1. はじめに——問題の所在
実家の売却の相談で、しばしば次のような場面に出会う。査定の根拠を一通り説明したあと、相続人のひとりが静かに言う。「この家は、そんな値段ではない」。金額の妥当性を疑っているわけではない。近隣の成約事例も、建物の築年も、道路の幅も、説明した内容そのものには異論がない。それでも、示された数字はその人にとって現実の感触と合っていない。
同じ場に、遠方に住むもうひとりの相続人がいる。その人は同じ数字を聞いて、むしろ安堵している。「思っていたより高い」。二人は同じ物件について、同じ説明を、同じ部屋で聞いた。それなのに、受け取った意味が正反対である。この齟齬は、情報の量では説明できない。二人が持っている情報は等しい。違うのは、その家をどれだけ所有し、どれだけそこで過ごしたかである。
本稿が扱うのは、この違いを生む仕組みである。行動経済学では、所有しているという事実それ自体が対象の評価を押し上げる現象を保有効果と呼ぶ。リチャード・セイラーが1980年の論文で名づけ、その後カーネマン=ネッチ=セイラー(1990)が一連の実験によって確かめた。手放す側が求める額と、手に入れる側が払う額は、同じ物についても一致しない。
1.1 本稿の二つの問い
問いは二つある。第一に、住んでいた家がなぜ高く見えるのか。保有効果は一般に損失回避の帰結として説明されるが、その説明だけでは住居に固有の強さを説明できない。本稿は説明の候補を四つ並べ、住居という財がそのいずれの条件をも満たしてしまうことを示す。
第二に、相続した実家について、なぜ相続人のあいだで希望価格が割れるのか。保有効果が所有の事実から生じるのであれば、その強さは人によって違う。実家に住み続けた相続人と、二十年前に家を出た相続人と、配偶者として関わってきた相続人では、同じ物件に対する評価の出発点が異なる。金額の対立に見えるものが、実は評価の出発点の違いであることは珍しくない。
1.2 別稿との関係
行動経済学から売却を論じた稿は、本サイトに二つある。位置づけを明確にしておく。別稿「売り出し価格が判断を縛る」は、参照点がどこから立ち上がるかを扱った。購入時の価格、税務上の評価額、近隣の伝聞、最初に見た査定額。いずれも売主の外から与えられる数字であり、そこで問われたのは数字の由来であった。別稿「なぜ価格を下げられないのか」は、いったん置かれた参照点のもとで改定がどう遅れるかという、時間の問題を扱った。
本稿の主題はそのどちらとも違う。ここで問うのは、外から与えられた数字でも、時間の経過でもない。所有しているという状態そのものが評価に加える上乗せである。参照点が外部から到来するのに対し、保有効果は所有者の内側から立ち上がる。したがって、査定額を見る前から、相場を知る前から、それはすでに働いている。売り出し価格の議論が始まる、その手前の話である。
1.3 本稿が主張しないこと
あらかじめ範囲を限っておく。本稿は、思い入れを捨てて合理的になれ、とは主張しない。保有効果は判断の誤りというより、人が物を所有するという関係の一部である。長く住んだ家を高く評価することは、その人の人生の記録としては正確ですらある。誤っているのは評価ではなく、その評価を市場価格の予測として用いる点にある。
また本稿は、保有効果を消す方法を提示しない。後述するとおり、この効果は当人が存在を知っていても弱まりにくい。提案するのは、効果を残したまま判断を成立させる手順である。私的な価値と市場の価値を別々の帳簿に置き、価格の合意より先に手順の合意を作る。第7節はその設計にあてられる。
以下の構成を述べる。第2節で保有効果の構造を確認し、それがコースの定理に対して持つ含意を扱う。第3節で説明の候補を四つ検討する。第4節で住居という財の特殊性を五つの条件に分けて示す。第5節で私的価値が市場価値に転記されない構造を扱い、第6節で相続人間の齟齬を分析する。第7節で実務の手順に落とし、第8節で限界と課題を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買い取る事業を持たない。したがって当社の査定額は当社が支払う金額ではなく、市場で目指す金額である。本稿が保有効果を論じる目的は、売主に価格を下げさせることではない。立場を隠して中立を装うことはしないが、その誘因の有無もあわせて記しておく。
2. 保有効果の構造——受取意思額と支払意思額
本節では保有効果の骨格を確認する。用語を二つ導入する。ある物を手放す代わりに受け取りたいと考える最低額を受取意思額といい、その物を手に入れるために支払ってよいと考える最高額を支払意思額という。標準的な経済学では、この二つは大きく離れないと想定されてきた。ある物が自分にとって持つ価値は一つであり、それを売る側から見るか買う側から見るかは、記述の向きの違いにすぎないはずだからである。
2.1 二つの額は一致しない
セイラー(1980)が指摘したのは、この想定が現実の選択と合わないという点であった。人は、いま持っている物を手放すことには高い代償を求め、同じ物を新たに得ることにはそれより低い額しか払わない。彼はこの隔たりを保有効果と呼び、消費者の選択を記述する理論には損失回避の要素が要ると論じた。
その後の実験研究は、この隔たりが単なる交渉上の駆け引きではないことを確かめてきた。カーネマン=ネッチ=セイラー(1990)は、参加者を無作為に二つの群に分け、一方にだけ物を与えたうえで、売買の機会を設けた。無作為に割り当てられただけの所有であっても、与えられた側が求める額は、与えられなかった側が払う額を上回った。ネッチ(1989)は、選択の方向によって無差別曲線が可逆でなくなることを報告している。
隔たりの倍率については、対象となる財の種類、実験の手続き、参加者の経験によって推定に幅があることが知られている。本稿はその倍率の値には依拠しない。用いるのは、向きが一貫しているという事実、すなわち手放す側の額のほうが高くなるという一点である。
2.2 なぜコースの定理が引き合いに出されるのか
カーネマン=ネッチ=セイラー(1990)の論文の題は、保有効果とコースの定理の実験的検証であった。コース(1960)が示した命題を、ごく簡略に述べればこうなる。取引の費用が無視できるほど小さければ、権利が最初に誰に与えられたかにかかわらず、最終的にその権利は最も高く評価する者の手に渡る。初期の配分は、誰が最終的に持つかを左右しない。効率的な配分は交渉によって達成される。
保有効果はこの命題の前提を崩す。誰に与えられたかによって、その人の評価額そのものが変わってしまうのであれば、初期配分は中立ではない。最も高く評価する者が誰かという問い自体が、配分の結果として決まる。取引費用がゼロであっても、配分は初期状態に依存する。
この論点は、抽象的な理論の話ではない。相続はまさに、権利の初期配分が外から与えられる場面である。誰が実家を相続するか、誰が持分を持つかは、遺言や法定相続分や協議によって決まる。コースの定理が正しければ、その配分の仕方は最終的な処分の結果に影響しないはずである。売るべき物件は売られ、住むべき人が住む。ところが実際には、誰が持ったかによって、その物件が売られるかどうかまでが変わる。第6節で扱うのはこの現象である。
2.3 保有効果は損失回避の一形態か
保有効果は、しばしばプロスペクト理論の損失回避から導かれるものとして紹介される。カーネマン=トベルスキー(1979)が示したとおり、人は結果を参照点からの変化として評価し、同じ幅の損失を利得より重く感じる。ある物を所有した瞬間、それは参照点の一部になる。手放すことは参照点からの後退、すなわち損失として符号化される。受け取る金銭は利得だが、利得は損失より軽い。したがって、釣り合いを取るには多くの金銭が要る。
この説明は明快であり、カーネマン=ネッチ=セイラー(1991)自身が保有効果・損失回避・現状維持バイアスを同じ枠組みのもとに並べている。サミュエルソン=ゼックハウザー(1988)が報告した現状維持バイアス——現状として提示された選択肢が選ばれやすくなる傾向——も、同じ非対称から説明できる。
しかし、損失回避による説明だけでは足りない点がある。第一に、それは隔たりが生じる理由を述べているが、その大きさが対象によって違う理由を説明しない。交換のために持っている物には保有効果が現れにくいことが指摘されてきた。第二に、所有した時間の長さや、対象への関与の深さによって効果が変わることも、損失回避それ自体からは出てこない。次節では、これらを扱う説明の候補を並べる。
註:本稿は「保有効果」の語を、受取意思額が支払意思額を上回る現象そのものを指すものとして用いる。その原因が損失回避にあるか他にあるかは第3節で扱う論点であり、名称の段階では原因を確定させない。
3. 保有効果はなぜ生じるのか——四つの説明
保有効果の原因については、複数の説明が併存している。モアウェッジ=ギブリン(2015)は、それまでに提出された説明を整理し、単一の要因では説明しきれないことを論じた。本節では四つの候補を順に検討する。目的は勝者を決めることではない。第4節で示すとおり、住居という財は四つの条件のいずれをも満たしてしまう。どの説明が正しくても、住居では効果が強く出る。
3.1 損失回避——手放すことは損失である
第一の説明は前節で述べた。所有が参照点を移し、手放すことが損失として符号化される。この説明の強みは、他の多くの現象——現状維持バイアス、処分効果、価格改定の遅れ——と同じ根から導かれる点にある。理論として節約的である。
弱みは、何を参照点に含めるかが理論の外側で決まる点にある。所有した物が参照点に入るのはなぜか、入るまでにどれだけの時間が要るのか、参照点に入る度合いは何で決まるのか。これらは損失回避それ自体からは導けない。実務の観点からは、この空白がむしろ重要である。空白を埋めるのが以下の三つの説明である。
3.2 所有と自己の結びつき——物は自己の延長になる
第二の説明は、心理学の側から来る。ベルク(1988)は、人が所有物を自己の一部として経験することを論じ、拡張された自己という概念で整理した。持ち物は、その人が何者であるかの一部を構成する。だとすれば、それを手放すことは、財産の減少であるだけでなく、自己の一部を切り離す作業になる。
この説明は、効果の大きさが対象によって違う理由を扱える。交換のために持っている貨幣や商品は自己の延長にはならない。名前を書いた道具、長く使った楽器、親から受け継いだ品は、程度の差はあれ延長になる。レブ=コノリー(2007)は、法的な所有そのものより、その物を自分のものだと感じているかどうかが評価に効くことを報告している。所有権の帰属と、所有しているという感覚は、同じ人に宿るとは限らない。
この区別は相続の場面で実務的な意味を持つ。登記上の所有者と、その家を自分のものだと感じている人が一致しないことは珍しくない。名義は親のままで、実際に住み手入れをしてきたのは子である場合、法的な所有権は相続によって配分されるが、所有しているという感覚は配分の対象にならない。第6節で扱う齟齬の一つの源はここにある。
3.3 注意の焦点——売り手と買い手は違うものを見ている
第三の説明は、注意の配分に着目する。カーモン=アリエリー(2000)は、売り手と買い手が同じ取引について異なる側面に注意を向けることを論じた。売り手は、自分が手放すもの——その物が持つ長所、それを失った後の不在——に注意を向ける。買い手は、自分が手放すもの、すなわち支払う金銭と、他に買えたはずの選択肢に注意を向ける。
両者はどちらも「失うもの」を見ているのだが、見ている対象が違う。売り手にとって物件は具体的で、金銭は抽象的である。買い手にとっては逆で、金銭は具体的な負担であり、物件はまだ想像の対象にすぎない。この非対称は、駆け引きの意図がなくても評価の差を生む。
住居の売却では、この差が極端になる。売り手が手放すのは、間取りではなく生活である。台所の使い勝手、朝の光の入り方、庭の木の大きさ、子どもの背丈を刻んだ柱。これらは具体的で、数え上げれば切りがない。買い手が見ているのは、住宅ローンの返済額と、他に見た三軒の物件である。同じ家について、両者は互いにほとんど交わらない情報を見ている。
3.4 手続きと不慣れ——効果は実験の産物ではないか
第四は、保有効果そのものへの批判である。プロット=ザイラー(2005)は、実験で観測される受取意思額と支払意思額の乖離が、参加者の課題への不慣れや、評価額を引き出す手続きの設計に由来する可能性を指摘した。手続きを十分に説明し、練習の機会を設けると、乖離が縮小しうるという趣旨である。この批判は、保有効果が人間の選好の基本的な性質であるという主張に対して、慎重な検討を促した。
本稿はこの批判を退けない。しかし、不動産の売却という文脈に置くと、批判の含意は反転する。批判が示唆しているのは、取引に慣れ、手続きを理解し、練習を重ねた主体では乖離が縮むということである。不動産の売主は、その正反対の位置にいる。取引は生涯に一度か二度であり、練習の機会はなく、手続きは初めて聞く語で構成されている。
つまり、この批判が正しいとしても、住居の売主において保有効果が弱まると考える理由にはならない。むしろ、乖離を縮める条件が最も欠けている場面として不動産取引を位置づけることになる。四つの説明のいずれを採っても、結論の向きは同じである。
| 説明 | 隔たりが生じる理由 | 効果を強める条件 | 住居に当てはまるか |
|---|---|---|---|
| 損失回避 | 所有が参照点になり、手放すことが損失になる | 参照点への組み込みが強いこと | 長期の所有により強く組み込まれる |
| 自己との結びつき | 所有物が自己の延長として経験される | 関与の深さ・履歴の蓄積 | 生活と記憶が集中的に蓄積する |
| 注意の焦点 | 売り手は物を、買い手は金銭を具体的に見る | 対象の具体性の差 | 生活の細部と返済額という極端な差 |
| 手続きと不慣れ | 課題への不慣れが評価を歪める | 取引の経験が乏しいこと | 生涯に一〜二度で練習の機会がない |
以上をまとめると、保有効果の原因は一つに定まっていないが、原因の候補が指し示す条件は、住居においてことごとく揃う。次節では、その条件が住居という財に固有の形でどう現れるかを見ていく。
4. 住居はなぜ保有効果を増幅するのか
保有効果の研究で用いられてきた対象は、多くの場合、日用品や小さな景品である。数分前に手渡された物についてさえ隔たりが生じるという点にこそ、実験の意義があった。住居はその対極にある。数十年にわたって所有され、身体的に使用され、生活の全体がそこで営まれる財である。本節では、住居が効果を増幅する条件を五つに分けて示す。
4.1 所有の期間が長い
第一の条件は時間である。ストラヒレヴィッツ=ローウェンスタイン(1998)は、対象を所有していた期間の長さが評価に影響することを報告した。長く持っていた物ほど、手放すために求める額が高くなる。しかもこの効果は、いったん手放した後に評価を尋ねた場合にも残ることが示唆されている。所有の履歴は、所有が終わっても消えない。
住居は、多くの人にとって最も長く所有する財である。三十年、四十年という保有期間は珍しくない。相続によって取得した実家であれば、名義としての所有は短くても、その家との関わりは自分が生まれたときから続いている。時間という条件について、住居に匹敵する財はほとんどない。
4.2 身体が使用してきた財である
第二の条件は、使用の様式である。住居は、眺めるものでも保管するものでもなく、内部に入って生活する財である。触れた回数は数えきれず、動線は身体に覚え込まれている。段差の位置を暗闇でも避けられるという事実は、その家が身体の一部として組み込まれていることを意味する。
この身体的な接触は、前節で述べた自己との結びつきを最も強い形で成立させる。ベルク(1988)の枠組みでいえば、住居は拡張された自己の中核に位置する。手放すことが単なる資産の処分ではなく喪失として経験されるのは、この結びつきによる。売却の相談が、金額の話から始まらずに思い出の話から始まることが多いのは、当事者が脱線しているのではなく、実際にそこが評価の中心だからである。
4.3 代わりのきかない財である
第三の条件は、代替可能性の低さである。同じ型番の家電であれば、手放しても同じ物を買い直せる。住居にはこれがない。間口・接道・日照・地盤・隣人の組み合わせは一つひとつ違い、同一の物件は世界に存在しない。手放したあとで取り戻すことはできず、似た物で埋め合わせることもできない。
この不可逆性は、受取意思額を押し上げる方向に働く。取り返しがつかない選択については、人は慎重になり、より高い代償を求める。同時にこの条件は、買い手の側では逆に働かない。買い手にとって候補は複数あり、この物件を逃しても別の物件がある。売り手にとって代替不能な財が、買い手にとっては代替可能な選択肢の一つである。この非対称は、評価の差を構造的に生む。
4.4 出来事が蓄積している
第四の条件は、履歴の蓄積である。住居には、そこで起きた出来事が結びついている。子が生まれ、育ち、出ていったこと。親を看取ったこと。改築の相談をしたこと。台風の夜に雨戸を押さえたこと。これらは記憶として保持されるだけでなく、物理的な痕跡として家に残る。柱の傷、庭木の高さ、増築の継ぎ目。
この蓄積が評価に加算される仕組みは、経済学的には奇妙に見える。出来事は過去に属し、家を手放しても記憶が消えるわけではない。しかし、記憶を呼び起こす手がかりとして家が機能してきたのであれば、手放すことは記憶への通路を失うことに近い。ここで評価されているのは家そのものではなく、家が担っていた機能である。
4.5 過去の支出が価値の証明として記憶されている
第五の条件は、投じた費用の記憶である。住居には、購入後も継続して支出が加えられる。屋根の葺き替え、外壁の塗装、水回りの更新、増築、庭の整備。これらの支出は領収書として残り、金額として記憶される。「五年前に三百万円かけて直した」という言明は、売却の相談で頻繁に登場する。
この記憶は、保有効果とは別の経路——投じた費用を回収したいという心理——からも作用するが、ここで注目したいのは両者の合流である。手を入れたという事実は、その家への関与を深め、自己との結びつきを強める。同時に、金額という形で価値の根拠らしきものを提供する。感情的な結びつきと、数字による正当化が、同じ支出から同時に生まれる。したがってこの主張は手放しにくい。過去の支出が価格の根拠になるかという問題そのものは別稿に譲るが、保有効果を強める条件として数えておく。
4.6 五つの条件が同時に働く
以上の五つは独立ではない。長く所有するから身体に馴染み、身体に馴染むから出来事が蓄積し、蓄積があるから手を入れ、手を入れたから関与が深まる。条件は互いを強め合い、時間とともに積み上がる。実家を売る局面で保有効果が最も強く現れるのは、この積み上がりが最大に達したところで処分の判断が求められるためである。
重要なのは、この積み上がりが所有者の性格や態度とは無関係だという点である。淡白な人でも、四十年住めば条件は揃う。効果の強さは、その人がどういう人かではなく、その家とどういう関係にあったかで決まる。だからこそ次節以降で扱うとおり、同じ家に対して相続人ごとに違う強さの効果が生じる。
5. 私的価値は市場価値に転記されない
前節で見た上乗せは、売主にとっては実在する価値である。問題は、その価値が買主に引き継がれないことにある。本節では、私的価値と市場価値がどこで分かれるのかを整理する。分かれ目を特定できれば、どの部分が交渉の対象になり、どの部分がならないかを事前に切り分けられる。
5.1 買主の支払意思額は何で決まるか
買主が支払う金額を決めているのは、その物件が買主自身の将来の生活にもたらす便益である。通勤先までの時間、子の通学、駐車できる台数、間取りと家族構成の適合、建物の状態、修繕に要する見込み額、そして借入の可否と返済額。これらはいずれも買主の将来に属する。
売主の側の私的価値は、この計算のどこにも入らない。買主が過去に立ち入ることはできず、他人の記憶を購入することもできない。売主にとって最も重い部分が、買主の評価では欠落する。ここに、単なる情報の不足ではない断絶がある。伝えれば理解される種類のものではない。
5.2 属性は三つに分かれる
物件の属性を、買主の評価に対する働き方によって三つに分けると見通しがよくなる。第一は、買主にも価値として伝わる属性である。土地の広さ、接道、日当たり、耐震性、雨漏りのない状態、境界の明確さ。これらは売主にとっても買主にとっても価値であり、費用をかけて整えれば価格に反映されうる。
第二は、売主にとっては価値だが、買主にとっては中立である属性である。庭木の由来、建具の造作、家族に合わせた収納の配置。買主はそれを見ても、良くも悪くも思わない。第三が厄介である。売主にとっては価値だが、買主にとっては負の要素になる属性である。用途の限られた仏間、身内の要望で作った特殊な間取り、趣味のために設けた設備、増築を重ねた結果の複雑な動線。これらは、買主から見れば改修すべき対象であり、費用の見積もりとして価格から差し引かれる。
| 属性の種類 | 売主の評価 | 買主の評価 | 売却における扱い |
|---|---|---|---|
| 共通の価値 | 高い | 高い(費用をかければ反映) | 整えることに投資の意味がある |
| 私的な価値 | 高い | 中立(関心の外) | 価格の根拠にはならない |
| 私的だが負に働く | 高い(愛着がある) | 低い(改修の対象) | 差し引きの理由になりやすい |
| 買主固有の価値 | 低い(自覚がない) | 高い(隣地・学区・接道など) | 届け方の設計で拾える |
この表の四行目は、逆向きの断絶である。売主が価値と認識していない条件が、特定の買主にとっては強い価値になることがある。隣接して土地を持つ者にとっての一体利用、事業者にとっての接道と間口、その学区を求める世帯にとっての所在。売主が自分の基準で価値を測っている限り、この層は見落とされる。保有効果は上乗せを生むと同時に、別方向の見落としも生む。
5.3 「思い出の分」は誰も払わない
以上から、実務でしばしば口にされる主張の位置づけが定まる。「思い出があるのだから、その分は上乗せしてほしい」。この主張は、売主の内部では完全に筋が通っている。第4節で見たとおり、蓄積された出来事は評価の実体をなしている。
しかし、支払う側から見れば、その上乗せに対応する便益が存在しない。買主は自分の将来の生活に対して支払うのであり、他人の過去に対して支払う理由を持たない。この非対称は、買主が冷淡だから生じるのではない。売主自身が買主の立場に立てば、他人の家の思い出に上乗せを払うことはないだろう。立場が入れ替われば、同じ結論に達する。
この点を認めることは、私的価値を否定することではない。否定すべきなのは、私的価値を市場価格の予測に転記する操作である。二つは別の帳簿に属する。混ざると、市場の反応がすべて理不尽に見え、判断の手がかりが失われる。分けて置けば、私的価値はそのまま保持したうえで、市場の数字を材料として読めるようになる。
5.4 市場の側の数字を先に置くという手当て
分けるための実務的な手当ては単純である。市場の側の数字を、自分の評価を言葉にする前に見ておく。国土交通省の不動産情報ライブラリでは、実際の取引価格の情報や地価公示の値を地図の上で確認できる。近隣で条件の近い土地・建物がどの水準で動いてきたかを、自分の目で確かめる。
地域の相場の水準そのものも、前提として押さえておく価値がある。磐田市の住宅地の公示地価は2026年で1平方メートルあたり50,086円、前年比プラス0.16パーセントとされる。周智郡森町の土地の相場は2026年時点で平均およそ26,900円、前年比マイナス0.74パーセントが目安とされる。いずれも公的な指標にもとづく平均であり、個別の成約価格とは異なるが、桁を把握する役には立つ。
宅地建物取引業法第34条の2は、媒介契約に際して価額について意見を述べるときは、その根拠を明らかにすることを業者に義務づけている。金額そのものではなく根拠を受け取り、比較に用いた事例と補正の内容を確かめる。私的価値と市場価値を分けるとは、心構えの話ではなく、二種類の資料を別々に手元へ置くという作業である。
6. 相続人のあいだで希望価格が割れる理由
ここまでは、一人の売主の内部で起きることを扱ってきた。本節では当事者が複数になる。相続した実家の売却では、希望価格が相続人ごとに違うことが常態である。この対立は、しばしば金銭欲の差や人柄の問題として語られる。本稿の枠組みからは、別の説明が導かれる。保有効果は所有と関与から生じる以上、その強さは相続人ごとに違って当然なのである。
6.1 効果の強さは関与の履歴で決まる
第4節で挙げた五つの条件——所有の期間、身体的な使用、代替不能性、出来事の蓄積、投じた費用——を、相続人ごとに数えてみればよい。同居していた相続人は、五つすべてを満たす。近隣に住み、たびたび訪れ、親の介護に通い、修繕の手配をしてきた相続人は、四つを満たす。二十年前に家を出て遠方に暮らす相続人は、出来事の蓄積という条件を過去に持つが、直近の関与はない。婚姻によって家族になった配偶者は、履歴の深さがさらに異なる。
したがって、同じ査定額に対する反応が割れる。同居していた相続人にとって、その数字は自分の評価を大きく下回る。遠方の相続人にとっては、想定より高いことすらある。この差は、片方が現実的でもう片方が非現実的だから生じるのではない。両者の評価は、それぞれの関与の履歴に照らして正確である。
レブ=コノリー(2007)が示したとおり、効果に効くのは法的な所有そのものより、その物を自分のものだと感じているかどうかである。相続によって配分されるのは法的な所有権であって、この感覚ではない。感覚は生前の関わり方によってすでに分配されており、しかも法定相続分とは何の関係もない配分になっている。二つの配分が食い違うところで対立が起きる。
6.2 対立は三つの層に分かれている
実際の話し合いでは、複数の争点が「いくらで売るか」という一つの数字に圧縮されている。ほどくと少なくとも三つの層がある。
第一の層は、価格の水準そのものである。市場でいくらになるかという事実の問題であり、資料によって近づける余地がある。第二の層は、公平の基準である。生前に親の面倒を見た者、家の修繕費を出した者、資金の援助を受けた者。誰がどれだけ受け取るのが公平かという規範の問題であり、資料では解けない。第三の層が、本稿の主題である保有効果に由来する層である。手放すこと自体の重さが人によって違うため、同じ金額でも受け入れやすさが違う。
この三層が混ざったまま金額の話をすると、議論は噛み合わない。価格の資料を積み増しても第二層と第三層は動かず、公平の議論を尽くしても第一層は決まらない。話し合いが長引く案件の多くは、論点が混ざっていることに原因がある。
6.3 拒否権が分散すると、据え置きが既定値になる
対立が解けないまま時間が過ぎると、構造的な問題が加わる。共有された不動産の処分には、共有者の合意が要る。売ることには全員の同意が必要だが、売らないことには誰の同意も要らない。一人が保留すれば、それが結論になる。ヘラー(1998)が反共有地の悲劇として定式化したのは、この種の構造である。排除する権利が分散するほど、資源は使われないまま滞留する。
保有効果は、この構造に燃料を与える。最も強い効果を持つ相続人の受取意思額が、事実上の下限として機能してしまうからである。全員が合意できる価格は、最も高い評価を持つ一人の水準に引き上げられる。そして市場は、その水準に応じない。結果として、売却は成立せず、物件は共有のまま残る。
滞留は、それ自体が費用を生む。固定資産税と都市計画税、火災保険料、光熱の基本料金、草木の管理、遠方からの往復。建物は人が住まなければ傷みが早い。さらに、共有者の一人に相続が発生すれば持分はさらに細分化し、合意はいっそう難しくなる。時間は当事者の構成そのものを変えていく。
6.4 制度は初期配分の中立性を前提にしていない
第2節で述べたとおり、コースの定理は、初期配分が最終配分を左右しないと述べる。保有効果はこの前提を崩す。誰が持つかによって評価が変わり、評価が変われば処分の結果も変わる。相続不動産の実務は、まさにこの崩れた前提の上で動いている。
法制度は、この滞留に対していくつかの手当てを置いてきた。民法は共有物の分割について協議と裁判上の分割を定め、遺産の分割については家庭裁判所の手続きを用意している。令和3年の民法等の改正では、共有制度と遺産分割の見直しが行われ、所在等が不明な共有者がいる場合の持分の取得や譲渡について新たな仕組みが設けられた。遺産分割については、相続開始の時から10年を経過した後にする分割は、原則として法定相続分または指定相続分によることとされた。いずれも令和5年に施行されている。
この10年という期間の定めは、本稿の観点から見ると示唆的である。寄与や特別受益といった個別の事情を反映させる余地は、時間の経過とともに制度上も閉じていく。第6節2項で述べた第二の層——公平の基準をめぐる議論——は、放置すれば永遠に続けられるものではない。話し合いを先送りすることは、選択肢を保つことではなく、選択肢を失うことである。
併せて、相続登記については申請が義務づけられ、令和6年から施行されている。登記を放置したまま次の相続が起きる連鎖に対する制度的な手当てである。これらの改正が共通して示しているのは、当事者の合意形成が遅れることを前提に、外側から期限と手続きを与えるという設計思想である。制度がそのように作られているという事実自体が、遅れが起きやすいことの裏書きになっている。
註:ここに挙げた制度の適用の可否と手続きは、個別の事情によって変わる。遺産分割・共有物分割・登記の具体的な進め方は、弁護士・司法書士など各分野の専門職に確認されたい。本稿は、制度が置かれている理由を保有効果の観点から読むにとどまる。
7. 売主の実務への含意——効果を消さずに判断を成立させる
以上の議論を手順に落とす。設計の原則は一つである。保有効果を消そうとしないこと。第3節で見たとおり、この効果は原因の説明すら定まっておらず、意識したところで弱まるとは考えにくい。目指すのは、効果が残ったままでも判断が成立し、家族の話し合いが前に進む手順である。
7.1 二つの数字を、別々の紙に書く
最初の作業は分離である。売却を検討する各人が、二つの金額を別々に書く。第一は、自分がその家を手放してよいと感じる金額、すなわち受取意思額である。第二は、いま自分がその家を持っていないと仮定して、買い手として払ってよいと思う金額、すなわち支払意思額である。
この作業には二つの効果がある。第一に、二つの数字の差が、その人にとっての保有効果の大きさを可視化する。差が大きいこと自体は問題ではないが、差の存在を知らないまま第一の数字だけを持ち歩くと、それが市場の予測であるかのように扱われてしまう。第二に、支払意思額を書く作業が、第5節で述べた買主の視点を強制的に経由させる。買い手として自分の家をいくらで買うかを考えると、私的価値が計算に入らないことが自分の側から見える。
第3節で触れたカーモン=アリエリー(2000)の指摘を思い出せば、この作業の意味はより明確になる。売り手と買い手は同じ取引について異なる側面に注意を向けている。両方を自分で書くことは、注意の焦点を意図的に切り替える操作にあたる。切り替えたあとに残る差が、市場との交渉では埋まらない部分である。
7.2 私的価値を、金銭以外の形で決済する
第5節で確認したとおり、思い出に対する上乗せを買主が払うことはない。しかし、私的価値そのものは実在する。それを金銭で受け取れないのであれば、別の形で決済する道を用意する。これは感情面の配慮という以上に、価格交渉から私的価値を切り離すための実務的な工夫である。
- 引渡し前に、各部屋・庭・外観を写真と動画で記録する。図面の写しも残す
- 持ち出す物と処分する物を、価値ではなく記憶の強さで先に選別する
- 建具・欄間・庭木・表札など、移設や保管ができるものを具体的に検討する
- 家族それぞれが、その家にまつわる出来事を書き留める機会を一度設ける
- 近隣への挨拶と、地域の行事や墓地の扱いについて、引渡し前に整理しておく
これらは価格に直接の影響を与えない。しかし、私的価値の行き場が用意されていない状態で価格の話をすると、その価値は金額の議論に流れ込む。行き場を作ることは、議論を金額の層に閉じ込めないための前処理である。
7.3 価格の合意より先に、手順の合意を置く
相続人が複数いる場合、最初に合意すべきは金額ではない。金額は、第6節で見たとおり三つの層が混ざった争点であり、最も合意しにくい。先に合意できるのは手順のほうである。順序としては次のようになる。
- 誰が窓口になり、誰がどの資料を集めるかを決める
- 判断に用いる資料の種類を決める——登記事項証明書、公図、固定資産税の課税明細、境界の状況、建築の可否、そして市場側の価格資料
- 同じ資料を全員が同時に見る場を一度設ける
- 売る・貸す・持ち続けるという出口の候補を並べ、それぞれの手取りと費用を同じ様式で試算する
- いつまでに結論を出すかを日付で決める
- 決まらなかった場合に誰に相談するか(弁護士・司法書士・税理士・家庭裁判所の手続き)を先に決めておく
この順序の利点は、合意しやすい項目から積み上げられる点にある。窓口を誰にするか、資料を何にするかについては、保有効果の強さは影響しない。合意の実績を先に作っておくと、金額の議論に入ったときに議論の枠組みが共有されている。逆に、金額から始めれば、最初の一手で対立が確定する。
7.4 同じ資料を、同時に、同じ場で見る
手順の中で特に重要なのが、三つめの項目である。相続人が別々に説明を受け、伝聞で情報が回ると、第6節で見た評価の差に加えて、情報の差が重なる。しかも伝聞は劣化する。売り出し価格と成約価格が混同され、前提条件が落ち、印象だけが残る。
全員が同じ場で同じ資料を見る機会を一度設けるだけで、争点は三層のうち第一の層から切り離される。価格の水準について事実の共有ができていれば、残る対立は公平の基準と保有効果の差であることが当事者にも見えてくる。何について揉めているのかが分かることは、揉め事の解決そのものではないが、その前提になる。
場の設計にも意味がある。実家の中で話すと、第4節で述べた手がかりが働き、保有効果が最も強く出る条件になる。事務所や公共の施設など、記憶の手がかりが少ない場所で資料を見る回と、実家で持ち出す物を選ぶ回を分けると、議論が混ざりにくい。
7.5 期限から逆算し、決めない場合の帰結も書いておく
第6節で見たとおり、据え置きは既定値になりやすい。これを打ち消すには、決めないことの帰結を明示する必要がある。保有し続けた場合に毎年生じる費用、建物の劣化、次の相続が発生した場合の持分の細分化、そして制度上の期限。譲渡所得の特例には適用の期限があり、遺産分割についても第6節で述べた期間の定めがある。適用の可否は個別の事情によるため、税務署または税理士に確認したうえで、期限を日付として一覧に書き込む。
日付が書かれた一覧は、話し合いの性格を変える。結論を出さないという選択が、その一覧の上では一つの選択として現れるからである。据え置きが決定に見えないという知覚の歪みは、費用と期限を並べた紙の上では起きにくい。
7.6 買取の位置づけを、あらかじめ決めておく
相続人間の対立が長引くと、話を終わらせる手段として買取が浮上することがある。保有効果の観点からは、この局面には注意すべき点がある。第一に、疲弊した状態での判断は、それまで維持してきた高い受取意思額から一転して、比較のないまま一つの提示額を受け入れる方向へ振れやすい。第二に、買主となる会社は、その取引で市場情報について優位に立つ。
当社は自社で買い取る事業を持たず、買取や買取保証を率先して行わない。ただし買取という売り方そのものを否定しているのではない。期限が迫っている、近隣に知られずに進めたい、建物の状態が市場に出しにくいといった事情のもとでは、買取が合理的な選択になりうる。重要なのは、その検討を追い詰められる前に手順へ組み込んでおくことである。「この日までに合意に至らなければ、同じ条件書を複数の買取会社に同時に示して比較する」と先に決めておけば、同じ買取でも比較の枠組みを持ったまま選べる。
8. 結論と今後の課題
本稿の問いは二つであった。住んでいた家がなぜ高く見えるのか、そして相続人のあいだでなぜ希望価格が割れるのか。答えを要約する。
第一の問いについて。所有しているという事実そのものが評価を押し上げる保有効果は、損失回避、自己との結びつき、注意の焦点、取引への不慣れという四つの説明のいずれからも導かれうる。原因は一つに定まっていないが、いずれの説明が指し示す条件も、住居という財においては揃う。長く所有し、身体で使い、代わりがきかず、出来事が蓄積し、費用が投じられている。実家の売却は、保有効果が最大に達したところで処分の判断を求められる場面である。
第二の問いについて。保有効果は所有と関与から生じるため、その強さは相続人ごとに異なる。同居していた者、通って世話をしていた者、遠方で暮らしていた者では、同じ査定額の意味が違う。しかも、法的な所有権は相続によって配分されるが、その物を自分のものだと感じる感覚は配分の対象にならない。二つの配分が食い違うところに対立が生じる。金額をめぐる争いに見えるものが、評価の出発点の違いであることは多い。
したがって実務上の含意は、当事者に評価を改めさせることではない。受取意思額と支払意思額を別々に書いて差を可視化すること、私的価値に金銭以外の行き場を作ること、価格の合意より先に手順の合意を置くこと、同じ資料を全員が同じ場で同時に見ること、そして決めない場合の帰結を日付とともに書き出すこと。いずれも、判断する瞬間の当事者の自制に頼らない設計である。
8.1 本稿の限界
限界を三つ記す。第一に、本稿は理論的枠組みによる整理であり、実証分析ではない。保有効果の存在は多くの実験で報告されてきたが、その大きさが住宅取引においてどの程度かを本稿は測っていない。第2節で述べたとおり、隔たりの倍率には推定に幅があり、対象や手続きによって変わる。個別の取引でどれだけの上乗せが生じているかは、事例に即して確かめるほかない。
第二に、第3節で扱った批判的な検討を、本稿は十分に決着させていない。プロット=ザイラー(2005)が提起した、乖離が実験手続きに由来する可能性という論点は、実験室の外での観察にそのまま持ち込めるものではない。本稿は、この批判が正しい場合でも不動産の売主については結論の向きが変わらないと論じたが、それは効果の大きさについて何かを述べたことにはならない。
第三に、文化と制度の差がある。本稿が参照した研究の多くは英語圏で行われたものであり、家族の形も相続の慣行も異なる。日本の相続実務では、実家をめぐる規範——長子が承継する、仏壇と墓を守る者が家を引き継ぐ、といった地域ごとの慣行——が評価に重なって働く。この重なりを、本稿は保有効果の枠内で扱いきれていない。慣行が生む規範的な要求と、心理的な保有効果は、外形が似ていても対処が異なるはずである。
8.2 別稿に投げる論点
扱いきれなかった論点を三つ挙げる。第一は、過去の支出が価格の根拠として主張される問題である。第4節で保有効果を強める条件として触れたが、投じた費用が買主の支払意思額に影響しないという論点は、それ自体として一稿を要する。感情的な結びつきと数字による正当化が同じ支出から生まれるという構造は、保有効果とは別に分析する価値がある。
第二は、共有された不動産の処分そのものである。第6節では拒否権の分散に触れるにとどめたが、持分が細分化していく過程と、それに対する制度的な対応は、独立した主題である。第三は、複数の関係者を束ねる合意形成の手順である。本稿は家族内部の話し合いに焦点を当てたが、士業や行政を含めた関係者全体の設計は、また別の枠組みを要する。
8.3 薄い市場という条件
最後に地域の条件に触れておく。保有効果は売主の側の現象だが、その帰結の重さは市場の厚みによって変わる。取引の多い市場であれば、高すぎる受取意思額は比較的短い期間で市場の反応によって修正される。買主の候補が次々に現れ、成立しないという事実が繰り返し届くからである。
薄い市場ではそうならない。静岡県磐田市は人口およそ16万3千人、世帯数およそ7万2千(2026年7月末現在)の市であり、周辺の町ではさらに市場が薄い。周智郡森町の人口はおよそ1万5千9百人(2026年4月1日現在)である。反応が乏しいことが価格の高さによるのか、そもそも探している人が少ないためなのかを切り分けるのに時間がかかる。切り分けられないあいだ、高い受取意思額は反証されないまま維持される。
したがって薄い市場では、市場の反応に修正を委ねる設計は成立しにくい。第7節で述べた手順——資料の共有、期限の明示、出口の並列——を、市場に出す前の段階で済ませておく必要がある。市場が教えてくれない分を、手順で埋めるということである。この地域差をどう定式化するかは、本稿の枠を超える。別稿で改めて論じたい。
