1. はじめに——問題の所在
「境界は確定していますか」。土地を売ろうとする所有者が、媒介業者からも買主からも、ほぼ例外なく一度は受け取る問いである。ところが、この問いに迷いなく答えられる売主は多くない。現地に杭が打ってあることと、図面が手元にあることと、隣地の所有者と書面を交わしてあることは、それぞれ別の事実である。確定という一語が指している状態が、問う側と答える側でずれたまま会話が進むことも珍しくない。ずれたまま売り出せば、そのずれは契約の直前か、買主の融資審査の途中で表面化する。
境界を確定させる作業——実務でいう確定測量——には費用がかかる。土地家屋調査士に支払う金銭の費用だけではない。隣地の所有者と日程を合わせ、現地に立ち会ってもらい、境界の位置を確認する書面に署名を得るまでの期間という費用がかかる。そして、これまで触れずに済ませてきた越境や占有の食い違いを、こちらから話題に上げるという関係の費用がかかる。三つのうち、売主が事前に見積書の形で受け取れるのは、最初の一つだけである。
一方で、済ませておくことの便益もある。ただしその便益は、観測されにくい形でしか現れない。起きなかった値引き、来てくれた買主、始まらなかった紛争。いずれも起きなかった出来事であり、領収書も明細も残らない。費用が確定した支出として目に見え、便益が反実仮想としてしか現れないとき、人はおおむね一貫して便益を過小に評価する。境界の話が売却の準備の中で先送りされやすい理由の半分は、この見え方の非対称にある。
本稿の問いは、確定測量をいつ行うのが合理的か、である。ここで示さないと決めていることが一つある。費用の金額そのものである。測量の費用は、土地の面積よりもむしろ、筆の数、接する隣地の所有者の数、道路や水路といった公有地に接しているか、現地に既存の図面や境界標がどれだけ残っているかによって大きく変わる。地域による水準の差もある。平均値を挙げれば読者は一度は安心するが、その安心は自分の土地には当てはまらない。金額の代わりに本稿が示すのは、比較の型である。
方法は単純である。確定測量・現況測量・公簿売買という三つの売り方を同じ表に並べ、費用側を金銭・期間・関係の三つに、便益側を買主層の拡大・値引き回避・紛争予防の三つに分解する。そのうえで、費用の大きさが土地の単価とほとんど無関係に決まるのに対して、便益の多くは単価と面積の積に比例することを示す。この非対称性が、同じ問いに対して地域ごとに違う答えを与える。都市部で当然とされる手順が、単価の低い地域でそのまま合理的とは限らない理由も、ここから説明できる。
以下、第2節では境界という語が指している二つのもの——筆界と所有権界——を区別し、図面の階層と、制度が用意した確定の道筋を整理する。第3節で三つの売り方を比較し、第4節で費用側を、第5節で便益側をそれぞれ分解する。第6節で両者を突き合わせ、前倒しが合理的になる条件を言葉で書き、想定される反論に答える。第7節で売主の実務に落とし、第8節で残された課題を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買い取る事業を持たない。この立場は本稿の結論に影響する。買主が自分自身であれば、境界の不確実性は仕入れ値を下げる正当な材料になる。媒介であれば、同じ不確実性は売主の手取りから差し引かれる損失としてしか現れない。同じ事実が立場によって別の意味を持つことは、あらかじめ断っておく。
2. 境界という語が指す二つのもの
費用と便益を比べる前に、何を確定させようとしているのかを定めておく必要がある。日常語の境界は一つの線を指すが、法制度が扱う境界は二つある。この二つを混同したまま見積もりを取ると、支払った費用が売主の心配を解消しないという事態が起きる。
2.1 筆界と所有権界
第一は筆界である。登記された一筆の土地の範囲を区切る線であり、公法上の境界と呼ばれる。この線は、土地が登記された時点で客観的に定まっているものと観念され、隣り合う所有者が話し合って動かすことはできない。動かしたければ分筆や合筆という登記の手続を経る。土地家屋調査士が調査し、隣接する所有者との間で確認の書面を交わす対象は、この筆界である。
第二は所有権界である。所有権が現実に及んでいる範囲の限界であり、私法上の境界と呼ばれる。こちらは当事者の合意によって動かすことができ、長期の占有によって動くこともありうる。塀を築いた位置、庭木を植えた位置、代々耕してきた範囲が、登記された筆界とわずかにずれている状態は、古い住宅地でも農村部でも珍しくない。
実務でこの区別が効いてくるのは、確定という言葉が二つの意味を同時に背負うためである。筆界を確認する作業と、越境や占有のずれについて隣地と合意する作業は、別の作業である。筆界確認の書面が揃っても、ブロック塀が筆界を越えている事実は消えない。買主が本当に気にしているのが後者であるとき、前者だけを済ませても懸念は残る。
2.2 図面には階層がある
境界の資料として持ち出される図面にも、精度の異なる階層がある。もっとも広く使われるのが、いわゆる公図である。多くは明治期の地租改正に由来する土地台帳附属地図を引き継いだもので、筆と筆の相対的な位置関係を示す資料としては有用だが、そこから寸法を読み取ることは想定されていない。
これに対し、不動産登記法第14条第1項に基づく地図は、精度の水準が定められた地図である。国土調査法による地籍調査や、土地区画整理・土地改良の事業を通じて整備される。整備の状況は地域によって大きく異なり、同じ市の中でも、地籍調査が済んだ地区と公図しかない地区が併存する。
第三に、地積測量図がある。分筆や地積更正の登記を申請する際に作成され、登記所に備え付けられる図面である。個別の土地について作られるため精度は高いが、作成された年代によって求積の方法や基準点の取り方が異なり、古いものをそのまま現在の座標に重ねられるとは限らない。
2.3 制度が用意した三つの道
境界に争いが生じた場合、あるいは隣地の協力が得られない場合に備えて、制度は段階の異なる道を用意している。もっとも軽いのが、土地家屋調査士による調査と、隣接所有者との筆界確認である。これは合意に基づく私的な手続であり、相手が応じなければ成立しない。
次に置かれるのが筆界特定制度である。2005年に施行された不動産登記法の改正により創設された行政上の手続で、法務局の筆界特定登記官が、筆界調査委員の意見を踏まえて、筆界の現地における位置を特定する。判決のような効力を持つものではないが、当事者の合意を要しない点で、隣地が応じない場合の出口になる。
最後が筆界確定訴訟である。裁判所が筆界の位置を定めるもので、当事者の主張に拘束されずに裁判所が線を引く形式的形成訴訟と解されている。確実性は最も高いが、期間と費用の負担は最も重い。
註:民法は、隣地の所有者と共同の費用で境界標を設けることができるとし(第223条)、その設置と保存の費用は当事者が等しい割合で負担し、測量の費用は土地の広狭に応じて分担すると定める(第224条)。実務では売主が全額を負担して進めることが多いが、法の原則がこうである点は、隣地との話を始めるときの出発点になる。また2021年の民法改正により、境界標の調査や境界に関する測量を目的とする隣地の使用が明文で位置づけられた。
3. 三つの売り方——確定測量・現況測量・公簿売買
売主が実際に選ぶのは、境界を確定させるか否かという二択ではない。実務で並ぶのは、少なくとも三つの売り方である。三つは費用の重さの順に並ぶが、単純な優劣の順ではない。それぞれが引き受けている不確実性の種類が違うためである。
第一が確定測量である。隣接するすべての土地の所有者、および道路や水路を管理する行政と、筆界の位置について確認を得たうえで測量図を作る。成果として、確定測量図と、隣接所有者から得た筆界確認の書面が残る。必要であれば地積更正の登記まで進み、登記簿上の面積を実測に合わせる。
第二が現況測量である。現地にある塀・杭・構造物をそのまま測り、面積と形状を図面にする。隣地所有者の立会いも確認書面も伴わないため、そこに描かれた線は所有権界についての一方当事者の理解にすぎない。ただし、面積の見当をつける、越境の有無を把握する、販売資料に載せる図面を用意するという目的には足りる。
第三が公簿売買である。測量を行わず、登記簿に記載された地積を前提として売買代金を定める。実際の面積が登記簿と食い違っていても、代金の精算を行わない旨を契約で定めるのが通例である。これに対し、実測した面積で単価を掛け直して精算するやり方を実測売買と呼ぶ。両者の違いは測量の有無そのものではなく、面積の食い違いという不確実性を、どちらが引き受けるかの取り決めにある。
| 確定測量 | 現況測量 | 公簿売買 | |
|---|---|---|---|
| 隣地の立会い | 要る | 要らない | 要らない |
| 残る成果 | 確定測量図と筆界確認書 | 現況図のみ | 登記簿と公図のみ |
| 面積の根拠 | 実測に基づく | 実測だが未確認 | 登記簿の地積 |
| 主な費用 | 金銭・期間・関係の三つ | 金銭のみ | ほぼ生じない |
| 面積差のリスク | 売主が事前に解消 | 契約時の取り決め次第 | 買主が引き受ける |
| 向く場面 | 住宅地・分筆前提・期限のある売却 | 越境の把握・資料の整備 | 単価の低い山林農地・隣地への売却 |
3.1 誰が不確実性を引き受けるのか
この表を読むときの要点は、最下段の二行にある。三つの売り方は、境界と面積という不確実性を誰が引き受けるかの配分を変えているにすぎない。確定測量は売主が費用を払って不確実性を消す。公簿売買は買主が不確実性を引き受ける。そして、不確実性を引き受ける側は、その分だけ価格の提示を下げる。これが本稿の議論全体を貫く一本の線である。
コース(1960)が示したのは、権利の割り当てが明確であり交渉の費用が無視できるなら、誰に責任を割り当てても資源配分は変わらないという命題であった。裏を返せば、交渉の費用が無視できないとき、割り当ての仕方は結果を変える。不動産の境界は、まさに交渉の費用が大きい領域である。隣地の所有者は取引の当事者ではないのに協力を求められ、断る自由を持ち、断ったことによる損失を負わない。この構造がある限り、境界の不確実性は放置すれば自然に解消される類のものではない。
3.2 中間解としての部分的な確定
実務では、この三つの中間に位置する解が選ばれることが多い。すなわち、全周を確定させるのではなく、買主の懸念が集中する一部だけを先に処理するやり方である。典型は三つある。接道部分の官民境界だけを確定させる。越境物のある一辺についてだけ、覚書を交わす。複数の筆のうち、売却の対象となる筆に接する部分だけを確認する。
部分的な確定が有効なのは、買主の不安が全周に均等に分布していないからである。買主が最も気にするのは、建て替えのときに問題になる箇所、すなわち道路との境と、構造物が接している境である。裏側の山林との境が数十センチ動いても、買主の資金計画は変わらない。
ただし部分的な確定には限界がある。地積更正や分筆の登記を伴う場合、その筆の全周について筆界の確認が求められるのが通常であり、一部だけでは足りない。買主が土地を分割して使う計画を持っているなら、部分では済まない。どこまでで足りるかは、買主が誰になるかによって決まる。
4. 費用の側面——金銭・期間・関係
確定測量の費用を、三つに分けて検討する。三つに分ける理由は、それぞれ増減の要因が違うためである。要因が違えば、削れるものと削れないものも違う。金額の目安を覚えるより、自分の土地でどの要因が効いているかを見分けるほうが、判断には役に立つ。
4.1 金銭の費用は、面積ではなく相手の数で決まる
測量の費用は面積に比例する、という誤解は根強い。実際に効くのは、境界点の数と、確認を得るべき相手の数である。同じ広さでも、四方を四人の所有者に囲まれた整形の土地と、細長く伸びて十数筆に接する土地では、作業量がまるで違う。相手が一人増えれば、資料の作成も、日程の調整も、説明の手間も一組増える。
もう一つ大きいのが、公有地との境である。道路・水路・里道に接している場合、行政との間で境界を確認する手続が加わる。この手続は民間どうしの立会いとは別に、申請と審査の期間を要する。市街地の宅地であれば、接道は建築の前提であるから避けて通れない。逆に、四方すべてが民有地の農地や山林であれば、この工程は生じない。
第三に、現地にどれだけ手がかりが残っているかが効く。既存の境界標が生きている、過去の地積測量図が使える、地籍調査が済んでいる。こうした条件が揃うほど、復元に要する作業は軽くなる。逆に、標がなく、公図しかなく、現況が公図と大きく違う土地では、どこに線を引くべきかを組み立てる作業そのものが重くなる。
4.2 期間の費用は、暦の上でしか減らせない
金銭と違い、期間は費用を積んでも短縮しにくい。作業そのものの日数は限られていても、隣地の所有者と日程を合わせる工程、行政の手続を待つ工程は、こちらの都合では動かない。所有者が遠方に住んでいる、相続の登記が済んでおらず相手が複数になっている、高齢で立会いに出られない。どれも珍しい事情ではない。
当社が磐田市で扱う案件でも、買主側の金融機関が確定測量を求めた時点から、立会いの日程調整を経て成果品が整うまでに1〜2か月を要することがある。この期間が販売活動の途中に挟まると、買主は待たされ、売主は身動きが取れない。売り出す前に済ませてあれば、同じ1〜2か月は販売準備の期間に吸収され、外からは見えなくなる。同じ時間でも、置く場所によって費用の大きさが変わる。
期間の費用が最も重くなるのは、期限のある売却である。相続税の申告期限、住み替えの引渡し期日、施設入居の費用が必要になる時期。期限が決まっている売却では、期間の不確実性はそのまま価格の譲歩に変わる。待てない売主は、待たなくてよい条件を提示する買主を選ばざるをえない。
4.3 関係の費用——寝た子を起こすということ
三つめが、隣地との関係にかかる費用である。立会いを求めることは、これまで誰も口に出さずに済ませてきた食い違いを、こちらから議題に上げることを意味する。塀が越えている、庇が出ている、樹木の枝が越えている、排水の管が通っている。数十年のあいだ黙認されてきた状態が、署名を求める場面で初めて争点になる。
この費用は、金銭に換算しにくいがゆえに軽く扱われやすい。しかし実際には、これが最大の障害になることがある。隣地の所有者は取引の当事者ではない。協力しても得るものがなく、拒んでも失うものがない。ウィリアムソン(1975)が論じた機会主義的な行動——相手が困っている状況を利用して条件を引き出す振る舞い——が生じやすい構造が、ここには揃っている。
ただし、この費用は新たに発生するものではない。潜在していたものが顕在化するだけである。食い違いは境界確定の作業が作り出したのではなく、以前から存在していた。確定作業は、その支払い時期を前倒しするだけである。そして前倒しには利点がある。当事者が少ないうちに処理できることである。所有者の代が替われば、相続によって当事者は増え、事情を知る人は減る。境界の話は、時間とともに安くはならない。
関係の費用を抑える方法は限られるが、二つある。一つは、越境の解消をその場で求めないことである。撤去を求めれば話は止まる。現状のまま存置し、建て替えの機会に是正する旨を書面にしておけば、双方が負担なく合意できることが多い。もう一つは、売り急ぎを伝えないことである。
5. 便益の側面——買主層・値引き回避・紛争予防
便益の側も三つに分ける。ここで注意しておきたいのは、いずれも価格の水準を押し上げる効果ではないという点である。境界が確定していれば相場より高く売れる、という言い方は正確ではない。確定測量が縮めるのは、価格と期間のばらつきであり、下振れの確率である。この違いを曖昧にすると、費用対効果の判断そのものが狂う。
5.1 買主層の拡大——誰が入場できるか
第一の便益は、買える人の数が増えることである。境界が未確定の土地を買える主体は限られる。自分で確定作業を進める能力と資力を持つ事業者、隣接する土地の所有者、そして境界の位置に利害を持たない用途の買主。この三者に絞られる。逆に確定していれば、住宅ローンを利用する個人、土地を分割して再販する事業者、担保として評価する金融機関が入場できる。
買主側の金融機関が確定測量図を求める場面があるのは、担保としての評価に面積と範囲の確実性が要るからである。分筆を前提とする買主にとってはさらに直接的で、分筆の登記には地積測量図の添付が求められ、その前提として筆界の確認が要る。つまり確定測量は、特定の買主層にとって購入の前提条件そのものであり、価格の交渉材料ではない。
買主の数が増えることの意味は、探索と交渉の理論から説明できる。買い手が一人しか現れない状況では、その一人の提示額を受けるか、売却をやめるかの二択になる。買い手が複数現れれば、売主には比較という手段が生まれる。境界の状態は、価格そのものではなく、この比較が成立するかどうかを左右している。買い手がもともと少ない地域で、さらに条件によって候補を絞り込むことの影響は、都市部より重い。
5.2 値引き回避——不確実性は価格から引かれる
第二の便益は、値引きを避けられることである。買主が境界の不確実性を引き受けるとき、買主はその処理に要する費用と、処理が難航する確率を見込んで提示額を下げる。見込みは実費と一致しない。買主は自分で費用を確かめる術がないため、安全側に、つまり多めに見積もる。売主が自ら確定させれば実費で済む処理が、買主に委ねると実費より大きな控除として返ってくる。
ここには、費用の名目上の負担者と実質的な負担者が異なるという構造がある。租税の帰着が、法律上の納税義務者ではなく市場の弾力性によって決まるのと同じである。境界の処理費用を買主に負担させるという取り決めは、その費用を売主が負担しないことを意味しない。買主は、負担する見込みの費用を提示額から差し引くだけである。差し引かれる額が実費より大きければ、売主は自分で払ったほうが安い。
さらに、値引きが生じる時点にも問題がある。境界の不確実性が契約後の調査で表面化した場合、そこから始まるのは交渉の再開である。買主は既に手続を進め、資金の準備をしている。売主も他の候補を断っている。この段階で提示される減額の要求は、売り出し時点の競争のもとで決まる価格より、売主に不利な条件で成立しやすい。同じ情報でも、出る時点によって価格への効き方が変わる。
5.3 紛争予防——引渡し後に残る責任
第三の便益は、引渡し後の紛争を避けられることである。売買契約の標準的な書式には、売主が引渡しまでに隣地との境界を現地で明示する旨の条項が置かれるのが通例である。明示できないまま引き渡し、後に隣地との間で位置の争いが生じれば、売主が責任を問われる余地が残る。しかもこの責任は、代金を受け取り物件を手放した後にやってくる。
相続によって取得した実家を売る場合、この点はとくに重い。売主自身が土地の来歴を知らず、どこが境かを説明できないことが多い。説明できないまま引き渡せば、後日の争いに応じる材料も持たない。境界確定は、その意味で、知らないことを引き受けたまま責任だけを負う状態から抜け出すための手続でもある。
紛争予防という便益は、三つのうちで最も評価されにくい。起きなかった紛争は数えられないからである。しかしその規模は、他の二つより大きくなりうる。境界の争いは、金額に対して時間と精神的な負担が不釣り合いに大きくなりやすい類型であり、いったん始まれば数年を要することもある。確率は低いが損失が大きい事象に対して備えるという構図は、保険のそれに近い。費用対効果を期待値だけで測ると、この性質は見落とされる。
6. 比較の型——いつ前倒しするのが合理的か
費用と便益を並べたところで、両者を突き合わせる。ここで示すのは金額ではなく、どの変数が結論を動かすかという型である。
6.1 費用は単価に連動せず、便益は単価に比例する
第4節で見たとおり、確定測量の費用は境界点の数と相手の数でおおむね決まる。土地の単価とは連動しない。一方、第5節で見た便益のうち、値引き回避の効果は単価と面積の積、すなわち土地の総額に比例する。総額が小さければ、避けられる金額も小さい。ここに費用と便益の非対称がある。
この非対称は、地域差として現れる。磐田市の住宅地の公示地価は、2026年の地価公示に基づく平均で1平方メートルあたり50,086円である。同じ2026年時点で、森町の土地の相場は平均の目安として1平方メートルあたりおよそ26,900円とされ、磐田市の住宅地のおよそ半分の水準にある。同じ広さ、同じ筆数、同じ隣地の数の土地であれば、測量の費用はほぼ同じである。しかし、値引き回避によって守られる金額は、単価が半分であれば半分になる。
したがって、費用を回収するために必要な面積は、単価が半分の地域では倍になる。都市部の実務書が当然の前提として書く「売却前に確定測量を」という助言が、単価の低い地域でそのまま当てはまらない理由は、精神論ではなくこの算術にある。逆に言えば、単価の低い地域でも、面積が大きければ、あるいは筆数と隣地が少なくて費用が軽ければ、前倒しは合理的でありうる。
註:地価の数値は、磐田市が2026年地価公示に基づく住宅地の平均(前年比+0.16%)、森町が2026年時点の公示地価・取引データをもとにした平均の目安(前年比−0.74%)である。いずれも市町の平均であり、個別の土地の価格ではない。ここでの用法も、水準の比較に限っている。
6.2 前倒しの価値は、費用の大小では決まらない
次に、行うか否かとは別の問い、すなわちいつ行うかを考える。選択肢は三つある。売り出す前に済ませる、契約後に買主の求めに応じて行う、行わずに公簿で売る。第二の選択肢には利点がある。買主が決まってから着手すれば、費用は確実に回収される。売れなかった場合の空振りがない。
この構造は、投資を先送りして不確実性が解消するのを待つという判断と同型である。待てば情報が増え、無駄な支出を避けられる。したがって、待つことそれ自体に価値がある。前倒しが合理的になるのは、待つ価値を上回るものが得られるときに限られる。上回るものは二つしかない。期間の短縮と、交渉の位置である。
期間の短縮が効くのは、期限のある売却である。第4節で述べたとおり、契約後に着手すれば1〜2か月が販売の途中に挟まる。期限が迫っていれば、その期間は価格の譲歩に置き換えられる。交渉の位置が効くのは、隣地との関係に不安がある場合である。契約後に立会いを求めれば、隣地の所有者は売主が引けない状況にあることを知る。売り出す前であれば、まだ引ける。同じ作業でも、こちらに退路があるかどうかで進み方が変わる。
整理すれば、前倒しの価値は、期限の厳しさと隣地の不確実性の積で決まる。費用が高いかどうかは、行うか否かの判断には効くが、いつ行うかの判断にはほとんど効かない。高いから後回しにする、という判断は、二つの問いを取り違えている。
6.3 三つの反論に答える
第一の反論。測量をしても価格は上がらないのだから、費用の分だけ損をする、というものである。これは第5節の冒頭で述べたとおり、便益の性質を取り違えている。確定測量が動かすのは価格の水準そのものではなく、下振れの確率と、買える人の数である。上がらないことは、無駄であることを意味しない。
第二の反論。費用は買主に負担してもらえばよい、というものである。これも第5節で触れた。名目上の負担者を移しても、買主は負担する見込みの額を提示額から差し引く。しかも買主の見積もりは実費より大きくなりやすい。負担の移転は、価格の低下として売主に戻ってくる。
第三の反論。隣地が高齢である、所在が分からない、関係が悪い。だから確定測量は不可能である、というものである。この場合に確認すべきは、全周の確定が本当に要るのかという点である。第3節で述べた部分的な確定で足りることは多い。それでも足りず、かつ相手の協力が得られないのであれば、筆界特定制度が次の段階として用意されている。不可能というより、費用と期間の水準が一段上がる、と理解するほうが正確である。そのうえで、上がった水準に見合う便益がなければ、公簿売買を選ぶという判断もまた合理的である。
三つの反論に共通するのは、確定測量を義務として捉えている点である。義務であれば、できるかできないかの二択になる。費用と便益の比較として捉えれば、どこまでやるか、いつやるかという連続的な選択になる。
7. 売主の実務への含意
以上を、売主が実際に取れる手順に落とす。順序には理由がある。後の判断で使う材料を、前の工程で作っておく必要があるためである。とくに、費用の見積もりを取る前に現況を把握しておくことが重要である。
7.1 まず、費用をかけずに分かることを集める
最初の工程は、支出を伴わない調査である。
- 法務局で登記事項証明書と公図を取り、売る土地が何筆か、地目は何か、隣接するのは誰かを確認する
- 同じ窓口で、その地区の地図が不動産登記法第14条第1項の地図なのか、公図なのかを確かめる
- 過去に分筆や地積更正の登記があれば地積測量図が備え付けられているので、作成年を含めて確認する
- 現地を歩き、境界標が何か所に残っているか、塀や擁壁が誰の側に建っているかを写真に記録する
- 道路・水路に接している箇所があるかを確認する。あれば官民の境界確認の工程が加わる
- 隣地の登記名義が現在の居住者と一致しているかを見る。一致しなければ相続が未了の可能性がある
この六項目は、いずれも費用がほとんどかからない。それでいて、第4節で挙げた費用の三要因——相手の数、公有地の有無、現地に残る手がかり——のすべてを覆う。測量の見積もりを依頼するのは、この後である。手がかりを揃えて依頼すれば、見積もりの前提も明確になり、複数の事業者の金額を同じ土俵で比べられる。
7.2 決める順序は、範囲・時期・負担の順
次に決めるのは三つである。順序を守ると、判断が一つずつ閉じる。第一に範囲。全周を確定させるのか、接道部分だけか、越境のある一辺の覚書だけか、あるいは現況測量にとどめるか。第3節で述べたとおり、買主の懸念が集中する箇所に費用を集中させるのが基本になる。
第二に時期。売り出す前か、契約後か。第6節の型に沿えば、期限が厳しい売却と、隣地との関係に不確実性がある売却では前倒しが有利になる。逆に、期限に余裕があり、隣地が協力的で、買主が誰になるか読めない段階であれば、待つ判断にも理がある。
第三に負担。売主が全額を負担するのか、買主と分けるのか、価格に織り込むのか。民法の原則が測量費用を土地の広狭に応じた分担としていることは第2節の註で触れたが、実際の売買では売主の負担として進めることが多い。重要なのは、どの取り決めを選ぶにせよ、それを媒介契約の段階で決めて書面に残しておくことである。決めていない事項は、交渉の局面で相手の側から持ち出される。
7.3 契約後に行う場合は、条件を先に書いておく
待つという判断を選んだ場合、そのままにしておくと、第5節で述べた不利な時点での再交渉に入り込む。これを避けるには、待つことを決めた時点で、待った後の手順を書いておく。具体的には四つである。
- 販売資料に、境界が未確定であること、および確定測量を行う場合の想定期間を先に書く
- 確定測量を行う条件と、その費用を誰が負担するかを、売り出し価格を決める段階で定めておく
- 隣地の立会いが得られない場合にどうするか(部分的な確定にとどめる、公簿売買に切り替える)を先に決める
- 測量の結果、登記簿の地積と実測に差が出たときに代金を精算するのかしないのかを、契約書で明示する
四つめは見落とされやすい。公簿売買として合意していたにもかかわらず、買主の求めで測量を行い、そこで面積の不足が判明すれば、精算しない旨の合意があっても交渉の材料にはなる。測量を行うのであれば、その結果をどう扱うかを先に決めておく。決めてあれば、判明した事実は事実として処理され、交渉には転化しない。
最後に、境界の状態を理由に買取を勧められる場面についても触れておく。境界が未確定であることは、買取を提案する側にとって説得力のある理由になる。確かに、自ら確定作業を進める能力を持つ事業者に売るという選択肢は現実的であり、その売り方自体を否定するものではない。ただし比較の作法は同じである。買取の提示額と、確定測量の費用を払って市場で売った場合の手取りを、同じ表に並べる。当社は自ら買主にならず、買取や買取保証を率先して行わないが、比較の材料を揃えることは売主の側で行える。
8. 結論と今後の課題
確定測量はいつ行うのが合理的か。本稿の答えは、行うかどうかと、いつ行うかを別々の問いとして扱い、それぞれ別の変数で決めよ、というものである。
行うかどうかは、費用と便益の非対称から決まる。費用は境界点の数と確認を得るべき相手の数でおおむね決まり、土地の単価には連動しない。便益のうち値引き回避の効果は、単価と面積の積に比例する。したがって、単価が低い地域、面積が小さい土地、隣地の数が多い土地ほど、費用対効果は厳しくなる。
いつ行うかは、期限の厳しさと隣地の不確実性で決まる。待つことには、売れなかった場合の空振りを避けられるという価値がある。その価値を上回るのは、期間の短縮と、交渉における退路の確保という二つだけである。費用が高いことは、いつ行うかの判断理由にはならない。
そして三つめ。選択肢は全部か無かではない。買主の懸念が集中する箇所——接道部分の官民境界、構造物が接する一辺——に費用を集中させる部分的な確定が、多くの場合に最も効率の良い解になる。費用が境界の数にほぼ比例する以上、同じ金額をどこに配分するかで、消せる不安の量は変わる。
8.1 制度側に残された課題
制度の面では、地図の整備状況の地域差が、そのまま売主の負担の差になっている点が本稿の観点からは重い。国土調査法に基づく地籍調査が済んだ地区では、境界の復元に要する作業は軽くなる。済んでいない地区では、同じ売却であっても売主が私的な費用で境界を再構成することになる。整備の進み方は市町の事情や地形に左右され、所有者の選択の結果ではない。個人の負担で埋められている公共的な情報の欠落、という見方は成り立つ。
筆界特定制度は、隣地の協力が得られない場合の出口として機能してきた。ただし、売却の準備という文脈からは、期間の見通しが立ちにくいという制約が残る。期限のある売却では、出口があること自体が知られていても、その出口を使う時間がない。
8.2 本稿の限界と、別稿に送る論点
本稿の限界を三つ記しておく。第一に、ここで行ったのは理論的な整理であり、実証ではない。確定測量の有無が成約価格や販売期間にどれだけ効いているかは、地域ごとの取引データに即して確かめる必要がある。理論はどこを見ればよいかを示すだけである。
第二に、費用の金額を扱わないという方針は、判断の型を示すうえでは適切だが、読者が自分の土地に当てはめる段階では不十分である。型に数字を入れる作業は、個別の見積もりを取ることでしか埋まらない。
第三に、薄い市場という条件を十分に展開できていない。静岡県磐田市は人口およそ16万3千人(2026年7月末現在)の市であり、周辺の町ではさらに買い手の数が少ない。買い手が一人しか現れない市場では、買主層の拡大という便益の意味そのものが変わる。候補を増やす効果が、そもそも増やす余地のない市場でどう働くかは、探索と交渉の理論に即して別稿で論じる。
あわせて、相続によって当事者が増えていく過程と境界確定の費用の関係も、本稿では前倒しの利点として一言触れるにとどめた。所有者の代替わりごとに確認の相手が増え、事情を知る人が減っていく構造は、空き家の増加とも接続する論点である。境界の問題は、売却の直前に現れる技術的な作業に見えて、実際には世代をまたいで積み上がる負債の性格を持つ。この点の検討も、別稿に送る。
