1. はじめに——問題の所在
不動産の価格を動かすものの中には、所有者が何ひとつしていないのに動くものがある。前を通る道が拡幅される。近くに駅ができる。学校が建ち、公園が整えられ、下水道が入る。これらはいずれも所有者の努力や判断とは無関係に起こり、しかし所有者の資産価値を確実に変える。逆もある。路線バスが減便され、小学校が統合され、公共施設が別の地区へ移る。このときも、所有者は何もしていないのに資産価値が動く。
経済学はこの現象を資本化と呼ぶ。ある場所でしか享受できない便益が、その場所を占有する権利の価格、すなわち地代に反映され、将来にわたる地代の流れが現在価値へ割り引かれて地価となる。道路や駅や公園は、税で費用を賄い、対価を払わない者を排除しないという意味で公共財の性質を持つ。ところが、その便益は空中に散逸するのではない。動かせない財である土地に沈み込み、そこに私的な資産価値として堆積する。
したがって本稿の問いは、二つに分かれる。第一は仕組みの問題である。公共財の便益は、どのような経路をたどって地価になるのか。どこまで落ちるのか。いつ落ちるのか。第二は評価の問題である。費用を負担した者と便益を受け取った者が一致しないこと、すなわち帰着のずれを、公平性の観点からどう評価すべきか。前者は分析の対象であり、後者は価値判断を含む。本稿は両方を扱うが、意識的に混ぜない。
本稿は静岡県磐田市を素材の一つに用いる。同市には東海道本線の磐田駅と豊田町駅があり、これに加えて2020年に御厨駅が開業した。2026年の地価公示をもとにした駅ごとの住宅地の平均は、磐田駅周辺が1平方メートルあたり57,111円(前年比プラス0.51%)、豊田町駅周辺が44,160円(同マイナス0.03%)、御厨駅周辺が43,242円(同プラス0.10%)である。市全体の住宅地の平均は50,086円(同プラス0.16%)であった。
この数字は、新駅の便益がどれだけ地価に落ちたかを直接には語らない。ある一時点の断面からは、駅ができたことによる変化と、駅ができる前からあった立地条件の差とを分離できないためである。本稿はこの限界を隠さずに扱う。数値が語れることと語れないことの境界を引くこと自体が、売主にとっては実務的な意味を持つ。根拠の弱い期待に基づいて売却時期を決めることが、最も高くつく判断になりうるからである。
以下、第2節で公共財という財の性質を確認する。第3節で便益が地価に落ちるまでの経路を三段階に分解し、織り込みの時点を検討する。第4節で資本化が弱まる条件を地方都市に即して整理し、第5節で費用の負担と便益の帰着のずれ、およびそのずれを埋めるために設けられてきた制度を扱う。第6節で公平性の評価を二つの立場から検討し、第7節で売主の実務に落とし、第8節で残された課題を述べる。
なお、学区という個別の公共サービスが地価に資本化される現象、および駅からの距離そのものが価格に及ぼす影響については、それぞれ別稿で扱う。本稿が軸に置くのは、個別の施設ではなく公共財一般の便益がどこに帰着するかという構造と、その帰着をどう評価するかという規範的な問いである。
筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。本稿の関心は、公共投資の是非を論じることにはない。所有者の側に立ったとき、自分の資産価値のうちどこまでが自分の意思決定の結果で、どこからが外から与えられたものなのかを見分けることに、実務上の意味があると考えるためである。自分で動かせない部分を動かそうとする努力は、たいてい報われない。
2. 公共財という財の性質
議論の土台として、公共財とは何かを確認しておく。日常語では「みんなのもの」「行政がつくるもの」という程度の意味で使われるが、経済学ではもう少し限定された定義を持つ。この定義を押さえておかないと、なぜ便益が土地に落ちるのかという後段の議論がぼやける。
2.1 非競合性と非排除性
ポール・サミュエルソンが1954年に整理した公共財の定義は、二つの性質からなる。第一は非競合性である。ある人が消費しても、他の人が消費できる量が減らない。第二は非排除性である。対価を払わない者を、その便益から締め出すことができない。街灯の光は、下を通る人が増えても暗くならず、料金を払っていない通行人だけを避けて照らすこともできない。
この二つの性質を持つ財は、市場に任せると供給されにくい。排除できないなら、対価を払わずに便益だけ受け取るほうが個人にとっては得だからである。全員がそう考えれば、誰も費用を出さず、財は供給されない。これがただ乗り問題であり、税による強制的な費用調達が正当化される主要な根拠となる。マスグレイブ(1959)が財政の機能を資源配分・所得再分配・経済安定の三つに整理したとき、この供給の失敗に対処することが第一の機能に置かれていた。
もっとも、現実の道路や公園は純粋な公共財ではない。混雑すれば互いの利用を妨げ、有料道路のように排除が可能なものもある。純粋公共財と私的財のあいだに程度の異なる財が並んでいると考えるのが実際的であり、本稿が扱う道路・公園・上下水道・学校施設はこの中間帯に位置する。
2.2 局所的公共財と、場所に縛られた便益
ここで重要になるのが、便益の及ぶ範囲である。国防のように国土全体に及ぶ便益もあれば、公園や生活道路のように徒歩圏にしか及ばない便益もある。後者を局所的公共財と呼ぶ。局所的公共財の便益は、非排除的ではあるが、無条件に誰でも受け取れるわけではない。受け取るには、その場所の近くにいなければならない。
この点が決定的である。料金による排除ができない代わりに、距離による事実上の選別が働く。便益を享受したい者は、そこに住むか、そこの土地を使うしかない。そして住む場所には限りがある。ここに競争が発生し、その競争の結果が価格に現れる。局所的公共財は、排除できないがゆえにかえって、立地の価格を通じて対価を徴収する仕組みを内蔵していることになる。
チャールズ・ティブーが1956年に示した考え方は、この構造をさらに一歩進めた。人々は、地方政府が提供する公共サービスの水準と、そのために課される税負担の組み合わせを比較し、自分の選好に合う地域を選んで移り住む。これが足による投票と呼ばれる主張である。移動が自由で、地域の選択肢が十分にあり、移動費用が低ければ、選好の似た人々が同じ地域に集まり、地方公共財の供給は効率的な水準に近づく。
日本の地方都市で、この仮定がそのまま成り立つとは考えにくい。勤務先・親族・地縁に縛られ、市町村をまたぐ移動の費用は小さくない。それでも、市内のどの地区を選ぶか、どの小学校区に住むか、駅の近くにするか幹線道路沿いにするかという、より小さな次元では、同じ比較が働いている。売主にとって重要なのは、この小さな次元での選択が、自分の土地の買い手の数を決めているという事実である。
2.3 資本化という語の意味
資本化とは、将来にわたって受け取る便益、あるいは将来にわたって負う負担の流れが、資産の現在の価格に織り込まれることをいう。ウォーレス・オーツが1969年に行った研究は、地方の公共支出の水準と財産税の負担水準が、住宅価格に反映されていることを示した先駆けとして知られている。以後、公共サービスと税負担がどこまで資産価格に反映されるかは、実証研究の大きな系譜となった。
ここで見落とされやすいのは、資本化されるのは便益だけではないという点である。負担も同じように資本化される。税が重い地域では、その重さの分だけ資産価格が下がる。したがって、公共サービスが手厚く税も重い地域と、サービスが薄く税も軽い地域とでは、価格の差は見かけほど大きくならないことがある。地価を見るときは、便益と負担を対にして読む必要がある。
この理解を売主の言葉に翻訳すれば、こうなる。土地の値段は、その土地そのものが何かを生み出す力の値段ではない。その場所で受け取れる将来の便益の束から、その場所で負う将来の負担の束を差し引いたものの、現在価値である。だから、土地に手を加えていないのに値段が動くことは、異常ではなく当然なのである。
3. 便益が地価に落ちるまで——三つの段階
公共財の便益が地価になるまでには、性質の異なる三つの段階がある。段階を分けて考えると、どこで資本化が止まりうるか、なぜ同じ整備でも地域によって効き方が違うかが見えてくる。以下、順に検討する。
3.1 第一段階——立地をめぐる競争
出発点は、土地という財の物理的な性質である。土地は動かせない。そして、便益の及ぶ範囲にある土地の量は、短期的にはほとんど増えない。農地を宅地に変える、区画を細分するといった調整はありうるが、法規制と物理的条件に縛られており、需要の増加に即応するほどの弾力性はない。
供給がほぼ固定された財に対して需要が増えれば、調整は数量ではなく価格で起こる。ウィリアム・アロンゾが1964年に定式化した付け値地代の考え方はここに接続する。各利用者は、その場所から得られる便益に応じて支払える上限額を持っており、最も高い上限を提示した者がその場所を占有する。便益が大きい場所ほど、上限額の競り上がりが激しくなる。
3.2 第二段階——地代への転写
競争の結果として決まる地代は、便益それ自体の大きさではなく、その場所を得られなかった場合との差によって決まる。ここは誤解されやすい点である。駅ができて年間十万円分の便益が生じたとしても、隣の地区にも同程度の便益が生じていれば、両者の地代差は開かない。資本化されるのは、代替可能な他の立地との相対的な優位だけである。
この性質は、次の二つの実務的な含意を持つ。第一に、広域に等しく及ぶ整備は、地価の差としては現れにくい。市全体の道路網が改善しても、市内の相対的な序列が変わらなければ、地区間の価格差は動かない。第二に、狭い範囲にのみ効く整備は、その範囲の内と外で価格差を生む。境界のすぐ内側と外側で扱いが変わるとき、資本化は鋭い形をとる。
3.3 第三段階——現在価値への割引
地代は年々の流れであり、地価はその流れを一時金に直したものである。将来の地代を現在価値へ割り引く際の割引率が低いほど、同じ地代の上昇はより大きな地価の上昇に翻訳される。金利が低い局面では資本化の倍率が大きくなり、金利が上がれば同じ便益でも地価への反映は小さくなる。
したがって、便益そのものが変わらなくても、金融環境が変われば地価は動く。売主が「駅ができたのに思ったほど上がらない」と感じるとき、原因は便益の側ではなく割引率の側にあることがある。この二つは、地価という一つの数字の中で分かちがたく合成されている。
3.4 織り込みはいつ起こるか
三段階を通した最後の論点が、時点である。資本化は施設が完成した瞬間に起こるのではない。将来の便益が確からしくなっていく過程で、確からしさが増した分だけ段階的に価格へ入っていく。構想が報じられた段階、都市計画が決定された段階、事業が認可された段階、着工した段階、供用が開始された段階。段階が進むごとに不確実性が減り、その減った分が価格に反映される。
この性質は、売主の判断を根本から左右する。供用開始を待って売るという戦略は、供用開始の時点でまだ市場に織り込まれていない情報が残っている場合にのみ意味を持つ。計画が周知され、事業が着々と進んでいるならば、期待の大部分はすでに価格に入っている。待つことで得られるのは、残りわずかな不確実性の解消分だけであり、その間の保有費用と時間の費用は着実に発生する。
逆に、まだ確からしくない段階の情報を根拠に高い価格を提示すれば、買主はその不確実性を割り引いて評価する。売主が確信している将来と、買主が支払う金額のあいだには、確からしさの差に相当する隔たりがある。この隔たりを埋める方法は、確からしさを示す資料を出すこと以外にない。願望を語ることでは埋まらない。
4. 資本化はどこまで効くか——地方都市の条件
前節で見た三段階は、いくつかの条件が揃ってはじめて最後まで進む。条件が欠ければ、便益は途中で価格になり損ねる。ここでは、地方都市で崩れやすい三つの条件を順に検討し、そのうえで磐田市の駅別の数値を読む。
4.1 便益は場所に縛られているか——車移動という代替
第一の条件は、便益がその場所でしか受け取れないことである。駅の便益が徒歩圏に限られるなら、徒歩圏の土地が競り上がる。ところが、駅まで車で行き駐車場に置いて乗るという行動が一般的な地域では、駅の便益は徒歩圏を大きく超えて薄く広がる。距離による減衰が緩やかになり、地価の勾配は平らになる。
同じことは公園にも図書館にも商業施設にも言える。地方都市で資本化が弱く観察されることの相当部分は、便益が薄く広く行き渡ることの裏返しである。これは便益が小さいことを意味しない。価格差として現れにくいことを意味するだけである。
4.2 土地の供給は増えないか——周辺の開発余地
第二の条件は、便益の及ぶ範囲で土地の供給が増えないことである。供給が弾力的であれば、需要の増加は価格ではなく数量として吸収される。新しい拠点の周囲に農地や未利用地が広がっており、それらが順次宅地化できるなら、宅地は増え、地価はさほど上がらない。便益は地価ではなく、そこに住めるようになった世帯の数として現れる。
ここで効いてくるのが土地利用規制である。磐田市は市街化区域と市街化調整区域の線引きがある都市計画区域であり、市の都市計画の資料では市の総人口のおよそ45%が市街化調整区域に住んでいるとされている。線引きと農業振興地域の区分は、宅地への転換を抑える方向に働く。規制が強いほど供給は非弾力になり、便益は価格に集まりやすくなる。用途地域の指定が価値の源泉にもなるという逆説は、ここに根がある。
したがって、資本化の強さは技術ではなく制度によっても決まる。同じ新駅でも、周囲が既成市街地であれば地価に、周囲に開発余地が広がっていれば宅地の増加に、便益は姿を変えて現れる。売主が見るべきは、自分の土地の周囲に代替となる供給がどれだけ控えているかである。
4.3 需要の総量は伸びているか
第三の条件は、地域全体の需要が伸びていることである。人口が伸びない中で新しい拠点が整備されると、そこに集まる需要の多くは市外からの流入ではなく、市内の他地区からの移動になる。市全体で見れば需要の総量は変わらず、地価の分布が塗り替わるだけになる。ある地区の上昇は、別の地区の下落と対をなす。
磐田市の人口は2026年7月末時点で163,224人、世帯数は72,421世帯である。この規模の市で、需要の総量が短期間に大きく増えることは考えにくい。だとすれば、市内の整備がもたらすのは主として再配分であり、市全体の住宅地の平均が2026年の地価公示で前年比プラス0.16%という落ち着いた値にとどまることとも整合する。
4.4 磐田市の駅別の数値を、慎重に読む
以上を踏まえて、冒頭に挙げた数値に戻る。2026年の地価公示をもとにした駅ごとの住宅地の平均は、磐田駅周辺が1平方メートルあたり57,111円、豊田町駅周辺が44,160円、2020年に開業した御厨駅周辺が43,242円であった。前年比はそれぞれプラス0.51%、マイナス0.03%、プラス0.10%である。
この断面から読み取れることは限られている。御厨駅周辺の水準が豊田町駅周辺とほぼ並び、磐田駅周辺を下回ることは事実だが、それは新駅の便益が小さいことの証拠にはならない。開業前の水準が分からなければ、変化量は測れない。また前年比の数値は開業から数年を経た時点での年次変化であり、開業に伴う織り込みは、それ以前の各段階ですでに進んでいた可能性がある。
資本化の大きさを測るには、開業の前後を通した同一地点の系列と、同じ市内で条件の似た対照地区の系列を並べ、両者の差の推移を見る必要がある。本稿はその作業を行っていない。ここで確認できるのは、駅の存在そのものよりも、生活圏の性格——車移動が前提であること、土地の広さや駐車台数が重く見られること——が価格差の主要な説明要因になりうるという、前節までの理論と矛盾しない状況の存在にとどまる。
註:本稿は個別の事業について、費用をどの主体がどの割合で負担したかという実態には立ち入らない。新駅の設置費用を地元自治体が負担する方式が一般に存在することは知られているが、特定の事業の負担構成を確認せずに論じることは、本稿の禁じ手である。ここで扱うのは、負担と受益がずれうるという構造の一般的性質である。
5. 費用の負担と、便益の帰着
ここから、仕組みの問題から配分の問題へ移る。公共財の費用は、国税・県税・市町村税として広く薄く集められる。便益は、前節までに見たとおり、特定の場所の土地に厚く沈む。負担の分布と受益の分布が一致しないこと自体は珍しくないが、不動産の場合はそのずれが資産価格という形で可視化され、しかも長期にわたって固定される点に特徴がある。
5.1 ずれは三つの軸で生じる
第一は空間の軸である。市の全域から集めた税で整備した施設の便益が、市の一部の地区に集中する。整備地区から離れた納税者は、費用を負担しながら便益をほとんど受け取らない。広域の財源が投入されれば、負担者の範囲はさらに広がる。
第二は時間の軸である。便益は将来にわたって発生するが、資本化は将来分をまとめて現在の価格に押し込む。整備が確からしくなった時点で土地を持っていた者が、将来分の便益をまとめて資産価値の形で受け取る。その後に買う者は、上昇した価格を払って取得するため、便益と対価が釣り合う。得をするのは、たまたまその時点の所有者だった一世代である。
第三は属性の軸である。同じ地区に住んでいても、所有者と借家人では立場が違う。便益は家賃に転嫁され、最終的には土地の所有者に帰着する。借家人は便益を享受しているように見えて、その対価を家賃として支払っている。地域が便利になることは、借りて住む人にとって、そのまま純粋な利益になるとは限らない。
| 区分 | 費用を負担する主体 | 便益を受け取る主体 | ずれの内容 |
|---|---|---|---|
| 空間 | 自治体・広域の納税者全体 | 整備の及ぶ範囲の土地所有者 | 区域外の負担者は受益しない |
| 時間 | 各年度の納税者 | 整備が確定した時点の所有者 | 将来分が一時点の所有者に集中 |
| 属性 | 納税者一般 | 土地所有者(借家人は家賃で支払う) | 居住と所有で立場が分かれる |
5.2 開発利益の還元という制度
このずれを埋めるための制度は、日本でも早くから設けられてきた。代表的なものを三つ挙げる。いずれも、便益を受ける土地の側から費用の一部を回収するという発想を共有している。
- 受益者負担金——都市計画法第75条は、都市計画事業によって著しく利益を受ける者に対し、受益の限度において事業費の一部を負担させることができると定める。下水道の整備で用いられることが多い
- 都市計画税——地方税法に基づき、原則として市街化区域内の土地・家屋に課される目的税である。制限税率は0.3%とされ、都市計画事業や土地区画整理事業の費用に充てられる
- 土地区画整理事業の減歩と換地——土地区画整理法に基づく事業では、地権者が土地の一部を提供し、道路・公園などの公共用地と保留地に充てる。宅地の利用価値が上がることを前提に、上昇分の一部を土地そのもので還元する仕組みである
これらに加えて、固定資産税と都市計画税は、評価額を通じて事後的に上昇分を捕捉する。地価が上がれば評価額が上がり、税額が増える。その意味では、資本化された便益の一部は、毎年の保有課税として継続的に回収されているとも言える。
5.3 還元は、なぜ部分的にとどまるか
とはいえ、これらの制度による回収は、資本化された価値の全体を捉えるものではない。理由は三つある。第一に、受益者負担金は事業と受益の対応が特定できる場面に限られ、便益が広く薄く及ぶ整備には適用しにくい。第二に、都市計画税は市街化区域という広い単位に一律に課され、便益の大小に応じた配分にはなっていない。第三に、保有課税は評価額の変動に遅れて反応し、税負担の急変を避けるための調整も働く。
そして、より本質的な事情がある。資本化された利得は含み益であって現金ではない。土地の値段が上がっても、所有者の手元に現金は入らない。入るのは売却したときだけである。売らない所有者にとって、地価の上昇がもたらす最も確実な変化は、保有税という現金支出の増加である。還元の制度を強めるほど、この非対称——利得は含みで、負担は現金で——が重くなる。次節で扱う公平性の議論は、この点を避けて通れない。
6. 帰着の公平性をどう評価するか
前節で確認したずれを、どう評価すべきか。この問いには古い系譜があり、そして有力な反論がある。本節では批判の側と反論の側を順に置き、最後に本稿の立場を述べる。結論を先に言えば、批判にも反論にも一定の理があり、争点は資本化という現象そのものではなく、還元の制度設計の側にあると考える。
6.1 不労の増価という批判
批判の源流は、ヘンリー・ジョージが1879年の『進歩と貧困』で提示した議論にある。社会が発展し、人口が増え、公共投資が積み重なると、地代は上昇する。その上昇は土地所有者の努力によるものではなく、社会全体の進歩の結果である。にもかかわらず、上昇分は土地所有者の私的な所得となる。ジョージはこれを不労の増価と呼び、地代への課税によって社会に還元すべきだと主張した。
この主張には、効率性の側からの補強がある。土地の供給は課税によって減らない。したがって地代への課税は、他の税と違って生産活動を歪めない。労働への課税は働く量を減らし、資本への課税は投資を減らすが、土地への課税は土地の量を減らさない。この性質から、地代への課税を公共財の財源に充てるべきだという主張が導かれる。都市の規模が適切に決まっているとき、地代の総額が公共財の費用を賄いうるという命題群が、後に理論的な形で提示されてもいる。
6.2 三つの反論
第一の反論は、負の資本化である。資本化は上向きにだけ働くわけではない。学校が統合される、路線が減便される、公共施設が別の地区へ移る、災害の危険が新たに公表される。こうした変化も、同じ仕組みで地価に落ちる。所有者は利得だけを受け取る立場にはいない。選ぶことのできない損失を、同じ非選択性のもとで負っている。増価だけを取り上げて課税するなら、減価の扱いを対にして考えなければ、評価としては一面的である。
第二の反論は、取得時点の問題である。整備が織り込まれた後にその土地を買った者は、上昇した価格を支払って取得している。その者にとって上昇分は不労の増価ではなく、支払済みの対価である。所有期間を問わずに増価を課税の対象とすれば、この者は同じ便益に二重に支払うことになる。資本化が早い段階で進むほど、この問題は深刻になる。誰が本当の受益者かを識別することは、実際には容易でない。
第三の反論は、流動性の制約である。前節の末尾で触れたとおり、資本化された利得は含み益であり、現金ではない。年金で暮らす高齢の所有者にとって、周辺が便利になることの帰結は、保有税の増加という現金支出である。含み益を現金化するには売却するしかないが、売却すれば住む場所を失う。増価に課税する制度は、この層に対して売却を強いる圧力として働きうる。
6.3 本稿の位置——争点は還元の設計にある
以上を踏まえると、資本化そのものを不当と呼ぶことには無理がある。資本化は誰かが設けた制度ではなく、土地が動かせず量が増えないという物理的性質から自動的に生じる現象である。廃止することはできない。評価の対象になるのは、生じた帰着に対して社会がどう応答するか、すなわち還元の制度をどう設計するかである。
設計を考えるうえで、前節までの分析は二つの指針を与える。第一に、還元は便益の及ぶ範囲と対応させたほうが正当化しやすい。市街化区域という広い単位に一律に課すよりも、事業と受益の対応が特定できる場面で受益の限度において求めるほうが、負担の説明がつく。第二に、含み益と現金支出の非対称を無視した設計は、支払能力の低い層を圧迫する。売却時に課税の機会を寄せる、あるいは徴収を繰り延べるといった仕組みが検討に値するのは、この理由による。
本稿は制度の提案を目的としないため、ここから先には踏み込まない。売主にとって重要なのは、次の一点である。自分の資産価値のうち、公共財の便益に由来する部分は、自分の交渉によって生み出したものではない。同じ理由で、その部分は自分の交渉によって守れるものでもない。守れるのは、その部分がすでに価格に入っているかどうかを見分け、判断の時期を誤らないことだけである。
7. 売主の実務への含意
ここまでの議論を、売主が実際に取れる手順に落とす。中心にあるのは、第3節で述べた織り込みの時点という論点である。公共財の変化を、確からしさの段階に分けて把握し、どこまでが価格に入っているかを見分ける。順序には理由があり、後の判断に必要な材料を先に揃えるように並べてある。
7.1 公共財の変化を、段階と時点で整理する
まず、自分の土地の周辺で進んでいる、あるいは進むと言われている公共の事業を書き出す。そのうえで、それぞれがどの段階にあるかを確かめる。噂の段階なのか、計画として決定されたのか、事業として認可されたのか、工事が始まっているのか、すでに使われているのか。段階が違えば、価格への織り込み方も、買主への説明の仕方も変わる。
| 段階 | 確からしさ | 価格への織り込み | 売主の扱い方 |
|---|---|---|---|
| 構想・要望の段階 | 低い | ほとんど入らない | 価格の根拠にしない。言及するなら段階を明示する |
| 都市計画の決定 | 中程度 | 一部が入り始める | 決定の事実と時点を資料で示す |
| 事業の認可・着工 | 高い | 相当程度が入る | 予定時期を出典つきで示す |
| 供用の開始 | 確定 | 大部分が入り終えている | 待つ理由としては弱い。現況として説明する |
確認先は行政の窓口である。都市計画の内容、用途地域、立地適正化計画における居住誘導区域や都市機能誘導区域の位置づけ、上下水道の整備予定。これらは公開された情報であり、所有者であれば確かめられる。伝聞のまま扱わないことが要点である。
7.2 待つ判断は、織り込み済みかどうかで決める
「近くに施設ができるから、それを待ってから売る」という判断は、しばしば聞かれる。この判断が合理的なのは、まだ価格に入っていない情報が残っている場合に限られる。すでに周知され、工事も進み、市場の関係者が織り込んでいるなら、待つことで得られるのは残りの不確実性が消える分だけである。
他方、待つあいだの費用は確実に発生する。固定資産税と都市計画税、建物があれば劣化と管理の手間、空き家であれば近隣への配慮と保険。これらを年額で書き出し、期待できる上昇分と同じ表の上で比較する。第6節で述べたとおり、含み益は現金ではないが、保有費用は現金である。この非対称が、待つ判断を実際より魅力的に見せる。
7.3 買主に伝えるときは、段階と出典と時点を添える
周辺の整備予定は、売却の材料として有効である。ただし、書き方を誤ると逆に働く。未確定のものを確定したかのように書けば、買主が調べた時点で信頼を失う。仮に契約に至っても、期待した整備が実現しなかったときに紛争の火種になる。段階と出典と時点を添えて事実として書き、評価は買主に委ねるのが、結果として最も価格を支える書き方である。
7.4 撤退の情報も、同じ重さで見る
整備の情報ばかりを追い、撤退の情報を見落とすことが多い。学校の統廃合、路線の減便、公共施設の再編、誘導区域の外側に置かれること。これらはいずれも負の資本化として価格に落ちる。しかも、上向きの情報より遅れて認識されやすい。所有者にとって不都合だからである。
早く気づいた者だけが、判断する時間を持てる。地価の下落そのものは所有者に止められないが、下落が織り込まれる前に判断することはできる。第6節で述べた非選択性は、損失を避けられないという意味であって、時期を選べないという意味ではない。
7.5 早期の現金化を選ぶ場合の比較の仕方
事情があって早く現金化したい場合もある。当社は自社で買い取る事業を持たないため、買主にはならない。買取という売り方そのものを否定するものではないが、当社の側から率先して行いません。選択肢として検討される場合は、同一の条件を書いた資料を複数の買取会社に同時に提示し、金額を並べて比較していただく形をお勧めしている。
その比較の際も、本節の枠組みは使える。周辺の整備がどの段階にあり、提示された金額がその織り込みを反映しているのか、それとも現況だけで評価されているのか。段階を整理した資料は、仲介で売る場合にも買取を比較する場合にも、同じように役に立つ。
8. 結論と今後の課題
公共財の便益は誰に帰着するか。本稿の答えは、便益の及ぶ範囲にある土地の所有者に、資産価値という形で帰着する、というものである。費用は税として広く薄く集められ、便益は動かせない財に厚く沈む。この非対称は誰かが設計したものではなく、土地が移動できず量も増えないという性質から自動的に生じる。
ただし、帰着の程度は場所によって大きく違う。便益が場所に強く縛られているか、周辺に代替となる土地の供給があるか、地域全体の需要が伸びているか。この三つの条件が揃うほど資本化は強く働き、崩れるほど便益は価格以外の形——宅地の増加、生活の利便、他地区からの移動——に姿を変える。車移動が前提で、周辺に開発余地があり、人口が伸びない地方都市は、まさに条件の崩れる側にある。
公平性については、二つの立場を対置した。土地所有者が努力なく利益を得るという批判には理があり、しかし所有者は同じ非選択性のもとで撤退や廃止による損失も負っている。整備後に取得した者にとって上昇分は支払済みの対価であり、含み益は現金ではない。したがって争点は、資本化という現象の当否ではなく、還元の制度をどこまで、どのような形で設けるかという設計の問題に移る。
8.1 実証上の限界
本稿の限界を明記しておく。第一に、ここで行ったのは理論的枠組みによる整理であり、実証分析ではない。第4節で扱った駅別の地価は、ある一時点の断面であって、新駅の効果を識別する材料にはならない。効果を測るには、開業前後を通じた同一地点の系列と、条件の似た対照地区の系列を並べる必要がある。
第二に、地方の薄い市場では、その作業自体が難しい。年間の取引件数が少なければ、公的な指標の地点数も限られ、統計的に意味のある比較を組むだけの観測が集まらない。第4節で述べた資本化の弱まりが、実際に弱いのか、それとも観測できていないだけなのかを分けることは、容易ではない。
8.2 別稿に投げる論点
本稿は公共財一般の便益帰着を扱ったため、個別の公共サービスに固有の論点は扱いきれていない。教育環境がどのように地価へ資本化され、地方都市でなぜ減衰するのかは、通学手段と学校選択の制度に踏み込む必要があり、別稿の主題とする。駅からの距離そのものが価格に及ぼす影響と、その例外についても同様である。
また、税の負担者と経済的な帰着がずれる現象は、本稿が扱った便益の帰着と鏡像の関係にある。取引にかかる税を誰が実際に負担しているかという問いは、需要と供給の弾力性という同じ道具立てで扱える。薄い市場でその帰着がどちらに寄るかは、本稿の第4節と接続する論点である。
さらに、負の外部性の側——管理不全の空き家が近隣に及ぼす費用や、人口が減る前提での資産価値の考え方——も、資本化という同じ経路をたどる。便益が地価に落ちるなら、迷惑もまた地価に落ちる。本稿で扱ったのはその一方の向きにすぎない。
最後に、売主に向けて一点だけ繰り返しておく。地価のうち、公共財の便益に由来する部分は、外から与えられたものである。それを自分の手柄と考える必要はなく、失われたときに自分の責任と考える必要もない。理論が教えるのは、どこを見ればよいかということだけである。見るのは、その土地を前にした当事者の仕事になる。
