1. はじめに——問題の所在
「この家は、いくらで売れますか」という問いに答えようとすると、遅かれ早かれ別の問いに突き当たる。「この家を、誰が買うのか」である。価格は、支払う意思と能力を持つ人間が現れて初めて成立する。買い手のいない場所に価格は存在しない。ならば価格を論じる前に、需要そのものがどこから来るのかを問わなければならない。本稿の主題はこの一点にある。
この問いは、都市経済学が長く扱ってきた問いの一部である。ただし、同じ都市経済学でも二つの層がある。一つは、ある都市の内部で人がどこに住むかという層。中心に近いほど地価が高いという地代勾配の議論はここに属する。もう一つは、そもそもどの都市に住むかという層である。前者は都市を所与として内部の配置を説明し、後者は都市そのものの選択を説明する。本稿が扱うのは後者である。
後者を扱う枠組みが、空間均衡と呼ばれるものである。シャーウィン・ローゼンが1979年に素描し、ジェニファー・ロバックが1982年に定式化した。骨格は単純である。人が住む場所を自由に選べるなら、ある地域が他よりも明らかに得であるという状態は続かない。得な場所には人が集まり、地代が上がり、労働が増えて賃金が下がる。この動きは、どこに住んでも得の総量が等しくなるところまで進む。均衡とは、動く理由がなくなった状態のことである。
この枠組みを静岡県の遠州地域に当ててみる。磐田市の住宅地の公示地価は2026年で1平方メートルあたり50,086円、前年比+0.16%である。同じ2026年時点で、北隣の周智郡森町の土地相場は公示地価と取引データをもとにした平均の目安でおよそ26,900円、前年比−0.74%とされる。水準の開きはおよそ1.9倍。ところが両者は、車で行き来できる距離にある。磐田市北部の旧豊岡村エリアから森町までは、市境をまたぐだけである。
この事実は、空間均衡の枠組みに素朴に当てはめると奇妙に見える。同じ通勤圏の内側にあるなら、両者は同じ労働市場を共有している。同じ労働市場なら、賃金の差でこの1.9倍を説明することはできない。では何が説明するのか。人はなぜ、より安い土地のある森町ではなく磐田市を選ぶのか。あるいは逆に、なぜ磐田市ではなく森町を選ぶ人がいるのか。
本稿の答えを先に述べる。地方都市においては、市町村は独立した都市ではない。より広い労働市場圏の一部である。賃金が圏内でほぼ共通であるとき、市町間の地価差は三つのものに帰着する。第一に、雇用の集積地までの通勤費用。第二に、生活環境の質に対する評価、すなわちアメニティ。第三に、土地がどれだけ潤沢に供給されうるかという住宅供給の弾力性。この三分解が、本稿の中心的な道具である。
以下、第2節で空間均衡モデルの構造を数式を使わずに再構成する。第3節でアメニティの価格が賃金と地代のどちらに現れるかという識別問題を扱い、第4節で地方都市において均衡が歪む三つの理由を検討する。第5節で遠州地域の需要の源泉を具体的に読み、第6節で想定される反論に答える。第7節で売主の実務に落とし、第8節で限界と残された課題を述べる。
なお、都市の内部で地価がどのような勾配を描くかという問題は、本稿では扱わない。それは付け値地代の理論が扱う領域であり、別稿の主題である。本稿が見るのは都市の内部ではなく、都市と都市のあいだである。筆者は磐田市見付で不動産の媒介を業とする者であり、この問いは「この物件は誰に届くのか」という日々の実務から出てきたものであることを、あらかじめ断っておく。
2. 空間均衡モデルの構造
空間均衡という言葉は、初めて聞くと逆説的に響く。地域のあいだには明らかに差がある。人口の多い地域と少ない地域、賃金の高い地域と低い地域、地価の高い地域と低い地域。それなのに「均衡している」とはどういうことか。この違和感を解いておかなければ、モデルは道具にならない。
2.1 均衡とは、動く理由がなくなった状態である
モデルが主張しているのは、地域間で観察される変数が等しいということではない。等しいのは、それらの変数を合成した結果としての効用、すなわち暮らしの良し悪しの総量である。賃金が高くても、地代がそれ以上に高ければ差し引きは残らない。地代が安くても、通勤に片道一時間かかり、買い物にも医療機関にも遠ければ、その安さは代償を伴っている。
したがって均衡の条件は、こう述べられる。ある地域に住むことで得られる賃金から、住居に要する費用を引き、そこに生活環境の質を加えたものが、どの地域でも等しい。もしどこか一つの地域だけがこの合計値で他を上回れば、人がそこへ移動を始める。移動は、上回っていた分が消えるまで続く。均衡とは、移動の圧力がゼロになった状態を指す。
この論理は、チャールズ・ティブーが1956年に提示した「足による投票」の考え方と系譜を同じくする。住民が自治体を選ぶという行為そのものが、公共サービスに対する選好の表明になる。人が動けるということが、地域間の差を価格に変換する。空間均衡モデルは、この変換の仕組みを賃金と地代という二つの価格に絞って定式化したものである。
2.2 ローゼンとロバック——アメニティの価格を読み取る
シャーウィン・ローゼンが1979年に示し、ジェニファー・ロバックが1982年に精緻化した着想は、次のようなものである。生活環境の質——気候、治安、景観、公共サービスといったもの——には市場価格が付いていない。誰もそれを直接に買うことはできない。しかし、それを享受できる場所に住むことは買える。したがってアメニティの価格は、その場所の賃金と地代のなかに埋め込まれているはずである。
住み心地の良い地域では、人はそこに住むために何かを差し出す。差し出すものは二つある。高い地代を払うか、低い賃金を受け入れるかである。逆に住みにくい地域では、企業は人を集めるために高い賃金を払わなければならず、土地は安くしか売れない。賃金と地代は、こうしてアメニティの水準を映す鏡になる。この着想が優れているのは、測れないものを測れるものの組み合わせから読み取る道筋を開いた点にある。
2.3 三つの市場が同時に清算する
ロバックのモデルが単なる比喩でないのは、三つの条件を同時に満たす解として均衡を定義した点にある。三つとは、世帯・企業・土地である。順に確認しておく。
- 世帯の条件——どの地域に住んでも効用が等しい。賃金・地代・アメニティの合成が地域間で差を生まない
- 企業の条件——どの地域で操業しても利潤が等しい。賃金・地代・その土地の生産性の合成が地域間で差を生まない
- 土地市場の条件——各地域で土地の需要と供給が一致し、地代が決まる
重要なのは、この三つが独立ではないという点である。世帯が高い賃金を求めて移動すれば労働供給が増え、賃金には下向きの圧力がかかる。企業が安い土地を求めて移動すれば土地需要が増え、地代には上向きの圧力がかかる。賃金と地代は、世帯と企業の両方の行動によって同時に決まる。どちらか一方を原因、他方を結果として並べることはできない。この同時決定の性質が、後の節で扱う識別の問題を生む。
註:本稿は空間均衡を厳密な均衡解として扱うのではなく、地域間の差がどの方向の力を生むかを読むための枠組みとして用いる。現実の地域が均衡に到達していると主張するものではない。第4節で、到達していない理由そのものを扱う。
3. アメニティの価格は賃金と地代のどちらに現れるか
前節で、アメニティの価格が賃金と地代に埋め込まれると述べた。しかしこれだけでは足りない。ある地域の地価が高いという観察から、そこが住みやすい場所だと結論することはできないからである。地価が高い理由は、住みやすいからかもしれないし、企業にとって儲かる場所だからかもしれない。両者は違う話であり、売主にとって含意も違う。この識別の問題を扱うのが本節である。
3.1 消費アメニティと生産アメニティ
ロバックの枠組みが与える最も有用な区別は、アメニティを二種類に分けたことである。第一は消費アメニティ。そこに住む人にとって好ましい性質を指す。穏やかな気候、災害の少なさ、静かな住環境、通いやすい学校や医療機関、買い物の便。第二は生産アメニティ。そこで事業を営む企業にとって好ましい性質を指す。港湾や高速道路への近さ、労働力の厚み、関連する企業の集積、広い平坦な用地。
この二つは、地代に対しては同じ方向に働く。住みやすい地域では世帯が高い地代を払ってでも住もうとし、儲かる地域では企業が高い地代を払ってでも操業しようとする。どちらの場合も土地への需要が増え、地代は上がる。だから地価だけを見ても、どちらが働いているかは分からない。
3.2 賃金の符号が識別を与える
ところが賃金に対しては、二つは逆の方向に働く。消費アメニティが高い地域では、人はそこに住むこと自体に価値を見出すから、多少賃金が低くても集まる。労働供給が厚くなり、賃金には下向きの圧力がかかる。一方、生産アメニティが高い地域では、企業の生産性が高いから、企業はより高い賃金を払える。労働需要が厚くなり、賃金には上向きの圧力がかかる。
したがって、賃金と地代の組み合わせを見れば、その地域で何が働いているかを推し量ることができる。地代が高く賃金が低ければ、消費アメニティが優越している。地代が高く賃金も高ければ、生産アメニティが優越している。この単純な符号の読み分けが、ロバックの枠組みが今日まで使われ続けている理由である。
| 賃金が低い | 賃金が高い | |
|---|---|---|
| 地代が高い | 消費アメニティが優越(住みたい場所) | 生産アメニティが優越(稼げる場所) |
| 地代が低い | どちらも乏しい(人口流出の圧力) | 住環境に難があり賃金で補償されている |
3.3 地方都市に当てるときの注意
この読み分けを地方都市にそのまま持ち込むには、二つの留保が要る。第一に、賃金の地域差を市町村の単位で観察することが難しい。統計は都道府県や広域圏の単位で作られることが多く、市町の境界で賃金が階段状に変わるわけでもない。第二に、そもそも近接する市町のあいだで賃金が違うと考える理由が乏しい。同じ職場に通う人が市境をまたいで住んでいるからである。
この第二点は、留保であると同時に強力な手がかりでもある。賃金が地域間でほぼ共通だと分かっているなら、識別の問題は半分解けている。賃金という変数が動かないのだから、地代の差を生んでいるのは賃金以外のもの——通勤費用、消費アメニティ、そして土地の供給条件——に限られる。第5節でこの三つに分解する作業を行う。
ここで一つ、実務に直結する含意を先取りしておく。地方都市の物件を売るとき、訴求すべきは生産アメニティではなく消費アメニティである。買主は工場を建てるわけではない。彼が評価するのは、そこで暮らすことの質である。ところが販売資料は、しばしばインターチェンジへの近さや幹線道路への接続といった生産側の言葉で書かれる。相手が読む言葉と、書かれている言葉がずれている。
4. 地方都市で均衡が歪む三つの理由
空間均衡モデルは、人と企業が自由に移動できることを前提にしている。移動が自由でなければ、差を消す力は働かない。ところが現実の地方都市では、この前提が三つの場所で緩む。緩み方を知っておくことは、モデルを捨てるためではなく、モデルの予測がどの方向にずれるかを知るために要る。
4.1 持ち家は人を土地に縛る
第一の歪みは、移動そのものの費用である。賃貸で暮らす世帯にとって、住む地域を変えることは契約を一つ切り替えることに近い。ところが持ち家の世帯にとって、移動は資産の売却を伴う。売却には時間がかかり、仲介手数料・登記費用・譲渡課税・引越費用が生じ、そのうえ売れるかどうかが不確実である。移動の費用が高ければ、地域間に差があっても人は動かない。
この非対称は、持ち家率の高い地域ほど強く働く。差が生じても人が動かないなら、差は解消されないまま残る。地方都市で「割高でも割安でもない、ただ動かない市場」が観察されるとき、その背後にはこの摩擦がある。空間均衡は静止した写真としては成り立っていないが、動く方向を示す矢印としては生きている。
4.2 住宅は耐久財であり、供給は下方に動かない
第二の歪みは、住宅というストックの性質から来る。エドワード・グレイザーとジョセフ・ジョーコが2005年に指摘したのは、住宅が耐久財であることの帰結である。需要が増えれば住宅は建つ。しかし需要が減っても、住宅は消えない。建設は速く、消滅は遅い。供給曲線は上方には弾力的で、下方には硬直的である。
この非対称の帰結は重い。人口が増える局面では、需要の増加は主として戸数の増加として現れ、価格はさほど上がらない。ところが人口が減る局面では、戸数が減らないため、需要の減少はそのまま価格の下落として現れる。上がるときはゆっくり、下がるときははっきり。地方都市の住宅市場が持つこの非対称は、モデルの欠陥ではなく、モデルが正しく予測している事柄である。
4.3 調整は価格ではなく空室で起きることがある
第三の歪みは、前二者の合成として現れる。所有者が売却の判断を先送りし、住宅ストックが減らないとき、市場は価格でも数量でもなく「使われない状態」で調整を吸収する。空き家がそれである。空き家は、需要と供給の不一致が価格に現れずに滞留した姿だと読める。
この読み方は、空き家問題の見え方を変える。空き家が多いことは、その地域に需要がないことの証明ではない。需要と、市場に出ている供給とが出会っていないことの表れである。実際、所有者が売り出しさえすれば買い手が現れる物件は少なくない。滞留しているのは物件ではなく、判断のほうである。
以上の三点をまとめると、地方都市における空間均衡は、成立していないのではなく、成立するまでに長い時間がかかる、と言うべきである。差を消す力は働いている。ただしその力が働く速度が、持ち家という所有形態と、住宅という耐久財の性質によって落とされている。次節では、この遅い均衡のなかで需要がどこから来ているのかを、遠州地域の具体に即して読む。
5. 遠州地域の需要の源泉を分解する
理論を具体に当てる。素材とするのは磐田市と森町である。磐田市の人口はおよそ16万3千人(2026年7月末現在で163,224人、72,421世帯)。森町の人口はおよそ1万5,900人(2026年4月1日時点)。人口規模でおよそ十倍の差があり、住宅地の価格水準では磐田市50,086円に対して森町およそ26,900円と、およそ1.9倍の差がある。この差を三つに分解していく。
5.1 単位は市町村ではなく労働市場圏である
分解の前に、単位を正しく置き直さなければならない。空間均衡モデルが言う「地域」とは、行政区画のことではない。人が住み、働き、暮らす一つのまとまりのことである。この単位を市町村に取ると、モデルは意味をなさなくなる。磐田市に住んで浜松市で働く人、森町に住んで袋井市で働く人が、いずれも珍しくないからである。
森町は袋井市・掛川市・浜松市天竜区に囲まれ、磐田市の北側からも車ですぐの距離にある。新東名の遠州森町スマートインターチェンジと天竜浜名湖鉄道の駅を持ち、袋井市・掛川市・浜松市への通勤圏として選ぶ層が存在する。磐田市もまた、市内全域が車で三十分の圏内に収まる広さで、浜松市とは天竜川を挟んで隣接する。県西端の湖西市に至っては、生活圏が愛知県豊橋市側とつながっている。
つまり遠州地域では、複数の市町がひとつづきの労働市場圏を形成している。この圏内では、どこに住んでも到達できる雇用の集合はおおむね重なる。賃金が地域間でほぼ共通だと考えてよい理由はここにある。第3節で述べた識別の問題は、この認識によって大きく簡単になる。賃金という変数が動かないなら、地価差を説明するのは残りの三つだけである。
5.2 差を生む三つの要素
第一は通勤費用である。雇用の集積地までの所要時間が長ければ、その分だけ土地は安くなければ割に合わない。ただしこの効果は、道路網が整い渋滞が慢性化していない地域では小さくなる。第二は消費アメニティ。買い物・医療・学校・行政窓口までの近さ、街の賑わい、地域の付き合いの濃さといった、暮らしの質を構成する要素の束である。ここでは負のアメニティ、すなわち災害リスクも同じ枠に入る。
第三が住宅供給の弾力性である。これは見落とされやすいが、価格水準を決める力としては大きい。宅地にできる土地が潤沢にあれば、需要が増えても価格は上がらず、戸数が増えるだけで済む。逆に宅地化できる土地が制度的に制限されていれば、需要の増加はそのまま価格に乗る。磐田市は市街化区域と市街化調整区域の線引きがある都市計画区域であり、市の総人口のおよそ45%が市街化調整区域に居住しているとされる。森町には線引きがなく、非線引き都市計画区域である。制度の設計そのものが供給の弾力性を左右している。
この三分解を磐田市と森町の1.9倍に当てると、次のように読める。賃金の差はほぼない。通勤費用の差は、道路網の整備を考えれば1.9倍を説明するほど大きくはない。すると残るのは、消費アメニティの差と、土地の潤沢さの差である。森町の土地が安いのは、そこに住むことの価値が低いからだと即断すべきではない。土地が相対的に潤沢であることの帰結でもある。売主にとって、この読み替えは重要である。安さは需要の不在を意味しない。
5.3 需要の源泉を三つに分けて数える
以上を踏まえると、ある物件の買主候補は、その人がどの均衡の上に立っているかによって三つに分けられる。この分類は、後の節で販売経路の割り当てに直結する。
| 需要の源泉 | その人が動く理由 | 価格判断の基準 | 届きやすい経路 |
|---|---|---|---|
| 同じ市町内の住み替え | 家族構成の変化、建物の老朽 | 現住居との比較 | 地域の仲介・現地看板・口コミ |
| 同じ労働市場圏内からの転入 | 通勤時間と広さの取り替え | 圏内の他地区との比較 | レインズ・不動産ポータル |
| 労働市場圏の外からの移住 | 生活の質そのものの選び直し | 出身地の相場との比較 | 自治体の空き家バンク・移住施策 |
三つは同じ物件に対して同時に存在しうるが、比重は物件ごとに大きく違う。市街地の建売住宅であれば第一と第二が主で、里山の古民家であれば第三の比重が上がる。森町の空き家・空き地バンクを閲覧するのは主として移住・二拠点居住を考えている層であり、レインズと不動産ポータルサイトに出せば袋井市・掛川市・浜松市で家を探している層に届く。同じ物件でも、どの層に向けて出すかで結果が変わる。
6. 想定される反論への応答
前節までの議論には、いくつもの反論がありうる。前提が非現実的だという方向、変数が観測できないという方向、そして人口減少下では枠組みが逆立ちするのではないかという方向である。順に検討し、どこまでが言えてどこからが言えないかの線を引いておきたい。
6.1 人はそんなに自由に動かない
最も素朴で、最も重い反論である。人が住む場所を決める理由は、賃金や地代やアメニティの計算だけではない。親の介護、子の学校、地縁、墓、勤め先の異動、配偶者の職場。これらの制約のもとでは、地域間の差を見つけても動けない。均衡を作る力が働かないなら、モデルは現実を説明していないのではないか。
この批判は正しい。ただし、批判が示しているのはモデルの誤りではなく、モデルの読み方である。空間均衡は「現在の配置が最適である」と主張する理論ではなく、「差があれば、それを消す方向に力が働く」と主張する理論である。摩擦が大きければ動きは遅い。第4節の持ち家と耐久住宅の摩擦は、この遅さの源である。速度を予測しないという限界を認めたうえで、方向を読む道具として使う。
6.2 アメニティは主観であり、測れないのではないか
第二の反論はこうである。何を心地よいと感じるかは人によって違う。静けさを好む人もいれば賑わいを好む人もいる。個人ごとに違うものを一つの水準として扱うのは乱暴ではないか。この批判にも一定の理がある。空間均衡モデルは、住民が同質であるという仮定を置くことで、この多様性を捨象している。
しかし、モデルの実務的な価値は測定にではなく、残差の読み方にある。賃金が説明できない部分、通勤費用が説明できない部分、供給条件が説明できない部分。そこに残るものがアメニティである。個々人の選好を測る必要はない。市場が集計した結果としての評価が、価格に残差として現れる。そのうえで、選好の多様性は捨象されるどころか、むしろ売主の武器になる。誰にとっても平凡な物件が、特定の層にとっては強く評価されることがあるからである。
6.3 人口が減る局面では、枠組みが逆に働くのではないか
第三の反論は、地方都市にとって切実である。空間均衡は、得な場所に人が集まることで差が消えると説明する。では損な場所からは人が去る。人が去れば需要が減り、地価が下がる。下がった地価は新たな均衡を作るが、その均衡は以前より低い水準である。枠組みは、地方都市の地価が下がり続けることを予言しているのではないか。
この含意は否定できない。実際、森町の土地相場は前年比−0.74%で、10年前と比べるとおよそ15%下がっているとされる。ただし二点を補っておきたい。第一に、下落は無限には続かない。地価が十分に下がれば、その安さ自体が新たな需要を呼ぶ。土地が40坪から60坪でおよそ355万円から534万円という水準は、都市部から見れば選択肢として成立する価格帯である。第二に、磐田市の住宅地は前年比+0.16%であり、遠州地域が一様に下落しているわけではない。均衡の水準は市町ごとに違う。
6.4 需要の主役は移住者ではない
最後に、本稿自身の議論に対する自己批判を置いておく。空間均衡モデルを地域選択の理論として紹介すると、需要の源泉が「よそから来る人」であるかのように読めてしまう。しかし第5節の分類が示したとおり、地方都市の住宅需要の多くは、同じ市町内の住み替えと、同じ労働市場圏内の移動が占める。移住は目立つが、数としては大きくない。
この点を見誤ると、実務の判断が歪む。移住者に向けた発信ばかりを厚くし、圏内の買主に届く経路を薄くしてしまう。空間均衡の枠組みが本当に教えているのは、遠くから人を呼ぶ方法ではない。同じ圏内に住む人が、なぜ隣の市ではなくここを選ぶのかという問いのほうである。需要の源泉は、しばしば数キロメートル先にある。
7. 売主の実務への含意
ここまでの議論を、売主が実際に取れる手順に落とす。空間均衡の枠組みが与えるのは価格の計算式ではない。需要がどこから来るのかを特定する順序である。順序には理由がある。前の工程の答えが、次の工程の選択肢を絞るからである。
7.1 買主の姿を、三つの問いで描く
最初にすべきは、価格を決めることでも業者を選ぶことでもない。この物件を買う人がどういう人かを、紙の上で描くことである。描くために要る問いは三つしかない。第一に、その人はどこへ通うのか。第二に、その人はこの場所の何を評価するのか。第三に、その人はいつ動くのか。
第一の問いは、雇用の所在を特定する作業である。物件から自動車で三十分の範囲に、どのような働き口があるか。第二の問いは、消費アメニティの棚卸しである。第三の問いは時期の問題であり、転勤・進学・結婚といった、人が住まいを変える節目がいつ来るかに関わる。この三つに答えられれば、需要の源泉は第5節の三類型のどれに寄るかが見えてくる。
7.2 アメニティを棚卸しし、負の側も同じ表に載せる
第二の問いに答えるには、その物件が提供している生活環境を具体的に書き出す作業が要る。抽象的な「住みやすさ」では買主に届かない。届くのは、距離と時間と名前で書かれた事実である。次のような項目を、正の側と負の側の両方について同じ密度で書く。
- 日常の買い物ができる店までの距離と、そこまでの道の走りやすさ
- 小学校・中学校の学区と、通学路の安全に関わる事情
- 内科・歯科・救急を受け入れる医療機関までの所要時間
- 浸水想定区域への該当と、その根拠となる資料の名称
- 近隣の土地利用の見通し——隣が農地か、宅地化が進んでいるか
負の側を同じ表に載せることには理由がある。買主は、いずれ自分で調べる。浸水想定は公開情報であり、重要事項説明の段階では確実に出てくる。売り出しの後で買主が自分で気づけば、そこから価格交渉が始まる。最初から資料に載せておけば、その条件を承知した買主だけが内覧に来る。内覧の数は減るが、成約までの時間はしばしば短くなる。
7.3 源泉ごとに経路を割り当てる
需要の源泉が特定できたら、それぞれに届く経路を割り当てる。同じ市町内の住み替え層には、地域の仲介と現地の掲示、そして口伝えが効く。同じ労働市場圏内からの転入層には、レインズと不動産ポータルサイトが効く。この層は市境をまたいで物件を探しているから、行政区画で検索を区切っていない。圏外からの移住層には、自治体の空き家バンクが効く。磐田市は2021年4月1日に空き家バンクを開設しており、森町も定住推進課が空き家・空き地バンクを運営している。
重要なのは、これらが排他的な選択肢ではないという点である。空き家バンクへの登録とレインズでの流通は両立する。届く層が違うのだから、比重を決めて組み合わせるほうが理にかなう。逆に、公開の範囲を絞れば買主候補は減る。近所に知られたくないという事情がある場合、どこまで絞るとどれだけ候補が減るのかを先に確認したうえで線を引くべきである。
7.4 待つことの意味を、供給の側から考える
第4節で見たとおり、住宅は建つのが速く消えるのが遅い。この非対称は、待つことの意味を変える。値上がりを待つという判断は、需要が増えることに賭けている。しかし供給が下方に硬直的な市場では、需要が戻っても、まず埋まるのは既存の空き家である。保有を続けるあいだ、固定資産税と管理の手間は積み上がる。待つ理由は、市場の側ではなく売主自身の事情の側にしか見出しにくい。
早く現金化する手段として買取を検討する場合も、比較の構造は作れる。当社は自社で買い取る事業を持たず、買取・買取保証を率先して行わない。ただし事情によっては買取が合理的な選択になることを否定するものではない。その場合は、同一の条件を書いた資料を複数の買取会社に同時に提示し、提示額を並べたうえで、仲介で売った場合の手取りと同じ土俵で比べる。条件を揃えること自体が、売主の側から市場に対して行える数少ない操作である。
8. 結論と今後の課題
人はどこに住むかをどう決めるのか。空間均衡の枠組みが与える答えは、こうである。人は賃金と地代とアメニティを合成した暮らしの質を比べ、より良い場所へ動く。その動きは、どこに住んでも質が釣り合うところまで続く。したがって観察される地価は、その地域の望ましさそのものを表す数字ではなく、望ましさと供給条件の釣り合いの結果として現れた数字である。
この枠組みを地方都市に当てるとき、単位の置き方が決定的になる。市町村は独立した都市ではない。磐田市も森町も、袋井市も掛川市も浜松市も、ひとつづきの労働市場圏の一部である。この圏内では賃金がほぼ共通であり、したがって市町間の地価差を説明するのは、通勤費用と、消費アメニティと、住宅供給の弾力性の三つに限られる。
磐田市の住宅地平均50,086円に対し、森町の相場の目安はおよそ26,900円。およそ1.9倍のこの差は、賃金の差ではない。通勤時間の差と、暮らしの利便の差と、そして宅地にできる土地の潤沢さの差である。森町の土地が安いことは、そこに住むことの価値が低いことを意味しない。この読み替えは、売主が自分の物件をどう位置づけるかを変える。
そして第4節で見たとおり、この均衡は速く成立しない。持ち家は人を土地に縛り、住宅は建つのが速く消えるのが遅い。差を消す力は働いているが、働く速度が落とされている。地方都市の空き家は、この遅い調整が「使われない状態」として滞留した姿である。滞留しているのは物件ではなく、しばしば判断のほうである。
8.1 本稿の限界
限界は三つある。第一に、本稿は賃金の地域差を「ほぼ共通」と扱ったが、これを数値で確かめてはいない。市町村の単位で就業者の賃金を観察することが難しく、通勤流動の集計を用いた検証は行っていない。ここは仮定であって、検証された事実ではない。
第二に、用いた地価の数値は性格の異なるものである。磐田市の50,086円は2026年の地価公示にもとづく住宅地の平均であり、森町のおよそ26,900円は公示地価と取引データをもとにした平均の目安である。作成の方法が違う以上、両者の比は水準感を示すものであって、同一の基準による厳密な比較ではない。1.9倍という数字は、桁の感覚として受け取るべきものである。
第三に、三分解のそれぞれがどれだけの寄与を持つかを、本稿は数値として示していない。通勤費用とアメニティと供給弾力性のうち、どれが1.9倍のうち何割を説明するのか。この配分を推定するには、地点ごとの属性を制御したうえで各要素の係数を取り出す作業が要る。本稿が示したのは、分解の枠組みまでである。
8.2 別稿に譲る論点
第一に、都市の内部における地価の勾配は、本稿では扱わなかった。同じ市の内側で、どの地点がどれだけ高いのかという問題は、付け値地代の理論が扱う領域である。本稿が見たのは都市と都市のあいだであり、内部の配置は別稿の主題になる。両者は補い合う関係にあって、代替する関係にはない。
第二に、アメニティのうち公共投資によって作られる部分——道路、駅、学校、公園——が、どのように地価に資本化され、誰に便益が帰着するのかという問題がある。空間均衡の枠組みでは、公共財の便益は最終的に土地所有者に吸収される。この帰着の問題は、公共経済学の側から論じる必要がある。
第三に、住宅供給の弾力性を決めているのは制度である。市街化区域と市街化調整区域の線引き、用途地域の指定、農業振興地域の区分。これらは行政の判断によって引かれた線であり、その線がそのまま供給の量を決め、価格の水準を決めている。制度が価格を作るという主題は、都市計画法制の側から扱うべき論点として残る。
最後に、実務の側に残る問いを挙げておく。需要の源泉を特定する三段の問いは、原理としては明快だが、実際に答えを出すには地域を歩いた知識が要る。どこに働き口があり、どの道が通りやすく、どの店が生活を支えているか。この種の知識は、統計にも登記簿にも書かれていない。理論はどこを見ればよいかを教えてくれる。実際に何が見えるかは、その土地にいる者の観察に残される。
