、費用は比例を超えて増えていく。反共有地とは、取引費用が権利の再統合を割に合わなくさせている状態だと言い換えてもよい。
5.3 待つことの費用は誰が負うのか
三本目は、損失の帰属を見る補助線である。共有不動産が動かない間にも、費用は発生し続ける。固定資産税、草刈りや通風といった管理の手間、建物の劣化、火災保険の維持。これらは持分割合に応じて按分されるか、実際には現地に近い共有者が肩代わりする。加えて、管理が行き届かない状態が続けば、防犯・景観・衛生の面で近隣に費用が及ぶ。この部分は所有者の勘定にすら乗らない。
他方、拒否によって守られる利益——生家を手放さずに済む、面倒な手続に関わらずに済む、判断を先送りできる——は、拒否した本人に集中する。費用は分散し、便益は集中する。この配置は、第2節で見た共有地の悲劇における牧夫の計算と同じ形をしている。方向は逆だが、非対称の型は共通している。だからこそ、時間が経つほど構造は強化される。反共有地は放っておいて解ける問題ではない。
6. 制度はどこに介入しているか
反共有地の処方は、原理的には一つしかない。分散した排除権を、再び束ね直すことである。ヘラーの用語でいえば、細分化された権利の再結合である。日本の土地法制がこの十年ほどで積み上げてきた改正群は、雑多な手続の集まりに見えるが、この一点から眺めると三つの型に整理できる。
| 介入の型 | 何をするか | 日本での現れ方 | 費用と限界 |
|---|---|---|---|
| 数を減らす | 排除権の担い手を集約し、一人の手に束ね直す | 持分の集約、単独取得を目指す分割、要件を満たす土地の国庫帰属 | 資金と合意が要り、当事者が費用を負う |
| 金銭に置き換える | 同意という保護を、対価による保護に切り替える | 所在等不明共有者の持分取得・譲渡権限の付与、供託による利益保護 | 裁判所の関与を要し、時間と費用がかかる |
| 増殖を止める | 拒否権が増える前に権利者を確定させる | 相続登記・住所等変更登記の申請義務化、表題部所有者不明土地の解消 | 効果が現れるまで世代単位の時間を要する |
| 迂回する | 私的な処分を待たず、公共的な利用の道を開く | 所有者不明土地に係る利用権の設定など特別措置法の枠組み | 利用目的が限定され、売却の解決にはならない |
6.1 数を減らす——束ね直しの正攻法
第一の型は、排除権を持つ主体の数そのものを減らす。共有者の一人が他の持分を買い取る、分割によって単独所有に整理する、あるいは要件を満たす土地について国庫帰属の道を用いる。いずれも、権利を一つの手に集める点で共通している。露店が機能していたのは権利が一人に束ねられていたからだ、というヘラーの観察に、もっとも忠実な処方である。
難点は費用の負担者である。束ね直しに要する資金も手間も、当事者が負う。持分を買い取る側には資金が要り、評価額の合意も要る。関心の薄い共有者にとって、この提案は自分の負担を増やす話ではないが、それでも押印という作為を求める点で費用を伴う。第4節で見た非対称は、正攻法の内部にも残り続ける。
6.2 金銭に置き換える——排除権の強さを落とす
第二の型は、排除権の数ではなく強さに手を入れる。所在の分からない共有者がいる場合に、裁判所の決定を経てその持分を他の共有者が取得し、あるいは持分を含めた不動産全体を第三者に譲渡する権限を得る仕組みが、2023年施行の民法改正で導入された。所在等不明共有者の利益は、時価相当額の供託によって金銭で保護される。制度の要件と手続は別稿で扱ったが、概念上の位置づけは明快である。同意がなければ動かせないという保護を、対価さえ支払えば動かせるという保護に切り替えている。
この切り替えは、反共有地に対する処方としては強力である。第5節で見たホールドアウトの力は、同意が代替不能であることに由来していた。同意を金銭で代替できるようにすれば、その力は削がれる。ただし対象は所在等不明の共有者に限られ、所在が判明していて動かない共有者には及ばない。関心の薄さによる不作為は、この網の外にある。
6.3 増殖を止める——事前の予防
第三の型は、そもそも拒否権が増えないようにする。相続登記の申請義務化が2024年4月1日から、登記名義人の住所等の変更登記の義務化がそれに続いて施行されている。表題部所有者不明土地の登記及び管理の適正化に関する法律(令和元年法律第15号)は、登記簿の表題部の所有者欄が氏名のみ、あるいは共有者の一部しか記録されていないといった古い記載を整理する枠組みを設けた。土地基本法は2020年の改正で、土地の所有者等が登記その他の権利関係の明確化に努める旨を責務として位置づけている。
これらはいずれも、問題が生じてから解くのではなく、生じないようにする介入である。第5節の言葉でいえば、取引費用の上昇そのものを抑える設計だといえる。もっとも効果は緩やかにしか現れない。すでに数世代分の分岐を抱えた土地には、事前の予防は届かない。
6.4 反論——排除権を弱めることの危険
ここまでの整理には、当然の反論がありうる。反共有地の解消を優先して排除権を弱めれば、財産権の安定性が損なわれるのではないか。同意なしに持分を失いうる制度は、所有者にとって不安の種になるのではないか。この反論は正しく、無視すべきではない。
ハロルド・デムゼッツ(1967)は、財産権が生成するのは、権利を定義し執行する費用を、それによって得られる便益が上回るときだと論じた。権利の細分化それ自体は悪ではない。問題は、細分化した権利を再び束ね直す仕組みの側が、細分化の速度に追いついていないことにある。したがって望ましい介入は、排除権を一律に弱めることではなく、再結合の費用を下げることに向かうはずである。日本の改正群が、いずれも裁判所や行政庁の関与、公告、供託といった手続を挟んでいるのは、この均衡を取ろうとした結果だと読める。制度が利用可能であることと、それを使うのが得策であることとは別だという留保も、ここから導かれる。
7. 売主の実務への含意
反共有地という見方は、手続の一覧を与えるものではない。与えるのは着眼点である。共有不動産を前にしたとき、何を先に数え、どこに手間をかけるかという優先順位が、この概念から導かれる。以下、五点に絞って述べる。
7.1 割合ではなく、人数を数える
共有の相談ではまず持分割合が話題になる。誰が何分の何を持っているか。しかし反共有地の観点から先に数えるべきは、割合ではなく拒否権の数、すなわち人数である。四分の三を持つ者が一人と、残りを分け合う三人がいる案件は、割合で見れば一人の意向でほぼ決まるように見えるが、処分の可否という一点では四人が横並びに立っている。
数えるべき人数は、現在の登記名義人の数にとどまらない。名義人がすでに亡くなっている場合、その相続人の全員が潜在的な当事者になる。実務では、登記事項証明書に現れる三人の背後に、戸籍を辿って初めて分かる七人がいるという事態が起こる。この潜在的な人数こそが、その案件の難度を規定する。
7.2 増える速度を見積もる
第二に、拒否権が今後どの速度で増えるかを見積もる。共有者の年齢構成を見れば、おおよその見当はつく。高齢の共有者が複数いる案件では、数年のうちに当事者が増える可能性が高い。逆に、共有者が全員同世代で健在であれば、増殖の圧力は当面小さい。
この見積もりは、待つことの意味を変える。市場の相場が上がるのを待つ判断は、拒否権の数が一定であることを暗黙の前提にしている。前提が崩れる案件では、待つ費用に相場変動だけでなく、合意調達の難度の上昇が加算される。時間は中立ではなく、反共有地の側に味方する。
7.3 反対の費用を上げず、賛成の費用を下げる
第三に、合意形成の設計原則である。第4節で見たとおり、賛成は作為で、反対は不作為で成立する。この非対称を是正する方法は二つ考えられる。反対の費用を上げるか、賛成の費用を下げるかである。前者——期限を切って迫る、法的手続をちらつかせる——は、短期的には動きを生むことがあるが、関与しないことを選んでいた共有者を、積極的に反対する共有者に変えてしまう危険がある。
実務的に効くのは後者である。書類の準備、説明、日程調整、移動の手配といった作業を代表者の側が引き受け、共有者に残す作為を最小限にする。判断のための資料は、同じ内容を同じ形で全員に届ける。回答の期日と、回答がない場合に何が起きるかを、あらかじめ共有しておく。いずれも派手な工夫ではないが、賛成に伴う摩擦を削ることが、反共有地への直接の対抗手段になる。
7.4 持分だけの売却は、構造を悪化させうる
第四に、持分の単独売却についてである。合意が調わないとき、自分の持分だけを第三者に売って離脱するという選択肢が提示されることがある。法的には可能であり、離脱を望む当人にとっては出口になりうる。しかし反共有地の構造から見れば、この選択は拒否権の数を減らさない。担い手が入れ替わるだけである。
しかも新しい担い手は、家族関係の外にいる。持分の取得を事業として行う者が入れば、以後の交渉は分割手続を前提としたものに変わり、他の共有者にとっての選択肢は狭まる。第4節で見たとおり、持分は割合どおりの金額で売れることが少ない。売る側の手取りが小さく、残る側の難度が上がるのであれば、全体としての損失は大きい。持分売却は、他の道が尽きた後の手段として位置づけるのが妥当である。
7.5 薄い市場では、合意と買い手の同時性が要る
第五に、地域の条件である。反共有地の解消は売却の必要条件ではあっても、十分条件ではない。合意が調っても、買い手が現れなければ処分は完了しない。静岡県磐田市は人口およそ16万3千人・7万2千世帯(2026年7月末現在)で、住宅地の公示地価は1平方メートルあたり50,086円(2026年地価公示に基づく市の平均、前年比+0.16%)と、大きく上がりも下がりもしない市場である。北隣の森町は人口およそ1万6千人(2026年4月1日現在)で、土地の相場はおよそ26,900円(2026年時点の平均の目安)と磐田市の半分ほどの水準にある。
こうした市場では、買い手が現れる頻度が高くない。合意の調達に半年を要している間に、その物件を検討していた買主が別の物件を決めることは十分に起こる。したがって、合意形成と買い手の探索は順番に並べるのではなく、重ねて進める設計が要る。名義の現況、当事者の範囲、出口の形についての合意は、買い手が現れる前にしか整えられない。なお当社は自ら買主とならず、買取・買取保証を率先して行わない。買取という売り方を否定はしないが、共有案件では買主が誰であるかによって共有者全員の手取りが変わるため、立場の異なる提案を同じ土俵に並べて比較する手順のほうが重要になる。
8. 結論と今後の課題
共有不動産が動かないことを、当事者の不仲や無関心の問題として語るのは容易である。しかし本稿が示したのは、不仲がなくても、無関心ですらなくても、同じ結果に到達しうるということであった。答えを三点にまとめる。
第一に、共有不動産は反共有地の典型例として読める。共有は権利の束のうち経済的な取り分だけを按分し、排除する権利は各人に丸ごと複製する。賛成には作為の費用がかかり、反対は不作為で足りる。相続は当事者の意思と無関係に拒否権を増やす。持分だけを売って離脱する道は市場に支えられていない。この四つが重なったとき、資源は誰にも十分に使われないまま静止する。ハーディンの牧草地と原因の型は同じであり、方向だけが逆である。
第二に、この構造が生む損失は測りにくい。クールノーの補完財の独占が示すように、各人の小さな要求が合成されて取引を消す。ホールドアウトの力は持分割合と無関係に働き、しかもそれは戦略的な意図なしに、単なる不作為からも生じる。そして生じる損失は、起きなかった利用として現れるため、統計にも当事者の実感にも乗らない。見えない悲劇は、対処が遅れる悲劇でもある。
第三に、日本の制度は、この構造の三つの層に手を入れてきた。排除権の数を減らす道、排除権を金銭による保護に置き換える道、そして拒否権の増殖そのものを止める道である。いずれも方向は正しいが、費用と時間を伴う。制度は最後の受け皿として整備されつつあり、当事者が話し合える段階で話し合うほうが到達点は良い、という原則を変えるものではない。
8.1 本稿の限界
本稿は概念的な整理であり、実証分析ではない。共有者の人数と処分の成否の関係、拒否権が何人を超えると合意が急に難しくなるのかという閾値の有無、地域の市場の厚みが反共有地の解消速度に与える影響。いずれも検証を要する論点であり、ここでは仮説の形すら十分に立てていない。反共有地の損失が実現しなかった利用として現れる以上、その計測には比較対象の設計そのものが研究課題になる。
また、反共有地の枠組みを当てはめすぎることの危険にも触れておく。共有不動産が動かない理由には、価格の水準、建物の状態、接道や境界の問題、そして単純に買い手がいないことも含まれる。すべてを権利の構造で説明しようとすれば、別の原因を見落とす。本稿の枠組みは、他の説明を排除するものではなく、価格や物件の説明では残ってしまう部分を扱うための道具である。
8.2 制度の細目と実務の技術は別稿に譲る
本稿が意図的に立ち入らなかった領域が二つある。一つは制度の細目である。共有物への行為の三層構造、遺産共有と通常の共有の分岐、分割方法の比較、2023年施行の改正の要件は、別稿「相続不動産の共有問題」で条文に即して扱った。本稿の第6節は、それらを反共有地への処方として位置づけ直したものであり、手続の説明としては不十分である。実務で用いる際には、そちらを併せて参照されたい。
もう一つは、多数の関係者を抱える案件をどう運営するかという技術である。誰を窓口とし、どの順序で当事者に接触し、士業へどの時点で引き継ぐか。これは概念の問題ではなく段取りの問題であり、稿を改めて論じる。
8.3 残しておきたい一点
最後に、実務者としての観察を一つ残しておく。反共有地の枠組みを共有者に説明すると、話し合いの温度が下がることがある。動かない原因が誰かの意地悪ではなく、権利の配置から生じる構造であると分かるからである。責める相手がいないと理解された途端に、手続の話に戻れる場面を何度も見てきた。概念には、現実を説明する機能のほかに、当事者の非難を解除する機能がある。共有不動産の相談において、この機能は決して小さくない。
