1. はじめに——問題の所在
言わなくてもよいことを、言わなかった。不動産の売却をめぐる後悔の多くは、この一文で説明できてしまう。嘘をついたわけではない。書面に不実の記載をしたわけでもない。ただ、聞かれなかったことを述べなかった。法的な落ち度はないと整理される場面は、実際に存在する。それでも売主は、後になって別の経路からその情報に触れたとき、裏切られたと感じる。この感覚は単なる行き違いなのか、それとも何らかの義務の不履行を正しく捉えているのか。
本稿の問いは、この落差にある。宅地建物取引業法と民法は、不動産の取引に関わる者にいくつかの告知義務と説明義務を課している。しかし義務はそこまでしか及ばない。義務が及ばない領域では、伝えるか伝えないかが各社と各担当者の判断に委ねられる。この委ねられた領域を、本稿は言わない自由と呼ぶ。問いは単純である。この自由は、どこまで認められるのか。
検討の対象は三つに絞る。第一に、売主にとって不利な見通しである。この価格では時間がかかる、この条件では買主の層が限られる、といった判断がこれにあたる。第二に、他の選択肢の存在である。売らずに貸す、時期を変える、区画を分ける、依頼する相手を替えるといった、いま進めている道以外の道を指す。第三に、自社が受け取る報酬の構造である。どちらの当事者からいくら受け取るのか、その額が担当者の評価にどう結びついているのか。三つに共通するのは、いずれも法が明示的な開示を求めていない一方、依頼者の判断を左右しうるという点である。
方法は規範的な検討である。何が行われているかではなく、何を行うべきかを論じる。したがって本稿は実態調査ではなく、統計によって主張を支えない。代わりに用いるのは、企業倫理の分野で蓄積されてきたいくつかの区別——法令遵守と組織の誠実さ、完全義務と不完全義務、作為と不作為——を、不動産の媒介という場に当てはめる作業である。当てはめの過程で、これらの区別が不動産に固有の事情によってどこで歪むかも同時に確かめる。
隣接する論点との切り分けを先に述べておく。不利な情報の開示が信号として働く経路と、悪い知らせを伝える時期の問題は、いずれも別稿が扱っている。前者は開示の経済的な効果を、後者は遅延によって失われるものを主題とする。本稿が扱うのはそのいずれでもない。伝えるべきかどうかという規範の問題、すなわち境界線そのものの引き方である。効果が測れなくても、あるいは効果が自社にとって不利であっても、なお伝えるべき情報があるとすれば、その根拠は何かを問う。
以下の構成をとる。第2節で、法の最低線がどこに引かれているかを三つの隙間として特定する。第3節で企業倫理の道具立てを整理し、第4節で沈黙が嘘とどこで異なり、どこで異ならなくなるかを検討する。第5節では境界線を引くための三つのテストを提示し、第6節でそれを冒頭に挙げた三つの領域に適用する。第7節では言わない自由を擁護する側からの反論に応答し、そこで開示が長期的な利益になる経路と、その経路に依存することの危うさに触れる。第8節で売主の実務に落とし、第9節で限界を述べる。
筆者の立場を明示しておく。筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自ら買主となる買取を率先して行わない。本稿は自社の業務を対象に含んでいる。したがってここで論じる基準は、他者への要求である以前に、自らに課す線の検討である。立場を隠して中立を装うことはしない。
2. 法の最低線はどこに引かれているか
倫理を論じる前に、法がどこまでを覆っているかを確認しておく。覆われている領域について倫理を語ることは、多くの場合は不要である。守るべき規則がすでに書かれているなら、議論の余地は執行の側にある。問題になるのは、法が沈黙している領域である。宅地建物取引業法と民法が課す義務を並べると、その輪郭は思いのほかはっきりしている。
2.1 法が定めていること
- 重要事項の説明——契約が成立するまでの間に、宅地建物取引士が書面を交付して説明する(宅地建物取引業法第35条)
- 重要な事実の不告知・不実告知の禁止——業務に関して、重要な事項について故意に事実を告げず、または不実のことを告げてはならない(同法第47条第1号)
- 価額または評価額について意見を述べるときは、その根拠を明らかにすること(同法第34条の2第2項)
- 報酬の制限——国土交通大臣の定める額を超えて報酬を受けてはならない(同法第46条)
- 守秘義務——業務上知り得た秘密を、正当な理由なく他に漏らしてはならない(同法第45条)
- 善良な管理者の注意をもって委任事務を処理する義務と、委任者に対する報告の義務(民法第644条・第645条)
この一覧に、性質の異なる条文をもう一つ加えなければならない。同法第31条が定める業務処理の原則である。そこでは、取引の関係者に対し、信義を旨とし、誠実に業務を行うことが求められている。具体的な行為は指定されていない。信義と誠実という語によって、規範の内容が法の外部に開かれている。法が倫理を参照している条文だと言ってよい。法と倫理が排他的な二つの領域ではないことが、ここに表れている。ただし、この条文だけを根拠に、個々の情報についての開示義務を導くことは難しい。実際の線引きは、より具体的な条文の側で行われる。
2.2 三つの隙間
具体的な条文を読み直すと、義務の及ぶ範囲に三つの隙間があることが分かる。三つは互いに独立しており、それぞれ別の種類の情報を義務の外に置く。
- 事実と見通しの隙間——告知や説明の対象となるのは、原則として事実である。雨漏りの履歴、法令上の制限、権利関係。これに対して、売れるかどうか、いくらで決まりそうかという見通しは意見であり予測である。意見は誤りうるものとして扱われるため、述べなかったことを事後に義務の不履行と評価するのは難しい
- 相手方と依頼者の隙間——重要事項の説明は、その物件を取得しようとする者、すなわち買主に向けられた制度である。売主が自らの判断のために必要とする情報を保障する制度ではない。売主側に対する説明は、媒介契約と善管注意義務という、内容の定まらない受け皿に委ねられている
- 取引の内側と外側の隙間——法が求めているのは、いま進めようとしているこの取引について判断するために必要な情報である。この取引をやめる、別の方法を採る、別の相手に頼むという、取引の外側にある選択肢を提示することまでは求めていない
三つの隙間に共通するのは、義務が故意という要件と重要性という要件によってさらに狭められている点である。第47条第1号が禁じているのは、故意に告げないことである。知らなかった場合、あるいは重要だと思わなかった場合は、この禁止の外に出る。そして何が重要かの一次的な判断は、業者の側が行う。判断する主体と、その判断によって利益を受ける主体が一致しているという構造が、ここにある。
誤解を避けるために付け加える。以上は法の不備を指摘するものではない。法は執行されなければならず、執行には要件の明確さが要る。故意と重要性という限定は、恣意的な処罰を防ぐために置かれている。法が最低線であることは欠陥ではなく設計である。イェリネック(1878)が法を倫理の最小限と呼んだのは、この設計を指していた。最小限であること自体は正しい。問題が生じるのは、最小限を満たしていることと、十分であることとを、法的に問題ないという同じ一言で語ってしまうときである。
註:民法第572条は、売主が知りながら告げなかった事実については、責任を負わない旨の特約を結んでいても責任を免れないという趣旨を定めている。法もまた、沈黙を評価の対象としている。ただしその対象は、知っていた事実に限られる。
3. コンプライアンス型とインテグリティ型
法の外側を論じるには、そのための語彙が要る。企業倫理の分野には、法令遵守を超える部分をどう扱うかについて、いくつかの整理が蓄積されている。本節では、後の議論で使う三つの区別を借りてくる。責任の層、統制の方式、そして責任の対象である。
3.1 責任の四層——法的責任と倫理的責任は別の層である
キャロル(1991)は、企業が負う責任を四つの層に分けた。事業を継続し利益を上げる経済的責任、法令に従う法的責任、法にはなっていないが社会から期待されている倫理的責任、そして社会への貢献に関わる責任である。四層の順序や比重については議論があるが、本稿にとって重要なのは順序ではない。第二層と第三層が別のものとして立てられている、という一点である。
法的責任は、社会が成文化した要求である。倫理的責任は、成文化されていないが期待されている要求である。両者の差は固定されていない。成文化には時間がかかるため、新しい問題ほど差は大きく、古い問題ほど差は小さい。不動産の売却で言えば、建物の状態や災害の危険に関する開示は、長い時間をかけて第三層から第二層へ移動してきた領域である。一方、本稿が扱う三つの領域——見通し、他の選択肢、報酬の構造——は、いまも第三層にとどまっている。
3.2 遵守を軸にするか、誠実さを軸にするか
ペイン(1994)は、企業が倫理を扱う方式を二つに分けた。一つは法令遵守を軸とする方式である。外部から与えられた規則の違反を防ぐことを目的とし、基準は法にあり、動機は制裁の回避にあり、担い手は法務や監査の部門になる。もう一つは組織の誠実さを軸とする方式である。自らが選んだ価値を基準とし、動機は自ら定めた規定に従うことにあり、担い手は経営と現場そのものになる。
二つは対立するものではない。誠実さを軸とする方式は、法令遵守を含んでいる。しかし、遵守だけを軸とする組織には特徴的な脆さがある。基準が外部にあるため、規則の存在しない領域では判断の拠り所が消えるのである。そして規則の存在しない領域こそが、本稿の主題であった。法的に問題ないという言い方が、しばしば議論の終点ではなく回避として機能するのは、この構造による。その一言は、規則の外に出た瞬間に判断を放棄したことを、遵守の言葉で覆い隠す。
| 観点 | 遵守を軸とする方式 | 誠実さを軸とする方式 |
|---|---|---|
| 基準の所在 | 外部の法令・監督指針 | 自ら定めて公表した線 |
| 中心の問い | これは違反になるか | これでよいと言えるか |
| 規則のない領域 | 判断が止まる | 判断が続く |
| 外部からの検証 | 違反の有無で測れる | 測りにくい |
| 失敗の典型 | 形だけの遵守と免責の書類化 | 線が事後に書き換えられる |
3.3 誰に対する責任か
三つ目に借りるのは、ステークホルダーという語である。フリーマン(1984)は、企業の目的を株主の利益に限定せず、企業の活動に影響を与え、また影響を受ける主体の全体を視野に入れる枠組みを示した。媒介という業務にこれを当てはめると、依頼者である売主、取引の相手方である買主、物件の周囲に住む人々、そして自社の従業員が並ぶ。
本稿が扱うのは、このうち依頼者に対する責任である。買主に対する説明は、法の側で比較的厚く整備されている。前節で見たとおり、重要事項の説明という制度そのものが買主に向けられている。これに対して依頼者に対する説明は薄い。ステークホルダーという語を使う意味は、責任の対象を無制限に増やすことにあるのではない。どの対象に対して制度が薄く、したがってどこで倫理が働かなければならないかを見つけることにある。売主は、自らが依頼した相手に対しては保護される側であるという想定が、制度の設計にはあまり織り込まれていない。
4. 沈黙は嘘か
言わない自由はあるかという問いは、日常の道徳では比較的軽く扱われている。嘘をつくことは悪いが、黙っていることはそこまで悪くない、という感覚は広く共有されている。この感覚には根拠があり、同時に限界がある。本節では根拠と限界を分けて示し、媒介という関係において沈黙の位置がどこで変わるかを特定する。
4.1 完全義務と不完全義務
カント(1785)は、義務を二つの種類に分けた。例外を認めず、いつでも守らなければならない完全義務と、いつ誰に対してどの程度行うかに裁量の残る不完全義務である。この区別に従えば、真実でないことを述べる行為と、真実を述べない行為は、同じ位置にはない。嘘をつかないことは前者に、他者の利益になる情報を提供することは後者に近い。前者は禁止であり、後者は裁量である。言わない自由を擁護する感覚の核には、この区別がある。そしてこの区別自体は、否定されるべきものではない。すべての情報を提供する義務が完全義務であれば、人は誰とも取引できない。
4.2 不作為はなぜ軽く見えるか
心理の側からも、同じ方向の傾向が報告されている。リトフとバロン(1990)に始まる不作為バイアスの研究群は、結果が同じであっても、行為によって生じた害のほうが、行わなかったことによって生じた害よりも重く評価される傾向を繰り返し示してきた。人は、何かをして悪い結果を招くことを、何もしないで同じ結果を招くことより強く避ける。
この傾向は、伝える側にとって都合がよい。述べなかったことは行為として数えられにくく、記録にも残らない。事後に問われたときにも、聞かれなかったという説明が用意できる。ここで注意すべきは、この傾向が意識的な計算ではないという点である。伝えない判断を下している当人が、自分は何もしていないと認識している。何もしていない以上、正当化の必要も感じない。倫理の問題として意識にのぼらないまま、判断だけが下されている。
4.3 選択的開示——真実だけで誤った印象をつくる
沈黙と虚偽の中間には、そのどちらとも言い切れない領域がある。述べた内容はすべて真実でありながら、全体として受け手に誤った印象を与える伝え方である。問い合わせが三件あったと述べ、その三件がいずれも価格を理由に見送られたことを述べない。近隣で成約した事例を挙げ、その物件が本件より条件のよい区画であったことを述べない。個々の記述はどれも真実である。
ボク(1978)は、嘘を、相手を欺こうとする意図をもって発せられる言明として定義したうえで、欺瞞はより広い概念であり、真実の言明の組み合わせによっても成立しうると論じた。この定義に従えば、選択的開示は虚偽ではないが欺瞞ではありうる。そして重要なのは、完全義務と不完全義務の区別がここでは効かないことである。相手に誤った像を結ばせる方向へ材料を選んでいる以上、それは何もしなかったことではなく、選んだことだからである。
4.4 判断を委ねられた関係では、沈黙も裁量の行使である
区別を無効にする条件が、もう一つある。関係の性質である。対等な当事者が互いの利益のために交渉している場面では、一方が知っていることを述べない自由は広く認められる。買主が、その土地をどうしても欲しいと考えていることを売主に告げる義務はない。売主が、いくらまでなら下げるつもりかを買主に告げる義務もない。互いに手の内を伏せることが、交渉という営みの前提になっている。
ところが、一方が他方のために判断する関係——判断を委ねられた関係——では、沈黙の位置が変わる。委ねられた者が、委ねた者の判断に必要な情報を持ちながら述べないとき、それは情報を伝えなかったことにとどまらない。委ねられた判断の一部を、自分の側で行使したことになる。何を伝えるかを選ぶ行為は、相手が検討できる選択肢の集合を編集する行為である。編集は不作為ではない。
したがって本節の結論はこうなる。媒介における沈黙は、一般の売買における沈黙と同じ規範では測れない。媒介契約は、売主が自分では扱えない判断の一部を他者に委ねる契約である。委ねられた側が何を述べるかを選ぶとき、その選択は完全義務と不完全義務の区別が想定していた場面——たまたま情報を持っている第三者が、それを提供するかどうかを決める場面——から外れている。ここでの沈黙は、裁量の行使として評価されなければならない。
5. 境界線を引く三つのテスト
沈黙が裁量の行使として評価されるとして、では何を述べ、何は述べなくてよいのか。すべてを述べることはできない。物件と市場に関する情報は無限に細分できるし、後述するとおり、量を増やすことが判断を助けるとは限らない。したがって基準が要る。本節では、企業倫理で用いられてきた三つのテストを、実務で使える形に直して提示する。三つは、それぞれ別のものを検査している。
5.1 公開性テスト——伝えない理由を、相手に説明できるか
第一のテストは、判断の理由を公開できるかを問う。カントに由来し、ボク(1978)が実務的な形に整えた考え方である。問いはこうである。いま述べないでおこうとしている、その理由を、そのまま相手に説明できるか。この情報を伝えるとあなたが依頼を取りやめる可能性があるので伝えませんでした、と述べられるか。述べられないなら、伝えない理由は相手の利益ではなく自分の利益にある。
このテストの利点は、情報の内容ではなく動機を検査できることにある。伝えない理由には正当なものもある。まだ裏づけが取れていない、相手の負担に比して実益が小さい、第三者の秘密に触れる。これらはいずれも公開できる。公開できない理由——依頼を失う、価格の見直しを言い出しにくい、自社の取り分が減る——だけが、テストに引っかかる。判断に迷う場面のほとんどで、迷いの原因は情報の性質ではなく動機の混在にある。動機を分けて言葉にすれば、迷いの多くは解ける。
5.2 誰を基準にするか——合理的な依頼者と、目の前の依頼者
第二のテストは、重要性の判定を誰の目で行うかを問う。医療における説明義務の議論では、この点について三つの立場が区別されてきた。同業の専門職が通常説明している範囲を基準とする立場、合理的な患者であれば重視するであろう事項を基準とする立場、そして目の前のその患者が現に重視している事項を基準とする立場である。
第一の立場には、慣行がそのまま基準になるという難点がある。慣行が薄い領域では基準も薄くなり、業界全体が説明していないことは説明しなくてよいことになる。本稿が扱う三つの領域は、まさに慣行の薄い領域であった。したがって第一の立場は使えない。実務的には、第二の立場を土台に置き、第三の立場で補正するのが扱いやすい。合理的な売主なら知りたいであろう事項を既定の範囲とし、そのうえで、目の前の売主が何を重視しているかを最初の面談で確かめて範囲を調整する。
調整は実際に必要である。相続で取得した家を早く手放したい人と、育った家をできれば残る形で手放したい人とでは、重要な情報が違う。前者にとっては買主層の厚さと決済までの日数が重要であり、後者にとっては買主が建物を残す見込みや、隣地との関係が重要になる。同じ物件について、同じ情報を、同じ順序で説明することは、この二人のどちらにも最適ではない。
この補正には副産物がある。何を重視するかを尋ねる行為そのものが、後の説明の粒度を決める根拠になるという点である。尋ねていなければ、既定の範囲しか持てない。そして既定の範囲しか持たないまま説明を終えた者は、事後に、その人にとって何が重要かは分からなかったと述べることができてしまう。尋ねなかったことが、説明しなかったことの理由に転用される。
5.3 事後照会テスト——半年後に問われるか
第三のテストは時間を使う。半年後、その情報を別の経路から知った依頼者が、なぜあのとき言わなかったのかと問う場面を想定できるか。想定できるなら、いま述べるべきである。想定できないなら、述べなくてよい可能性が高い。
このテストが捉えているのは、情報の重要性ではなく、露見の非対称である。伝えない判断は、露見しなければ費用ゼロで済む。しかも露見するかどうかは確率的であり、露見するとしても先のことである。人はこの種の費用を小さく見積もる。テストは、露見した世界を先に想定させることで、この歪みを打ち消す。取引の件数が少ない地域では、露見の確率がとくに高い。近隣で似た物件が売れれば、その事実は人づてに届くからである。
三つのテストは、それぞれ別のものを検査している。第一は伝えない動機を、第二は基準となる人物像を、第三は時間の非対称を検査する。三つとも通る情報は、述べないでよい。一つでも引っかかる情報は、述べる側に置く。この配置には理由がある。判断が自社に都合のよい方向へ傾く経路は、動機の混在、基準の取り違え、時間の非対称という三つに集約される。三つのテストは、その三つの経路を一つずつ塞ぐために置かれている。
6. 三つの領域への適用
前節の三つのテストを、第1節で挙げた三つの領域に当てはめる。いずれも、法が明示的な開示を求めていない領域である。当てはめの結果が三つとも同じ方向に出るわけではない。領域ごとに、開示すべき範囲も、開示の形式も異なる。
6.1 売主に不利な見通し
見通しは事実ではない。誤りうるものであり、外れたことを事後に責めるのは適当でない。この性質のために、見通しは告知の対象から外れやすい。ところが三つのテストにかけると、結論は反対に出る。述べない理由が、依頼を失うかもしれないからであるとき、公開性テストは通らない。合理的な売主が知りたい事項かと問えば、明らかに知りたい。半年後に別の経路から知って問われるかと問えば、問われる。三つとも引っかかる。
見通しを述べることの難しさは、内容ではなく形式にある。断定できないものを断定すれば、それは別の意味で不誠実になる。したがって述べ方が定まらなければならない。確度の低い見通しには、確度が低いこと自体を添える。根拠として用いた観測を並べ、そこから導いた解釈と明示的に区別する。宅地建物取引業法が、価額について意見を述べるときにその根拠を明らかにすべきものとしているのは、この形式を法の側から要求したものと読める。根拠の明示は、見通しを事実に見せかけないための装置である。
この形式が守られるなら、不利な見通しを述べることは売主の判断を損なわない。損なうのは、見通しを述べないことか、根拠を伏せたまま結論だけを述べることである。後者は、第4節で見た選択的開示に近い。この価格では難しいという一言は、観測と解釈を圧縮した結果であり、受け手には解釈の当否を検討する手がかりが残らない。
6.2 他の選択肢の存在
三つの領域のうち、法の隙間が最も大きいのがここである。第2節で見た第三の隙間——取引の内側と外側の隙間——が正面から現れる。媒介業者に、売らないという選択肢を勧める義務はない。賃貸に回す、時期を待つ、区画を分ける、用途を変える、依頼する相手を替える。これらはいずれも、業者にとって報酬の機会を減らす方向に働く。述べる誘因が構造的に存在しない。
それでも提示が要求される根拠は、委任という関係の性質にある。売主が委ねたのは、売るという行為の実行であって、売るかどうかの判断ではない。判断は依頼者の手元に残っている。手元に残っているはずの判断を行使するために必要な材料を、受任者が握ったまま渡さないとき、判断は形式だけのものになる。同意は、選択肢を知らされていて初めて同意である。この点は、第4節で述べた沈黙の位置の問題と直結している。
ただし範囲には限度を置く。あらゆる可能性を列挙する義務はない。基準は二点である。その選択肢がこの物件で現に成立しうるか。そして、採るとすれば期限があるか。成立しない選択肢を並べることは、判断を助けるどころか妨げる。期限のある選択肢を伏せることは、伏せている期間そのものが判断を奪う。この二点で絞れば、提示すべき選択肢は通常それほど多くない。
当社は自ら買主となる買取を率先して行わないが、買取という売り方そのものを否定しない。他社による買取が依頼者にとって合理的でありうる場面は実在する。その場合には、方法として存在することと、その方法を採ったときに何が得られ何が失われるかを述べる。自社の取り分にならない方法だからという理由で伏せるのは、第5節の基準で言えば、公開できない理由である。
6.3 自社が受け取る報酬の構造
第三の領域は、物件ではなく自社に関する情報である。報酬の上限は法令で定められており、事務所には報酬の額を掲示する義務もある。しかし、上限が定まっていることと、その取引で自社がどのような構造の利益を得るかが依頼者に伝わっていることは、まったく別である。買主側の媒介も自社が担う見込みがあるか。その場合に受け取る報酬はどうなるか。他社から買主の紹介を受けたとき、どのような手順で応答するのか。担当者の社内での評価は、成約の速さで測られているのか、条件の水準で測られているのか。
これらは、開示しても法的な効果を生まない情報である。開示したからといって責任の範囲が変わるわけではなく、開示しなかったからといって直ちに義務の不履行になるわけでもない。だからこそ、開示するかどうかが純粋に倫理の問題として残る。そして三つのテストは、いずれも開示の側に倒れる。報酬の構造を述べない理由を、そのまま依頼者に説明することはできない。合理的な売主なら知りたいと考える。後から知れば問われる。
一点だけ注意を述べておく。開示は、それだけでは受け手を助けない。利益相反の開示が、かえって助言者を免罪し、受け手の警戒をむしろ鈍らせうるという知見があり、この点は別稿が扱っている。ここでの含意は、開示の要否ではなく、開示に何を伴わせるかである。金額を伝えるだけでは足りない。その構造が自社の助言をどちらの方向に歪めうるか——たとえば、早く決めることを勧める方向に働くのか、価格を維持することを勧める方向に働くのか——まで添えて、はじめて受け手は割り引くことができる。
7. 反論への応答——言わない自由が認められる範囲
ここまでの議論は、開示すべき範囲を法の最低線より広く取る方向に進んできた。この方向には、まっとうな反論がいくつもある。反論を退けるのではなく、反論が正しい範囲を確定することによって、境界線が定まる。本節では四つの反論を順に扱う。
7.1 述べてはならない情報がある
最初に確認すべきは、言わない自由ではなく、言わない義務が生じる領域である。宅地建物取引業法は、業務上知り得た秘密を正当な理由なく他に漏らすことを禁じている。買主候補の資金の事情、他の依頼者が売却を決めた理由、隣地の所有者から個人的に聞いた家庭の事情。これらは、売主の判断に役立つ場合であっても述べてはならない。
この領域の存在は、開示の範囲が単調に広げればよいものではないことを示している。開示には上限がある。上限は守秘によって画され、下限は判断を委ねられたという関係の性質によって画される。この二つに挟まれた帯が、述べるか述べないかを自ら選べる領域である。本稿が論じてきたのは、この帯の中における選択の基準であって、帯そのものを消す議論ではない。上限を無視した開示は、別の当事者に対する義務の不履行になる。
7.2 全部述べれば、かえって決められなくなる
第二の反論は、情報の量に関するものである。判断の材料が増えるほど判断がよくなるという想定は成り立たない。人が同時に扱える情報には限りがあり、重要な項目は些末な項目に埋もれる。この反論は正しい。ただし、そこから導かれるのは開示の縮小ではなく、構造化である。第6節で用いた基準——依頼者の選択肢の集合を変えるか、期限があるか——は、そもそも量を絞るための基準でもあった。述べる順序と粒度を設計することは、述べないことの言い訳にはならない。
関連して、より深刻な倒錯を挙げておく。開示が免責の道具に転化する場合である。すべてを書面に書き、すべてを読み上げ、署名を得る。手続としては行き届いており、後日の紛争では有利に働く。しかし、依頼者の判断が実際に助けられたかどうかは、この手続では測られていない。第3節で見た二つの方式の違いが、ここに現れる。誰の判断を助けるために説明しているのかを見失った開示は、量が増えるほど本来の目的から遠ざかる。開示の目的が自社の防御に移った時点で、それは遵守の作業であって倫理の実践ではない。
7.3 商談には商談のルールがある
第三の反論は、より原理的である。カー(1968)は、事業上の駆け引きをポーカーになぞらえ、参加者が了解している範囲の隠しごとは反則ではないと論じた。手の内を伏せることは欺瞞ではなく、その場のルールの一部である、という主張である。この議論には限定つきの正しさがある。売主と買主のあいだでは、互いに手の内を見せない自由が認められている。買主が上限額を告げる義務はない。
しかし、この比喩は関係を取り違えると成り立たない。ポーカーの比喩が働くのは、対戦している当事者のあいだだけである。媒介業者と依頼者は対戦していない。同じ卓に着いた対戦相手ではなく、依頼者の代わりに手札を見ている者である。手札を見る役を引き受けた者が、見えたものの一部を伝えないことは、卓上の駆け引きではなく、引き受けた役割の内側で起きる問題である。フリードマン(1970)についても同じことが言える。彼は企業の責任を利潤の追求に置いたが、その条件として、欺瞞のない開かれた競争のルールに従うことを明示していた。しかも彼の枠組みでは、経営者は所有者の望みに沿って事業を行う受託者として描かれている。受託の関係を出発点に置く以上、依頼者に対する開示の縮小は、この立場からも支持されない。
7.4 正直は割に合うか
最後の反論は経営の側から来る。不利な見通しを述べ、他の選択肢を並べ、自社の報酬構造まで説明すれば、依頼は減るのではないか。この懸念は現実的である。実際、短期的には減る場面がありうる。それでも開示が長期的な利益になる経路は、少なくとも三つ考えられる。
- 依頼者の自己選択——最初に条件と見通しを述べておけば、その条件で折り合える依頼者だけが残る。残った依頼は、途中で前提が崩れにくく、結果として一件あたりの手戻りが減る
- 紛争と手戻りの減少——後から出てくる情報は、価格の見直しか、契約の解消か、引渡し後の争いという形で費用に転じる。前に出した情報は、そのいずれにも転じない
- 組織の内部への効果——述べにくいことを述べる運用が既定になっていれば、担当者は個人の勇気に頼らずに済む。逆に、伏せる運用が既定になっている組織では、担当者は自分の判断で線を引かなければならず、線は人によってばらつく
地域の条件も、この経路を後押しする。磐田市の人口は163,224人・72,421世帯(磐田市の統計、2026年7月末現在)、周智郡森町の人口はおよそ15,900人(2026年4月1日現在)である。この規模の市場では、売主も買主も、士業も工務店も、いずれ再び顔を合わせる。第5節の事後照会テストが実効性を持つのは、こうした条件のもとにおいてである。
ただし、この立て方には危うさがある。正直が割に合うから正直にするという論法は、割に合わなくなった瞬間に正直をやめる理由を、同時に用意してしまう。市場が薄く、再び顔を合わせる確率が低く、依頼者が遠方の相続人であるような場面では、長期的利益の経路は細くなる。そのとき論法は反転し、伏せることを正当化する側に回る。長期的利益という経路は、倫理的な行動を支える補強材ではあっても、その根拠ではない。根拠は、判断を委ねられたという関係そのものにある。
8. 売主の実務への含意
以上の議論を、売主が実際に取れる手順に落とす。本稿は事業者の側の規範を論じてきたが、読者の多くは依頼する側である。依頼する側にできるのは、相手の誠実さを見抜くことではない。見抜くのは難しく、見抜けたとしても当てにならない。できるのは、述べにくいことが述べられる状態を、依頼する前に作っておくことである。以下の順序には理由がある。尋ねる項目を決めなければ答えは抽象的になり、率直さに報いる態度を示さなければ答えは薄くなるためである。
8.1 三つの領域を、名指しで尋ねる
抽象的な問いには抽象的な答えしか返らない。御社に利益相反はありませんかという問いに返るのは、ございませんという答えだけである。第6節の三つの領域を、そのまま質問の形に直す。
- この価格と条件で売り出した場合、うまくいかない筋書きはどのようなものか。その兆候は、いつ、何を見れば分かるか
- 売る以外の方法、あるいは売り方を変える方法として、この物件で現に成立しうるものはどれか。それぞれ、いつまでに決めれば間に合うか
- この取引で御社が受け取る報酬は、どちらの当事者から、どのような場合に、いくらになるか。担当者の社内での評価は、何によって測られているか
- いま挙げてもらった中で、書面に残せる項目はどれか。残せないとすれば、その理由は何か
四つ目が要である。口頭の説明は、述べた側にも聞いた側にも残らない。残らないものは、後から確かめられない。そして、書面に残せない理由を尋ねる問いは、第5節の公開性テストを相手に代わって実行する働きを持つ。残せない理由が説明できるものであれば、それは正当な理由である。説明に窮するのであれば、そこに検討すべきものがある。
8.2 述べにくいことを述べた相手を、不利にしない
質問を用意するだけでは足りない。率直に答えた相手が、その率直さのために依頼を失うのであれば、率直に答える者はいなくなる。高い査定額を出した相手を選ぶという選び方をしながら、売り出したあとには率直な見通しを求めるのは、両立しない要求である。査定の場で低い数字と厳しい見通しを述べた者が選ばれないなら、次に同じ場に立つ者は数字を上げる。
したがって、依頼者の側が先に態度を示す必要がある。具体的には、査定額の高さではなく、根拠の示され方で相手を選ぶと最初に伝えることである。宅地建物取引業法が価額の根拠の明示を求めていることは、この選び方の足場になる。根拠を求める問いは、法が業者に課している義務の履行を確かめる問いでもあるため、相手にとって答えることが難しくない。答えの質の差が、そのまま比較の材料になる。
8.3 自分が何を重視するかを、先に伝える
第5節で述べたとおり、説明すべき範囲は、目の前の依頼者が何を重視するかによって変わる。早さか、金額か、近隣との関係か、建物が残ることか、あるいは特定の期日までに片づくことか。優先順位を最初に述べておけば、相手はその順位に沿って情報を選べる。逆に、これを述べないまま進めると、相手は既定の範囲——業界で通常説明されている範囲——しか持てない。
この点は、依頼者の側にとっても負担の小さい行動である。専門的な知識を必要としない。自分が何を大事にしているかを言葉にするだけでよい。にもかかわらず、これが説明の範囲を最も大きく動かす。第5節で見た三つの立場のうち、目の前のその人を基準とする立場が働くための唯一の入口が、ここにある。
8.4 相続と共有では、売主の側にも同じ問題が生じる
最後に、本稿の規範が依頼者の側にも跳ね返る場面を挙げておく。相続や共有名義の物件では、窓口となった一人が、他の相続人や共有者に対して、まさに判断を委ねられた者の位置に立つ。不利な見通しや、検討したが採らなかった選択肢を、他の関係者に述べないまま話を進めることがある。理由も同じである。伝えれば話が止まる、揉めるかもしれない、自分が責められるかもしれない。
この場合の帰結は、業者による沈黙より深刻になりやすい。決定の直前になって関係者の合意が取れていないことが判明すると、選択肢が減っているだけでなく、意思決定そのものが止まるからである。第4節で述べた構造——判断を委ねられた者が何を述べるかを選ぶことは、相手の選択肢を編集する行為である——は、業者と依頼者のあいだにだけ生じるものではない。窓口となった相続人にとって、第5節の三つのテストは、そのまま自分に向けられる。
9. 結論と今後の課題
言わない自由はあるか。本稿の答えは、範囲を限れば、ある、というものである。範囲は二つの側から画される。上からは守秘の義務によって、下からは判断を委ねられたという関係の性質によって。この二つに挟まれた帯の中だけが、述べるか述べないかを自ら選べる領域である。そして、法が定める告知義務と説明義務の線は、下の境界よりかなり低いところに引かれている。
結論を三点に整理する。第一に、法の最低線には三つの隙間がある。事実と見通しの隙間、取引の相手方と依頼者の隙間、取引の内側と外側の隙間である。三つはいずれも、法が執行可能であるために置かれた限定から生じており、法の欠陥ではない。しかし、最小限を満たしていることを十分であることと言い換えたとき、隙間は放置される。
第二に、媒介における沈黙は不作為ではない。何を述べるかを選ぶ行為は、依頼者が検討できる選択肢の集合を編集する行為であり、委ねられた裁量の行使である。嘘をつかないことと黙っていることを区別する日常の道徳は、対等な当事者のあいだでは妥当するが、判断を委ねられた関係ではそのまま持ち込めない。選択的開示——すべて真実でありながら誤った像を結ばせる伝え方——が虚偽と沈黙のどちらでもない位置にあることも、同じ理由による。
第三に、境界線は三つのテストで引ける。伝えない理由をそのまま相手に説明できるかという公開性のテスト、合理的な依頼者を土台に目の前の依頼者で補正するという基準のテスト、そして半年後に問われるかという時間のテストである。三つは、判断が自社に都合よく傾く三つの経路を、それぞれ塞いでいる。
9.1 本稿の限界
限界を三つ記しておく。第一に、本稿は規範的な検討であり、実証ではない。三つのテストを適用した結果、開示の範囲が実際にどこまで広がるのか、そのとき依頼者の手取りや納得がどう変わるのかは測っていない。規範の議論は、測れないものについても述べうるという利点と、述べたことを確かめられないという弱点を、同時に持っている。
第二に、本稿が置いた前提——判断を委ねられた関係——は、媒介契約の法的な性質をめぐる議論を単純化している。媒介は代理ではなく、業者は依頼者の判断を代わりに行う立場にはない。本稿はこの点を承知したうえで、判断の材料が一方に偏るという事実の側から関係を捉えた。法的な構成としての当否は、別の検討を要する。
第三に、本稿は事業者を単一の主体として扱った。実際には、組織の方針と個々の担当者の判断は一致しない。方針として開示を定めても、担当者の評価が成約の件数で測られていれば、線は現場で下がる。倫理の議論を組織の設計に接続する作業は、本稿の外にある。
9.2 別稿に投げる論点
三つの論点を残す。第一に、報酬の設計である。本稿は報酬の構造を開示の対象として扱ったが、構造そのものを変えるという道は扱わなかった。成果に連動しない報酬、段階的な報酬、助言と実行を分けた報酬。これらは、開示によって割り引かせるのではなく、割り引く必要を減らす方向の解である。
第二に、書面の設計である。本稿は述べるべき内容を論じたが、それをどの書面のどの位置に置くかは論じていない。第7節で触れたとおり、書面は容易に免責の道具へ転化する。転化を防ぐ書式がありうるのか、それとも書式では防げず運用に委ねるほかないのかは、検討に値する。
第三に、制度の側の課題である。売主に対する説明の義務は、買主に対する重要事項説明に比べて薄い。この非対称は、売却を検討している段階の所有者が、保護される消費者としてはあまり想定されてこなかったことに由来すると考えられる。相続によって不動産を取得した人が売却の当事者になる場面が増えるなら、この想定は見直しの対象になりうる。
最後に一点。本稿が示せるのは、線をどこに引いたかという宣言までである。宣言が守られているかどうかは、依頼者が個々の場面で確かめるほかない。第8節に並べた四つの問いは、そのための道具である。
