1. はじめに——問題の所在
住宅の広告に「◯◯小学校区」と書かれ、査定の場で「この学区は人気があるから」と語られる。売主はそれを価格の根拠として持ち出し、買主はそれを検索の条件として使う。ところが、その語が何を指し、それが価格をいくら動かしているのかを説明できる当事者は多くない。学区という言葉は、根拠を示さないまま根拠として通用している数少ない語のひとつである。
先に本稿の射程を限定しておく。本稿は特定の学校の優劣を論じない。どの学校が良いか、学校を基準に住まいを選ぶことをどう評価すべきかという問題も扱わない。これは価値判断を避けるためだけではない。第4節で示すとおり、市場で観測される価格差から学校の質を取り出すことは、方法論上そもそもできないからである。本稿が扱うのは、教育環境という地域属性が土地の価格へ織り込まれる仕組み、すなわち資本化という経済現象に限られる。
資本化とは、ある場所に付随する将来の便益や費用の流れが、その場所の地価に一括して織り込まれる現象をいう。道路が通れば沿線の地価が上がり、浸水想定区域に入れば地価が抑えられる。いずれも、その場所を所有し続けることで将来得られる(あるいは失われる)ものが、現時点の一つの価格に圧縮された結果である。学区プレミアムとは、この圧縮が教育環境という属性について起きたときの上乗せ分を指す。
本稿は三つの問いを立てる。第一に、学区プレミアムは何に由来するのか。学校そのものなのか、通学の便なのか、そこに集まる世帯の構成なのか。第二に、市場で観測される学区間の価格差を、学校に帰属させることはできるのか。第三に、通学が徒歩を前提とする市街地と、車での送迎が当たり前になっている地方都市とで、この効果はどう変わるのか。
第三の問いが本稿の中心である。学区プレミアムをめぐる議論の多くは、通学手段が徒歩であることを暗黙の前提として組み立てられている。その前提が外れる市場で同じ議論をそのまま持ち込めば、売主は存在しない価値を価格に上乗せし、結果として販売期間を失う。逆に、効いている局面で学区を伝えなければ、届くはずの買主層に届かない。減衰の条件を特定することは、実務上の判断に直結する。
以下、第2節で資本化という現象の骨格をティブーとオーツによって確認する。第3節で日本の就学校指定制度をこの枠組みに照らす。第4節で識別の問題を扱い、価格差を学校に帰属させられない理由を述べる。第5節で徒歩通学を前提とする市街地の構造を、第6節で車移動を前提とする地方都市での減衰を検討する。第7節で売主の実務に落とし、第8節で限界と残された論点を記す。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たないため、本稿の関心は、売主が価格の根拠を自分で検証できる状態をつくることにある。学区は、根拠として使えるときと使えないときの差が特に大きい属性であり、その線引きを示すことが本稿の実務的な目的である。
2. 資本化という現象の構造
学区プレミアムを論じる前に、地域属性が地価に転写される仕組みそのものを再構成しておく。ここを曖昧にしたまま「学区で価格が変わる」と述べても、何が価格を動かしていて何が動かしていないかを切り分けられない。
2.1 足による投票——ティブー(1956)
公共財には、対価を払わない者を排除しにくいという性質がある。そのため人々は自分がそれをどれだけ欲しているかを正直に申告する動機を持たず、市場のように選好が価格へ現れない。この難点に対してチャールズ・ティブーが1956年に示した着想は単純である。地方公共財に限れば、住民は自治体を選んで移り住むことによって選好を表明している、というものであった。
この機構が働くために、ティブーはいくつかの前提を置いた。住民が費用なく移動できること、各自治体の税と支出の組み合わせを知っていること、選べる自治体が十分に多いこと、勤務先の位置に居住地を縛られないこと、自治体間に外部性がないこと。前提はいずれも強い。しかし前提が強いことは、モデルが無意味であることを意味しない。前提が崩れる方向を特定すれば、現実の市場で機構がどれだけ弱まるかを読めるようになる。本稿第6節は、この読み方を地方都市に適用したものである。
2.2 便益は土地所有者に帰着する——オーツ(1969)
ティブーの着想を価格の問題へ接続したのがウォレス・オーツの1969年の研究である。住民が財政パッケージを求めて移動するなら、望ましいパッケージを持つ地域には住宅需要が集中する。ところが土地は増やせない。超過需要は数量ではなく価格で吸収され、地方支出の便益は地価の上昇として現れる。逆に財産税の負担は地価を押し下げる。オーツは自治体別の資産価値のデータを用いて、この二方向の効果が実際に観測されることを示した研究として知られている。
この帰結には、実務上きわめて重要な含意がある。便益を無償で受け取るのは、資本化が起きた時点でその土地を持っていた所有者だけだという点である。後から移り住む世帯は、便益をあらかじめ価格に含んだ形で購入する。彼らにとって学区は無料の付加価値ではなく、購入代金として前払いした費用である。したがって売主が学区を価格の根拠として主張することは、経済学的には筋が通っている。問題は、その主張が成り立つ条件のほうにある。
2.3 資本化が続くための条件——ハミルトン(1975)
ティブーの均衡には弱点がある。便益の大きい地域に、負担を分担しない世帯が流入すれば、一人当たりの便益は薄まり均衡は壊れる。ブルース・ハミルトンが1975年に指摘したのは、土地利用規制がこの流入を制限することで均衡を支えているという点であった。区画の最低面積や用途の指定が、便益の享受者を一定の負担を負う層に限定する。規制と資本化は対立するものではなく、補い合っている。
学区の文脈では、通学区域の線引きそのものがこの役割の一部を果たしている。区域の内側に住むという条件を満たさなければ指定校には通えない。境界という線が、便益と土地の結びつきを制度的に固定しているのである。逆にいえば、その結びつきが緩い制度のもとでは、資本化は起きにくい。第3節で日本の制度を検討するのは、この結びつきの強さを確認するためである。
註:本稿はティブー・モデルを厳密な均衡分析としてではなく、どの前提が崩れるとどの方向に効果が弱まるかを読むための枠組みとして用いる。前提の非現実性を理由にモデルを捨てると、減衰の経路を体系的に語る手段まで失われる。
3. 日本の通学区域制度と、モデルとの距離
第2節で確認した枠組みは、地方政府が税と支出を独立に決める制度を前提に組み立てられている。日本の義務教育はその前提を部分的にしか満たさない。どこが一致し、どこが離れるのかを整理しておく。
3.1 住所が学校を決める、という結びつき
公立の小中学校について、児童生徒が就学すべき学校は市町村の教育委員会が指定する。学校教育法施行令が定めるこの仕組みのもとで、指定は原則として住所を基準に行われる。したがって、どこに住むかを決めることは、通う学校を決めることとほぼ同義になる。ティブーが描いた「移動による選好の表明」に必要な土台は、この点については制度的に用意されているといえる。
もっとも、結びつきは完全ではない。同施行令は、保護者の申立てにより指定を変更しうる余地と、住所地以外の市町村の学校へ通う区域外就学の仕組みを併せて定めている。運用は市町村ごとに異なり、認められる事由の幅にも差がある。結びつきが緩い運用が広く知られている地域ほど、住所と学校の対応は弱まり、資本化の力も弱まると考えられる。これは制度の良し悪しの話ではなく、価格形成の条件が変わるという事実の指摘である。
3.2 税と支出の対応が見えにくい
オーツの枠組みが働くには、住民が「この地域は税をこれだけ取り、教育にこれだけ使っている」という対応を認識できる必要がある。日本の義務教育では、この対応が見えにくい。教職員の人件費は国と都道府県が大きな部分を負い、学習指導要領をはじめとする運営の基準は全国で共通に設定される。市町村が固定資産税をいくら集めているかと、目の前の学校の運営水準との間には、住民が観察できる直接の対応関係がない。
この点は重要な帰結を持つ。日本で観測される学区に関連した価格差は、オーツ的な「税と支出のパッケージ」の資本化としてよりも、通学のアクセスと近隣の同質性の資本化として読むほうが整合的だということである。言い換えれば、学区プレミアムと呼ばれてきたものの正体は、学校の投入量の差ではなく、区域という線が住宅需要を空間的に仕切ることの効果である可能性が高い。
| ティブー・モデルの前提 | 日本の地方都市における実情 |
|---|---|
| 選べる自治体・区域が十分に多い | 通勤圏内の市町は限られ、区域の数も少ない |
| 移動の費用が無視できる | 住み替えには取引費用と地縁の断絶が伴う |
| 税と支出の対応を住民が知っている | 義務教育の費用は国・都道府県・市町村に分かれ対応が見えない |
| 勤務先に居住地を縛られない | 勤務先の位置が居住地の選択を強く規定する |
| 地域間で公共サービスの水準が異なる | 義務教育は全国共通の基準の下で運営される |
3.3 資本化の源泉を二層に分ける
以上から、本稿は学区に付随する便益を二つの層に分けて扱う。第一層は、指定校に通えるという地位そのものである。これは制度が住所に紐づけている以上、区域の内側でしか得られない。第二層は、通学の物理的な負担、すなわち距離・所要時間・経路の安全・保護者の送迎負担である。これは区域の内側でも位置によって連続的に変わる。
この二層の区別が、本稿の議論の骨組みになる。第5節で見るとおり、徒歩通学が前提の市街地では第一層と第二層が重なり合って強い価格差を生む。第6節で見るとおり、車での送迎が一般的な地方都市では第二層がほぼ消え、第一層だけが残る。残った第一層も、区域の広さと選択肢の少なさによって価格へ転写されにくくなる。減衰はこの二段階で起きる。
4. 価格差を学校に帰属させられるか
ここで、本稿が特定の学校の優劣を論じない理由を、方法論の側から述べる。倫理的な配慮としてそうするのではない。市場価格から学校の質を取り出す作業には、原理的な困難があるからである。
4.1 学区は近隣とほぼ同じ空間を占める
住宅価格を属性の束として分解する考え方は、ランカスター(1966)とローゼン(1974)に遡る。住宅は面積・築年・接道・日照といった属性の集合であり、価格はそれぞれの暗黙価格の合計として読める。学区もこの属性の一つに数えられる。ところが学区という属性は、他の属性と極端に強く相関している。
ある通学区域が占める空間は、その地域の街区・道路網・宅地の造成年代・住宅ストックの質と、ほぼ同じ広がりを持つ。区域Aの住宅が区域Bの住宅より高いとき、その差が学校に由来するのか、区画の広さに由来するのか、造成が新しいことに由来するのか、生活施設の集積に由来するのかを、単純な比較では分離できない。統計学の言葉でいえば、学区は近隣属性と交絡している。
4.2 境界不連続デザインという解決
この交絡に対して考案されたのが、区域の境界だけを使う手法である。サンドラ・ブラック(1999)が用いた設計はこうである。同一の学区境界を挟んで向かい合う住宅だけを標本にとる。道路一本を隔てただけの住宅どうしであれば、街の景観も生活施設への距離も治安も連続していると仮定できる。不連続に跳ぶのは、指定される学校だけである。そこで観測される価格差なら、学区に帰属させられる。
この設計を用いると、地域全体を粗く比較したときに現れる価格差はかなり縮むことが知られている。つまり、素朴な比較で「学区の差」と呼ばれてきたものの相当部分は、近隣属性の差だったことになる。学区の効果が消えるわけではないが、通説より小さいという方向に結果が動いた点が、この研究群の要点である。
4.3 それでも残る三つの問題
第一に、境界そのものが内生的でありうる。通学区域の線は、しばしば河川・幹線道路・尾根・旧村界に沿って引かれる。これらは同時に、住宅地の性格を分ける線でもある。境界の両側が連続しているという仮定は、境界が任意に引かれた場合にしか成り立たない。
第二に、同時性の問題がある。学校を構成するのはそこに通う児童生徒であり、その顔ぶれは近隣にどのような世帯が住んでいるかで決まる。ある区域に一定の世帯層が集まれば学校の環境はそれを反映し、その環境がさらに同じ層を呼び込む。原因と結果が循環しているため、価格差の何割が学校の側にあり何割が世帯構成の側にあるかを切り分ける操作は、極めて難しい。
第三に、価格には現在の状態ではなく将来の予想が織り込まれる。児童数の推移、統廃合の見通し、区域見直しの噂。これらは観測されないまま価格に入り込む。過去の価格差を将来にそのまま延長する推論は、ここで足をすくわれる。
以上より、市場で観測される学区間の価格差は、学校の質の指標として読むことができない。読めるのは、その区域に対する住宅需要の強さだけである。本稿が学校の優劣に踏み込まないのは、踏み込むだけの根拠を市場価格が与えないからである。売主が査定書で「学区が良いから」という説明を受けたとき、その説明が何を述べていないかを知っておくことには実務的な意味がある。
5. 徒歩通学が前提の市街地——境界が断層になる
本節では、通学が徒歩で行われることを前提とした市街地で、学区が価格へ転写される仕組みを検討する。ここが標準的な議論の舞台であり、第6節の減衰を測るための基準線になる。
5.1 通学距離が便益の量を決める
国の施設費補助の制度では、適正な学校規模の条件のひとつとして、通学距離が小学校でおおむね4キロメートル以内、中学校でおおむね6キロメートル以内という目安が置かれている。実際の通学区域はこれよりずっと小さく設計されることが多いが、目安の存在は、区域の広がりが徒歩という移動手段を基準に決められてきたことを示している。
徒歩通学が前提であれば、住宅から学校までの距離は、そのまま毎日の所要時間、荷物の負担、経路上の交通量、保護者が付き添う必要の有無に変換される。これは第3節で分けた第二層、すなわち通学の物理的負担である。同じ区域の内側でも、学校に近い側と区域の端とでは、この負担が明確に違う。ゆえに市街地では、区域間の差だけでなく区域内部にも価格の勾配が生じる。
5.2 代替不可能性が価格差をつくる
より強く効くのは第一層のほうである。徒歩通学を前提とする世帯にとって、区域外の住宅は代替財にならない。区域の外に一区画出た瞬間、指定される学校が変わる。価格が少し安いから隣の区域で妥協する、という調整が働かない。需要が区域の内側に閉じ込められる一方、供給はその区域内に存在する住宅ストックに限られる。閉じた需要と固定された供給が向き合えば、価格は上がる。
この構造は、ヘドニック分析の観点から見ると特徴的な形をしている。駅からの距離のような属性は、価格に対して連続的に効く。100メートル遠ざかれば少し下がる、という具合である。ところが学区は、境界で不連続に跳ぶ。道路の向かい側というだけで、属性の値が切り替わる。価格が距離の滑らかな関数ではなく段差のある関数になることが、境界不連続デザインを可能にした理由でもある。
5.3 断層が観測されるための条件
ただし、境界が価格の断層として観測されるには条件がある。境界の近傍に、比較できるだけの住宅ストックが両側に存在しなければならない。市街地では境界が住宅地の内部を通るため、この条件は自然に満たされる。境界の両側に同じような戸建てが並び、同じ時期に取引され、事例が蓄積する。
もうひとつの条件は、買主の中に就学期の子を持つ世帯が厚く含まれていることである。学区に対して追加的な支払意思を持つのはこの層であり、彼らが取引の一定割合を占めて初めて、支払意思が成約価格の分布へ現れる。市街地でこの条件が満たされやすいのは、通学の便を求める世帯がそもそも徒歩圏の住宅を探しているためであり、需要と供給が同じ空間に重なっている。
整理すると、市街地で学区プレミアムが観測されるのは、通学手段の制約が代替可能性を切断し、境界の両側に比較可能な取引が積み上がり、支払意思を持つ買主層が市場に厚く存在するという三条件が同時に成立するからである。この三条件はいずれも、徒歩通学という前提に依存している。次節では、前提が外れたときに三条件がどのように崩れるかを見る。
6. 車移動が前提の地方都市——四つの減衰経路
本節では、日常の移動が自動車を前提として組み立てられている地方都市を対象に、第5節の三条件がどう崩れるかを検討する。素材として静岡県磐田市と周智郡森町の条件を用いる。
6.1 空間の勾配がそもそも緩い
磐田市の人口は163,224人、世帯数は72,421世帯である(磐田市の統計、2026年7月末現在)。2026年の地価公示にもとづく住宅地の平均は1平方メートルあたり50,086円で前年比プラス0.16パーセント。駅別に見ると、磐田駅周辺が57,111円、豊田町駅周辺が44,160円、2020年開業の御厨駅周辺が43,242円である。最も高い地点と低い地点の開きは3割に満たない。
この数字が示しているのは、市内の空間的な価格勾配が緩いという事実である。アロンゾらの付け値地代モデルが描く、中心からの距離に応じて地代が滑らかに下がる構造は、自動車を前提とする都市では平坦化する。勾配が緩いということは、あらゆる立地属性の暗黙価格が小さくなるということでもある。学区は、その平坦な地面の上に置かれた属性の一つにすぎない。森町に至っては人口およそ15,900人(2026年4月1日時点)、土地の相場の目安は1平方メートルあたりおよそ26,900円で、町全体がほぼ一つの生活圏をなしている。
6.2 減衰の四つの経路
第5節の三条件は、以下の四つの経路を通じて崩れる。いずれも学校とは無関係の、空間と人口の条件から生じる。
- 通学負担の代替——送迎と自転車が現実的な選択肢になると、第二層である通学の物理的負担が薄まる。区域内部の距離勾配が消え、価格差の一方の源泉が失われる
- 区域の広さと数の少なさ——区域が広く数が少なければ、選べる組み合わせが乏しくなる。ティブーの前提のうち「十分に多くの選択肢」が崩れ、比較そのものが成立しない
- 買主層の構成——就学期の子を持つ世帯が買主に占める割合が下がるほど、学区に追加的な支払意思を持つ主体は薄くなる。支払意思が市場で出会わなければ価格には現れない
- 将来の不確実性——児童数の減少により統廃合や区域の見直しが視野に入ると、将来の便益の流れが不確かになる。不確実な便益は割り引かれ、現在の価格へ転写されにくくなる
6.3 境界が観測されない、という別の理由
第5節で述べた「境界の両側に比較可能な取引が積み上がる」という条件は、地方都市では別の形で崩れる。区域の境界が河川・幹線道路・山林・旧市町村界に沿って引かれている場合、境界の近傍には住宅がまばらにしか存在しない。比較すべき対の片方が物理的に存在しないのである。
加えて、薄い市場では属性ごとの暗黙価格そのものが推定されにくい。年間の成約件数が少なければ、面積や築年の効果でさえ安定して取り出せない。まして、他の属性と強く相関する学区の効果を分離するだけの標本は望めない。地方都市で学区プレミアムが観測されないとき、それは効果が存在しないことの証明ではなく、観測する手段がないことの帰結である場合が多い。この区別は、価格の主張を組み立てるうえで重要である。
6.4 減衰は消滅ではない
以上を、学区が地方都市では価格に無関係だという主張と取り違えてはならない。特定の区域に子育て世帯の需要が集中する局面は現に生じる。ただしその集中は、住宅ストックが新しいこと、区画が広く駐車台数を確保できること、商業施設や医療機関が近いことと分かちがたく結びついている。第4節で述べた交絡は、地方都市ではむしろ強くなる。標本が少ないほど、原因を切り分ける余地は狭まるからである。
実務の観察としても、車移動が前提の地域では、駅からの距離より土地の広さや駐車台数のほうが価格に効く場面がある。学区がその中でどの位置を占めるかは、物件ごとに買主層から逆算するほかない。一般論として上乗せ幅を語れる属性ではない、というのが本節の結論である。
7. 売主の実務への含意
以上の議論を、売主が実際に取れる手順に落とす。結論を先に述べれば、学区は価格の根拠としてではなく、買主層を特定する手がかりとして使うのが合理的である。
7.1 上乗せの主張ではなく、届け先の指定として使う
第4節で見たとおり、学区に何割の価値があるかを個別の物件について示す手段は、売主にも仲介にもない。したがって「学区が良いから2割高い」という価格の組み立ては、根拠を持たない。査定でこの説明を受けたときは、その2割が近隣属性・区画の広さ・築年のどれから来ているのかを分けて示してもらうほうがよい。分けられないのであれば、それは学区の効果ではなく、地域全体の水準の話である。
一方、学区の情報には別の使い道がある。就学期の子を持つ世帯にとって、指定校が変わらないことは住み替えの制約条件そのものである。この層に届けるためには、区域の情報が販売資料に載っていなければ検索の網にかからない。価格を上げるための材料ではなく、その物件を探している層を取りこぼさないための材料として扱う。これが本稿の実務的な要点である。
7.2 訴求すべき局面と、しない局面
第5節と第6節で示した条件を、判断できる形に並べ替えると次のようになる。左の列に当てはまる項目が多いほど、区域の情報を前面に出す意味がある。右の列が多い物件で学区を強調しても、買主層の関心と噛み合わないまま販売期間だけが延びる。
| 条件 | 区域の情報が効きやすい | 効きにくい |
|---|---|---|
| 通学手段 | 徒歩が前提の距離にある | 送迎・自転車が代替になる |
| 区域の広さ | 狭く、境界が住宅地の中を通る | 広く、境界が河川・山林・幹線にある |
| 買主層 | 就学期の子を持つ世帯が厚い | 高齢世帯・単身・再販事業者が中心 |
| 市場の厚み | 同一区域内で年間の取引が拾える | 取引が少なく比較事例がない |
| 将来の見通し | 児童数が当面安定している | 統廃合や区域見直しが視野に入る |
右の列に寄る物件では、訴求の資源を別の属性に振り分けたほうがよい。土地の面積、駐車台数、幹線道路へのアクセス、生活施設までの距離、建物の維持状態。これらは買主が自分の生活から直接評価できる属性であり、地方都市の薄い市場でも支払意思に結びつきやすい。
7.3 書き方には作法がある
区域の情報を販売資料に載せる場合、守るべき線が三つある。第一に、就学すべき学校を指定するのは市町村の教育委員会であり、区域は見直されうる。断定的に書かず、確認の時点を添える。第二に、不動産の表示に関する公正競争規約は、学校等の施設について道路距離を明示して表示することを求めている。徒歩何分という表現だけでなく、距離の根拠を持っておく。
第三に、学校の評価は書かない。これは規範的な自制であると同時に、第4節で述べたとおり書くだけの根拠がないという事実の反映でもある。区域名と距離という検証可能な事実だけを載せ、評価は読み手に委ねる。なお、学校に関する事項は宅地建物取引業法第35条が定める重要事項説明の法定事項ではない。だからこそ、広告と資料の段階での書き方が問われる。
7.4 時期の設計
学区が効く物件では、売り出しの時期に一つだけ論点がある。4月の学年の切り替わりに合わせて住み替えたい世帯は、契約から引渡し、転居までの期間を逆算して動くと考えられる。売り出しから成約までに要する期間と、決済・引渡しに要する期間を積み上げれば、逆算して売り出す日を決められる。
ただし、この設計に引きずられすぎないことも同時に重要である。第6節で見たように、地方都市では学区に支払意思を持つ層が買主全体に占める割合が高くない。特定の時期を狙って売り出しを遅らせれば、その間の保有費用と、他の買主層に届かない機会費用が発生する。時期の設計は、買主層の構成を確認したうえで行う判断であり、独立の原則ではない。
8. 結論と今後の課題
学区プレミアムは存在するか。本稿の答えは、資本化という現象としては存在するが、その大きさは学校ではなく空間と人口の条件によって決まる、というものである。
第一の問いに対しては、二つの層を区別して答えた。指定校に通えるという地位そのもの(第一層)と、通学の物理的負担(第二層)である。前者は制度が住所に紐づけているために区域の内側でしか得られず、後者は区域の内側でも位置によって連続的に変わる。徒歩通学が前提の市街地では両者が重なり合って強い価格差を生む。
第二の問いに対しては、否と答えた。観測される価格差を学校に帰属させることは方法論的にできない。境界そのものが地形や旧集落界に沿って引かれること、世帯構成と学校環境が互いを規定し合うこと、将来の予想が観測されないまま価格へ入り込むこと。この三点が、境界を用いた設計をもってしても残る。市場価格から読み取れるのは、その区域に対する住宅需要の強さだけである。
第三の問いに対しては、四つの減衰経路を示した。通学負担が送迎で代替されること、区域が広く選択肢が少ないこと、就学期の子を持つ世帯が買主層に薄いこと、統廃合や区域見直しが将来便益を不確実にすること。磐田市や森町のように空間的な価格勾配がもともと緩い市場では、これらが重なって効果はさらに見えにくくなる。ただし見えないことと存在しないことは異なる。薄い市場では、観測する手段のほうが先に失われる。
8.1 本稿の限界
本稿は理論的枠組みによる整理であり、実証分析ではない。用いた地域の数値は人口と公的な地価指標に限られ、区域別の成約価格を分析したものではない。第6節で述べたとおり、薄い市場では属性別の暗黙価格を推定する標本自体が得られにくく、この限界は資料の不足というより市場の性質に由来する。したがって本稿が提供できるのは、どこを見ればよいかという視点であり、いくら上乗せできるかという数値ではない。
また、制度の側にも変動要因がある。就学校の指定と変更の運用は市町村ごとに異なり、時期によっても変わる。住所と学校の結びつきが緩む方向に運用が動けば、第一層の便益は弱まり、資本化の力も弱まる。制度の運用が価格形成の条件を静かに書き換えるという点は、売主にとっても仲介にとっても見落としやすい。
8.2 別稿に投げる論点
第一に、属性の分解そのものの方法である。学区を含む地域属性をどこまで分けて価格に対応づけられるかは、ヘドニック・アプローチの射程の問題として別に論じる必要がある。第二に、公共財の便益が土地所有者に帰着するという第2節の帰結は、道路や鉄道の整備にも同じく当てはまる。便益の帰着と公平性の問題は、それだけで一本の主題になる。
第三に、本稿が繰り返し触れた市場の薄さである。年間の取引が少ない地域では、価格発見の機構そのものが弱く、属性の価値を市場に問うことができない。この条件下で売主が取りうる戦略は、属性の価値を主張することではなく、買主候補の母数を広げることに移る。薄い市場の分析は、稿を改めて扱う。
最後に、本稿を通じて一貫していた姿勢を記しておく。学区という語は、根拠を示さずに根拠として通用しやすい。売主にとって危険なのは、その語に説得され、検証できない前提の上に価格を組み立ててしまうことである。理論が果たせるのは、どの主張が検証可能でどの主張がそうでないかを分ける仕事までである。分けたうえで何を選ぶかは、その物件を前にした当事者の判断に属する。
