1. はじめに——問題の所在
空き家バンクは、いまや全国の多くの市町村が持つ仕組みになった。自治体が管内の空き家の情報を集め、自らのウェブサイトに掲載し、そこに住みたい人と所有者を結びつける。磐田市は二〇二一年四月一日に磐田市空き家バンクを開設し、空き家の情報を市のサイトで公開している。森町では定住推進課の移住交流係が空き家・空き地バンクを運営し、売却物件と賃貸物件を掲載している。制度としては、もはや珍しいものではない。
ところが媒介の窓口では、これとは別の言葉を聞く。バンクに載せているが問い合わせが来ない。登録すれば市が売ってくれると思っていた。登録したまま二年が過ぎて、その間に建物だけが傷んだ。制度の広がりと、所有者が実際に受け取っている手応えとの間には、無視できない落差がある。
この落差を、行政の努力不足として片付けるのは容易である。だがそれでは何も分からない。制度が届かない範囲は、多くの場合、制度の欠陥ではなく制度の設計から論理的に導かれる。どこまで届く設計になっているのかを先に確定しなければ、届かなかったことの意味も測れない。
1.1 本稿の問い
本稿の問いを二つに分ける。第一に、空き家バンクは何を供給している制度なのか。物件を売る仕組みなのか、情報を置く場所なのか、それとも移住施策の入口なのか。第二に、その供給はどこまで届き、どこから先には届かないのか。届く範囲の境界がどこに引かれているのかを、制度の目的と運用規則から導く。
先に結論の方向だけを述べておく。空き家バンクは、情報の欠如という市場の失敗に対する公的介入として、正当な根拠を持っている。しかしその介入の目的関数は、空き家の解消と移住の促進という政策目標であって、個々の売主の手取りの最大化ではない。両者は重なることもあるが、重なりを前提にしてはならない。売主が落胆するのは、多くの場合この目的の違いを知らされていないためである。
1.2 方法と、評価の基準
方法としては、公共経済学が積み上げてきた市場の失敗と公的介入の議論を土台に置き、そこへ情報という財の性質と、地方の薄い市場の実情を接合する。空き家をめぐる先行の議論の多くは、所有者がなぜ動かないかという意思決定の側に焦点を当ててきた。本稿はその手前ではなく先、すなわち動く決意をした所有者が置かれる情報環境の側を扱う。
評価の基準についても、あらかじめ断っておく必要がある。公的な制度を、売れたか売れなかったかという一つの物差しだけで測るのは公平ではない。行政には、市場が担わない領域を担うという役割がある。したがって本稿は、バンクを民間の流通と同じ土俵に並べて優劣を競わせるのではなく、それぞれが引き受けている機能を切り分けたうえで、売主の側から見た使い方を導く。
1.3 構成
第2節では、行政が情報の仲介に乗り出す根拠を、情報という財の性質と外部性の観点から確認する。第3節でバンクという制度の構造を分解し、行政が何をして何をしないのかを明確にする。第4節では閲覧者層が移住検討者に偏る理由を、制度の所管と入口の設計から説明する。第5節は森町が採る先着順の優先交渉権を素材に、行政的公平と市場的効率の緊張を検討する。第6節でバンクに残る三つの空白を特定し、第7節で売主の実務に落とし、第8節で制度側の課題と本稿の限界を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買い取る事業を持たない。空き家バンクは当社にとって競合ではなく、届く相手が異なるもう一つの経路である。この立場から書いていることを、あらかじめ明らかにしておく。
2. なぜ行政が情報を仲介するのか
公的な主体が市場に入っていくには理由が要る。民間が自力で供給できるものを行政が供給すれば、税で賄われた資源が重複に費やされる。したがって空き家バンクを評価する第一歩は、この仕組みが埋めようとしている不足が何であり、それが民間では埋まりにくいものかどうかを確かめることである。
2.1 情報という財の性質
情報には、通常の財と異なる性質がある。ある人が知っても他の人が知れる量は減らない。これを非競合性という。サミュエルソン(一九五四)が公共財の理論で定式化した性質のうち、情報はこの非競合性を強く備えている。さらに、いったん公開された情報は複製の費用がほとんどかからず、生み出した者がその便益を独占しにくい。集めるには費用がかかるのに、集めた者が回収しにくい。この非対称が、情報の供給を過少にする。
ハイエク(一九四五)が指摘したように、社会が用いる知識は特定の中枢にまとまって存在するのではなく、その場に居合わせた個々の主体に分散して存在する。どの家が空いていて、誰が手放したがっているか。この種の知識は、近隣・親族・地域の関係者の頭の中に散らばっており、集約されないままでは市場の取引に結びつかない。
他方、スティグラー(一九六一)が示したのは、買い手にとって探索そのものが費用を伴う行為だという事実である。買い手は無限に探し続けるのではなく、追加の探索から得られる期待利得が探索の費用を下回る点で打ち切る。売り出されていることが安く知られる状態は、買い手の探索を延ばし、結果として売主が出会える買主の数を増やす。情報を集約して公開する行為は、この意味で市場そのものの厚みを作る。
2.2 取引額が小さい地域では、情報の供給が過少になりやすい
情報の集約と公開に費用がかかる以上、その費用を誰かが負担しなければならない。民間の流通では、この費用は成約時の報酬から回収される。したがって取引の総額が小さい地域ほど、一件あたりに投じられる調査と広告の費用は抑えられる。これは業者の怠慢ではなく、費用と回収の算術である。
静岡県周智郡森町の土地の相場は、二〇二六年時点で一平方メートルあたりおよそ二六、九〇〇円(前年比マイナス〇・七四パーセント)とされ、磐田市の住宅地の公示地価の平均であるおよそ五〇、〇八六円(同年)と比べると半分ほどの水準にある。同じ広さの土地でも、取引額はおよそ半分になる。一方で、現地調査に要する移動時間、境界の確認、農地や山林が付随する場合の区分の確認といった作業量は、地価に比例して減るわけではない。ここに、情報供給が構造的に薄くなる理由がある。
民間が回収しにくいところに公的な資源を投じる。この形は、公共経済学が扱ってきた古典的な介入の型に合致する。空き家バンクが人口規模の小さい自治体から広がったのは偶然ではない。
2.3 第二の根拠——外部性の是正
介入の根拠はもう一つある。管理されないまま放置された空き家は、周辺に費用を及ぼす。草木の越境、害虫、老朽化した部材の飛散、防犯上の不安、景観の劣化。これらの費用は所有者の家計には計上されず、隣家と地域が負担する。空家等対策の推進に関する特別措置法が市町村に権限と責務を与えているのは、この外部不経済を放置しないためである。
外部性の是正という目的から見ると、行政にとっての成功とは、その家が使われる状態に戻ることである。誰にいくらで渡ったかは、政策目標の中心ではない。ここが決定的に重要である。バンクの目的関数には、売主の手取りを最大化する項が入っていない。入っていないことは制度の欠陥ではなく、制度がそもそも別の問題を解こうとしていることの帰結である。
したがって空き家バンクの評価軸は、はじめから二つに分かれる。政策としての評価——空き家が減ったか、移住が増えたか。そして個々の売主にとっての評価——いくらで、いつまでに、どれだけの負担で手放せたか。この二つは重なることもあるが、重なりを前提にして売却の計画を組むと、期待が外れる。
3. 空き家バンクという制度の構造
評価に入る前に、この仕組みが実際に何をしているのかを分解しておく。名称に銀行という語が入っているために、資産を預かって運用してくれる場所という印象を持つ方がいる。実際にはそうではない。バンクが預かっているのは物件ではなく、物件についての情報である。
3.1 四つの工程
運用の細部は自治体ごとに異なるが、工程はおおむね四つに整理できる。第一に登録である。所有者が申請し、自治体が要件への適合を確認して台帳に載せる。第二に掲載である。物件の概要・写真・価格などが自治体のサイトに公開される。第三に問い合わせと利用希望者の登録である。第四に交渉と契約である。
この四工程のうち、行政が直接担うのは第一から第三までである。第四の交渉と契約の段階は、性質が大きく異なる。売買の媒介は宅地建物取引業法が免許制度のもとに置く業務であり、市町村はその免許を持つ主体ではない。したがってバンクの運営主体が売買そのものを取りまとめるわけではない。多くのバンクでは、この段階を当事者間の協議に委ねるか、宅地建物取引業者に引き継ぐ運用がとられている。
所有者の側から見れば、登録しても所有権は移らず、管理の責任も自らに残り、価格を決める権限も自らが持ち続ける。バンクは、決定の主体を代わってくれる仕組みではない。
3.2 磐田市と森町の運用から見えること
身近な二つの自治体を素材にする。磐田市は二〇二一年四月一日に磐田市空き家バンクを開設し、空き家の情報を市のサイトで公開している。市は空き家等の対策に関する計画も持ち、管理が行き届かない状態が続けば所有者に対して指導が入ることがある。つまり磐田市においては、情報を公開して流通を助ける機能と、管理不全に働きかける機能とが、同じ市の施策体系の中に並んでいる。
森町では、空き家・空き地バンクを定住推進課の移住交流係が運営し、売却物件と賃貸物件を掲載している。優先交渉権は先着順で、前の申込者の結果が出るまで次の申込者は交渉に進めない運用である。所管が定住推進課であること、そして優先交渉権に明示的な規則が置かれていること。この二点は、後の第4節と第5節で制度の届く範囲を決める要因として再登場する。
3.3 バンクが提供している価値
ここまでを踏まえて、バンクが売主に提供している価値を三つに絞って言い直しておく。第一に、公的な掲載であることそのものが持つ信頼の付与である。行政のサイトに載っているという事実は、少なくとも所有者が実在し、売る意思があることの担保になる。売り出し情報の真偽を確かめる費用が下がる。
第二に、地域を起点とする検索への接続である。移住先の候補として自治体名で探している人は、まず町のサイトに来る。物件の条件から探す民間の検索とは、入口の向きが逆である。この向きの違いは第4節の中心論点になる。
第三に、費用の低さである。掲載に要する所有者側の金銭的な負担は小さく、登録の手続きも媒介契約に比べれば軽い。売れるかどうかを確かめるための入口としては、負担の小さい選択肢である。ただし負担が小さいということは、投じられる資源も小さいということでもある。掲載は在庫の陳列であって、営業活動ではない。この点は第6節で扱う。
4. 誰に届くのか——閲覧者層の偏りは設計の帰結である
空き家バンクをめぐる不満の多くは、届く相手の想定違いから生じている。所有者は、家を探しているすべての人に届くと考えて登録する。しかし実際に掲載を見るのは、特定の性格を持った層である。そしてその偏りは、運用の巧拙ではなく、制度がどこに置かれているかによって決まっている。
4.1 入口の向きが逆である
検索の起点に注目すると、二つの経路の違いがはっきりする。不動産ポータルサイトで家を探す人は、通常、条件から入る。予算、間取り、駅からの距離、学区。その条件に合う物件が地域をまたいで並び、そこから選ぶ。地域は結果として決まる。
これに対して自治体のバンクを見る人は、地域から入る。この町に住みたい、この町の支援制度に関心がある。だから町のサイトを開く。物件は結果として選ばれる。順序が逆である。
地域を先に決めている人とは、多くの場合、そこに住んだことのない人、すなわち移住や二拠点居住を検討している層である。地元で住み替えを考えている世帯は、そもそも自治体のサイトで家を探すという発想を持ちにくい。彼らは知人を通じて聞き、通勤経路の看板を見て、ポータルサイトで探す。
4.2 所管が示すもの
この偏りは、制度の所管に表れている。森町の空き家・空き地バンクは定住推進課の移住交流係が運営している。定住と移住交流という名称が示すのは、この施策が住宅流通政策である以前に人口政策だということである。バンクは移住施策の一部として設計されている。
地方財政の議論には、住民が地域の公共サービスと負担の組み合わせを見比べて居住地を選ぶという見方がある。ティブー(一九五六)が定式化したこの考え方に照らせば、移住支援と結びついた住宅情報の提供は、自治体が自らの提供する公共サービスの束を広告する行為として理解できる。バンクの掲載物件は、その広告の陳列棚に並んだ商品である。棚の性格が来訪者の性格を決める。
4.3 選好の違いが価格の付き方を変える
届く相手が違えば、評価される属性も違う。移住を検討する層は、地元の実需層に比べて、広い敷地、菜園にできる土地、古い建具や間取り、周囲の自然環境を高く評価する傾向があるとされる。一方で通勤の利便、学区、建物の新しさへの要求は相対的に低い。逆に地元の実需層は、勤務先までの時間、駐車台数、学区、建て替えの可否を重く見る。
この違いは、どちらの層に届けるべきかという問いを、物件ごとの問いに変える。山際の広い敷地に建つ古家であれば、バンクの閲覧者層のほうが高く評価する可能性がある。一方、磐田市の市街地にある築浅の住宅であれば、バンク経由の閲覧者に届けても、価格に対する評価は上がりにくい。
| 経路 | 検索の起点 | 主に届く相手 | 売主の負担 | 弱点 |
|---|---|---|---|---|
| 自治体の空き家バンク | 地域から | 移住・二拠点を検討する層 | 小さい | 地元実需層に届きにくい |
| 指定流通機構(レインズ) | 業者の検索から | 地元業者が抱える買主・再販事業者 | 媒介契約 | 一般の消費者は直接見られない |
| 不動産ポータルサイト | 条件から | 地元実需層・県外の投資層 | 媒介契約 | 掲載量の多い会社に埋もれる |
| 隣地・地縁者への打診 | 人の関係から | 隣接地所有者・地元の縁故 | 小さい | 候補の数が限られる |
この表から導かれる実務的な含意は単純である。経路は排他的ではない。バンクへの登録と、指定流通機構および不動産ポータルサイトでの販売は両立する。どれか一つを選ぶ問題ではなく、その物件がどの層に届いたときに最も良い条件になるかを見立て、必要なら複数の経路を同時に開く問題である。
5. 先着順という配分ルール——行政的公平と市場的効率
同じ物件に複数の希望者が現れたとき、誰に交渉の機会を与えるか。この配分の問題は、制度設計の核心である。森町の空き家・空き地バンクでは、優先交渉権は先着順で、前の申込者の結果が出るまで次の申込者は交渉に進めない運用がとられている。この規則は、公的な制度としてはきわめて理解しやすい。だからこそ、そこに何が織り込まれているかを言葉にしておく価値がある。
5.1 先着順が満たしている条件
行政が資源や機会を配分するとき、求められるのは第一に手続の公平である。先着順は、この要請をほぼ完全に満たす。申込の時刻という単一の客観的な基準で決まるため、運営側の裁量が入らない。落選した希望者に対して理由を説明する必要もない。運営に要する人的資源も少なくて済む。
希望者の側から見ても利点がある。自分が一番手であることが分かれば、現地を見に行く、資金の目処を立てる、家族と相談するといった行動に安心して費用を投じられる。交渉の途中で横から高い金額が提示され、それまでの検討が無駄になるという不安がない。移住の検討には時間がかかる。じっくり考えることを許す規則は、移住施策としては筋が通っている。
つまり先着順は、政策目標に照らせば合理的な設計である。批判されるべき規則ではない。問題は、この規則が別の目的、すなわち売主の条件を最も良くするという目的のために設計されたものではない、という一点にある。
5.2 順番待ちが生む二つの費用
先着順に伴う費用は二つある。第一は時間である。前の申込者の検討が終わるまで、次の希望者は交渉に進めない。一番手が悩んだ末に見送った場合、その期間はそのまま販売期間に加算される。二番手が待ちきれずに他の物件へ移っていれば、順番が回ってきたときには誰も残っていないこともある。空き家は待っている間も傷み、庭は伸びる。
第二は、比較の機会の喪失である。売主の側から見れば、同時に複数の候補と向き合う局面が原理的に生じない。オークション理論の基本的な帰結として、同一の条件で比較される参加者が増えるほど、期待される落札価格は上がる。逐次に一人ずつ向き合う方式は、この効果を働かせない。価格を上げる方向の力が、規則の側から取り除かれている。
誤解のないように述べておくと、これは先着順が売主を害しているという意味ではない。売主の条件を最大化することが目的ではない、というだけである。行政の配分規則に効率の最大化を求めるのは、そもそも筋が違う。行政は公平を、市場は効率を担う。役割の分担として理解すべきである。
5.3 二つの基準は、どこで折り合うか
では売主はどうすればよいか。二つの基準が原理的に折り合わない以上、どちらを優先するかを売主自身が先に決めるほかない。判断の材料は三つある。
- 期限——動かせない期限があるなら、順番待ちで時間を消費する規則は不利に働く。期限が緩やかなら、費用の小さい経路から試す価値がある
- 候補の厚み——複数の希望者が同時に現れる見込みが薄い市場では、比較の機会の喪失という費用はそもそも発生しない。薄い市場では先着順の不利は小さい
- 価格の重み——手取りの多寡が判断の中心にあるなら、比較が働く経路を並行して開いておく必要がある。移住施策の枠内だけで完結させない
第二の点は重要である。森町のように取引の頻度が低い市場では、同一物件に複数の希望者が同時に現れる場面自体がまれである。競争が起きない市場で競争的な配分規則を求めても、得られるものはない。逆に、複数の反響が見込める物件では、先着順の枠内だけで進めると価格の発見が働かない。物件と市場の厚みによって、同じ規則の評価が変わる。
註:ここでいう効率とは、最も高く評価する者に財が配分される状態を指す経済学上の用語であり、手続の速さのことではない。行政の配分規則が効率を目的としないのは、公的機関に求められる説明責任の性質から導かれる帰結である。
6. バンクに残る三つの空白
第2節で確認したとおり、空き家バンクは情報の集約と公開という機能に絞って設計されている。絞られているということは、絞られた外側に空白が残るということでもある。この空白は運用の改善で埋まる種類のものではなく、行政という主体の性質から生じている。売主にとっては、この空白を誰が埋めるのかを決めることが実務の中心になる。
6.1 価格形成の空白
第一の空白は価格である。バンクに掲載される価格は、原則として所有者が自ら決めた希望額である。運営主体はその妥当性を検証しない。検証すれば、行政が個別の資産の価値を評価したことになり、公的機関としては引き受けにくい責任が生じる。したがって空白は制度の側から意図的に残されている。
この空白が問題になるのは、取引の少ない地域である。比較できる成約事例が乏しい市場では、所有者は自分の希望額が高いのか安いのかを確かめる手立てを持ちにくい。高すぎれば、掲載されていても反響は来ない。安すぎれば、反響は来るがそれは適正だからではない。どちらの場合も、掲載という事実からは何も分からない。
したがって、掲載に先立って価格の根拠を別のところから得ておく必要がある。公的な指標としては地価公示や相続税路線価があり、成約価格の分布については国が整備する不動産の取引価格情報の仕組みがある。これらは実勢そのものではないが、自分の希望額がどの方向にどれだけ離れているかを測る座標にはなる。
6.2 事実確認と責任の空白
第二の空白は、物件についての事実と、その事実が違っていた場合の責任である。境界がどこにあるか、その土地に建て替えができるか、農地や山林が含まれていないか、雨漏りや傾きの履歴があるか。これらは掲載欄に書かれた情報の正確さの問題であると同時に、契約後の紛争の火種でもある。
宅地建物取引業者が媒介に入る取引では、この領域は法律上の枠組みで扱われる。宅地建物取引業法は、契約の前に重要な事項を書面で説明することを求め、契約時に書面を交付することを求めている。調査の範囲と説明の水準に法的な基準があり、違えば業者が責任を負う。個人どうしの当事者間で進める場合、この枠組みは働かない。
空白の大きさは物件によって違う。境界が確定していて建築の可否も明らかな市街地の宅地であれば、確かめるべきことは少ない。逆に、森町の実家のように宅地に畑や山林が付随し、農業振興地域の区分の確認が要る物件では、確かめずに進めることの危険が大きい。買主が住宅を建てる前提で購入したのに建てられなかった、という結末は、当事者双方にとって最悪である。
6.3 継続的な販売活動の空白
第三の空白は、掲載の後に何が起きるかである。バンクの掲載は在庫の陳列であって、営業活動ではない。反響がないときに写真を撮り直す者も、価格の見直しを提案する者も、想定していた買主層が違ったと診断する者も、制度の中には置かれていない。所有者が自分でそれを担うか、担う者を別に用意するしかない。
ここで情報という財のもう一つの性質が効いてくる。情報は時間とともに劣化する。同じ物件が同じ写真と同じ価格で長く掲載され続けると、閲覧者はそれを、誰も選ばなかった物件という信号として読む。売り出しからの経過が長いほど成約の確率が下がる現象は、市場滞留期間をめぐる研究群が繰り返し扱ってきた論点である。掲載を続けること自体が、次第に不利な情報を発信するようになる。
この三つの空白は、いずれもバンクの失敗ではない。行政が引き受けないと決めた領域である。売主にとっての問いは、では誰が引き受けるのか、である。自分で引き受けるのか、宅地建物取引業者に委ねるのか。委ねるならどの範囲までか。次節ではこれを手順に落とす。
7. 売主の実務への含意
ここまでの議論を、所有者が実際に取れる手順に落とす。順序には理由がある。後戻りできない決定を後ろに置き、費用が小さく判明した情報がその後のすべての判断の前提になるものを前に置く。空き家バンクへの登録は、この順序の中では中盤に位置する。最初にすることでも、最後にすることでもない。
7.1 登録の前に、規約を読む
最初に着手すべきは、その自治体のバンクの規約と要綱を読むことである。掲載は無料でも、規約には売主の行動を縛る条項が含まれうる。確かめる項目は次のとおりである。
- 登録できる物件の要件——所在地、用途、状態、権利関係。共有名義の場合に全員の同意が要るか
- 宅地建物取引業者への媒介の依頼が、登録と両立するか。すでに媒介契約がある場合の取扱いはどうか
- 優先交渉権の規則——先着順か否か、交渉の期限、次順位へ移る条件
- 成約したときの手続——契約の当事者は誰か、行政はどこまで関与するか、報告の義務があるか
- 掲載の取下げと更新の方法、掲載期間の定め
特に二点目は見落とされやすい。バンクへの登録と、指定流通機構や不動産ポータルサイトでの販売は、多くの場合両立する。届く層が違うためである。ただし媒介契約の類型によって業者に課される登録の義務や報告の頻度が異なるため、どの経路をどう組み合わせるかは、媒介を依頼する前に一度整理しておくのが合理的である。
7.2 事実を紙にする——どの経路でも共通の前払い
第6節で見た事実確認の空白は、どの経路を選んでも埋めなければならない。むしろ、バンクのように当事者間の協議に委ねられる比重が大きい経路ほど、売り出す前に揃えておく意味が大きい。登記事項証明書と公図で筆の数と地目を確かめる。都市計画の区分と用途地域を役所で確認する。建て替えの可否について見込みを聞く。農地や山林が含まれるなら農業委員会に区分を確かめる。境界標の有無を現地で見る。建物については、雨漏り・傾き・増改築の履歴を書き出す。
調べた結果が不利であることもある。しかし不利な事実は、遅れて判明するほど損失が大きい。買主の住宅ローン審査の段階で建築不可が判明すれば、そこまでの数か月が失われる。先に開示された不利な情報は価格の議論に織り込めるが、後から出た不利な情報は取引そのものを壊す。
7.3 経路を複線化し、反応を経路ごとに数える
第4節の表に戻れば、経路ごとに届く相手が違う。したがって設計の単位は経路であって、媒体ではない。山際の広い敷地に建つ古家であればバンクの閲覧者層に厚みがあり、市街地の住宅であれば地元実需層への到達が要になる。宅地と農地と山林が混在しているなら、出口そのものを分ける判断も要る。
そのうえで、反応を経路ごとに分けて数える。バンク経由の問い合わせが何件、ポータル経由が何件、業者からの照会が何件。合計だけを見ていると、詰まっている場所が分からない。どの経路からも問い合わせが来ないなら価格か状態の問題であり、問い合わせは来るが内覧に至らないなら情報の出し方の問題であり、内覧はあるが申込に至らないなら物件そのものの評価の問題である。診断が変われば打つ手が変わる。
7.4 期限を日付で決め、相手の立場を確かめる
最後に、判断の期限を日付で決めておく。いつまでにどの経路からも反応がなければ何を見直すのか。この取り決めを売り出す前にカレンダーに書いておくと、値下げを損失として感じる心理が判断を遅らせる場面でも、決めた日に決めた検討へ移れる。バンクの掲載は費用がかからないぶん、期限を切らないまま置き去りになりやすい。この点はとりわけ注意を要する。
あわせて、買いたいという申し出を受けたときは、金額より先に相手の立場を確かめたい。その相手が自ら住むために買うのか、転売のために買うのか、あるいは買主を探す立場なのか。立場が違えば、提示される金額の意味も違う。当社は自社で買い取る事業を持たず、買取や買取保証を率先して行わない。しかし事情によっては買取が最も合理的な選択になることもある。その場合でも、同じ条件で複数社に見積もりを出してもらい、比較したうえで選ぶ形をとる。
8. 結論と今後の課題
空き家バンクはどこまで届くか。本稿の答えは次のとおりである。届くのは、地域を先に決めている人までである。そして届けているのは、物件そのものではなく、その物件が実在し所有者に売る意思があるという情報である。この二つの境界は、運用の巧拙ではなく、制度が解こうとしている問題の性質から導かれている。
介入の根拠は堅い。情報は複製の費用が低く生み出した者が便益を独占しにくい財であり、取引額の小さい地域ほど民間の供給が薄くなる。管理不全の空き家が周辺に及ぼす費用を放置しないという公益上の目的もある。行政が情報の器を用意することは、公共経済学の標準的な議論に照らして正当化できる。
同時に、その目的関数には売主の手取りを最大化する項が含まれていない。先着順の優先交渉権は手続の公平をよく満たすが、複数の候補を同時に比較する局面を原理的に生まない。掲載価格の妥当性は検証されず、事実確認と契約後の責任は当事者に残り、反響がないときに次の手を打つ主体も制度の中には置かれていない。これらは失敗ではなく、引き受けないと決められた領域である。
8.1 制度側に残された課題
本稿の観点から、制度の設計にはなお検討の余地がある。第一に、掲載情報の鮮度である。情報は時間とともに劣化し、長く同じ内容で置かれた掲載は、誰も選ばなかったという信号を発する。掲載期間の区切りと定期的な更新の求めは、所有者にとって負担であると同時に、判断を促す仕組みでもある。
第二に、配分規則の選択肢である。先着順は公平だが、同時に複数の希望が寄せられる物件では時間を消費する。受付期間を区切って一定の期日までの申込をまとめて扱う方式は、公平の要請を損なわずに待ち行列を短くしうる。もっとも、取引の頻度が低い地域ではそもそも複数の希望が重ならないため、この課題の重みは地域によって大きく異なる。
第三に、自治体をまたぐ検索への接続である。国は民間事業者と連携して、複数の自治体のバンクを横断して探せる仕組みを整えてきた。地域から入る検索と条件から入る検索を橋渡しするこの方向は、第4節で述べた入口の向きの問題を部分的に緩和する。ただし橋渡しが進むほど、掲載情報の記載事項をどこまで揃えるかという標準化の課題が前面に出る。
8.2 別稿に投げる論点
本稿では扱いきれなかった論点が三つある。第一は、指定流通機構という市場設計そのものの評価である。閲覧の主体を業者に限る設計が情報の偏りをどう生むかは、それ自体で一本を要する。第二は、複数の候補を同時に比較させる方式が価格に及ぼす効果の理論的な検討である。第三は、取引頻度の低い薄い市場において価格の発見がどこまで機能するかという問題である。
地域の条件差も無視できない。磐田市は人口およそ一六万三千人(二〇二六年七月末時点で一六三、二二四人・七二、四二一世帯)を擁し、住宅地の公示地価の平均は一平方メートルあたり五〇、〇八六円(二〇二六年)である。森町の人口はおよそ一万五、九〇〇人(二〇二六年四月一日時点)、土地の相場の目安はおよそ二六、九〇〇円である。同じ空き家バンクという制度でも、この差のもとでは働き方が変わる。制度の一般論と地域の実情は、分けて考える必要がある。
8.3 本稿の限界
最後に限界を記す。本稿は制度の設計と公共経済学の枠組みによる整理、および媒介の実務で観察される事象の記述からなり、統計的な実証分析ではない。バンク経由の成約がどの程度の割合を占めるか、掲載期間と成約確率の関係がどうかといった問いには、本稿は答えを持たない。運用は自治体ごとに異なり、本稿が具体的に参照したのは磐田市と森町の公表されている運用に限られる。
それでも、この整理には実用上の意味があると考えている。登録したのに動かないという経験を、制度への失望としてではなく、届く相手の想定違いとして読み替えられれば、次に打つ手が変わるからである。空き家バンクは、売れなかったことを確かめる場所ではない。届く相手が限られていることを知ったうえで使えば、費用の小さい有効な経路である。
