1. はじめに——問題の所在
工場や小売業の現場では、倉庫に積まれた製品を見て「あれはいくら寝ているか」と考える習慣が身についている。売れるまでのあいだ、その製品は資金を拘束し、場所を占め、少しずつ古くなる。だから在庫の量と滞留の長さは、日々の管理指標として測られ、会議の議題になる。ところが同じ人が自宅や実家を売りに出したとたん、この習慣は働かなくなる。売り出し中の家は、頭の中では最後まで資産のままである。
本稿は、この認識の切れ目を埋めることを目的とする。売却活動中の不動産は、会計上の分類でいえば個人にとって棚卸資産ではない。しかし経済的な性質を見れば、在庫と同じ三つの条件を満たしている。第一に、資金がそこに寝ている。売れていれば手元にあったはずの現金が、物件という形で固定されている。第二に、保有しているあいだ費用が発生する。税・保険・管理・劣化のいずれもが、時間に比例して積み上がる。第三に、いつ現金化するかを所有者が選べる。売り出し価格と改定の判断を通じて、所有者は滞留の長さに介入できる。
それでも売主がこれを在庫として扱わないのには、理由がある。ひとつは、回転を経験しないことである。小売の担当者は一年に何十回も入荷と販売を繰り返し、滞留が長引いたときに何が起きるかを身体で覚える。不動産の売主は生涯に一度か二度しか経験しない。もうひとつは、費用が請求書としてまとまって届かないことである。固定資産税は年に数回、火災保険は年払い、草刈りは頼んだときだけ。ばらばらに出ていく支出は、合計されないかぎり意識に上らない。
その結果、売主の判断は非対称になる。価格は円という単位で見える。期間は月という単位で見える。単位が違うものは天秤に載らないから、多くの場面で「価格を下げたくない」という気持ちだけが判断を支配し、期間の側は費用ではなく我慢の問題として処理されてしまう。本稿の問いはここにある。売却期間の長さを、価格と同じ単位で比べられるようにするにはどうすればよいか。
方法として、オペレーションズ管理——とりわけ在庫理論——の概念を借りる。この領域は、まさに「どれだけ持ち、どれだけの時間そこに置くか」を費用の言葉で扱うために発達してきた。第2節でその構造を確認し、第3節で不動産に当てはめたときに壊れる部分を四つ特定する。第4節で保有費用を費目に分解し、第5節でそれを月額に直して価格と比較可能な形にする。第6節で予想される反論に答え、第7節で価格と期間を一枚の表に載せる手順を示す。第8節で限界を述べる。
あらかじめ隣接する論点との境界を引いておく。売り出しからの経過日数が成約確率や成約価格にどう影響するかという需要側の問題は、別稿「価格改定の理論」で扱う。空き家に発生する管理の細目と、それが近隣に及ぼす費用の問題は、別稿「空き家の管理コストは誰が負うか」に譲る。本稿が引き受けるのは、その中間にある地味な作業である。すなわち、期間という時間の量を金額に換算し、価格の側と同じ表に載せることである。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たないため、売却期間を短くすること自体に利益はない。むしろ本稿の主張は、期間を短くせよということではなく、期間の費用を測ってから決めよということである。測った結果として待つほうが有利になる場合があることは、第7節の表がそのまま示す。
2. 在庫理論の構造——回転率・保有費用・流れ
在庫理論は、経営学のなかでも早い時期に数理的な形を得た領域である。ここでは数式を使わずに、本稿で使う四つの概念だけを取り出す。回転率、保有費用と発注費用のトレードオフ、緩衝としての在庫、そして流れの管理である。
2.1 回転率は「速さ」ではなく「滞留の長さ」を測っている
在庫回転率は、一定期間に販売された量を、その期間の平均在庫量で割った比率である。年に六回転していれば、平均して二か月分の在庫を抱えている計算になる。この比率を日数に直したものが回転日数であり、実務ではこちらのほうが直感に合う。重要なのは、回転率が測っているのが販売の速さそのものではなく、財が倉庫に留まっている時間の長さだという点である。売れる量が同じでも、抱える量を減らせば回転率は上がる。
この関係を一般的な形で述べたのが、ジョン・リトルが1961年に証明を与えた公式である。行列に並んでいる人の数は、到着率と滞留時間の積に等しい。窓口が混んでいるのは、来る人が多いか、一人あたりの処理に時間がかかるかのどちらかであって、それ以外の原因はない。在庫に読み替えれば、抱えている量は、入ってくる量と、一つあたりが留まる時間で決まる。滞留量を減らしたければ、入りを絞るか、滞留時間を縮めるかしかない。
2.2 保有費用と発注費用のトレードオフ
在庫理論の出発点にあるのは、フォード・ハリスが1913年に定式化した経済的発注量の考え方である。一度にたくさん作れば、段取りや発注にかかる固定的な費用は一個あたりで薄まる。しかし作った分は売れるまで倉庫に置かれ、保管の費用がかかる。前者は量を増やすほど下がり、後者は量を増やすほど上がる。したがって合計費用が最も小さくなる点は、どちらかの極ではなく中間にある。
この構造から引き出すべき教訓は、最適な発注量の公式そのものではない。相反する二つの費用を同じ単位に直して足し合わせるまで、最適点は見えないという手続きのほうである。片方の費用だけを見て判断すれば、結論は極端に振れる。保管費用だけを見れば在庫はゼロが正しく、段取り費用だけを見れば一度に作れるだけ作るのが正しい。両方を足したときにはじめて、中間に答えが現れる。
2.3 在庫は悪ではなく、不確実性に対する緩衝である
在庫を減らすことが常に善であるかのように語られることがあるが、理論はそう言っていない。ケネス・アロー、セオドア・ハリス、ヤコブ・マルシャックが1951年に示したのは、需要が不確実な状況では在庫を持つこと自体が合理的な行動になるということであった。需要が読めないとき、在庫は品切れという損失に対する保険として働く。ウィリアム・バウモルが1952年に、手元現金の保有量を在庫の問題として定式化したのも同じ発想である。現金を持ちすぎれば利息を逃し、持たなすぎれば換金の手間が増える。
つまり在庫の適正量は、需要の不確実性の大きさと、保有費用の大きさの兼ね合いで決まる。不確実性が高ければ持つ理由が増え、保有費用が高ければ持たない理由が増える。この対置は、第6節で「待つことの価値」を扱うときにそのまま使う。
2.4 在庫を減らす正しい方法は、値引きではなく詰まりの除去である
大野耐一が1978年に記述したトヨタ生産方式、そしてエリヤフ・ゴールドラットが1984年に物語の形で提示した制約理論は、いずれも在庫を「工程の問題が可視化された姿」として読む。工程のどこかに詰まりがあると、その手前に仕掛品が溜まる。溜まった在庫を叩き売って減らしても、詰まりが残っているかぎり在庫はまた溜まる。減らすべきは在庫そのものではなく、在庫を生んでいるリードタイムのほうである。
この含意は、不動産の売却に持ち込んだときに最も効く。販売期間が長いことへの対処として真っ先に思い浮かぶのは値下げだが、理論が示すのはその手前の順序である。詰まっている場所——確定していない境界、片付いていない残置物、揃っていない書類、確認していない建築可否——を先に外せば、同じ価格でも滞留時間は縮む。値引きは、詰まりを外したうえでなお残る需給の差に対して使う手段である。
3. 売り出し中の不動産は在庫か——四つの相違
前節の概念をそのまま不動産に持ち込むことはできない。在庫理論は、同じ規格の財が繰り返し入荷と販売を繰り返す状況を前提として組み立てられている。売り出し中の不動産は、その前提を四つの点で満たさない。どこが壊れるかを先に特定しておかないと、比喩を使ったつもりが誤った処方に変わる。
3.1 ロットが一つで、分割できない
経済的発注量の議論は、量を選べることを前提にしている。しかし売主が持っているのは一件だけであり、半分だけ売って残りを在庫に戻すということができない。土地であれば分筆という例外はあるが、分筆には測量と登記の費用と時間がかかり、区画の形状によっては単価が下がる。つまり不動産の売主にとって、量の調整という自由度は基本的に存在しない。調整できるのは、価格と、売り出しの時期と、物件の状態だけである。
この制約は、判断を一発勝負に近づける。工場であれば発注量を少しずつ変えて反応を見ることができるが、売主にできるのは価格を動かすことだけであり、しかもその履歴は市場に残る。試行錯誤の余地が小さいということは、事前の設計の重みが増すということでもある。
3.2 同一物が存在せず、平均滞留期間しか参照できない
回転率という比率が意味を持つのは、同じものが繰り返し流れているからである。不動産は一点物であり、隣家であっても間口も日照も接道も違う。したがって「この物件の回転率」を計算することは原理的にできない。参照できるのは、似た属性を持つ物件群の平均的な滞留期間だけであり、しかも取引の少ない地域ではその母集団自体が薄くなる。
この点は、静岡県西部のように市町ごとに市場の厚みが異なる地域では実際上の問題になる。磐田市の住宅地の公示地価の平均は2026年の地価公示で1平方メートルあたり50,086円、前年比プラス0.16パーセントであった。市全体の平均は算出できても、旧5市町村のどの地区か、どの駅の生活圏かで買主層が変わることは、同じ資料の駅別の数値からも読み取れる。平均滞留期間を自分の物件の予測値として使うときには、この分散を織り込む必要がある。
3.3 保有しているあいだに、財の中身が変わる
一般の在庫でも、食品や電子部品のように時間とともに価値が落ちるものはある。不動産が特殊なのは、価値が二層に分かれていて、層ごとに時間の効き方が違うことである。建物と設備は物理的に劣化する。雨樋の詰まり、給湯器の不作動、庭木の繁茂、室内のかび。これらは修繕費として、あるいは内覧時の印象の低下として価格に転写される。一方で土地は物理的には劣化せず、その価格は市場の側の要因で上下する。
したがって「待てば価値が上がるか下がるか」という問いには、二つの答えを別々に用意しなければならない。建物部分については、待つことは基本的に価値を減らす方向に働く。土地部分については、待つことは上にも下にも振れうる賭けである。この二層構造を混ぜたまま「うちは不動産だから待てば上がる」と語ると、劣化している部分の損失が視野から消える。
3.4 売主は回転を反復せず、経験から学べない
第四の、そしておそらく最も実務的な相違は、学習が働かないことである。在庫管理の担当者は、発注のたびに予測を外し、次回に修正する。この反復があるから勘が育つ。不動産の売主にはその反復がない。生涯に一度か二度の経験からは、統計的に意味のある教訓を引き出せない。
この空白を埋める役割を担うのが、本来は仲介業者であり、理論と数表である。売主が自分の勘の代わりに使えるものは、他人が繰り返した経験を要約したもの以外にない。逆に言えば、仲介業者が「感触」や「反響」といった言葉だけで報告し、期間の費用を数字にして示さないのであれば、売主は判断材料を持たないまま待たされることになる。
以上の四点から導かれる結論はこうである。回転率という比率そのものを、個別の売却に持ち込むことはできない。持ち込めるのは、比率の背後にある二つの実額——月額に直した保有費用と、到達までに要する期間の見込み——である。次節以降はこの二つを取り出す作業に充てる。
4. 保有費用の解剖——四つの費目に分ける
在庫の保有費用は、実務上おおむね四つに分類される。寝ている資金の費用、置いておくための費用、古くなることによる費用、そして事故に備える費用である。この分類をそのまま売り出し中の不動産に写像すると、ばらばらに出ていく支出が一つの表にまとまる。分類の意義は網羅性にあるのではなく、拾い忘れを防ぐ点検表として働くことにある。
| 在庫管理での費目 | 売り出し中の不動産では何にあたるか | 月額に直すときの拾い方 |
|---|---|---|
| 資本費用(寝ている資金) | 売却代金が手元にないこと。借入が残っていれば支払利息、なければ運用や生活資金として使えない機会 | 想定成約価格に売主自身の年率を掛け、12で割る |
| 保管費用 | 固定資産税・都市計画税、火災保険料、電気と水道の基本料、草刈りや通風の実費、遠方からの往復の交通費 | 年額の合計を12で割る。年に一度の支出も月割りにする |
| 陳腐化費用 | 建物と設備の劣化、庭木の繁茂、室内の傷み。修繕費として、または内覧時の印象低下として価格に転写される | 過去の修繕実績と見積書から年額を置き、12で割る |
| リスク費用 | 風水害・漏水・不法投棄・近隣との紛争、相続人の追加、税の特例期限の徒過 | 金額化できないものは表外に注記する。期限は行そのものを消す形で扱う |
4.1 資本費用——最も大きく、最も忘れられる
四つのうち金額が最も大きくなりやすいのは、たいてい資本費用である。にもかかわらず、これは請求書として届かないため、家計簿には現れない。住宅ローンが残っている場合は支払利息という形で見えるが、完済済みの実家や相続した空き家では、費用がまったく見えないまま発生し続ける。
この費用を金額にするには、売主自身の年率を一つ決める必要がある。借入があればその金利、なければ預貯金や他の使途で得られたはずの収益、あるいは施設入居費や生活費として取り崩している資金の穴埋めに要する費用である。どの率が正しいかは売主ごとに違い、その決め方自体が一つの主題になるため、詳細は別稿「三か月早い現金化はいくらの価値か」に譲る。本稿では、率を一つ決めて表に書き入れることさえできればよい。
4.2 保管費用——年をまたぐことの意味
保管費用のうち制度的に固定されているのが、固定資産税と都市計画税である。地方税法は、これらを賦課期日である1月1日現在の登記簿上または課税台帳上の所有者に課すと定めている。つまり売却が年内に完了するか年明けにずれ込むかで、もう一年分の負担が発生するかどうかが決まる。販売期間の設計において、12月と1月のあいだには制度が引いた段差がある。
また同法は、住宅用地について課税標準の特例を定めている。200平方メートル以下の部分(小規模住宅地)は固定資産税の課税標準が6分の1、都市計画税は3分の1に、それを超える部分は3分の1と3分の2に軽減される。ここで注意を要するのは、この軽減が建物の存在に紐づいていることである。空家等対策の推進に関する特別措置法にもとづき、特定空家等または管理不全空家等として勧告を受けた場合、当該家屋の敷地はこの特例の対象から除かれる。管理を放置したまま販売期間を延ばすことには、税制上の跳ね返りがありうる。
註:空き家に発生する管理の細目(草刈り・通風・郵便物・近隣対応)と、その費用を誰が負担するかという社会的費用の問題は、別稿「空き家の管理コストは誰が負うか」で扱う。本節はそれらを月額の一項目として表に載せるところまでを担当する。
4.3 陳腐化費用——見えにくいが、価格に直接転写される
陳腐化費用は、支出として出ていくとはかぎらない点で扱いが難しい。修繕をしなければ現金は減らないが、そのぶん買主が見る物件の状態が悪くなる。売主から見れば費用が発生していないように見えて、実際には将来の成約価格から差し引かれている。会計の言葉を借りれば、これは費用が計上されないまま資産価値が毀損している状態である。
この費目を月額に直すのは、四つのなかで最も推定が粗くなる。過去に実際に支出した修繕費の履歴があればそれを均し、なければ内覧時に指摘されそうな箇所の見積りを取って年額を置く。精度は高くないが、ゼロと置くよりは判断が正確になる。売却前の修繕がどこまで回収されるかという別の問いは、別稿「売却前のリフォームは回収できるか」の主題である。
4.4 リスク費用——金額化できないものの扱い方
第四の費目は、性質上、期待値の形でしか書けない。台風による雨漏り、給排水の破損、不法投棄、近隣との境界をめぐる紛争。これらは起きなければ費用ゼロであり、起きれば一度に大きな額になる。保険で塞げる部分は保険料として保管費用に含まれるが、塞げない部分が残る。
実務上の扱い方としては、金額化を無理に試みるよりも、二つに切り分けるほうが有用である。第一に、発生しても回復可能なもの——修繕や保険で処理できるもの——は、表の外に注記として書き出す。第二に、発生すると選択肢そのものが消えるもの——税の特例の適用期限、相続人の高齢化や新たな相続の発生、買主側の融資環境の変化——は、費用ではなく期限として扱う。期限は金額に換算するものではなく、第7節の表から行を一つ消すものである。この区別を最初に決めておくと、リスクの話が漠然とした不安に流れずに済む。
5. 期間を金額に直す——等価値下げ幅という換算
前節で費目が揃った。本節ではそれを一つの数に圧縮し、価格と同じ単位で比べられる形にする。作業は三段階である。月額の保有費用を出し、到達期間の見込みを置き、両者を掛け合わせて値下げ幅と等価な金額を得る。
5.1 月額に直す——年に一度の支出も月割りにする理由
第一の作業は、四つの費目の年額を合計し、12で割ることである。固定資産税のように年に数回の納期で払うものも、火災保険のように数年分を一括で払うものも、いったん年額に均してから月割りにする。実際の資金繰りとは合わなくなるが、それでよい。ここで求めているのは支払いの計画ではなく、一か月待つことの値段だからである。単位を揃えなければ比較はできない。
この一つの数を、以下では月額保有費用と呼ぶ。売り出し前にこれを出しておくことの効果は、金額の大小そのものよりも、判断の性質が変わる点にある。「あと三か月待ちたい」という希望が、「三か月分の月額保有費用を払ってでも希望価格を維持したい」という具体的な取引に変換される。払うだけの価値があると判断すれば待てばよい。判断の材料が揃うことと、早く売ることとは別である。
5.2 到達期間の見込みは、点ではなく幅で置く
第二の作業は、その価格で売り出したときに何か月で決まりそうかを置くことである。ここは本稿でいちばん不確かな部分であり、正直にそう扱うべきところでもある。第3節で述べたとおり、一点物の物件について確かな予測はできない。できるのは、似た属性の物件群の滞留期間と、その物件固有の事情——接道、建築可否、残置物、境界の状態——から幅を置くことだけである。
したがって「三か月」ではなく「三か月から九か月」と置く。幅で置いたうえで、その幅の両端で手取りがどう変わるかを見る。これは工学や経営で感度分析と呼ばれる作業であり、予測の精度が低い場面ほど有効性が高い。一点の予測を当てにいくのではなく、外れたときにどれだけ困るかを先に知っておく手続きである。
5.3 等価値下げ幅——価格と期間を結ぶ換算
第三の作業が本節の核心である。月額保有費用に待つ月数を掛けると、その期間を待つことの総費用が出る。この金額は、同じ額だけ売り出し価格を下げることと、金銭的には等価である。すなわちある値下げ幅は、それを月額保有費用で割った月数ぶんの待機と釣り合う。仮に月額保有費用が三万円であれば、三十万円の値下げは十か月の待機と等価になる。
この換算は、売主の判断を二つの方向から助ける。第一に、値下げを検討する場面で「この幅は何か月ぶんか」と問い直せる。十か月ぶんに相当する値下げは、十か月以内に決まる見込みがなければ正当化されない。第二に、値下げを拒む場面で「では何か月待てるか」と問い直せる。待てる月数に月額保有費用を掛けた金額が、維持したい価格差より小さければ、その粘りは費用のうえで報われない。
重要なのは、この換算がどちらか一方の結論を押し付けないことである。月額保有費用が小さく、期限もなく、価格の上振れが見込める物件であれば、換算の結果は待つ側に傾く。逆に月額保有費用が大きく、期限が迫っていれば、同じ計算が早期の成約を支持する。使い方を誤らなければ、この式は売り急ぎを正当化する道具にも、粘りを正当化する道具にもなる。
5.4 横ばいの市場では、待つことによる値上がりが費用を上回りにくい
換算式には、もう一つの項を足すことができる。待っているあいだに市場価格そのものが動く場合の増減である。地価が上昇している局面では、その上昇分が保有費用を相殺し、場合によっては上回る。下落している局面では、保有費用と下落の両方が売主の側に積み上がる。
静岡県西部の数値を当ててみる。磐田市の住宅地の公示地価の平均は、2026年の地価公示で前年比プラス0.16パーセントであった。森町の土地相場の平均は同時期でおよそマイナス0.74パーセントとされる。いずれも年率であり、月に直せばごく小さい。この水準の変動は、月額保有費用と比べたときに、待つことを正当化する力をほとんど持たない。大きく上がりも下がりもしない市場においては、期間の損得はほぼ保有費用の側で決まる、ということである。
同じ「待つ」という語が、市場の性格によって別の意味を持つ。地価が年に数パーセント動く局面であれば、待機には市場の上昇に乗るという意味がありうる。落ち着いた市場では、待機は費用だけを積み上げる行為になりやすい。換算式は、その違いを数字の形で示す。
6. 反論への応答と、在庫思考の限界
ここまでの議論には、予想される反論がいくつかある。どれも的外れではなく、うち二つは本稿の枠組みを修正させる。順に検討し、最後に在庫という比喩そのものが持つ危険に触れる。
6.1 「住んでいる家は在庫ではない」——正しい。使用価値を差し引く
最も基礎的な反論はこれである。倉庫の在庫は誰の役にも立たずに置かれているが、売り出し中の家に売主が住んでいるなら、その家は住居として使われている。この指摘は正しく、枠組みを修正する必要がある。
修正は単純で、保有費用から使用価値を差し引けばよい。住み続けているなら、他所を借りていれば払っていたはずの家賃相当額が、保有によって得られている便益である。経済学ではこれを帰属家賃と呼ぶ。月額保有費用からこの額を引いた残りが、実質の月額費用になる。場合によっては差引きが負になる、つまり住み続けるほうが安いということもありうる。
逆に言えば、この修正が効かない場面こそが本稿の主戦場である。誰も住んでいない実家、施設入居後の自宅、相続した空き家。これらでは使用価値がゼロであり、保有費用がそのまま実質費用になる。売主の意識のうえでは同じ「家」でも、住んでいるかいないかで期間の値段はまったく違う。
6.2 「待つことには価値がある」——ある。ただし保有費用がそれを削る
第二の反論は、待機を単なる費用として扱うのは一面的だ、というものである。将来の市場は不確実であり、不確実であるからこそ、売らずに持ち続けて条件の良い買主を待つ選択には価値がある。これは金融におけるオプションの考え方であり、第2節で触れたアローらの議論——不確実性が高いほど在庫を持つ理由が増える——と同じ構造をしている。
この反論も正しい。ただし在庫理論が同時に示しているのは、その価値が保有費用によって食われるということである。持ち続ける価値と持ち続ける費用は、同じ天秤の両側にある。不確実性が大きいほど前者が増え、保有費用が大きいほど後者が増える。したがって「待つことには価値がある」という命題は、「保有費用がいくらか」を出さないかぎり実務上の結論を生まない。待機の価値そのものの評価は、別稿「売らないという選択の価値」に譲る。
6.3 「回転を上げろとは、安く売れということだ」——違う。順序が逆である
第三の反論は、実務の現場で最も強く出るものである。在庫を減らせという議論は、結局のところ値下げを迫る理屈にすぎないのではないか。この疑いには理由がある。買取や早期売却を勧める側が、期間の費用を根拠として持ち出すことは実際にあるからである。
しかし第2節で確認したとおり、トヨタ生産方式にせよ制約理論にせよ、在庫を減らす方法として提示されているのは値引きではない。詰まりの除去、すなわちリードタイムの短縮である。売却に置き換えれば、売り出す前に外せるものを外しておくことにあたる。境界が未確定であれば確定測量に着手する。磐田市の古い住宅地では、買主側の金融機関が確定測量を求めたときに隣地所有者の立会いが必要となり、そこから一、二か月かかることがある。この時間は、売り出し後に発生させれば販売期間に上乗せされるが、売り出し前に済ませておけば販売期間には現れない。
残置物の処理、建築可否の確認、農地や山林が付随する場合の地目ごとの整理も同じ性質を持つ。いずれも「価格を下げずに滞留時間を縮める」手段であり、在庫理論の含意に忠実な処方である。値下げは、これらを済ませたうえでなお残る需給の差に対して使う。順序を逆にすると、詰まりを抱えたまま価格だけが下がっていく。
6.4 在庫思考の危険——簿価に引きずられないこと
最後に、在庫という比喩そのものが持つ危険を指摘しておく。企業会計では、棚卸資産の価値が下がったときに帳簿価額を切り下げる処理が定められている。含み損を先に認識し、以後の判断を現在の価値にもとづいて行うための仕組みである。売主の頭の中には、この切り下げの手続きがない。
その結果として起きるのが、購入時の価格や相続税評価額を基準にした判断である。三十年前にいくらで買ったか、相続のときにいくらと評価されたか。これらは過去の事実であって、いま買主が払う金額とは関係がない。すでに支出され回収できない費用は、これからの判断に影響させるべきではない——経済学が埋没費用と呼ぶ論点である。在庫の比喩を使うのであれば、評価の切り下げまで含めて使わなければ、比喩は判断を縛る側に働く。
7. 売主の実務への含意——一枚の表に載せる
ここまでの議論を、売り出し前に行う具体的な作業に落とす。順序が重要であり、五つの手順は入れ替えられない。費用を測り、期限を置き、表にし、感度を見て、更新する。
7.1 手順一——月額保有費用を、売り出し価格を決める前に出す
最初の作業は、第4節の四費目を埋めて月額の一つの数を出すことである。ここで肝心なのは順序であって、売り出し価格を決めたあとで費用を数えるのでは遅い。価格の議論が先に始まると、費用は「その価格を守るための我慢」として位置づけられ、金額として検討されなくなる。査定書を受け取る前に、あるいは同じ席で、この一枚を作っておく。
実務上は、直近一年の納税通知書、火災保険の証券、電気と水道の明細、草刈りや点検を頼んだときの領収書を集めれば、保管費用の大部分は埋まる。資本費用は想定成約価格と自分で決めた年率から計算する。陳腐化費用は見積りが粗くてよい。四つのうち一つでも空欄のまま進めるより、粗くても四つとも数字が入っているほうが判断は正確になる。
7.2 手順二——期限を先に置き、選べない行を消す
第二の作業は、金額ではなく日付を書き出すことである。第4節で述べたとおり、期限は費用ではなく、選択肢そのものを消す形で効く。相続がからむ場合、相続税の申告期限は相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内である。相続財産を売却したときに相続税額の一部を取得費に加算できる特例は、この申告期限の翌日以後3年を経過する日までの譲渡が対象となる。
被相続人が居住していた家屋とその敷地を売却する場合の特別控除は、相続の開始の日から3年を経過する日の属する年の12月31日までの譲渡が対象である。自分が住んでいた家を売る場合の特別控除も、住まなくなった日から3年を経過する日の属する年の12月31日までという期限を持つ。加えて、固定資産税と都市計画税の賦課期日は1月1日である。これらの日付を並べると、販売期間の設計は自由な直線ではなく、いくつかの段差を含んだ地形になる。
個別の適用可否には要件があり、税務の判断は税理士や税務署の領分である。売主が売り出し前にすべきなのは、要件を自分で判定することではなく、関係しそうな期限の日付を先に書き出し、専門家に確認する項目として持っておくことである。日付が先に決まれば、そのあとの期間の議論はその枠の中で行われる。
7.3 手順三——価格と期間を、一つの表に載せる
第三の作業が本稿の目的である。到達時期の想定ごとに一行を作り、その時期に対応する想定成約価格、そこまでの累積保有費用、資本の機会費用、そして差引きの実質手取りを並べる。価格の列と期間の行が同じ表に載った瞬間に、両者ははじめて比較可能になる。
註:次の表の数値はすべて、計算の型を示すための仮の例である。特定の地域の相場を示すものではない。ここでは月額保有費用を3万円、資本の機会費用の年率を2パーセントと仮定した。仲介手数料や譲渡所得課税は、比較を単純にするため表から省いている。
| 到達時期の想定 | 想定成約価格 A | 累積保有費用 B | 資本の機会費用 C | 実質手取り A−B−C |
|---|---|---|---|---|
| 3か月(相場より低めに出す) | 1,380万円 | 9万円 | 7万円 | 1,364万円 |
| 6か月(相場どおりに出す) | 1,500万円 | 18万円 | 15万円 | 1,467万円 |
| 12か月(相場より高めに出す) | 1,560万円 | 36万円 | 31万円 | 1,493万円 |
| 18か月(高値のまま待ち続ける) | 1,560万円 | 54万円 | 47万円 | 1,459万円 |
この仮の例が示すのは、表が自動的に早期売却を支持するわけではないということである。12か月の行の手取りが最も大きい。相場より高めに設定して一年待つことが、この前提のもとでは合理的になっている。同時に、18か月の行では価格が伸びないまま費用だけが積み上がり、手取りは6か月の行を下回る。待つことの利得には頭打ちがあり、その先は費用だけが残る。
7.4 手順四——感度を見る。外れたときにどれだけ困るかを先に知る
第四の作業は、表を一度作って終わりにしないことである。想定成約価格の列は売主自身の仮定であり、当たる保証はない。そこで二つの振れ方を試す。ひとつは価格の想定を上下に振ること。もうひとつは、到達時期の想定を三か月ずつ後ろにずらすことである。
この二つを試すと、どの行が仮定の変化に弱いかが見える。高めに出して長く待つ行は、価格の想定が少し外れただけで順位が入れ替わりやすい。短期の行は手取りの額が小さい代わりに、仮定が外れたときの振れも小さい。どちらを選ぶかは売主の事情によるが、選ぶ前にどちらが脆いかを知っておくことが、この作業の目的である。第7節2項で書き出した期限に触れる行があれば、その行は手取りの大小にかかわらず選択肢から外れる。
7.5 手順五——同じ様式で、月に一度書き直す
最後に、この表は売り出し前に一度作るだけでなく、販売期間中も同じ様式で更新する。経過した月数ぶんの保有費用は確定した支出として下側に移り、残る選択肢の行は減る。反響や内覧の実績が入れば、到達時期の想定も置き直せる。改善を回すには同じ物差しで測り続けることが要る、というのは在庫管理に限らない一般則である。様式を変えずに書き直すことで、感覚ではなく差分で状況を把握できる。
8. 結論と今後の課題
本稿は、売り出し中の不動産を在庫として扱えるか、扱えるとすればどこまでか、という問いから出発した。結論は三つに要約できる。
第一に、売却活動中の不動産は、資金の拘束・時間に比例する費用・現金化時期の選択可能性という三条件を満たしており、経済的な性質としては在庫である。第二に、しかし在庫回転率という比率そのものは使えない。ロットが一つで分割できず、同一物が存在せず、売主が回転を反復しないためである。使えるのは、月額に直した保有費用と、到達期間の見込みという二つの実額である。第三に、この二つを掛け合わせることで、期間は値下げ幅と等価な金額に換算でき、価格と期間を一枚の表に載せられる。
この換算の効用は、早く売ることを推奨する点にはない。第7節の仮の例が示したとおり、前提によっては長く待つ行の手取りが最も大きくなる。効用は、判断が単位の揃った比較になることにある。「値下げしたくない」という気持ちと「早く手放したい」という気持ちは、単位が違うかぎり争うだけで決着しない。同じ単位に直せば、どちらが有利かは前提の置き方の問題に還元される。
8.1 本稿の限界
限界は三つある。第一に、到達期間について確率分布を扱っていない。本稿は期間を幅で置き、感度分析で振れを見るという粗い方法をとった。本来であれば、期間ごとの成約確率を推定し、期待値として比較するのが筋である。しかしその推定に足る個別物件のデータを売主が持つことは現実には難しく、粗い方法のほうが実務では使えると判断した。
第二に、取引の少ない地域では、そもそも参照すべき母集団が薄い。森町のように市場が薄い地域では、平均滞留期間という概念自体が信頼しにくくなる。この場合、表の「到達時期の想定」列は仮定というより願望に近づく。薄い市場における価格発見の問題は、別稿「薄い市場の不動産」の主題である。
第三に、心理的な費用を金額化していない。売れない家を抱え続けることの負担、家族間で結論が出ないことの疲弊、近隣への気兼ね。これらは保有費用の一部として実在するが、本稿の表には現れない。金額化を試みなかったのは、恣意的な数字を入れると表全体の信頼性が落ちるためである。表の外に文章として書き添えるのが、いまのところ現実的な扱いだと考えている。
8.2 残された論点
本稿が扱わなかった論点のうち、隣接する四つを挙げておく。ひとつは、経過日数が成約確率と成約価格に及ぼす需要側の効果であり、これは「価格改定の理論」で扱う。ふたつめは、待機そのものの価値をオプションとして評価する問題で、「売らないという選択の価値」に譲る。みっつめは、資本費用の率をどう決めるかという問いであり、「三か月早い現金化はいくらの価値か」が扱う。よっつめは、空き家の管理費用の細目と、それが近隣に及ぼす費用の帰属の問題である。
加えて、本稿が前提とした「保有費用は所有者が負担する」という枠組み自体にも検討の余地がある。所有者が負担しない費用は所有者の計算に現れず、したがって本稿の表にも現れない。この費用の帰属をめぐる論点は、別稿「空き家の管理コストは誰が負うか」に委ねる。
最後に、本稿の立場を繰り返しておく。筆者は自社で買い取る事業を持たず、買取や買取保証を率先して行わない。したがって期間の費用を測る目的は、売主に早期の売却を促すことではない。測ったうえで待つという判断も、測ったうえで早く決めるという判断も、同じ表から出てくる。測らないまま我慢することだけが、この表から出てこない選択肢である。
