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不動産法

登記制度と取引の安全

対抗要件が果たしている経済的機能

富士ヶ丘サービス株式会社代表取締役 大石 浩之初出 2026.08.23

要旨

日本の不動産登記は、権利の変動を第三者に対抗するための要件であって、登記された内容が真実であることを国が保証する仕組みではない。この公信力の不在は、しばしば取引の安全を損なう制度の欠陥として語られる。本稿はその評価をいったん保留し、取引費用の枠組みから制度の設計そのものを読み直す。

結論は次のとおりである。対抗要件にとどめる設計は、公示を安く速く生成することと引き換えに、権利の真偽を確かめる費用を個々の取引に残す。残された費用は消滅したのではなく、決済当日の同時履行という慣行と、資格者による本人確認という私的な検証投資によって担われている。制度の評価は、この費用分担を含めて行う必要がある。

そのうえで本稿は、2024年4月1日に施行された相続登記の申請義務化と、2026年4月1日に施行された住所等の変更登記の申請義務化を、登記しないことが第三者に費用を転嫁してきた外部性の内部化として位置づける。これらは登記簿という情報基盤の鮮度を高めるが、登記の効力そのものを変えるものではない。探索費用の削減と検証費用の削減は別の話であり、この区別を保つことが売主の実務にも効いてくる。

対抗要件公信力不動産登記法相続登記の申請義務化取引費用司法書士

1. はじめに——問題の所在

不動産を売ろうとする所有者が最初に手にする書類は、たいてい登記事項証明書である。そこには所在・地番・地目・地積が並び、甲区には所有者の氏名と住所が、乙区には抵当権などの負担が印字されている。多くの売主は、この一枚を「自分がその土地の持ち主であることの公的な証明書」として受け取る。ところが日本の法制度は、この紙にそこまでの役割を与えていない。

民法第177条は、不動産に関する物権の得喪及び変更は、登記をしなければ第三者に対抗することができないと定める。ここで使われている言葉は「対抗」であって「証明」ではない。登記は、権利が自分に移ったことを取引外の第三者に主張するための要件であり、登記があるからその名義人が真の権利者であると国が裏づける仕組みではない。この後者の効力を公信力といい、日本の不動産登記はこれを持たないというのが確立した理解である。

本稿の問いは、この設計をどう評価するかである。公信力を欠く登記は、しばしば制度の不備として語られてきた。登記を信じて代金を払った者が権利を失いうるのだから、取引の安全が十分に守られていないというのである。しかし制度とは費用と便益の束であり、不備かどうかは、何をいくらで実現しているかを見なければ決まらない。安全を高める制度には、それを支える費用がどこかに現れているはずである。

登記簿
対抗要件
公信力なし
登記は権利の変動を第三者に対抗するための要件であって、記載内容が真実であることを国が保証する公信力までは備えていない。

方法は次のとおりである。ロナルド・コースが1937年の論文で提示し、オリヴァー・ウィリアムソンが1970年代に体系化した取引費用の枠組みを用いる。取引費用とは、相手を探す費用、条件を交渉する費用、そして約束が守られることを確かめる費用の総称である。登記制度は、このうち「目の前の相手が本当に権利者か」を確かめる費用に直接作用する公共インフラとして読める。

先に結論を述べておく。対抗要件にとどめる設計は、公示を安く速く生成することと引き換えに、権利の真偽を確かめる費用を個々の取引に残す設計である。残された費用は消えたわけではない。決済当日に代金の支払いと登記申請書類の受け渡しを同時に行うという実務の慣行と、司法書士による本人確認という私的な検証投資が、その費用を担っている。制度の評価は、この分担を含めて行わなければ片手落ちになる。

加えて本稿は、2024年4月1日に施行された相続登記の申請義務化と、2026年4月1日に施行された住所等の変更登記の申請義務化を扱う。これらは登記の効力を変えるものではないが、登記簿という情報基盤の鮮度を変える。効力の話と情報の話を混ぜないことが、この二つの改正を正しく位置づける鍵になる。

以下、第2節で登記制度の基本構造を法制度の側から確認する。第3節で取引費用の枠組みを当て、第4節で公信力の不在が残すリスクの配分を検討する。第5節では登記と実体のズレという別種の問題を扱い、第6節で二つの義務化を外部性の内部化として読み直す。第7節で売主の実務に落とし、第8節で残された課題を述べる。

なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自ら買主となる事業を持たず、買取・買取保証を率先して行わない。そして登記の手続そのものは司法書士の職域である。本稿は制度の経済的な機能を論じるにとどまり、どの登記が必要か、誰が申請人になるか、どの書類を揃えるかといった個別の判断は司法書士に委ねられるべきものである。この一線は本稿を通じて守る。

2. 登記制度の基本構造——対抗要件と公信力

評価に入る前に、制度の骨格を確認しておく。ここを曖昧にしたまま「登記を信じてよいか」を論じても、何が守られていて何が守られていないかを区別できない。

2.1 意思主義——所有権は契約の合意で移る

民法第176条は、物権の設定及び移転は当事者の意思表示のみによって効力を生ずると定める。これを意思主義という。売買契約が成立すれば、それだけで所有権は買主に移りうる。登記は所有権が移るための条件ではない。実務では特約で「代金全額の支払いをもって所有権が移転する」と定めるのが通例だが、これは民法の原則を契約で修正しているのであって、原則そのものは意思主義のままである。

ここから、日本の登記が置かれている位置が見えてくる。登記は権利を作る手続ではなく、すでに移った権利を外に向かって公示する手続である。当事者どうしの間では、登記がなくても買主は所有者である。登記がないことで困るのは、取引の外にいる第三者との関係においてのみである。

意思で移転
登記で対抗
争いの決着
日本の制度では所有権は合意で移り、登記はそれを第三者に主張するための要件となる。争いは登記の先後を基準に決着する。

2.2 対抗要件主義と二重譲渡

第177条が定めるのが対抗要件である。同じ土地が二人に売られた場合、契約の先後ではなく登記の先後で勝敗が決まる。後から契約した者が先に登記を備えれば、その者が確定的に所有権を取得する。理論的には奇妙に見えるこの帰結は、公示を備えた者を優先することで、外から見て分かる基準に権利関係を収束させるための割り切りである。

ただし無制限ではない。判例は、第一の売買を知りながら売主に働きかけて登記を先に備えたような、信義に反する態様の第三者について、対抗要件の主張を認めない法理を積み重ねてきた。背信的悪意者の排除と呼ばれる考え方である。形式的な早い者勝ちを原則としつつ、極端な事案では実質的な評価が入る。制度は二層構造になっている。

2.3 公信力がないとはどういうことか

動産には公信の原則がある。民法第192条の即時取得は、取引によって動産の占有を始めた者が、平穏かつ公然に、善意無過失であれば、相手が無権利者であっても権利を取得すると定める。占有という外形を信じた者が保護される。

不動産には、これに相当する一般的な規定がない。登記名義人から買っても、その名義人が実は無権利者であれば、買主は権利を取得できないのが原則である。登記の記載は、真の権利者であることの事実上の推定を与えるにとどまる。例外として、真の権利者の側に、虚偽の外形を作り出したり放置したりした帰責性がある場合に、民法第94条第2項を類推適用して第三者を保護する判例法理があるが、これは事案ごとの評価を伴う調整弁であり、登記一般に公信力を与えるものではない。

2.4 なぜ公信力を与えないのか——形式的審査主義

理由の一つは、登記官の審査権限にある。登記官は、申請書と添付書面が形式的に整っているかを審査するのであって、実体的な権利関係を独自に調査する権限を持たない。これを形式的審査主義という。実体を調べていない記録に、実体を保証する効力を与えることはできない。逆に言えば、公信力を与えるには実質的な審査が要り、その費用は登記制度全体を重くする。この費用の話が、第3節の主題になる。

権利変動の考え方登記の位置づけ公信力
日本・フランス型意思主義第三者対抗要件ない(判例法理で個別に調整)
ドイツ型物権行為と登記の結合権利変動の効力要件ある
権原登録型国家が権利内容を確定して登録権利の公証そのものある(補償の仕組みを伴う)

註:表の整理は各国制度の教科書的な類型化であり、実際の各法域は例外規定や運用によってこの区分から外れる部分を持つ。ここでは日本の制度の位置を相対化する目的にとどめる。

3. 取引費用から見た登記——何を安くし、何を残したか

ここから評価に入る。用いる物差しは取引費用である。市場で取引すること自体にかかる費用に注目すると、登記制度が果たしている仕事と、果たしていない仕事がはっきり分かれて見えてくる。

3.1 取引費用という物差し

コースが1937年に問うたのは、市場が効率的なら、なぜ企業という組織が存在するのかであった。答えは、市場を使うこと自体に費用がかかるからである。相手を探し、条件を交渉し、契約を書き、履行を監視する。この一連の費用が高いとき、取引は市場から組織の内側へ移る。1960年の論文では、権利の割り当てと交渉費用の関係が論じられ、取引費用がゼロでない現実の世界では、初期の権利配分そのものが結果を左右することが示された。ウィリアムソンはこの発想を、資産の特殊性や不確実性といった要因と結びつけて体系化した。

不動産取引に当てはめると、費用は三つに分かれる。買い手を探す探索費用、価格と条件を詰める交渉費用、そして相手が約束を履行できる立場にあるかを確かめる検証費用である。登記制度が働くのは、主として三つ目の領域である。

3.2 登記が安くしたもの——権利の所在を一箇所に集める

登記制度がなかったとしよう。買主は、売主が本当に権利者であることを、売主の手元にある証書の連鎖から遡って確認するほかない。前主から売主へ、前々主から前主へ、と証書をたどる。証書が失われていれば、そこで確認は止まる。しかも同じ調査を、買い手候補ごとに、取引ごとに繰り返すことになる。

登記は、この調査を「一箇所に集約され、誰でも所定の手数料で閲覧できる公示」に置き換えた。ここには規模の経済が働く。一度作られた記録は、何度でも、誰にでも参照される。情報を作る費用は一回きりで、使う費用は限りなく小さい。公共財としての性質がここにある。取引の当事者でない金融機関、行政、隣地の所有者もこの記録に依存できる。

抵当権の登記も同じ論理で読める。担保が公示されるからこそ、貸し手は担保価値を評価でき、金利に上乗せするリスク分を下げられる。登記制度は、不動産を担保として使える資産に変えることで、資金調達の費用そのものを引き下げている。

3.3 登記が残したもの——検証費用は取引ごとに発生する

一方、公信力を持たないことによって、検証費用は取引の側に残った。買主は登記事項証明書を見て名義人を知るが、その名義人が真の権利者であることまでは登記から与えられない。だから決済の場では、実印と印鑑証明書、登記識別情報(かつての権利証に相当する)、本人確認書類、そして意思確認が求められる。これらは登記が保証しなかった部分を、私的な費用で埋める作業である。

この検証を担う専門職として司法書士が置かれている。資格制度は、検証の品質を個々の当事者が確かめなくても済むようにする装置である。誰が検証したかで信頼できるかどうかを判断できれば、検証の検証という無限後退を止められる。制度は、公信力を与えない代わりに、検証を担う職の信頼性を制度化するという道を選んだと読める。

3.4 どちらが安いかは自明ではない

ここで素朴な問いが立つ。公信力を与えて検証費用を消してしまえばよいのではないか。しかし公信力を与えるには、登記官が実体を審査しなければならない。審査の費用は登記の手数料に乗り、すべての登記に薄く広く課される。さらに、審査を尽くしても誤りは残るから、誤った登記によって権利を失った真の権利者を補償する仕組みが要る。補償の原資もまた、制度の利用者が負担する。

つまり選択肢は「費用をなくすか残すか」ではなく、「費用を制度の入口で薄く広く集めるか、取引の現場で厚く個別に負担させるか」である。日本の設計は後者に寄っている。登記を作る側の負担を軽くし、検証を取引の都度に分散させる。取引が頻繁でない資産にとって、この配分は不合理とは限らない。売られない土地について検証費用は発生しないからである。

4. 残されたリスクは誰が負い、どう抑えられているか

公信力を与えないという選択は、リスクを消したのではなく、配分を決めたにすぎない。本節では、そのリスクが誰の肩に乗り、実務がどのようにそれを抑え込んできたかを見る。

4.1 保護されるのは真の権利者の側である

公信力のない制度は、取引の安全よりも静的な安全、すなわち真の権利者が知らないうちに権利を失わないことを優先している。無権利者が何らかの経緯で登記名義を得て、それを信じた者に売ったとしても、原則として買主は権利を取得できない。損失は買主に留まり、真の権利者は守られる。

この配分には理由がある。不動産は代替がきかない。金銭で補償すれば済むという性質の財ではなく、住み続けてきた土地を失うことの損失は、市場価格では測り切れない。取引に参加していない者が、自分の関与しない取引によって生活の基盤を奪われることを防ぐという価値判断が、ここに置かれている。買主の損失は金銭で回復しうるが、真の権利者の損失はそうとは限らない、という非対称性である。

残るリスク
本人と意思の確認
同時に履行
登記が保証しない部分は、決済の場で行われる本人確認・意思確認と、代金支払いと登記申請を同じ日に行う同時履行の慣行によって抑えられている。

4.2 同時履行という私的な補完装置

残されたリスクを実務がどう扱っているかを見ると、日本の決済の作法の意味が分かる。売買代金の支払い、住宅ローンの実行、抵当権抹消書類の受け渡し、鍵の引渡し、そして所有権移転登記の申請書類の交付が、同じ場所で同じ日に行われる。司法書士が登記申請に必要な書類の揃いを確認し、その確認を受けてはじめて金銭が動く。

経済的に見れば、これは第三者預託(エスクロー)が担う機能を、資格者が同席するという方式で代替している。金銭と権利を時間差なく交換すれば、相手が翻意する余地も、間に別の登記が割り込む余地も小さくなる。対抗要件主義のもとでは、契約から登記までの空白期間が最も危険な区間になる。同時履行は、その区間をほぼゼロにする工夫である。

この工夫が広く定着していること自体が、制度の残余リスクの大きさを示す指標でもある。制度が保証していれば、これほど厳密な段取りは要らない。実務の丁寧さは、制度の空白の裏返しである。

4.3 書類が揃わないときに費用が跳ね上がる

検証の費用は、平常時には見えにくい。書類が揃っていれば手続は淡々と進むからである。費用が姿を現すのは、揃わないときである。登記識別情報や権利証を紛失している場合には、通常の手続では所有権移転の申請ができず、資格者代理人による本人確認情報の提供や、登記官からの事前通知といった別の経路をとることになる。いずれも手間と費用と日数が増える。

売主にとって重要なのは、これらの追加費用が交渉の場に持ち込まれるという点である。決済日が迫った段階で書類の不足が判明すれば、日程の変更か、条件の見直しかという二択になる。時間に追われた側が譲るのは交渉の常であり、譲るのはたいてい売主である。

4.4 買主が払っている費用は、価格に映る

第3節で述べたとおり、検証費用は買主が負担する。ここから一つの含意が出る。売主が名義・住所・抵当権・建物の登記を整えておけば、買主側の検証費用は下がる。下がった分がそのまま価格に上乗せされるとは限らないが、少なくとも値引きを求める材料は減る。逆に、整っていない登記は、買主に「何が出てくるか分からない」という不確実性を負わせ、その不確実性は割引として価格に現れる。

したがって登記を整えることは、手続上の義務を果たす作業であると同時に、価格交渉の地形を変える作業でもある。ただし、何をどの順で整えるかの判断は司法書士の職域に属する。売主の側でできるのは、整える必要のある箇所を早い段階で洗い出し、専門職に渡すところまでである。

5. 登記と実体のズレ——公信力とは別の問題

ここまでは、登記の記載が正しくても効力が限られるという話であった。本節で扱うのは別の問題である。すなわち、登記の記載そのものが実体と食い違う、あるいは実体の重要な部分を写していないという問題である。公信力の有無とは論点が異なるため、切り分けて論じる。

5.1 登記簿に現れない権利がある

土地の登記簿に何の負担も記載されていなくても、その土地が自由に使えるとは限らない。借地借家法のもとでは、借地権者が借地上に自己名義の建物を登記していれば、土地の登記簿に賃借権の登記がなくても、土地を取得した者に借地権を対抗できる。建物の賃貸借についても、引渡しを受けていれば新しい所有者に対抗できる。抵当権が実行された結果として法定地上権が成立する場面もある。

つまり買主は、土地の登記簿だけでなく、その上に立つ建物の登記簿と、現地の占有状況の両方を見なければ利用関係を把握できない。登記は権利の公示制度ではあるが、利用関係の全体を写す台帳ではない。この点は、公信力を与えたとしても解決しない構造的な限界である。

5.2 表示に関する登記の精度

地積、すなわち登記簿上の面積は、測量された時代の技術と目的によって精度が異なる。古い時代の測量に由来する数値がそのまま残っている土地では、実測との差が生じうる。売買契約で公簿売買とするか実測売買とするかを選ぶ実務は、この差を前提としている。

地図についても事情は同じである。不動産登記法は精度の高い地図の備付けを予定しているが、その整備は全国一律に完了しているわけではなく、多くの地域では旧来の図面がこれに代わるものとして備え付けられている。代替の図面は、隣接関係のおおよそは示すが、現地の位置や形状を高い精度で復元できるとは限らない。

登記の記載
実体とのズレ
測量と筆界
面積・図面・利用関係のいずれについても登記は実体を完全には写さない。ズレの解消は公信力ではなく測量と別手続の仕事である。

そして筆界は、登記によって確定するものではない。筆界は公法上の境界であり、これを明らかにする手続としては筆界特定の制度や境界確定の訴訟が別に用意されている。隣地との合意によって定める所有権の範囲としての境界と、公法上の筆界は概念として区別される。登記簿を見ても境界紛争の有無は分からない。

5.3 名義が古いまま止まる

実務でもっとも頻繁に遭遇するズレは、名義の滞留である。相続が発生しても登記を移さないまま次の相続が起き、登記名義人が二世代、三世代前のままになっている土地がある。住宅ローンを完済していながら抵当権の抹消登記を怠り、乙区に古い抵当権が残っている土地もある。転居しても登記上の住所が旧住所のままという例は、さらに多い。

これらは、放置しているあいだは誰も困らない。困るのは、売ろうとした瞬間、あるいは行政や隣地が所有者に連絡を取ろうとした瞬間である。所有者不明土地と呼ばれる問題の相当部分は、権利の帰属が本当に分からないのではなく、登記簿から現在の所有者へたどり着けないという情報の問題である。

5.4 情報基盤としての登記の位置

以上をまとめると、登記簿は権利変動の公示装置としては機能しているが、不動産の全体像を示す台帳としては断片的である。地図の情報、課税のための台帳、都市計画の規制、道路の種別、上下水道の埋設状況は、それぞれ別の主体が別の目的で管理している。買主の調査費用が積み上がるのは、公信力の不在よりも、この分散のほうに原因があることが少なくない。

註:本節で述べたズレは、いずれも登記制度そのものの不備というより、公示制度に何を担わせるかという設計の範囲の問題である。範囲を広げれば精度と費用の要求が上がる。この緊張関係は第6節の義務化の評価にも引き継がれる。

6. 二つの義務化——外部性の内部化として読む

2024年4月1日に相続登記の申請が義務化され、2026年4月1日には所有権の登記名義人の氏名・名称・住所の変更登記の申請が義務化された。いずれも、所有者不明土地の解消を目的とした一連の民事基本法制の見直しの一環である。本節では、この二つを取引費用の枠組みで読み直す。

6.1 なぜ人は登記しなかったのか

登記の私的な便益は、第2節で見たとおり第三者への対抗力である。ところが、相続した山林や農地のように、争う相手がいない土地では、この便益がほとんど働かない。誰も権利を主張してこないのだから、対抗する必要が生じない。他方で、登記には費用と手間がかかる。戸籍を集め、遺産分割を整え、申請書を作る。相続人が遠方に散らばっていればなおさらである。

私的便益が小さく私的費用が大きければ、合理的な個人は登記しない。ところが、登記されないことによる費用は、その個人にはほとんど降りかからない。降りかかるのは、公共事業の用地を取得しようとする行政、災害復旧を急ぐ自治体、隣地の管理不全に悩む住民、そして将来その土地を買おうとする者である。典型的な負の外部性の構図であり、社会的に望ましい水準より登記が過少に供給される。

相続と名義
施行の期日
外部性の内部化
登記しない自由は、探索の費用を行政や将来の買主に転嫁してきた。義務化はこの転嫁を止め、費用を所有者の側に戻す制度変更である。

6.2 相続登記の申請義務化(2024年4月1日施行)

改正後の不動産登記法は、相続によって不動産の所有権を取得した者に対し、自己のために相続の開始があったことを知り、かつ所有権を取得したことを知った日から3年以内に、所有権移転の登記を申請することを義務づけた。遺産分割によって所有権を取得した場合には、その分割の日から3年以内に、その内容に沿った登記を申請することが求められる。正当な理由なくこれを怠った場合の過料の定めも置かれている。

遺産分割がまとまらない場合の受け皿として、相続人申告登記という簡易な手続が新設された。登記名義人について相続が開始したことと、自らがその相続人であることを申し出れば、申請義務を履行したものとして扱われる。戸籍の収集も相続人全員の関与も、通常の相続登記ほどには要らない。

ただし、この申告は権利の登記ではない。持分は公示されず、これによって第三者に対抗できるようになるわけでもない。つまり義務は果たせるが、売却の前提としては足りない。義務化の趣旨が所有者への連絡経路の確保にあることを踏まえれば当然の設計だが、売主の実務においては、申告で足りるのか本登記まで進めるべきかの見極めが要る。そしてその見極めは司法書士の判断に属する。

なお、この義務は施行日より前に発生していた相続にも及ぶ経過措置が置かれている。長く放置されてきた名義ほど、この改正の影響を受ける。

6.3 住所等の変更登記の申請義務化(2026年4月1日施行)

2026年4月1日施行分は、所有権の登記名義人について氏名・名称または住所に変更があったときに、変更の日から2年以内に変更登記を申請する義務を課すものである。こちらにも、正当な理由なく怠った場合の過料の定めが置かれている。

同時に、申請主義を一部緩める仕組みも導入された。自然人については、あらかじめ検索に用いる情報を申し出ておけば、登記官が住民基本台帳のネットワークを通じて変更を把握し、本人の了解を得たうえで職権で変更登記を行う道が開かれる。法人については、商業・法人登記の情報と結びつけることで同様の更新が図られる。申請の負担を制度側が肩代わりする設計であり、外部性の内部化を義務だけでなく費用の引き下げによっても進めようとしている点が特徴である。

時期できごと取引費用への効き方
2021年所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直しが成立問題の枠組みが定まる
2023年4月相続土地国庫帰属の制度が開始手放す出口を用意する
2024年4月1日相続登記の申請義務化名義の滞留を解消する
2026年4月1日住所等の変更登記の申請義務化連絡先の鮮度を保つ

6.4 これは公信力の付与ではない

本稿の観点から強調しておきたいのは、二つの義務化が登記の効力を何ら変えていないという点である。登記簿の記載が現在の所有者に近づくことで、探索費用は下がる。行政も、隣地の所有者も、将来の買主も、所有者へたどり着きやすくなる。しかし、たどり着いた相手が真の権利者であることを制度が保証するようになったわけではない。検証費用は従前どおり取引の場に残る。

探索費用の削減と検証費用の削減を混同すると、義務化への期待は過大になる。名義が新しくなった登記簿を見て「これで安心して買える」と考えるのは、制度の読み違えである。逆に、義務化を単なる手続負担の増加としてのみ捉えるのも、情報基盤の改善という便益を見落としている。二つの費用を分けて考えることが、この改正を正確に評価する条件になる。

7. 売主の実務への含意

以上の議論を、売主が明日から取れる手順に落とす。順序には理由がある。後の工程で使う情報を、先の工程で作っておく必要があるためである。

7.1 売り出す前に登記事項証明書を読む

最初にすべきことは、売り出しの準備でも査定の依頼でもなく、現在の登記事項証明書を取得して読むことである。相続した実家であれば、土地と建物の両方について取る。読むべき箇所は決まっている。

  • 甲区の所有者は誰か。共有であれば持分と共有者全員の所在を把握できているか
  • 相続が二世代以上たまっていないか。登記名義人が祖父母の代のままではないか
  • 登記上の住所が現在の住所と一致しているか。転居や市町村合併で変わっていないか
  • 乙区に抵当権・根抵当権が残っていないか。完済済みで抹消していないものはないか
  • 地目と地積は何か。宅地のほかに畑・田・山林が混じっていないか
  • 前面道路が私道である場合、その持分を持っているか
  • 建物が未登記でないか。増築部分が登記に反映されているか

この読み取りは、専門的な判断を含まない事実確認である。売主が自分で行える。ここで違和感が見つかった項目を、次の工程で専門職に渡す。

7.2 名義を確定させてから売り出す

第4節で述べたとおり、決済間際に判明した登記の不備は、時間の切迫を背景にした交渉を招く。名義が確定していない状態で売り出すと、買主が現れてから手続に入ることになり、遺産分割の協議や相続人の所在調査に数か月を要することもある。買主は待てるとは限らない。

順序としては、名義の確定、必要書類の把握、境界と測量の要否の判断、媒介契約、売り出しとなる。境界の扱いは物件によって重みが違うが、名義の確定はどの物件でも先に来る。時間の損失は、価格の損失よりも回復が難しい。

登記簿を読む
名義を確定
条件を整えて売る
登記事項証明書の読み取りから名義の確定までを売り出し前に済ませると、買主の検証費用が下がり、交渉の材料が減る。

7.3 手続の判断は司法書士へ返す

ここが本節でもっとも重要な一点である。どの登記が必要か、誰が申請人になるか、どの書類をどこから集めるか、相続人申告登記で足りるのか所有権移転の本登記まで進めるべきか、登記識別情報を紛失している場合にどの経路をとるか——これらはいずれも司法書士の職域に属する判断である。媒介を行う業者が代わって判断してよい事柄ではない。

本稿が提供できるのは、その判断に入る前の見取り図までである。売主にとって現実的な進め方は、7.1の読み取りで見つかった論点を書き出し、それを司法書士に持ち込むことである。論点が整理されていれば、相談の時間は短くなり、見積もりも早く出る。相続の内容そのものに争いがある場合は弁護士へ、譲渡所得や取得費の扱いは税理士へ、それぞれ職域が分かれる。

7.4 買主に渡す情報を先に揃える

買主とその媒介業者、そして融資を行う金融機関は、それぞれの立場で検証を行う。重要事項の説明は宅地建物取引業法が求める最低線であり、そこで説明される内容の多くは、登記と隣接する公的記録から集められる。売主の側で、登記事項証明書、公図、地積測量図があればその写し、建物の図面、境界標の有無に関する現況の把握を先に揃えておけば、この検証は速く進む。

逆に、揃っていない場合に何が起きるかは第4節で述べた。不確実性は割引として価格に現れ、判明の時期が遅いほど交渉の場での重みが増す。整えることは義務の履行であると同時に、価格の防衛でもある。

7.5 義務化を売却の契機として扱う

第6節で見た二つの義務化は、売主にとっては手続の負担であると同時に、点検の機会でもある。相続登記の期限を意識して登記事項証明書を確認したとき、そこで初めて共有者の存在や古い抵当権に気づくことがある。住所変更の義務についても同様で、登記上の住所が古いままだと、行政からの通知が届かず、空き家の管理に関する連絡を受け取り損ねることがある。

売却するかどうかを決めていない段階でも、名義と住所を現在の状態に合わせておくことには意味がある。将来売ると決めたときの準備期間が短くなり、売らないと決めた場合でも、管理や課税の連絡が届く状態を保てる。義務として受け取るか、準備として受け取るかで、同じ作業の位置づけが変わる。

8. 結論と今後の課題

日本の不動産登記が公信力を持たないことは、制度の不備なのか。本稿の答えは、不備というより費用配分に関する一つの選択である、というものである。

選択の内容はこうである。登記官の審査を形式的なものにとどめ、登記を作る費用を低く抑える。その代わり、権利の真偽を確かめる検証費用は、取引が起きたときに、その取引の当事者が負担する。取引の頻度が低い資産にとって、この配分が非効率であるとは限らない。売られない土地について検証費用は発生せず、制度の維持費用も薄く済む。公信力を与える設計は、審査の費用と補償の仕組みを制度側に抱え込むことと引き換えである。

同時に、この選択は市場に痕跡を残している。決済当日の同時履行という厳格な作法、資格者による本人確認と意思確認、書類が欠けたときに費用が跳ね上がる構造。いずれも、制度が保証しなかった部分を私的な投資で埋める装置である。実務の丁寧さは、制度の空白の裏返しとして読める。

2024年と2026年の二つの義務化は、この構図のうち探索費用の側に効く。登記簿から現在の所有者へたどり着く費用が下がり、行政・隣地・将来の買主が負っていた費用が所有者の側に戻される。外部性の内部化として整合的な制度変更である。しかし検証費用の側は変わらない。登記が新しくなっても、その記載が真実であることを制度が保証するようになったわけではない。

登記の効力
情報の鮮度
市場の費用
義務化が動かすのは情報の鮮度であって登記の効力ではない。探索費用と検証費用を分けて考えることが評価の条件になる。

8.1 相続人申告登記が増えた場合の情報の質

第一の課題は、相続人申告登記の位置づけである。この手続は申請義務の履行手段として設計されており、権利関係を公示するものではない。普及すれば名義の滞留は解消に向かうが、登記簿には「相続が開始したことと相続人の一人が判明していること」までしか現れない状態が増える可能性がある。所有者への連絡経路という意味では前進だが、権利の公示という意味では中間状態である。情報基盤の質をどう測るかという問題が、ここで新たに立つ。

8.2 公示の精度は権利の精度と別に進む

第二の課題は、第5節で扱った表示に関する登記と地図の精度である。名義がいくら新しくなっても、地図が現地を高い精度で復元できなければ、境界に関する調査費用は残る。権利の公示と土地の物理的な把握は、別々の速度で進んでいる。この二つの整備を、費用対効果の観点からどう順序づけるかは、本稿の枠を超える論点である。

8.3 薄い市場では義務化の効果が届きにくい

第三の課題は地域差である。静岡県磐田市は人口163,224人・72,421世帯(2026年7月末時点)の市であり、隣接する周智郡森町は人口およそ15,900人(2026年4月1日時点)の町である。こうした地域には、そもそも買い手が現れないために取引が起きず、したがって登記も動かない不動産が相当数ある。義務化は名義の滞留には効くが、流通の薄さそのものには効かない。

むしろ薄い市場では、登記を整えた後に「それでも売れない」という次の問題が立ち上がる。宅地・農地・山林が一体で相続され、地目ごとに買い手の層が分かれる場面では、登記の整理は入口にすぎない。薄い市場における出口の設計は、別稿で改めて論じる。

8.4 本稿の限界

最後に限界を記しておく。本稿は取引費用という一つの枠組みによる整理であり、実証分析ではない。公信力を与えた場合の社会的費用と、現行制度のもとで市場が負担している検証費用のどちらが大きいかは、本稿の方法では決着しない。比較法的な議論も、類型の対比にとどめた。

また、本稿は繰り返し述べたとおり、個別の登記手続について何かを判断する文書ではない。制度の見取り図は、どこを見ればよいかを教えるだけである。実際にどの登記をどの順で行うかは、その不動産と相続の事情を前にした司法書士の仕事であり、その判断を尊重することが、この領域における媒介者の職業倫理であると考える。

参考文献

  1. 民法(明治29年法律第89号)第176条・第177条・第192条・第94条第2項
  2. 不動産登記法(平成16年法律第123号)
  3. 法務省「所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し」
  4. 法務省「相続登記の申請義務化」(2024年4月1日施行)
  5. 法務省「所有権の登記名義人の氏名・名称・住所の変更登記の申請義務化」(2026年4月1日施行)
  6. 借地借家法(平成3年法律第90号)
  7. 宅地建物取引業法(昭和27年法律第176号)第35条(重要事項の説明)
  8. 司法書士法(昭和25年法律第197号)
  9. ロナルド・H・コース(1937)「企業の本質」
  10. ロナルド・H・コース(1960)「社会的費用の問題」
  11. オリヴァー・E・ウィリアムソン(1975)『市場と企業組織』(浅沼萬里・岩崎晃訳、日本評論社、1980)
  12. 国土交通省「不動産情報ライブラリ」(不動産取引価格情報等)
  13. 磐田市「磐田市の人口 令和8年度」(2026年7月末現在)
富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役 大石 浩之

大石 浩之

富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役
宅地建物取引士(静岡県知事 第027186号)

富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役。宅地建物取引士(静岡県知事 第027186号)。静岡県磐田市見付5789番地1で不動産業を営む。

自社で買い取る事業を持たず、仲介一本で売主の側に立つことを事業の前提に置いている。買主になれば「安く買いたい人」になり、同じ口で価格の妥当性を説明できなくなる、という理由による。買取・買取保証という売り方そのものは否定せず、売主が選んだ場合は買主にならずに複数社の見積もりを比較する立場に回る。

同社は不動産業のほか、磐田市内で介護事業を営む。高齢期の住み替え、施設入居、実家の処分という一連の局面に事業として接してきたことが、本シリーズの問題意識の背景にある。

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