1. はじめに——問題の所在
不動産を売った数年後に、買主から連絡が届くことがある。床下から水が出た、地中から古い基礎が出てきた、二階の天井に雨染みが広がった。売主は記憶をたどり、自分が住んでいたころにそんな話はなかったと答える。買主は、契約書にも報告書にもその記載がなかったと言う。ここから始まる争いは、一見すると事実をめぐる争いに見える。しかし本質は契約の争いである。将来その費用が生じたとき、誰が負うと約束していたのか——問われているのはそこだからである。
2020年4月1日、改正民法が施行された。売買の目的物に欠陥があった場合の売主の責任は、それまでの瑕疵担保責任から契約不適合責任へと組み替えられている。名称が変わっただけではない。責任の法的な性質、買主が使える手段、そして責任が及ぶ範囲を決める基準が変わった。実務の現場では「売主の責任が重くなった」と説明されることもあれば、「特約で免責すれば以前と実質的に同じ」と説明されることもある。どちらも一面では当たっているが、全体としては正確でない。
1.1 本稿の問い
本稿の問いは二つである。第一に、この制度変更は、宅地建物取引業者ではない個人の売主にとって何が変わったのか。第二に、責任を自分に残すか、免責特約によって買主へ移すかという選択は、売却価格にどう跳ね返るのか。
第二の問いは、法律の問題ではなく経済の問題である。免責特約は、将来生じうる修補費用や賠償の負担を売主から買主へ移す装置であり、買主は移された分だけ支払える金額を下げる。ここで重要なのは、買主が差し引く額と、売主が実際に負ったであろう費用の期待値とが一致する保証はない、という点である。両者がずれるとき、免責は売主にとって割の合わない取引になりうる。逆にずれが小さいなら、免責は双方にとって合理的な取り決めになる。
1.2 方法と立場
本稿は、契約不適合責任を、欠陥が実在したかどうかという真偽の問題としてではなく、不確実な将来費用をどちらの当事者に割り付けるかという配分の問題として読む。この読み方をとると、免責特約・期間制限・物件状況報告書・建物状況調査・保険といった一見ばらばらの実務が、同じ一つの設計問題の異なる解として並ぶ。
註:本稿が扱うのは制度の構造と、その構造が価格に及ぼす作用である。個別の契約条項が有効か、ある事象が契約不適合にあたるか、時効や通知期間の起算点をどう解するかといった法的判断は、弁護士など法律の専門家の領分であり、本稿はその判断に代わるものではない。実際の紛争や、係争が予想される事案では、早い段階で専門家に相談されたい。
筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たないため、本稿の関心は「売主に責任を負わせないこと」でも「買主を守ること」でもなく、どちらに割り付けたときに合計の損失が小さくなるかにある。立場を隠して中立を装うことはしない。
以下、第2節で旧制度と新制度の構造を対比する。第3節で責任配分の問題として枠組みを立て、第4節で告知書が性格を変えた理由を論じる。第5節で免責特約が価格を動かす仕組みを検討し、第6節で期間の設計と業者売主との非対称を扱う。第7節で売主の実務に落とし、第8節で残された課題を述べる。
2. 瑕疵担保責任から契約不適合責任へ
制度の中身を確認しておく。ここを曖昧にしたまま「改正で厳しくなった」と語っても、何に備えればよいかが定まらない。
2.1 旧制度——隠れた瑕疵という要件
2020年3月31日以前に締結された売買契約には、改正前の民法が適用される。そこでは、売買の目的物に隠れた瑕疵があったとき、買主は損害賠償を請求でき、契約の目的を達することができない場合には解除ができるとされていた。隠れたとは、買主が取引上通常求められる注意を払っても知り得なかった、という意味である。したがって旧制度では、買主が気づけたかどうかという買主側の事情が、責任の入口を決めていた。
この構成には二つの帰結があった。一つは、買主の手段が限られていたことである。修補せよと請求する権利や、その分だけ代金を下げよと請求する権利は、条文上は当然には認められていなかった。もう一つは、特定物——この土地、この建物という代替のきかない目的物——を引き渡した時点で売主の債務は履行済みと考える理解が根強く、担保責任は法が特別に定めた責任だと説明されてきたことである。
2.2 新制度——契約の内容に適合しないこと
改正民法は、この構成を債務不履行責任の枠組みへ引き寄せた。引き渡された目的物が種類・品質・数量に関して契約の内容に適合しないとき、買主は履行の追完(修補や不足分の引渡し)を請求でき、追完がされない場合には代金の減額を請求できる。損害賠償と解除は、債務不履行の一般規定に従って処理される。隠れたという要件は条文から姿を消した。
入口の基準が「買主が知り得たか」から「契約の内容に適合するか」へ移ったことの意味は大きい。適合するかどうかは、契約書、重要事項説明、物件状況報告書、交渉の経緯といった材料から、その契約がどのような品質の物件を引き渡す約束だったのかを読み取って判断される。つまり、書面に何が書かれていたかが、責任の範囲を直接に画する。
| 論点 | 改正前(瑕疵担保責任) | 改正後(契約不適合責任) |
|---|---|---|
| 入口の基準 | 隠れた瑕疵かどうか | 契約の内容に適合するか |
| 買主の主な手段 | 損害賠償・解除 | 追完請求・代金減額・損害賠償・解除 |
| 責任の性質の説明 | 法が特別に定めた責任という理解が有力 | 債務不履行責任の一種として整理 |
| 書面の重み | 参考資料の一つ | 適合の判断材料そのもの |
2.3 誤解されやすい二点
第一に、改正によって売主の責任が一律に重くなったわけではない。追完請求や代金減額請求という手段が加わった点だけを見れば買主に有利だが、責任の範囲そのものは契約の内容次第である。契約で品質の水準を具体的に定めれば、その水準を満たす限り不適合は生じない。手段が増えたことと、責任の範囲が広がることは別の話である。
第二に、契約不適合責任は当事者の合意で加減できる任意規定である。免責の特約も、期間を短く定める特約も、原則として有効とされる。ただし民法は、売主が知りながら告げなかった事実については、免責特約があっても責任を免れないと定めている。免責は、知っていることを黙る許可ではない。この一点は、後の第4節と第5節の議論の土台になる。
3. 責任の配分という問題設定
ここから見方を変える。契約不適合責任を、欠陥があったかどうかを事後に裁く制度としてではなく、まだ生じていない費用を事前に割り付ける制度として読む。この読み替えによって、免責特約の意味がはっきりする。
3.1 引渡し後に生じうる費用
中古の建物と土地には、引渡しの時点では誰にも分からない事象が潜んでいる。給排水管の劣化、屋根や外壁からの浸水、シロアリの食害、地中の埋設物やがら、以前の建物の基礎の残置、擁壁の健全性、土壌の状態。これらは、生じるかどうかも、生じたときにいくらかかるかも、事前には確率でしか語れない。
問題は、この不確実な費用が誰かの負担になるという点である。売主が責任を負えば売主の負担になり、免責されれば買主の負担になる。どちらに割り付けても、費用そのものが消えるわけではない。契約不適合責任の設計とは、この消えない費用の宛先を決める作業にほかならない。
3.2 割り付けの基準は三つある
経済学では、この種の割り付けを考えるとき、おおむね三つの基準が使われる。第一に、どちらがその事象を安く防げるか。第二に、どちらがその費用を安く負担できるか。第三に、どちらがその事象について多くを知っているか。
- 予防の基準——引渡し前に点検や修繕ができるのは売主である。同じ修繕でも、住んでいた者が業者を手配するほうが、引渡し後に買主が一から探すより安く早く終わることが多い
- 負担の基準——一件あたりの金額が大きい事象では、資力や保険の有無が効く。買主が住宅ローンを組んで購入した直後は、追加の出費を吸収する余力が小さい
- 情報の基準——過去の漏水や修繕の履歴、増改築の経緯、近隣とのいきさつを知っているのは売主だけである。買主は現地を見ても、履歴までは見えない
三つの基準はいずれも、多くの事象について売主側を指す。だから制度は既定値として売主に責任を置いている。しかし例外もある。引渡しから何年も経ってから顕在化した劣化は、売主の予防では防ぎようがなく、買主の使い方や維持管理の影響を強く受ける。この領域では、売主に責任を残すことが割り付けとして適切でなくなる。期間制限という仕組みは、この境目に線を引くための道具である。
3.3 書ききれないから特約が要る
ここで一つの理論的な補助線を引いておく。契約理論では、あらゆる将来事象を書き尽くした契約は作れないとされる。事象を列挙する費用も、それを検証する費用も無限には払えないからである。書ききれない部分について、誰が決め、誰が負うのかをあらかじめ定めておく必要が生じる。
免責特約とは、この書ききれない領域をまとめて買主に割り付ける包括的な取り決めである。逆に、物件状況報告書に事象を一つずつ書き出す作業は、書ききれない領域を少しずつ削り、契約の中へ取り込む作業である。両者は対立する手段ではなく、同じ設計の別の部分を担っている。次節で見るとおり、改正民法はこの後者の働きを強めた。
4. 告知書はなぜ性格を変えたか
物件状況報告書——実務では告知書とも呼ばれる——は、売主が知っている物件の状態を項目ごとに書き出す書面である。雨漏り、シロアリ、給排水の不具合、増改築、火災の履歴、境界や越境の状況、近隣の状況などが並ぶ。売買契約書に添えて買主へ交付するのが一般的な実務であり、国土交通省が示す宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方でも、売主から状況の報告を得る取扱いが望ましいとされている。
4.1 旧制度における位置づけ
旧制度の下では、この書面の位置づけはやや曖昧だった。責任の入口が「隠れた瑕疵かどうか」である以上、告知書の主たる機能は、書いた事象について「買主は知っていたのだから隠れていない」と言えるようにすることにあった。書かなかった事象については、隠していたのか知らなかったのかが争われる。売主にとっては、書くほど安全になる一方、書けば値引きの材料になるという緊張があった。
4.2 新制度における位置づけ
契約不適合責任の下では、機能がもう一段強くなる。適合するかどうかは契約の内容を基準に判断される。そして告知書は、契約書に添付され当事者双方が確認する書面として、その契約がどのような状態の物件を引き渡す約束だったのかを示す材料になる。書かれた事象は、その状態を前提に売買したことの証跡となり、原則として不適合を構成しない。書かれなかった事象は、契約が前提としていなかったものとして扱われる余地が残る。
つまり告知書は、道義的な配慮の書面から、責任範囲を画定する書面へ性格を変えた。同じ紙が、改正の前後で違う仕事をしている。売主が「面倒な書類」として形式的に埋めているとすれば、それは自分の責任範囲を定める機会を放棄していることになる。
4.3 書くことの費用と便益
とはいえ、書けば値引きの材料になるという緊張は消えない。ここは経済学の言葉で整理できる。不利な情報を自ら開示する行為は、シグナリングとして機能する。開示にはその場の値引きという費用がかかるが、隠している売主には支払えない費用である。だからこそ、開示は「この売主は他にも隠していないだろう」という推定を買主に与える。
便益はもう一つある。書かれた事象を承知したうえで購入した買主は、その事象を理由に後から追完や減額を求めにくくなる。契約後の交渉や紛争は、売主にとって金額以上に時間と心理の負担が大きい。開示は、この負担の確率を下げる投資でもある。
註:ここでいう開示は、知っている事実を書くことを指す。知らないことを推測で書く必要はなく、分からない項目は分からないと記載するのが実務上の扱いである。他方、民法は、売主が知りながら告げなかった事実については免責特約があっても責任を免れないと定めている。書かないという選択が安全側に働く場面は、想定されているより狭い。
4.4 開示の対象は物理的な状態にとどまらない
告知書に並ぶ項目は建物と土地の物理的状態が中心だが、買主の判断に影響する事情はそれだけではない。過去の浸水、隣地との越境や通行のいきさつ、私道の負担、近隣の施設や計画。人の死に関する事案については、国土交通省が2021年にガイドラインを公表し、媒介する宅地建物取引業者の告知の考え方が整理された。ただしこれは業者の実務指針であって、売主と買主の間の責任範囲を直接定めるものではない。個別事案でどこまで伝えるべきかの判断は、法律の専門家の助言を得るのが適切である。
5. 免責特約は価格をいくら動かすか
本稿の副題に置いた問いに入る。個人が売主となる中古住宅の売買では、契約不適合責任を一切負わないとする全部免責の特約や、責任を負う対象を建物の構造上主要な部分と雨水の浸入に限る一部免責の特約が広く用いられている。では、免責を付けることで売却価格はどれだけ下がるのか。
5.1 一般化された数値は存在しない
先に限界を述べておく。免責特約の有無が成約価格をいくら動かすかを示す信頼できる統計は、筆者の知る限り公表されていない。成約価格には立地・面積・築年・接道・時期といった多くの要因が同時に効いており、特約の有無だけを取り出して比較することが難しいためである。したがって本節が示すのは金額の相場ではなく、価格差がどのような要素から組み立てられるかという構造である。
5.2 買主が差し引く額の内訳
免責特約が付いた物件を検討する買主は、引渡し後に生じうる費用を自分で抱えることになる。合理的な買主が支払える金額から差し引くのは、次の三つの合計である。
- 期待費用——想定される不具合の修補費用に、それが生じる見込みを掛け合わせたもの。屋根や給排水など、費用の桁が読める項目はここに入る
- リスク・プレミアム——同じ期待費用でも、ばらつきが大きいほど買主は上乗せして割り引く。購入直後は手元資金が薄く、想定外の出費への耐性が低いためである
- 調査と交渉の費用——自分で調べる手間、専門家に見てもらう費用、事後に売主とやり取りする手間。金額に表れにくいが判断には効く
ここで注目すべきは、第二項と第三項が売主の側には発生しない、あるいは発生しても小さいという点である。売主は物件の履歴を知っており、不具合が生じる見込みをより正確に見積もれる。同じリスクでも、情報を持つ側が抱えるほうが、抱えるための費用は小さい。
5.3 割引が期待費用を上回る条件
以上から、免責が売主にとって不利になる条件を定式化できる。買主が差し引く額が、売主が責任を負ったときに実際に支払ったであろう額の期待値を上回るとき、免責は売主の手取りを減らす。この条件が成立しやすいのは、買主の情報が薄いとき、不具合の金額のばらつきが大きいとき、そして売主が自分の物件の状態をよく知っているときである。中古住宅の売買は、この三つが同時に揃いやすい。
仮設の数値例で構造だけを示す。屋根と給排水にそれぞれ不具合が生じる見込みがあり、生じた場合の修補費用の期待値の合計が仮に五十万円だとする。売主が責任を負えば、期待される支出は五十万円である。ところが買主が、ばらつきと調査の手間を織り込んで百万円を差し引くなら、免責によって売主は五十万円分だけ余計に失う。数字はあくまで説明のための仮定であり、実際の額を示すものではない。しかし方向は明確である。
5.4 それでも免責が合理的な場面
免責がつねに不利なわけではない。相続で取得し一度も住んだことのない実家、長く空き家であった建物、遠方に住み現地の履歴を知らない売主。こうした場合、売主は情報の基準においても予防の基準においても買主に対する優位を持たない。責任だけを負えば、知らないことについて後から支払う立場に置かれる。このとき免責は、負えない責任を価格へ振り替える合理的な選択になる。
重要なのは、免責するかどうかを最初から決め打ちしないことである。売主が物件についてどれだけ知っているか、その情報を書面へ移せるか、建物の状態を第三者に確認してもらえるか。これらの答えによって、どの設計が有利かは変わる。次節では、この設計を期間という軸から見直す。
6. 期間の設計と、売主の属性による非対称
責任を負うか負わないかという二択の手前に、いつまで負うかという軸がある。実務では、この期間の設計のほうが、免責の有無よりも実際の結果を左右することが多い。
6.1 民法が定める通知の期間
民法は、目的物の種類または品質に関する契約不適合について、買主がその不適合を知った時から一年以内に売主へ通知しなければ、追完や減額などを主張できなくなると定めている。ただし、売主が引渡しの時にその不適合を知っていた場合や、重大な過失によって知らなかった場合には、この期間制限は働かない。数量の不足や権利に関する不適合には、この通知の規律は及ばない。
注意すべきは、この一年が起算されるのが引渡しの時点ではなく、買主が不適合を知った時点だという点である。引渡しから何年か経って不具合が顕在化し、そこから一年という計算になりうる。これとは別に、権利の行使には時効の一般的な規律も働く。具体的な事案でいつまで請求されうるかの判断は、条文の組み合わせと事実関係に依存するため、法律の専門家に確認する領域である。
6.2 期間を切る特約の意味
個人が売主となる中古住宅の売買では、通知期間を引渡しから数か月に限る特約が広く用いられている。全部免責と比べると、この設計には二つの利点がある。第一に、売主が負う不確実性に上限が付く。第二に、買主の側から見れば、少なくとも入居直後に判明する不具合は救済されるため、割引の理由が減る。
第3節の枠組みで言えば、期間を切る特約は、予防と情報の基準が売主を指す領域——引渡し時点で既に存在していた不具合——を売主に残し、時間が経つほど買主の使用と維持管理の影響が強まる領域を買主に移す設計である。全部免責が包括的な割り付けであるのに対し、期間の設計は境目に線を引く操作にあたる。
6.3 業者が売主のときは規律が違う
同じ中古住宅でも、売主が宅地建物取引業者で買主が業者でない場合には、宅地建物取引業法が別の規律を置いている。契約不適合を通知すべき期間を引渡しの日から二年以上とする特約を除き、民法の規定より買主に不利となる特約はできない。つまり業者売主は、全部免責という選択肢を持たない。
この非対称は、売主の属性によって情報と資力の格差が違うことに対応している。業者は物件を仕入れて再販する過程で建物を確認する機会を持ち、費用を事業として平準化できる。個人の売主にはどちらもない。制度が個人に免責の自由を残しているのは、負えない責任を負わせても誰の得にもならないという判断による。
新築住宅にはさらに厚い規律がある。住宅の品質確保の促進等に関する法律は、新築住宅の構造耐力上主要な部分等について、引渡しから十年間の担保責任を定めている。新築・業者売主・個人売主という三層で責任の厚みが違うことは、買主の側から見れば購入判断の材料であり、売主の側から見れば自分がどの層に立っているかを確認する手がかりになる。
6.4 想定される反論への応答
第一の反論は、免責しておけば紛争は起きないというものである。しかし民法は、売主が知りながら告げなかった事実については免責特約の効力が及ばないと定めている。加えて、契約前の説明が不十分であったことを理由に別の構成で責任が問われる場面もありうる。免責は紛争の確率を下げるが、消し去る装置ではない。
第二の反論は、責任を残せば買い叩かれずに済むというものである。これも一面的である。責任を残しても、その事実が買主に伝わり、かつ売主に支払能力があると信じられなければ、価格には反映されない。責任を残すという設計を価格へ転換するには、書面と、必要に応じて第三者による裏づけが要る。ここで建物状況調査や既存住宅を対象とする任意の保険が意味を持つ。売主の言葉を売主以外の何かが裏づける構造をつくる、という点で、これらはアカロフが挙げた保証や資格制度と同じ系譜にある。
7. 売主の実務への含意
以上を、売主が実際に取れる手順へ落とす。順序には理由がある。後の工程で使う材料を、先の工程で作っておく必要があるためである。
7.1 売り出す前に、自分が何を知っているかを棚卸しする
最初にやるべきは調査ではなく、記憶と記録の整理である。いつ屋根を葺き替えたか、給湯器をいつ替えたか、台風のあと雨染みが出たことはあったか、シロアリの駆除をしたことはあるか、増築の際に確認申請を出したか。領収書、施工業者の書類、確認済証や検査済証、火災保険の請求記録。これらは、告知書に書く内容の裏づけになると同時に、買主に対して物件の履歴を示す材料になる。
相続した実家で自分が住んでいなかった場合も、同じ作業は要る。分からないことが多いという事実そのものが、責任の設計に影響するからである。第5節で述べたとおり、知らないことについて責任を負うのは、割り付けとして無理がある。何を知らないかを確定させることが、免責の必要性を判断する根拠になる。
7.2 責任の設計は、売り出し価格を決める前に決める
実務では、価格を先に決め、契約書の特約は契約直前に詰めるという順序になりがちである。しかし第5節で見たとおり、責任の設計は価格の一部である。全部免責で売り出すのか、期間を切って責任を残すのか、対象を限るのかによって、買主が差し引く額が変わる。順序を逆にすると、価格の根拠が後付けになる。
- 自分が物件の履歴をどれだけ知っているかを、知っている・知らないの二列に分けて書き出す
- 知っている事象は告知書に書き、価格の前提として販売資料にも反映する
- 知らない領域が広い場合は、免責の範囲と期間を先に決め、その前提で価格を組む
- 建物の状態に不安があるなら、建物状況調査や既存住宅を対象とする保険の利用可否を、売り出し前に確認する
7.3 書く内容は、値引きの材料ではなく契約の前提として置く
不利な事象を告知書に書くと、買主から値引きを求められる。ここで注意したいのは、同じ情報でも、出す順序と置き場所によって働きが変わるという点である。売り出しの時点で販売資料と告知書に載っていれば、その事象を承知した買主だけが内覧に来る。価格はその前提で形成される。逆に、契約が近づいてから判明すれば、既に決まった価格からの値引き交渉という形をとる。
内覧の件数は前者のほうが少ない。しかし成約までの距離は短く、契約後に話が戻る確率も下がる。時間の損失は価格の損失より回復が難しい。とりわけ相続税の申告期限や施設の入居費など、動かせない期限を抱えた売却では、この差が結果を分ける。
7.4 数字は手取りに合流させてから比較する
責任の設計は、最終的に手取りの比較として現れる。免責を付けた場合の想定価格と、責任を残した場合の想定価格。後者から、点検や補修に要する費用、保険を使うならその費用、そして事後に支払いが生じたときの期待額を差し引く。ここまで揃えて、はじめて二つの設計が同じ土俵に載る。
金額の桁感を持っておくことも助けになる。磐田市の住宅地の公示地価は、2026年の地価公示で一平方メートルあたり五万八十六円、坪でおよそ十六万六千円である(磐田市の平均値、前年比は微増)。二百平方メートルの土地であれば土地だけで一千万円の桁になる。責任の設計によって動く金額が数十万円の単位だとしても、それは売却額の数パーセントに相当しうる。無視できる誤差ではない。
7.5 迷う条項は、契約前に専門家へ回す
免責の範囲をどう書くか、期間をどう区切るか、告知書のある項目を書くべきか。これらの判断は、条文の解釈と個別の事実関係が絡む。媒介する業者は契約書と告知書の実務を扱うが、条項の効力や紛争の見通しを判断する立場にはない。判断が分かれる論点は、契約を締結する前に弁護士へ相談し、その回答を書面の文言へ反映させる。契約後に相談しても、動かせる部分は大きく減っている。
8. 結論と今後の課題
本稿の結論を三点にまとめる。
第一に、2020年施行の改正民法がもたらした最も実務的な変化は、責任の重さではなく、責任の範囲を決める基準の移動である。「隠れていたかどうか」から「契約の内容に適合するかどうか」へ基準が移ったことで、契約書・重要事項説明・物件状況報告書に何が書かれているかが、責任の輪郭を直接に決めるようになった。書面は事後の証拠であるより先に、責任の設計図である。
第二に、免責特約は責任を消す装置ではなく、将来生じうる費用を売主から買主へ移す装置である。買主は移された分を価格から差し引くが、差し引く額には期待費用だけでなくリスク・プレミアムと調査の手間が上乗せされる。情報を持つ売主が抱えたほうが安く済む領域を、情報の薄い買主に移せば、合計の損失は増える。増えた分は、多くの場合、売主の手取りから出る。
第三に、それでも免責が合理的な場面はある。相続で取得し履歴を知らない実家、長期間の空き家、遠方所有。売主が情報の優位を持たない場合、責任を残すことは負えない責任を負うことになる。免責するか否かは、物件の性質ではなく、売主が何を知っているかによって決まる。
8.1 本稿の限界
限界を正直に書いておく。第一に、本稿は免責特約が価格をいくら動かすかという問いに、金額では答えていない。第5節で述べたとおり、その効果を分離して測った信頼できる統計を確認できなかったためである。本稿が示したのは価格差の構造であって、水準ではない。
第二に、本稿は制度の骨格を扱っており、条文の解釈をめぐる議論の細部には立ち入っていない。契約不適合にあたるかどうかの判断、通知の効力、時効との関係、免責特約の限界。いずれも事案ごとの検討を要し、法律の専門家の領分である。本稿は判断の枠組みを提供するものであり、判断そのものを代替しない。読者が実際の契約に臨む際は、条項の文言を確定させる前に弁護士へ相談されたい。
第三に、地域固有の事情を十分に扱えていない。海に近い土地では浸水の履歴が、里山に近い土地では擁壁や排水が、旧い分譲地では境界と越境が、それぞれ争点になりやすい。どの事象が地域でどの頻度で問題になるかは、本来なら紛争事例の蓄積から論じるべきだが、公開された地域別の集計は乏しい。
8.2 別稿に投げる論点
残された論点を三つ挙げる。一つは、建物状況調査と既存住宅を対象とする保険が、責任配分の設計にどこまで実効的な選択肢を加えているかという問題である。第三者による検証は理論的には有効だが、費用と手間に見合うかは物件の性質に依存する。これはシグナリングと第三者検証の費用対効果として、開示を主題とする別稿で扱う。
もう一つは、契約締結後に取引が流れる事象——融資の否認、境界紛争、建築不可の判明——との関係である。契約不適合責任は引渡し後の問題を扱うが、実務上より頻度が高いのは引渡し前に契約が解けることである。この二つを一つのリスク管理の枠組みに載せる作業は、取引リスクを主題とする別稿に譲る。
最後に、書ききれない領域を誰が決めるかという問題がある。本稿は費用の割り付けに焦点を当てたが、契約に書かれていない事態が生じたとき、何をもって解決とするかを決める権限が誰にあるかは、別の設計問題である。不完備契約と残余コントロール権の議論として、これも別稿で扱いたい。
契約不適合責任の設計は、法律の問題として語られることが多い。しかしその実質は、不確実な将来をどう分け合うかという合意の設計である。分け方を決めるのは条文ではなく当事者であり、決め方の巧拙は価格に現れる。売主が最初に手をつけるべきは、条文を読むことではなく、自分が何を知っていて何を知らないかを紙に書き出すことである。
