1. はじめに——問題の所在
不動産の売買契約が成立すると、いくつもの税が動く。契約書には印紙が貼られる。所有権の移転登記には登録免許税がかかる。しばらくして、買主のもとには不動産取得税の納税通知書が届く。売主が事業者であれば、建物の代金には消費税が乗る。これらは別々の法律に基づく別々の税であり、納める人もそれぞれ定められている。
売主の側から見ると、この一覧のうち自分に関係するのは印紙税と、抵当権の抹消などにかかる登記費用くらいである。不動産取得税は買主の税であり、所有権移転の登録免許税も、慣行として買主が負担する。だから売主は、これらを自分の手取りとは無関係の項目として処理する。本稿は、この処理が正しいのかを問う。
1.1 なぜ財政学から論じるのか
財政学には、租税の帰着という古い主題がある。誰に納税義務が課されているかということと、その税の経済的な負担が最終的に誰の懐から出ているかということは、一致するとは限らない。この不一致は例外的な現象ではなく、むしろ標準的な事態である。税は市場の中を移動する。売主に課された税が買主に転嫁されることもあれば、買主に課された税が売主に押し戻されることもある。
この主題は経済学の中でも古い部類に属し、アダム・スミスやリカードの時代から論じられてきた。彼らが繰り返し取り上げたのは、地代や土地に対する課税が誰に落ちるかという問題であった。つまり不動産は、帰着論にとって最初から中心的な題材だったのである。にもかかわらず、不動産売却の実務でこの視点が使われることは少ない。税の話は税額の話に還元され、負担がどこへ移動するかという問いは立てられないまま終わる。
1.2 問いと、あらかじめ述べておく結論
本稿の問いは二つである。第一に、不動産の取引に課される税の経済的な負担は、実際には誰が負っているのか。第二に、その帰着は市場の条件によってどう変わるのか。とくに、買い手の数が限られる地方の市場では、帰着はどちらへ寄るのか。
結論を先に述べる。取引課税の帰着を決めるのは、法律上の納税義務者ではなく、市場の両側の弾力性である。弾力性とは、価格の変化に対して、その側がどれだけ行動を変えられるかの度合いをいう。動きにくい側が、より多くを負う。そして買い手の数が少ない市場では、買主は「別の物件にする」「今回は見送る」という選択肢を持つのに対し、売主が売ろうとしているのは目の前のその一つである。この非対称のもとでは、買主に課された税であっても、その相当部分が提示価格の低下という形で売主に届く。
1.3 本稿が扱わないこと
本稿には税率も税額も書かない。これは紙幅の都合ではなく、方法上の選択である。取引課税の税率と軽減措置は改正が重ねられており、適用の可否は物件の登記の状態、床面積、築年、取得の経緯、当事者の属性といった条件に左右される。個別の適用の可否と金額は、税理士および課税庁の窓口に属する判断である。本稿が扱うのは、税額がいくらであれ、その負担がどちらへ落ちるかという構造の側だけである。
扱う税目も限定する。本稿の対象は、不動産の取得と移転の時点で一度だけ発生する税——印紙税、登録免許税、不動産取得税、そして建物に係る消費税である。所有している間、毎年かかる保有課税と、売却によって利益が生じたときにかかる譲渡所得課税は、それぞれ別稿の主題であり、本稿では帰着の比較対象として参照するにとどめる。
以下、第2節で帰着理論の骨格を数式なしで再構成する。第3節で弾力性が帰着を決める仕組みを述べ、第4節で日本の取引課税の骨格と法律上の納税義務者を確認する。第5節で薄い市場における帰着の寄り方を検討し、第6節で帰着を見えなくしている装置と、想定される反論への応答を置く。第7節で売主の実務に落とし、第8節で限界と残された課題を述べる。
2. 帰着理論の構造——納税義務者と負担者を分ける
租税の帰着(incidence)とは、税の経済的な負担が最終的に誰に落ち着くかを問う分析である。これに対し、法律がどの主体に納付の義務を課しているかは、納税義務者(法律上の帰着)の問題である。両者を区別することが、この分野の第一歩であり、同時に最も抵抗の大きい一歩でもある。日常の感覚では、納める人と負担する人は同じだと考えるのが自然だからである。
2.1 二百年の主題としての帰着
この区別は近代経済学の成立とともに現れた。スミス(1776)は課税の原則を論じるなかで、税がどこに落ち着くかは課税の形式だけでは決まらないことを指摘した。リカード(1817)は地代への課税を分析し、供給が固定された生産要素への課税は転嫁されにくいという論点を提出した。ミル(1848)は直接税と間接税の区分そのものを、転嫁が予定されているかどうかで整理し直した。
帰着を体系的な研究対象として確立したのはセリグマンである。彼の著作(1892)は、租税の転嫁と帰着を歴史的・理論的に整理し、法律上の負担者と経済上の負担者の乖離を主題化した。二十世紀に入ると、マーシャル(1890)の弾力性概念が分析の道具として組み込まれ、ピグー(1920)やマスグレイブ(1959)を経て、ハーバーガー(1962)が一般均衡の枠組みで法人所得税の帰着を扱うに至る。ハーバーガーの分析が示したのは、法人に課された税の負担が、株主だけでなく資本一般や労働にまで広がりうるということであった。
この系譜が共通して主張しているのは一点に尽きる。税は、それが課された地点にとどまらない。市場を通じて移動し、動けない者のところで止まる。
2.2 税は取引に楔を打ち込む
帰着を考えるうえで最も見通しのよい比喩は、楔(wedge)である。税がなければ、買主が支払う金額と売主が受け取る金額は一致する。税が入ると、この二つが分離する。買主の総支出は、売買代金に加えて自らが納める税を含んだ額になる。売主の手取りは、売買代金から自らが納める税と諸費用を引いた額になる。両者の差が、税という楔の幅である。
ここで重要なのは、楔の幅は税額で決まるが、その幅がどちら側に食い込むかは税額では決まらないという点である。同じ幅の楔でも、買主の総支出が課税前の価格より大きく上がって売主の手取りがほとんど変わらない場合もあれば、買主の総支出がほとんど変わらず売主の手取りだけが下がる場合もある。前者を買主帰着、後者を売主帰着という。
2.3 中立性命題——どちら側に課しても帰着は同じ
帰着理論の最も反直感的な結論は、法律上の納税義務者をどちらに定めても、経済的な帰着は変わらないというものである。買主に課された税を売主に課し替えても、市場が調整を終えたあとの手取りと総支出の組み合わせは同じところに落ち着く。理由は単純で、楔の幅が変わらないからである。買主が納める税が増えれば、買主はその分だけ提示できる代金を下げる。売主が納める税が増えれば、売主はその分だけ高い代金を求める。どちらの経路を通っても、両者が折り合う点は同じ場所になる。
この命題は、不動産の実務にとって不愉快な含意を持つ。売買の場では、どの費用をどちらが負担するかがしばしば交渉の対象になる。しかしこの命題が正しければ、その交渉は代金の水準に吸収され、正味の結果を変えない。「登記費用はそちらで持ってほしい」という要求が通ったとしても、その分だけ代金が上がっているのであれば、負担は動いていない。動いたのは項目の名前だけである。
もっとも、この命題が厳密に成立するのは、両当事者が総額で判断しており、費用の項目名に反応しないという前提のもとでのことである。現実の当事者はしばしば項目名に反応する。この点は行動経済学の主題であり、心的会計を扱う別稿に属する。ここでは、理論上の基準線として中立性命題を置き、そこからの乖離を後の節で検討するという順序をとる。
註:中立性命題は「誰に課しても同じ」と述べるだけであり、「誰も負担していない」と述べているのではない。楔は確実に存在し、その分だけ取引の条件は悪化している。命題が語っているのは、悪化の配分が法律上の指定によっては決まらない、ということである。
3. 弾力性が帰着を決める
楔の幅がどちら側に食い込むかを決めるのは、市場の両側の弾力性である。本節では、この概念を数式なしで再構成し、不動産という財に当てはめたときに何が起こるかを見る。
3.1 弾力性とは、逃げ足の速さである
弾力性とは、価格が動いたときに、その側がどれだけ量や行動を変えられるかの度合いをいう。需要が弾力的とは、価格が上がれば買い手がすぐに減る状態である。供給が弾力的とは、価格が下がれば売り手がすぐに引っ込む状態である。逆に非弾力的とは、価格がどう動いてもその側の行動があまり変わらない状態を指す。
帰着の原則は、この概念を使うと一行で書ける。より非弾力的な側が、より多くを負担する。日常の言葉に直せば、逃げ足の遅いほうが負う、ということである。買い手が「それなら買わない」と言って本当に立ち去れるなら、税の負担を買い手に押し付けることはできない。売り手が「それなら売らない」と言って本当に売らずにいられるなら、税の負担を売り手に押し付けることはできない。両方が動けない場合には、税額の楔がそのまま両者の間で分割される。
3.2 不動産の供給は動きにくい
この原則を不動産に当てはめると、まず土地の性質が効いてくる。土地の総量は課税によって増減しない。リカード以来、土地への課税が転嫁されにくいとされてきたのはこのためである。ただし、この命題は土地の総量についてのものであって、市場に売りに出される土地の量についてのものではない。所有者が「今は売らない」と決めれば、その土地は市場から退出する。したがって短期の市場供給には、ある程度の弾力性がある。
ところが、実際に売却を決めた所有者の多くは、この退出という選択肢を実質的に持っていない。相続によって取得した実家、施設入居に伴って空いた家、遠方に住みながら管理している土地。これらの売却は、資産運用上の最適化として行われているのではなく、保有し続けることの負担から逃れるために行われている。持ち続ければ保有課税と管理の手間が積み上がる。この所有者にとって、売らないという選択は費用のかかる選択であり、逃げ足は速くない。
さらに、不動産は一つひとつが異なる。同じ町内でも接道、間口、日当たり、境界の状態は違う。売主が売ろうとしているのは代替のきかない特定の一物件であり、他の売り先に振り向けることができない。財の非代替性は、売主側の非弾力性を強める方向に働く。
3.3 短期と長期で弾力性は変わる
弾力性は固定された性質ではなく、時間の長さに依存する。マーシャルが強調したのはこの点であった。短期では動けない側も、長い時間があれば動ける。不動産についてこれを考えると、二つの層に分かれる。
建物については、長期には供給が弾力的になる。取得の時点にかかる税が重ければ、新築の採算が悪化し、建てられる戸数が減る。供給が減れば価格が上がり、負担の一部は買主側へ戻る。つまり長期では、建物に係る取引課税の帰着は買主側にも配分されうる。
土地については、長期になっても供給は増えない。増えるのは用途の転換だけである。したがって、土地に関わる部分の負担は、時間が経っても売主側に残りやすい。取引課税を土地部分と建物部分に分けて考えるべき理由は、税法上の区分だけでなく、この帰着の違いにもある。
3.4 資本化と帰着の違い
ここで、保有課税との違いを明確にしておく必要がある。毎年かかる保有課税は、将来にわたる負担の流列として資産価格に織り込まれる。これを資本化という。買主は将来支払う税の現在価値だけ低い価格しか提示しないため、制度が導入された時点の所有者が、将来の税負担をまとめて負う形になる。
取引課税はこれとは構造が異なる。発生するのは取引の瞬間だけであり、将来の流列を形成しない。そのかわり、取引という行為そのものに費用を課す。結果として生じるのは資産価格の一律の低下ではなく、取引を思いとどまらせる方向の圧力である。財政学の言葉でいえば、取引課税は超過負担を、価格の歪みとしてよりも取引量の減少として現す。売れたはずの物件が売れないまま残るという形で現れる負担は、価格表には出てこない。
4. 日本の取引課税は誰に義務を課しているか
帰着を論じる前に、法律上の納税義務者を正確に押さえておく必要がある。ここを曖昧にしたまま「実際には売主が負っている」と言っても、それは印象の表明にすぎない。本節では四つの税目について、法律が誰に義務を課しているかと、実務の慣行がどうなっているかを分けて確認する。税率と軽減措置の内容には立ち入らない。
| 税目 | 法律上の納税義務者 | 実務上の慣行 | 帰着の見立て |
|---|---|---|---|
| 印紙税 | 課税文書の作成者。共同作成なら連帯して負う | 契約書を2通作り、各自が保有する分を各自で負担 | 楔として双方に薄く分散する |
| 登録免許税(所有権移転) | 登記を受ける者。権利者と義務者が連帯して負う | 買主が負担するのが一般的 | 薄い市場では代金を通じて売主側へ滑る |
| 不動産取得税 | 不動産を取得した者。都道府県が課す | 買主が引渡し後に納付する | 買主の総支出に入り、提示価格を押し下げる |
| 消費税(建物部分) | 課税事業者である売主 | 税込みの代金として提示される | 個人の売主には課されない。事業者間では競争条件次第 |
4.1 印紙税——共同作成という構造
印紙税は課税文書の作成者に課される。売買契約書を売主と買主が共同で作成した場合、両者は連帯して納税義務を負う。実務では契約書を2通作り、双方が1通ずつ保有し、それぞれが自分の保有する分の印紙を負担するのが一般的である。1通だけを作成して他方が写しを持つという方法もとられるが、この場合の課税関係は文書の記載内容によって変わりうるため、判断は税務の専門家に確かめるべき事項である。
帰着の観点から見ると、印紙税は四つの税目のなかで最も分散した形をとる。負担が双方に分かれ、しかも取引の規模に対して相対的に小さい。ただし小さいということと、帰着が中立だということは同じではない。楔は確実に存在する。
4.2 登録免許税——連帯義務が慣行によって片方に寄せられている
所有権移転の登記は、登記権利者である買主と登記義務者である売主が共同で申請する。そして登録免許税法は、登記を受ける者が2人以上あるときは連帯して納付する義務を負うと定めている。つまり法律上は、所有権移転の登録免許税は売主と買主の双方の義務である。にもかかわらず、実務ではこれを買主が負担する慣行が定着している。
この点は帰着論にとって示唆的である。法律上の連帯義務が、慣行によって一方に寄せられている。慣行は法律ではないから、当事者の合意で変えることができる。そして第2節の中立性命題によれば、どちらが負担することにしても、代金の水準が調整されれば正味の結果は変わらない。慣行が固定しているのは、負担の実質ではなく、交渉の出発点である。
なお、抵当権の抹消登記や、相続登記が未了である場合の相続を原因とする登記については、売主の側で処理すべき事項として扱われるのが通例である。ここには登録免許税と司法書士の報酬が発生し、後者には消費税が課される。売主の手取りは、これらを差し引いた残りである。
4.3 不動産取得税——買主の側で、遅れて現れる
不動産取得税は、不動産を取得した者に対して都道府県が課す税である。静岡県内の物件であれば静岡県が課税庁となる。特徴は二つある。第一に、納税義務者は買主だけであり、売主は関与しない。第二に、納税通知が届くのは引渡しから相当の期間が経ったあとである。
この時間差が、帰着を見えにくくしている。買主が資金計画を立てる時点では、この税はまだ請求書として存在しない。予算に織り込んでいる買主と、そうでない買主が混在する。後者にとっては、購入後に予期しない支出が現れることになり、その経験は次の購入者への口伝えを通じて市場に蓄積されていく。買主が諸費用を厚めに見積もるようになれば、その分だけ提示価格は下がる。
4.4 消費税——土地は非課税、建物は課税
消費税は、事業者が国内で行う資産の譲渡等に課される。不動産に関しては、土地の譲渡が非課税とされ、建物の譲渡が課税対象となる。したがって個人が居住していた家を売る場合、その売主は事業者ではないため、建物部分にも消費税は課されない。この点はしばしば誤解されるところである。一方、仲介手数料や司法書士の報酬といった役務の対価には、売主が個人であっても消費税が課される。
帰着の観点から重要なのは、この非課税の区分が、売主が個人か事業者かによって市場の中に価格差を生むという点である。同等の建物でも、事業者から買えば税込みの支払いになり、個人から買えば税は乗らない。買主が総支出で比較するなら、この差は事業者側の売却条件に不利に働く。すなわち、事業者に課された税の一部が、事業者自身の受取額の減少として帰着する。これは、法律上の納税義務者に負担が残る典型例である。
5. 薄い市場では、帰着が売主側へ寄る
ここまでの道具を使って、本稿の中心的な主張を導く。買い手の数が限られる市場——薄い市場——では、取引課税の帰着は売主側へ寄る。理由は弾力性の非対称にある。
5.1 薄い市場とは何か
薄い市場とは、一定期間に市場へ現れる買い手と売り手の数が少ない市場をいう。取引の頻度が低く、成約事例が乏しく、価格の形成に時間がかかる。都市部の分譲マンションのように、同じ条件の住戸が繰り返し取引される市場は厚い。これに対し、地方の戸建てや土地の市場は薄い。一つの物件に対して、その物件を買う可能性のある人が同時期に何人いるかを考えれば、厚さの違いは直感的に理解できる。
重要なのは、薄さが買主と売主で非対称に作用することである。買い手の数が少ないということは、売主にとっては相手が見つかりにくいことを意味する。しかし買主にとっては、選べる物件が少ないことを意味するとは限らない。売りに出ている物件の数もまた少ないが、買主は購入そのものを見送ることができるし、隣の市町へ探索範囲を広げることもできる。売主は、自分の物件を隣の市町へ移すことができない。
5.2 逃げ足の非対称
買主の側の選択肢を数えてみる。第一に、別の物件を買う。第二に、購入時期を先に延ばす。第三に、賃貸に留まる。第四に、隣接する市町を含めて探索範囲を広げる。いずれの選択肢も、買主にとって致命的な損失を伴わない。総支出が予算を超えるなら、買主は退出できる。
売主の側の選択肢を同じように数えると、様相が違う。第一に、価格を下げる。第二に、売却を取りやめて保有を続ける。第三に、買取などの別の売り方に切り替える。このうち第二の選択肢には費用が伴う。保有を続ければ保有課税と管理の負担が積み上がり、建物は劣化し、相続が絡めば当事者が増えていく。売却を検討している所有者の多くにとって、待つことは無料ではない。
この非対称が、帰着を決める。買主が「総支出がこの額を超えるなら買わない」という線を持っており、その線が動かないのであれば、税がその総支出に含まれる限り、税額の分だけ買主が提示できる代金は下がる。買主に課された不動産取得税も、買主が負担する慣行になっている登録免許税も、この経路で売主の手取りを削る。法律上は買主の税でありながら、経済的には売主が負っているという事態が、ここに成立する。
5.3 磐田市・森町の市場をこの枠組みで見る
静岡県西部の市場に、この枠組みを当てはめてみる。磐田市の人口は163,224人、世帯数は72,421世帯である(磐田市「磐田市の人口 令和8年度」、2026年7月末時点)。住宅地の公示地価の平均は1平方メートルあたり50,086円、前年比プラス0.16パーセントである(2026年地価公示に基づく市町村別平均)。地価が大きく上がりも下がりもしていないということは、需要側の圧力が強くも弱くもないということであり、売主が価格の上昇に助けられる場面が少ないことを意味する。
森町(周智郡)はさらに薄い。人口はおよそ15,900人(2026年4月1日時点の推計人口)、土地の相場の目安は1平方メートルあたりおよそ26,900円、前年比マイナス0.74パーセントである(2026年時点の公示地価・取引データに基づく平均の目安であり、実際の成約価格とは異なる)。磐田市のおよそ半分の水準にある市場では、取引一件あたりの代金に対して、取引課税や諸費用が占める相対的な比重が高まる。代金が小さくなっても、登記の手続きや調査に要する費用は同じようには小さくならないからである。
この比重の上昇が、帰着の議論に一つの含意を加える。楔の実額が同じであっても、代金が小さい市場では、楔は代金に対してより大きな割合を占める。売主の手取りに対する影響は、単価の低い地域ほど大きくなる。地方の市場において取引課税の帰着を論じることには、都市部で論じる以上の実践的な意味がある。
5.4 帰着が買主側へ寄る場合
公平のために、逆のケースも述べておく。買主の需要が非弾力的である場合には、帰着は買主側へ寄る。典型は、その買主にとって代替のきかない物件である。自宅の隣地、借地の底地、私道の持分、接道を確保するために必要な一筆。これらを買おうとする買主には、別の物件で代用するという選択肢がない。逃げ足が遅いのは買主のほうである。
同じ理屈は、市街化調整区域の物件についても部分的に当てはまる。磐田市では、市の都市計画に関する資料によれば、総人口のおよそ45パーセントが市街化調整区域に居住しているとされる。この区域では、建築の可否が買主の属性や許可の要件に左右されるため、買える人が限られる。買い手の総数は少ないが、条件を満たした買主にとっては代替物件も少ない。売主と買主のどちらの逃げ足が遅いかは、物件ごとに判定するほかない。
6. 帰着を見えなくする装置と、反論への応答
帰着が売主側へ寄っているとして、なぜそれは売主に見えないのか。本節では、負担の移動を視界から外している三つの装置を取り出し、そのうえで、この主張に対して当然に予想される二つの反論に応じる。
6.1 諸費用という一括の袋
買主が住宅の購入を検討するとき、代金とは別に「諸費用」という括りで一群の支出を見積もる。登記費用、不動産取得税、火災保険料、融資に伴う費用、仲介手数料。これらは性質の異なる支出だが、買主の資金計画のうえでは一つの袋にまとめられ、代金と合わせた総額として予算に照らされる。
この袋の存在が、帰着の経路を隠す。買主が「予算の上限があるので、この価格では届かない」と告げるとき、その内訳に取引課税がいくら含まれているかは語られない。売主に届くのは、値下げの要請という結果だけである。原因が市場の需給にあるのか、諸費用の重さにあるのかを、売主は区別できない。楔は確かに打ち込まれているのに、楔そのものは見えない。
6.2 借入枠と自己資金制約
第二の装置は融資である。住宅の購入資金の多くは借入によって賄われるが、諸費用の扱いは代金とは異なる。諸費用まで含めて借りられる場合もあれば、自己資金での用意を求められる場合もあり、その扱いは金融機関と申込者の条件によって変わる。ここで重要なのは、諸費用が自己資金で賄われる部分については、買主の制約が借入枠ではなく手元資金になるという点である。
手元資金は、借入枠よりもはるかに硬い制約である。年収に対する返済比率は交渉や商品選択である程度動かせるが、口座にある金額は動かせない。したがって、諸費用に含まれる取引課税は、買主の予算のなかで最も硬い部分を食う。硬い部分を食われた買主が調整できるのは、代金の側だけである。この経路を通って、取引課税は代金の引き下げ圧力に転換される。
6.3 軽減措置が物件間に価格差をつくる
第三の装置は、軽減措置そのものである。不動産取得税にも登録免許税にも、住宅について負担を軽くする仕組みが置かれている。ただしその適用には、床面積や耐震性に関する要件、登記の状態、取得後の用途といった条件がある。要件の内容と適用の可否は改正の対象であり、個別の判断は課税庁の窓口と税理士に属する。ここで論じたいのは、要件の中身ではなく、要件が満たされるかどうかで買主の総支出が変わるという事実である。
同じ地域にある同程度の住宅でも、軽減の要件を満たす物件と満たさない物件とでは、買主から見た総支出が異なる。買主が総支出で比較する以上、この差は代金の側で調整される。すなわち、軽減の要件を満たさない物件の売主は、その分だけ低い代金を受け入れることになる。軽減措置は買主のための制度として設計されているが、帰着の観点では、その利益の一部は売主の受取額の増加として現れている。制度が誰を救っているかは、条文の名宛人を見ても分からない。
6.4 反論への応答(1)——買主の税は売主に関係ないという主張
最も自然な反論は、「不動産取得税の納税通知書は買主に届くのだから、売主の手取りとは無関係である」というものである。この主張は、帰着と納税義務者を同一視している点で、第2節の中立性命題と衝突する。反論の核心を取り出せば、買主の負担が増えても買主が同じ価格を出し続けるはずだ、という想定である。しかしこの想定が成り立つのは、買主の需要が完全に非弾力的な場合、すなわち買主がどんな条件でも購入を諦めない場合に限られる。
薄い市場でその想定は無理がある。買い手の数が限られているということは、一人の買主が離脱したときに、同じ条件で代わりに現れる買主がいないということである。売主は、その一人の予算制約に合わせるか、売却を待つかを選ぶことになる。待つことに費用がかかる以上、多くの場合は前者が選ばれる。買主の税は、この選択を通じて売主に届く。
6.5 反論への応答(2)——譲渡所得課税との違い
第二の反論は、より鋭い形をとる。売却益に対する譲渡所得課税については、売主がそれを価格に上乗せしようとしても市場は受け付けない、というのが実務の常識である。売主に課された税が転嫁できないのなら、買主に課された税も転嫁できないはずではないか。この非対称は不整合ではないか。
不整合ではない。両者は税の課され方が異なる。譲渡所得課税の額は、売主がその不動産をいつ、いくらで取得したかという、売主固有の事情によって決まる。同じ物件を同じ価格で買っても、買主が支払う金額はこの事情によって変わらない。売主固有の事情に依存する税は、市場の需要曲線を動かさないため、価格に反映される経路を持たない。だから転嫁できない。
取引課税は違う。不動産取得税も登録免許税も印紙税も、その物件を取得しようとする買主であれば誰にでも同じようにかかる。売主が誰であるかによって変わらない。つまり、この税は市場に参加する買主全員の総支出を一様に押し上げる。全員の予算制約が同じ方向に動くのだから、需要側の条件そのものが変化する。市場の条件が変われば、均衡する価格も変わる。この違いが、一方が転嫁されず、他方が帰着として分割される理由である。
註:この区別は、売主固有の事情に基づく税は自分で負い、物件に紐づく税は市場を通じて分割される、と要約できる。したがって、売却益への課税を理由に価格を高く設定することは、市場の反応を得られないまま滞留を長引かせる可能性が高い。
7. 売主の実務への含意
帰着の理論を、売主が明日から使える形に落とす。ここで提案するのは節税の技法ではない。負担がどこへ落ちるかを踏まえたうえで、売却の準備の順序を組み替えるという作業である。
7.1 自分の手取りではなく、買主の総支出から逆算する
売主が価格を考えるとき、出発点になるのは自分の手取りである。いくら残ればよいか、という発想から代金の希望額が決まる。しかし第5節で見たとおり、代金の上限を実際に決めているのは買主の予算制約である。したがって、価格の検討は、買主が支払う総額——代金に諸費用と取引課税を加えた金額——の側から始めるほうが実態に近い。
この逆算をすると、見えていなかった余地が現れることがある。買主の総支出のうち、代金以外の部分を減らせるなら、同じ総支出のもとで代金を高くできる。売主にとっての値上げ余地は、価格交渉の技術ではなく、諸費用の側に眠っている。
7.2 買主の総支出を下げる作業を、売り出し前に置く
具体的には、次のような項目が該当する。いずれも売主の側で先に処理できるものである。
- 相続登記が未了であれば、売り出し前に完了させる。未了のままだと、買主側の手続きが複雑になり、決済の日程も読みにくくなる
- 未登記の建物や、現況と登記が食い違っている建物があれば、その状態を把握しておく。表示に関する登記の要否は土地家屋調査士に確かめる
- 住宅に関する軽減措置の要件について、その物件が満たしうるかを、資料を揃えたうえで課税庁の窓口に確認しておく
- 境界が未確定であれば、確定測量を売り出し前に行うか、現況有姿で引き渡す代わりに価格へ織り込むかを、あらかじめ決めておく
- 建築の可否に疑義がある区域では、行政の窓口で見込みを確認し、その内容を販売資料に記載する
これらはいずれも、税そのものを減らす作業ではない。しかし、買主が抱える不確実性と手続きの費用を減らす作業である。買主の総支出が確定的に見積もれるようになれば、買主は安全側に厚く見積もる必要がなくなる。厚く見積もらなくてよくなった分は、代金に回りうる。
7.3 土地と建物の代金配分は、契約前に決める論点である
第4節で見たとおり、消費税は土地の譲渡を非課税とし、建物の譲渡を課税対象とする。また不動産取得税は、土地と家屋のそれぞれについて課税標準が定められる。したがって、売買代金を土地部分と建物部分にどう配分するかは、双方の税負担に関わる論点になる。個人の売主には建物に消費税が課されないが、買主が事業者である場合や、売主が事業として不動産を譲渡する場合には、配分の意味が変わる。
この配分は契約書の記載事項であり、契約を締結したあとで動かすことは容易ではない。売主にとっての実務上の要点は、配分を交渉の終盤で場当たり的に決めないことである。どのような根拠で配分するかは、税務上の判断を含むため、契約の前に税理士に確かめておくのが順序としては正しい。
7.4 費用負担の交渉は、項目ではなく総額で見る
契約条件の詰めでは、どの費用をどちらが負担するかがしばしば争点になる。第2節の中立性命題に照らせば、この争点の多くは名目の問題である。ある費用を売主が負担することにすれば、その分だけ代金は上がるはずである。上がらないのであれば、それは費用の負担が動いたのではなく、価格そのものが下がったのである。
実務的な助言としては、費用負担の条件を一つ動かすたびに、手取りの見込み額を再計算することに尽きる。項目ごとの譲歩を積み上げていくと、個々の譲歩は小さく見えるのに、合計では相当の金額になっていることがある。判断の基準を総額に固定しておけば、この蓄積を検知できる。
7.5 個別の判断は、専門家と窓口へ返す
本稿は税率も税額も扱わなかった。適用の可否と金額の計算は、税理士および課税庁の窓口に属する判断である。登記に関する手続きの要否は司法書士と土地家屋調査士に、建築の可否は市町の担当課に確かめるべき事項である。媒介業者が答えられるのは、その物件がどの市場に置かれ、どの層の買主に届き、その買主がどのような予算制約のもとで判断するか、という部分までである。
なお筆者の立場を明記しておく。当社は自ら買主となる買取や買取保証を率先して行わない。この選択は、本稿の主題とも関係する。買主でもある事業者にとって、取引課税や諸費用の重さは自社の仕入価格を押し下げる方向に働く。仲介のみを行う立場では、その利害が発生しない。もっとも、売り方としての買取そのものを否定するものではなく、期限のある事情がある場合には、条件を比較したうえで選択肢に入りうる。
8. 結論と今後の課題
本稿の主張を三点に整理する。第一に、不動産の取引に課される税について、法律上の納税義務者と経済的な負担者は一致しない。第二に、帰着を決めるのは市場の両側の弾力性であり、動きにくい側がより多くを負う。第三に、買い手の数が限られる薄い市場では、売主の側が動きにくいため、買主に課された税であってもその相当部分が提示価格の低下を通じて売主に届く。
この結論は、実務でしばしば語られる「税は買主の問題だから売主は気にしなくてよい」という助言を否定する。同時に、「税がかかるから、その分を価格に上乗せしたい」という発想も否定する。売主に課される譲渡益への課税は売主固有の事情に依存するため転嫁の経路を持たず、物件に紐づく取引課税は市場の需要条件そのものを動かすため帰着として分割される。この二つを混同すると、上乗せできないものを上乗せしようとし、届いている負担を無視することになる。
8.1 本稿の限界
第一の限界は、分析が部分均衡にとどまっていることである。本稿は不動産市場の内部で帰着を論じたが、取引課税は住宅市場と賃貸市場、あるいは他の資産市場との間の資金の配分にも影響する。ハーバーガーが法人所得税について示したように、一般均衡で見れば負担はさらに広い範囲へ拡散しうる。その拡散の経路は本稿の射程の外にある。
第二の限界は、実証を伴わないことである。薄い市場で帰着が売主側へ寄るという主張は、理論から導かれた予測であって、地域ごとの取引データで検証したものではない。検証には、税制改正の前後で成約価格がどう動いたかを、市場の厚みの異なる地域間で比較する設計が要る。公表されている取引価格情報を用いれば、そうした検証の余地はある。
第三の限界は、税率と税額を扱わなかったことに由来する。帰着の割合を数量として示すには、楔の大きさを代金に対する比率で測る必要がある。本稿はその作業を意識的に避けたため、結論は向きの議論にとどまり、大きさの議論には及んでいない。個別の物件について大きさを知りたい場合は、税理士および課税庁の窓口で計算を得たうえで、本稿の枠組みに当てはめることになる。
8.2 別稿に送る論点
第一に、保有課税の帰着である。毎年かかる税は将来の負担の流列として資産価格に資本化されるため、取引課税とは異なる構造を持つ。制度が導入された時点の所有者が将来分をまとめて負うという含意と、住宅用地に関する特例が売却判断を歪める経路については、保有課税を主題とする別稿で扱った。
第二に、譲渡所得課税である。取得費の不確実性、所有期間による区分、特別控除の要件といった論点は、帰着ではなく売り時の判断に関わる。本稿の第6節で触れた非転嫁性の議論は、その別稿における結論と接続している。
第三に、薄い市場そのものの分析である。本稿は市場の厚みを与件として扱い、それが帰着に及ぼす影響だけを見た。しかし厚みは固定された条件ではなく、情報の流通、探索の費用、買主層の広がりによって変わりうる。売主の側から市場の厚みを増やす余地がどこまであるかは、流動性と探索を主題とする別稿の課題である。
8.3 一つの含意
最後に、政策的な含意を一つだけ述べておく。取引課税は取引そのものに費用を課す。その結果として現れる負担は、価格の歪みよりも、成立しなかった取引という形をとる。売れたはずの空き家が売れないまま残る、相続した土地が名義を移されないまま放置される、といった事態は、この超過負担の可視的な現れである。地方の薄い市場では、取引一件あたりの代金が小さいために、この効果は相対的に強く働く。取引課税の設計を論じるとき、税収の規模だけでなく、それが取引量に与える影響を地域ごとに見る視点が要るのは、このためである。
