1. はじめに——問題の所在
海に近い土地や川沿いの土地の売却について相談を受けるとき、所有者が最初に口にするのは価格ではないことが多い。この土地は売れるのか、という問いのほうが先に来る。傾斜地の下にある家や、周囲より低い土地に建つ古い住宅でも同じである。問いの背後にあるのは、災害に関する情報が価格や取引の成否にどう関わるのかという、確かめようのなさである。
この確かめようのなさには、制度上の下敷きがある。2020年8月、宅地建物取引業法施行規則の改正が施行され、水防法に基づいて市町村が作成した水害ハザードマップにおける対象物件の所在地を、重要事項説明の場で示すことが義務づけられた。それ以前から津波災害警戒区域や土砂災害警戒区域の指定の有無は説明すべき事項に含まれていたが、区域の指定ではなく地図上の位置を示すという形の義務は、この改正で加わったものである。
制度が変われば、情報の流れ方が変わる。情報の流れ方が変われば、価格の付き方も変わりうる。本稿の問いはここにある。すなわち、リスクに関する情報が公表され、その説明が制度によって義務づけられることは、不動産の価格に対してどちらの向きに働くのか。
この問いに対しては、正反対の二つの見方が並び立っている。第一の見方は、情報が広く知られるほど買主はその分の割引を求め、価格は下がるというものである。第二の見方は、情報が確定するほど買主が抱える不確実性が縮み、買主が安全側に取っていた余裕の幅が縮まる結果、取引が成立しやすくなるというものである。前者を割引効果、後者を不確実性縮小効果と呼ぶことにする。本稿の中心的な作業は、この二つを分解し、正味の符号がどのような条件で決まるかを示すことである。
1.1 本稿が扱わないこと
先に、扱わない事柄を三つ明示しておく。第一に、本稿は特定の地域や特定の土地について、危険であるとか安全であるといった評価を一切行わない。浸水想定区域や津波災害警戒区域、土砂災害警戒区域の指定は、法令の定める基準と手続きに従って国・県・市町が作成し公表しているものであり、個々の土地がどう扱われているかは、その市町および県が公表しているハザードマップと指定の図書によって確認すべき事柄である。本稿が扱うのは、そうして公表された情報が価格という数字へ移し替えられる経路の構造だけである。
第二に、災害の切迫を強調して判断を急がせる論じ方は取らない。不安は意思決定を速めるが、質を上げない。売却の判断において必要なのは、公表されている情報を正確に把握したうえで、それが価格・買主層・所要期間にどう効くかを見積もることである。本稿は終始その水準で書かれている。
第三に、開示という行為が売主の姿勢を伝える信号として働くという論点は、本稿では扱わない。それは情報の経済学の主題であり、別稿で検討した。本稿が見るのは、開示された情報の内容そのものが、どのような回路を通って価格へ移されるかという不動産経済学の側面である。
1.2 方法と構成
方法は理論的整理であり、実証分析ではない。したがって、浸水想定区域の内側では価格が何割下がる、といった数値は本稿では示さない。この種の推定は対象地域・期間・属性の取り方によって結果が大きく動くため、地域を特定せずに数値を掲げることは誤解を招く。示すのは、符号がどちらに傾くかを決める条件のほうである。
以下、第2節で資本化という考え方を確認し、価格へ転写されるのが物理的なリスクそのものではなく公表された情報であることを示す。第3節で開示制度の重なりを整理し、2020年の改正が何を変えたかを特定する。第4節で転写の四つの経路を示し、第5節で割引効果と不確実性縮小効果を分解する。第6節では転写が遅れたり歪んだりする条件を挙げ、第7節で売主の実務に落とし、第8節で限界と残された課題を述べる。
最後に立場を明示しておく。筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買い取る事業を持たない。本稿で扱う情報の出し方は、当社が日々どう売り出すかという判断と直結している。中立を装うより、立場を書いたうえで論じるほうが読者の検証に資すると考える。
2. 資本化——リスクではなく、情報が価格になる
土地の価格に、その場所に付随する条件が織り込まれるという考え方を、経済学では資本化と呼ぶ。ウォーレス・オーツ(1969)は、地方政府の公共支出と固定資産税の水準が住宅の資産価値へ反映されることを論じ、場所に結びついた便益と負担が、その場所の価格へ吸い込まれていく仕組みを示した。学校や公園の便益も、税の負担も、動かせない場所に結びつく限り、最後は土地の値段という一つの数字に集約される。
災害に関する条件も、この意味では公共支出や税と同じ性質を持つ。標高、河川からの距離、地盤の成り立ち、堤防や排水施設の整備状況。いずれも土地に固着していて、買主が持ち運ぶことができない。だから理屈のうえでは、これらは資本化されるはずである。
2.1 属性としてのリスク——ローゼンの枠組みで言えば
同じことを、属性の束という角度からも述べられる。シャーウィン・ローゼン(1974)が定式化したように、住宅のような複合財の価格は、その財が備える属性それぞれの暗黙の価格の集まりとして読める。面積、駅からの距離、築年数、接道条件。これらと並んで、災害に関する条件も一つの属性として価格関数に入りうる。
ただし、この属性には他の属性にない厄介さがある。面積や築年数は誰が測っても同じ数字になるが、災害に関する条件は、測定の前提そのものが公的な想定として与えられる。どの規模の降雨を想定するか、どの震源域を想定するかによって、同じ土地に付される表示が変わる。属性の値が、自然の側だけでなく制度の側からも決まるのである。
2.2 三つを分けておく——現象・指定・情報
議論を進める前に、混同されやすい三つを分ける。第一は物理的な現象そのもの、すなわち実際に水が来るかどうかという事実である。第二は制度上の指定、すなわちある想定に基づいて区域が線引きされ、公表されるという行政の行為である。第三は情報の到達、すなわち買主がそれを知り、判断に用いるという状態である。
価格へ転写されるのは、第一のものではない。市場は将来の現象を直接観測できない。市場が反応できるのは第三のもの、つまり買主に届いた情報だけである。この区別は本稿の議論の土台になるので、繰り返し用いる。物理的な条件が同じ二つの土地でも、一方の情報が公表され他方が公表されていなければ、価格の付き方は異なりうる。逆に、公表が進んでも買主がそれを見ていなければ、価格は動かない。
2.3 転写は情報の公開によって起動する
ここから一つの含意が出てくる。制度による情報の公開は、リスクを作り出すのではなく、すでにあった条件を価格の世界へ運び入れる作業だということである。ハザードマップの公表によって土地の物理的な性質が変わるわけではない。変わるのは、買主がそれを知っているかどうかである。
この点を取り違えると、開示制度への評価を誤る。制度が価格を下げたように見える局面はあるが、そこで起きているのは、それまで価格に映っていなかった条件が映るようになったという移行である。移行が済んだ後の市場では、情報はすでに織り込み済みとなり、追加の下押しは働かなくなる。転写は一度きりの調整であって、継続的な圧力ではない。
註:資本化が完全に進むためには、買主が情報を持ち、比較できる代替物件が十分にあり、価格が自由に動くという条件が要る。取引の少ない地域ではこれらが揃いにくく、転写は不完全なまま残る。この問題は第6節で扱う。
3. 開示制度の重なりと、2020年の改正が変えたもの
災害に関する情報の開示は、一本の法律で完結していない。異なる目的を持つ複数の法律が、それぞれの理由で情報を作り、公表し、その一部が宅地建物取引業法を通じて取引の場へ流れ込む、という重層的な構造になっている。この構造を押さえておかないと、何が説明され、何が説明されないのかを見誤る。
3.1 情報を作る側の法律
情報を作る側には、少なくとも次の四つの系統がある。水防法は、洪水・内水・高潮について浸水想定区域を定め、市町村がこれをもとに水害ハザードマップを作成・周知する仕組みを置く。2015年の改正では、想定し得る最大規模の降雨・高潮を前提とした想定へ見直す方向が打ち出された。津波防災地域づくりに関する法律は、津波浸水想定を都道府県が設定し、それに基づいて津波災害警戒区域等を指定する枠組みを定める。土砂災害防止法は、土砂災害警戒区域・特別警戒区域を指定する。宅地造成に関わる区域の指定も別途ある。
これら四系統は、目的も、指定の主体も、更新の周期も異なる。作られる図面の縮尺も、想定の置き方も揃っていない。取引の現場で情報が読みにくいのは、担当者の怠慢というより、この不揃いに由来する部分が大きい。
3.2 情報を運ぶ側の法律
運ぶ側にあるのが宅地建物取引業法第35条の重要事項説明である。ここでは、区域の指定に関する事項が説明対象として列挙されており、津波災害警戒区域内か否か、土砂災害警戒区域内か否かといった項目が含まれる。指定の有無という二値の情報が、契約の前に買主へ手渡される仕組みである。
2020年8月に施行された同法施行規則の改正は、この列挙に別の型の項目を加えた。水防法に基づいて市町村が作成した水害ハザードマップにおける対象物件の所在地を示す、という項目である。区域指定の有無ではなく、地図上のどこに当たるかを示す。二値ではなく位置を伝えるという点で、それまでの項目とは性格が異なる。
| 法律の系統 | 作られる情報 | 取引の場での扱い |
|---|---|---|
| 水防法 | 洪水・内水・高潮の浸水想定と水害ハザードマップ | マップ上の物件の所在地を示す(2020年8月〜) |
| 津波防災地域づくり法 | 津波浸水想定、津波災害警戒区域等の指定 | 区域内か否かを説明 |
| 土砂災害防止法 | 土砂災害警戒区域・特別警戒区域の指定 | 区域内か否かを説明 |
| 都市再生特別措置法 | 立地適正化計画と防災に関する指針 | 誘導区域の設定を通じて間接的に効く |
3.3 説明義務は評価ではなく所在の提示である
ここで押さえるべきなのは、説明義務の射程である。義務づけられているのは、公表されているマップにおける対象物件の所在地を示すことであって、その土地が安全か危険かを判定して伝えることではない。判定を行う権限も基準も、取引の当事者や媒介業者にはない。
この射程の限定は、しばしば失望を生む。買主は、結局この家はどうなのかという評価を求めるが、返ってくるのは地図上の位置と、その地図の想定条件である。しかし射程が限定されていること自体は妥当である。想定は更新され、対策工事も進む。ある時点の評価を断定的に述べることは、後日の状況と食い違う危険を伴う。売主も買主も、確認の起点は県および市町が公表している最新の資料に置くべきである。
そしてこの点は、価格の議論にも跳ね返る。制度が伝えるのが位置と想定条件にとどまる以上、買主はその先を自分で埋めなければならない。埋め方は買主ごとに違う。同じ情報を受け取っても、割り引く幅が人によって大きく異なるのはこのためである。次節以降で、その埋め方の中身を経路として分解する。
4. 転写の四つの経路
公表された情報は、どのようにして価格という一つの数字になるのか。単に買主が嫌がるから安くなる、という説明では粗すぎる。実際には性質の異なる四つの回路が並行して働いており、どれが効いているかによって、売主が打てる手も変わる。順に見ていく。
4.1 第一の経路——保有費用の増加
最も具体的で、金額に置き換えやすいのがこの経路である。ハザード情報が示す条件は、買主にとって将来の支出の見込みに変換される。火災保険に水災の補償を付けるかどうか、付けた場合の保険料はどうなるか。近年、水災に関する保険料率を地域ごとに区分する方向の見直しが進んでおり、その分だけ条件の差が保険料の差として表に出やすくなっている。
保険料だけではない。基礎を高くする、擁壁の状態を確認する、排水経路を整えるといった対策には費用がかかる。買主がこれらを見込むなら、その現在価値の分だけ支払える上限が下がる。この経路の特徴は、金額として明示できることである。明示できるということは、売主の側でも見積もり、あるいはすでに実施済みの対策として提示できるということでもある。
4.2 第二の経路——金融、すなわち担保評価と融資条件
第二の経路は融資である。買主の大半は住宅ローンを用いる。金融機関は担保としての評価を行い、その評価が融資可能額を規定する。担保評価にどのような要素が織り込まれるかは機関ごとに異なるが、条件によっては融資額や保険の付保条件に差が出ることがある。
この経路が厄介なのは、価格を連続的に押し下げるのではなく、買える買主と買えない買主を分けるという形で働く点である。融資が付かなければ、その買主は価格の交渉相手ですらなくなる。結果として現れるのは値引きではなく、候補者数の減少である。候補者が減れば、売主が受け取る提案の中で最も良いものの水準は下がる。価格の下押しは、この間接的な形で起きる。
4.3 第三の経路——出口の見込み
第三は、買主がさらに次の買主を想像することで生じる経路である。住宅は長く保有される財だが、多くの買主は将来の売却可能性をどこかで意識している。転勤、相続、住み替え。将来の出口が細いと感じられれば、その分だけ現在の支払い意思は下がる。
この経路には自己言及的な性質がある。買主が、将来の買主も同じ情報を見るだろうと予想し、その予想が現在の価格に織り込まれる。情報の公開が制度として固定されたということは、将来の買主も同じ情報を見るという予想が確実になったということでもある。したがって2020年以降、この経路は以前より安定して働くようになったと考えられる。
4.4 第四の経路——曖昧さの回避
第四は、確率が分からないこと自体への反応である。フランク・ナイト(1921)は、確率が分かっている状態をリスク、確率そのものが分からない状態を不確実性と呼んで区別した。ダニエル・エルズバーグ(1961)は、人が後者を強く嫌うことを示した。確率の分からない選択肢は、期待値が同じでも避けられる。
災害に関する情報は、この曖昧さを含みやすい。想定の前提は専門的で、確率の意味も直感的ではない。そのため買主は、分からない部分を最悪の側に寄せて評価しがちである。ここで注意すべきは、この経路が効いているとき、割引の幅は情報の内容ではなく、情報の不足によって決まっているという点である。第5節で見るとおり、この経路だけは情報の追加によって縮められる。
註:四つの経路は独立ではない。曖昧さが強い局面では、買主は保有費用の見積もりも保守的に置き、出口の見込みも細く見る。第四の経路は他の三つの倍率としても働く。
5. 情報が増えると価格は下がるのか
本稿の中心の問いに戻る。情報の公開と説明義務は、価格を下げるのか。ここまでの整理を用いれば、答えは二つの効果の合成として書ける。
5.1 割引効果——水準を動かす
第一の効果は分かりやすい。それまで知られていなかった条件が買主に届けば、第4節の第一から第三の経路を通じて、支払える上限が下がる。保有費用の見込みが増え、融資の条件が変わり、出口が細く見える。これが割引効果である。
ただし、その大きさを一般論として述べることはできない。同じ情報でも、対策の余地がある物件とない物件では、保有費用の増分が違う。買主層が地元中心か広域かでも、情報の受け取られ方が違う。数値を伴う一般命題を掲げるより、経路ごとに自分の物件で何が起きるかを見積もるほうが、実務としては有用である。
5.2 不確実性縮小効果——幅を縮める
第二の効果は見落とされやすい。買主が価格を決めるとき、頭の中にあるのは一つの数字ではなく、ありうる値の幅である。情報が乏しいほど幅は広く、買主は幅の悪いほうの端を基準に提示額を組み立てる。第4節第四の経路で述べた曖昧さの回避が、この幅を作る。
情報が確定すると、この幅が縮む。確定した条件のもとで見積もりを立てられるようになるからである。幅の悪いほうの端が引き上げられれば、買主が安全側に取っていた余裕は不要になる。これが不確実性縮小効果である。ここで動くのは価格の水準ではなく、買主の見積もりのばらつきのほうである。
| 割引効果 | 不確実性縮小効果 | |
|---|---|---|
| 何が動くか | 支払える上限の水準 | 見積もりのばらつきの幅 |
| 原因 | 条件そのものが知られること | 分からない部分が減ること |
| 価格への向き | 下げる | 下げ幅を戻す |
| 取引量への向き | 候補者を減らす | 候補者の判断を早める |
| 売主の打つ手 | 対策の実施と、その記録の提示 | 情報の前倒しと、粒度を上げた提示 |
5.3 正味の符号を決めるもの
二つの効果の相対的な大きさは、いくつかの条件に依存する。第一は、情報が公表される前に買主がどれだけ知っていたかである。すでに広く知られていた条件であれば、公表による新規の割引効果は小さく、残るのは不確実性の縮小のほうである。逆に、それまで誰も見ていなかった条件が初めて表に出る局面では、割引効果が前面に出る。
第二は、対策の余地である。対策によって条件が改善しうる物件では、買主は費用を見積もって価格に織り込める。改善の余地が乏しい物件では、割引は条件そのものへの評価として固定される。第三は市場の厚みである。買主の数が多ければ、その条件を相対的に軽く見る買主に出会う確率が上がる。薄い市場では、最初に現れた一人の評価がそのまま価格になりやすい。
したがって、情報が増えれば価格が下がるという一般命題も、情報が増えれば取引が円滑になるという一般命題も、どちらも成り立たない。成り立つのは条件つきの命題である。すでに知られている条件を、対策の記録とともに、買主の多い時期に提示するなら、不確実性縮小効果が優勢になりやすい。逆に、知られていない条件を、対策も示さず、契約の直前に出すなら、割引効果だけが働く。
この対比から、開示を前倒しすることの合理性が導かれる。同じ情報でも、価格が形成される前に出すか、形成された後に出すかで、効き方が変わる。売り出し前に出せば、その条件を織り込んだ価格が最初から市場に提示される。契約の直前に出せば、すでに合意しかけた価格からの減額交渉が始まる。第6節では、この時点のずれをより一般的に扱う。
6. 転写が遅れ、歪む五つの条件
資本化の理屈どおりに情報が価格へ移るとは限らない。現実の市場では、転写は遅れ、途中で歪む。ここでは、その条件を五つに分けて検討する。売主にとっては、自分の物件がどの条件に当たるかを見極める材料になる。
6.1 時点のずれ——価格が決まった後に情報が届く
最も実務的な歪みがこれである。重要事項説明は契約の直前に行われる。ところが価格は、売り出しの時点、あるいは買付の申込みの時点で実質的に決まっている。制度が情報を届ける時点は、価格が決まる時点より後にある。
この順序が生む帰結は二つある。第一に、情報は価格形成の前提としてではなく、合意済みの価格への修正要求として現れる。第二に、修正が受け入れられなければ交渉は決裂し、それまでに費やした時間が失われる。制度は買主の保護を目的として作られており、この順序自体は理にかなっている。しかし売主の側から見れば、制度の最低線に合わせた運用は、価格形成の局面に間に合わないということになる。
6.2 粒度のずれ——地図の解像度と土地の単位
第二の歪みは、情報の単位と取引の単位が合わないことから生じる。ハザードマップは一定の縮尺で描かれ、想定の色分けは面として表示される。一方、取引の対象は筆単位の土地である。同じ敷地の中で高低差がある場合、地図の表示と現地の状況の関係を、地図だけから読み切ることはできない。
この粒度のずれは、両方向の誤差を生む。表示上は同じ扱いでも現地の条件が異なる土地が、市場では同じに扱われる。逆に、境界のわずかな内外で表示が変わる土地では、実態以上の差が価格に出ることがある。売主にできるのは、地図の表示に加えて、敷地の高低や過去の状況といった現地の情報を、確認できた範囲で併せて示すことである。
6.3 注意の推移——関心は一定ではない
第三は買主の側の条件である。人が特定の事柄にどれだけ注意を払うかは一定ではない。災害が報じられた直後には関心が高まり、時間の経過とともに他の関心に置き換わっていくという傾向が、低頻度で影響の大きい事象に関する研究群で繰り返し指摘されてきた。ハワード・カンルーサーらの一連の研究は、この種の事象に対する備えの意思決定が、経験や報道の影響を強く受けることを扱っている。
この推移が意味するのは、同じ物件でも売り出す時期によって買主の反応が変わりうるということである。ただしこれを、関心の低い時期を狙うという戦略に読み替えるべきではない。制度が情報の提示を求めている以上、買主は説明を受ける。関心の推移が影響するのは、説明を受けたときの反応の強さのほうであり、それは売主が制御できる変数ではない。制御できるのは、説明に添える材料の質である。
6.4 市場の薄さ——比較する相手がいない
第四は市場の厚みである。資本化が価格に現れるためには、条件の違う物件どうしが比較されねばならない。取引の数が少ない地域では、そもそも比較の対象が揃わない。結果として、条件の差が価格の差として観測されないまま残る。
この状態は、売主にとって両義的である。差が価格に出ないということは、下押しも表に出にくいということである。同時に、条件を評価してくれる買主に出会う確率も低い。薄い市場では、価格の水準より、届く相手の数を増やすことのほうが結果を左右しやすい。
6.5 想定の更新——地図は書き換わる
第五は、情報そのものが動くことである。浸水想定は前提となる規模の見直しによって改定され、対策工事の進捗によっても状況は変わる。ある時点の資料に基づく評価は、次の改定で更新されうる。だからこそ、売主も買主も、確認は県および市町が公表している最新の資料に当たるべきであり、数年前に見た記憶や、伝聞に頼るべきではない。
7. 売主の実務への含意
ここまでの議論を、売主が売り出し前に取れる手順へ落とす。順序には理由がある。確認を済ませなければ何を出すか決められず、出す内容が決まらなければ価格の建て方も、届ける相手の選び方も決められないからである。
7.1 確認は、公表資料に当たるところから始める
最初の作業は、対象の土地が公表資料の上でどう扱われているかを、自分の目で確認することである。確認先は、県および市町が公表しているハザードマップと、区域指定に関する図書である。市町の担当窓口では、地図の縮尺や想定の前提についても説明を受けられる。国が整備している地図情報の仕組みからも、複数の情報を重ねて見ることができる。
ここで避けるべきなのは、伝聞と記憶に頼ることである。想定は改定されるため、以前の記憶が現在の資料と一致しているとは限らない。近隣で言われている話も、根拠となる資料に当たらない限り確認とは言えない。確認した日付と、参照した資料の名称を控えておくと、後の説明が一貫する。
7.2 対策と履歴を、記録として揃える
第4節の第一の経路で見たとおり、保有費用の見込みは金額に置き換えられる。置き換えられるということは、売主の側から材料を提供できるということである。基礎の高さ、擁壁や排水の施工履歴、外構の改修、これまでの状況について所有者が把握している事実。これらを書面と写真で揃えておく。
記録の効き方は、第5節で示した二つの効果のうち、後者に対して働く。買主が最悪の側に寄せて見積もっていた部分を、確認できた事実で置き換えられれば、安全側に取られていた余裕はその分だけ縮む。ただし記録が有効なのは、確認できた事実に限られる。分からないことは分からないと記す。推測を断定として書けば、後に契約の内容をめぐる争いの種になる。
7.3 出す時期を、売り出し前に決めておく
第6節第1項で述べた時点のずれへの対処が、ここに当たる。制度が求める最低線は契約直前の説明だが、価格が決まるのはそれより前である。したがって、売り出しの前に、何をどの資料に載せるかを決めておく。
- 販売資料に載せる——公表資料の上での扱いを、想定の前提と併せて記載する
- 現地で示す——敷地の高低や周囲との関係など、図面では伝わらない事柄を現地で説明する
- 書面に残す——口頭で伝えた内容を、物件状況に関する書面へ書き写しておく
- 重要事項説明で再度示す——制度上の説明は、前倒しの提示と重ねて行う
四つ目を省かないほうがよい。前倒しで出したから制度上の説明は簡略でよい、ということにはならない。前倒しの提示は価格形成のため、重要事項説明は制度上の要請のためであり、目的が別である。
7.4 価格の建て方と、届ける相手
価格については、条件を織り込んだ水準を最初から提示するか、標準的な水準で出して交渉で調整するかという選択がある。第5節の整理に従えば、前者が有利になるのは、条件がすでに買主に知られており、対策の記録を揃えられる場合である。この場合、提示価格はその条件を前提とした数字として読まれる。
届ける相手についても一言述べておく。第6節第4項で見たとおり、薄い市場では条件を評価してくれる買主に出会う確率が低い。参考までに、磐田市の住宅地の公示地価は2026年で1平方メートルあたり50,086円、前年比プラス0.16パーセントであり(2026年地価公示に基づく市町村別平均)、人口は163,224人(磐田市公表、2026年7月末時点)である。大きく動かない市場では、価格を下げて反応を待つより、届く範囲を広げるほうが結果に効きやすい。
買取の提案を受けた場合についても触れておく。条件のある物件では、早期に確定した金額を得られる買取が合理的な選択になることはある。ただし、その提案が第5節でいう割引効果のうちどこまでを反映したものかは、比較しなければ分からない。当社は自社で買い取る事業を持たず、買取を率先して行わないが、売主が買取を選ぶ場合には、複数の会社に同じ条件で見積もりを出してもらい、比較していただくようにしている。
8. 結論と今後の課題
リスクに関する情報が公表され、その説明が制度によって義務づけられることは、価格に対してどちらの向きに働くのか。本稿の答えは、二つの効果が同時に働き、正味の符号は条件によって決まる、というものである。一般命題として、情報が増えれば安くなるとも、情報が増えれば売れやすくなるとも言えない。
整理の骨格は三点である。第一に、価格へ移し替えられるのは物理的な現象そのものではなく、公表され買主に届いた情報である。第二に、転写は保有費用・融資・出口の見込み・曖昧さの回避という四つの経路を通る。第三に、このうち第四の経路だけが情報の追加によって縮められる。前三者に対して情報は割引として働き、第四に対しては逆向きに働く。
この非対称から、開示を前倒しすることの合理性が出てくる。前倒しは、すでに公表されている情報を早く出すという行為であって、価格を下げる新しい事実を作り出す行為ではない。遅れて出せば、合意しかけた価格からの減額交渉という形で現れる。同じ情報が、出す時点によって前提にも修正要求にもなる。
8.1 本稿の限界
限界を三点記す。第一に、本稿は理論的整理であり実証分析ではない。二つの効果のどちらが優勢かは、本来は地域と期間を特定した推定によって答えるべき問いである。第二に、資本化の議論は買主が情報を見て比較するという前提に立つが、その前提が取引の少ない地域でどこまで成り立つかは検証していない。第三に、想定の改定が価格へ及ぼす影響を、時間の経過とともに追う視点を本稿は持っていない。
8.2 制度側に残された課題
制度については二点を挙げる。第一は、情報が届く時点である。第6節で見たとおり、制度上の説明は契約の直前に置かれており、価格が決まる時点より後にある。買主保護という目的からは妥当な設計だが、価格形成の局面で情報を機能させるには、媒介の実務の側で前倒しを組み込むほかない。この前倒しをどこまで標準化できるかは、今後の課題である。
第二は、情報の粒度である。地図の縮尺と取引の単位が合わないという問題は、地図の精度を上げるだけでは解けない。同じ敷地内の高低差のような情報は、現地でしか確認できない。公表資料と現地情報をどう組み合わせて提示するかについて、実務上の型が定まっているとは言いがたい。
8.3 別稿に譲る論点
三つの論点を別稿に譲る。第一に、住宅の立地誘導に関する制度が中長期に価格の分布へ及ぼす影響である。誘導区域の設定は、個別物件の条件とは別の層から価格に効く。第二に、対策工事や施設整備が価格へ及ぼす効果であり、これは公共投資の資本化として扱うべき主題である。第三に、条件のある物件について、いま売るか保有を続けるかという選択の評価であり、これは待つことの価値という別の枠組みを要する。
最後に、本稿を通じて繰り返した注意を改めて記す。本稿は特定の地域や特定の土地について、危険であるとか安全であるといった判定を行っていない。個々の土地がどう扱われているかは、県および市町が公表している最新のハザードマップと指定の図書によって確認すべき事柄である。売却の判断は、その確認を済ませたうえで組み立てるのが順序である。
