1. はじめに——問題の所在
机の上に二枚の紙が並んでいる。一方には1,500万円と書かれ、来月には決済できるとある。他方には2,000万円と書かれ、いつ売れるかは書かれていない。多くの売主は、この二枚を見比べて考え込む。そして、金額の大きいほうを選ぶか、早いほうを選ぶかという二者択一に落とし込む。本稿が問題にするのは、この落とし込み方そのものである。
二つの金額は、そもそも比較できる形になっていない。片方は来月の1,500万円であり、他方は時期未定の2,000万円である。日付の違う金額を並べて大小を論じることは、長さと重さを足し合わせるのに似ている。数字が並んでいるので比べられるように見えるが、比べる前に一段階の変換が要る。その変換の道具が、ファイナンスでいう現在価値である。
現在価値の考え方自体は難しくない。将来受け取る金額は、いま受け取る同額より価値が低い。どれだけ低く見るかを表す数字が割引率であり、将来の金額を割引率で割り戻せば、今日の金額として言い直せる。問題は、この割引率が誰にとっても同じ数字ではないという点にある。年1%で借りられる人と、借りる当てがまったくない人とでは、三か月待つことの重みがまるで違う。
本稿の問いは三つである。第一に、不動産の売却に伴う入出金は、実際にはいつ発生するのか。第二に、売主自身の実効的な割引率——その人にとって、待つことが年何パーセントに相当する費用なのか——をどう推定すればよいのか。第三に、時点を揃えた結果をどう読み、どこで判断を切ればよいのか。
断っておくと、本稿は買取価格がなぜ市場価格を下回るのかを説明する論考ではない。その差額がどのような性質の要素からできているかは、流動性という概念を用いて別稿で扱った。本稿の関心は、差額の成り立ちではなく、差額を自分の事情に照らして評価する計算の型にある。同じ差額が、ある売主にとっては割高であり、別の売主にとっては妥当でありうる。その分かれ目を、感覚ではなく数字で言えるようにすることが目的である。
方法は、理論の整理と数値例による例示である。数式は用いず、当サイトが掲げている試算例に即して、読者が自分の物件で同じ計算をやり直せる形に落とす。用いる概念はフィッシャー(1930)以来の利子と時間選好の理論、および資本予算論が発展させた正味現在価値と内部収益率の枠組みである。これらは企業の投資判断のために鍛えられた道具だが、判断の構造は家計の売却判断とほとんど変わらない。
以下、第2節で現在価値という装置の構造を確認する。第3節で売却のキャッシュフローがいつ発生するかを洗い出し、第4節で売主自身の割引率を推定する四つの入口を示す。第5節では試算例を現在価値で組み直して無差別割引率を求め、第6節では同じ関係を逆から読んで何か月まで待てるかを示す。第7節で将来額の不確実性の扱いを論じ、第8節で実務の手順に落とし、第9節で限界と課題を述べる。
筆者の立場を先に明示しておく。筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者であり、自社で買主となる事業を持たない。買取および買取保証を率先して行わない立場である。ただし本稿は、買取という売り方を否定するために書かれていない。むしろ本稿の枠組みは、条件次第で買取が合理的な選択になりうることを、数字の上ではっきり示す。問題は選び方ではなく、比べ方を持たないまま選ぶことである。
2. 現在価値という装置の構造
現在価値は電卓の操作ではなく、一つの理論的立場である。ここを飛ばして計算だけを真似ると、出てきた数字の意味を取り違える。本節では、この装置が何を前提にしているかを確認する。
2.1 なぜ将来の金額は割り引かれるのか
アーヴィング・フィッシャーが『利子論』(1930)で示したのは、利子率が二つの力の均衡として決まるという見方であった。一つは人々が将来の消費より現在の消費を好む傾向、すなわち時間選好である。もう一つは、いま手元にある資金を投じれば将来より多くを生み出せるという投資機会である。この二つが釣り合うところに利子率が決まる。
この見方に立てば、将来の金額が割り引かれる理由は明快になる。いま1,000万円を受け取れば、借入を返せる、必要な支出に充てられる、何かに投じられる。一年後に受け取るなら、その一年間の使い道がすべて失われる。失われた使い道の価値が、割引の中身である。割引率は抽象的な時間の値段ではなく、その人が現に持っている資金の使い道によって決まる。
2.2 割引率は儲けの率ではなく、待たされることの費用率である
実務でしばしば見られる誤解は、割引率を運用利回りと同一視することである。年5%で運用できるから割引率は5%だ、という理解は半分しか当たっていない。売却代金の受取が遅れて困るのは、運用機会を逃すからだけではない。返済が続く、家賃を二重に払う、施設の入居金を用意できない。こうした事情は運用とは無関係だが、いずれも待つことに費用を発生させる。
企業金融の言葉で言えば、これは資本コストに相当する。企業は投資案件を自社の資本コストで割り引き、それを上回る案件だけを採る。家計にも同じものがあるが、公表されてはおらず、自分で推定するほかない。第4節で扱うのはこの推定である。ここで確認しておくべきは、割引率が主体ごとに違うという一点である。同じ二枚の見積書を見た二人の売主が別々の結論に達することは、少しも不合理ではない。
2.3 二つの読み方——現在価値で比べるか、無差別割引率で比べるか
資本予算の教科書的な枠組み——ジョエル・ディーン『資本予算』(1951)がその出発点に置かれることが多い——には、二つの判断基準がある。一つは正味現在価値である。割引率を先に決め、各案の将来キャッシュフローを現在価値に直し、大きいほうを採る。もう一つは内部収益率である。案が損益ちょうどになる割引率を求め、それを自分の資本コストと比べる。
不動産の売却判断では、後者のほうが扱いやすい。理由は単純で、自分の割引率を一つの数字に決めるのは難しいが、目の前に示された率が高すぎるかどうかの判定なら答えられるからである。年3%と言われれば安いと感じ、年60%と言われれば高いと感じる。人間の判断はこの形式に向いている。そこで本稿では、買取案と仲介案の手取りが等しくなる割引率を求め、これを無差別割引率と呼ぶ。計算の手続きは内部収益率と同じだが、意味するものは投資の収益率ではなく、早く受け取ることに対して支払っている対価の率である。
2.4 名目と実質を混ぜない
最後に技術的だが重要な注意を置く。将来のキャッシュフローを名目の金額(そのときに実際にやりとりされる円)で書いたなら、割引率も名目で揃える。物価上昇や地価の変動を将来額の側に織り込んだうえで割引率にも同じ調整を加えると、同じ要因を二度数えることになる。二重計上は、現在価値の計算で最も起きやすい誤りである。この原則は第7節でリスクを扱うときにもう一度現れる。
註:本稿の無差別割引率は、計算としては内部収益率と同一である。ただし投資案件の収益率と読むと意味を取り違える。売主は資金を投じているのではなく、受取を早める対価を支払っている。符号の向きが逆であることに注意されたい。
3. 売却のキャッシュフローはいつ発生するか
時点を揃えるには、まず時点を知らなければならない。ところが実務の会話では、売却は成約価格という一つの数字に圧縮されて語られる。実際には、入金も出金も何度かに分かれ、それぞれ別の日に起きる。本節では、その日付を一覧にする。ここを書き出すだけで、比較の精度は目に見えて上がる。
3.1 売り出しから引渡しまでに起きること
仲介による売却を時間軸に沿って並べると、次のようになる。媒介契約の締結時には、原則として金銭のやりとりは生じない。売り出し中は、入金がないまま出ていくものだけがある。売買契約の締結時に手付金が入り、仲介手数料の半額を支払う慣行がある。決済・引渡しの日に残代金が入り、手数料の残額、抵当権抹消などの登記費用、司法書士報酬を支払う。そして固定資産税等の日割り精算がここで行われる。
- 媒介契約時:原則として入出金なし。ただし特別に依頼した広告費や遠隔地への出張費は例外として請求されうる
- 売り出し期間中:固定資産税・都市計画税、火災保険料、電気・水道の基本料金、草刈りや通風などの管理費用、遠方に住む場合は往復の交通費
- 売買契約時:手付金の受領(売買代金の一部)、印紙税の負担、仲介手数料の半額を支払う慣行
- 決済・引渡時:残代金の受領、仲介手数料の残額、抵当権抹消の登録免許税と司法書士報酬、固定資産税等の日割り精算
- 引渡し後:譲渡所得に対する所得税は翌年の確定申告期に納付し、住民税は翌年度に課される
この並びを見ると、売り出し期間中は出金だけが続く区間であることが分かる。販売期間が延びることの費用は、価格を下げる可能性という形だけでなく、この区間の出金として直接に現れる。金額としては大きくないことが多いが、時点を揃える計算では、この区間が長いほど効いてくる。
3.2 引渡しの後に残る時点——税は一年以上あとに来る
見落とされやすいのが、最後の項目である。譲渡所得は他の所得と分けて課税され、所得税は原則として翌年の確定申告期(例年2月16日から3月15日まで)に納付する。住民税はさらに遅れ、翌年度に課される。つまり、売却で生じた税負担の支払時点は、引渡しから一年前後あとに来る。
現在価値の観点からは、この遅れに意味がある。同じ税額でも、一年後に払うのと今日払うのとでは現在価値が違うからである。支払時点の構造は仲介でも買取でも同じであるため、両案の差額には効きにくい。ただし、居住用財産の特別控除の適用可否や取得費の扱いによって税額が案ごとに大きく変わる場合には、税引後の金額で比較しなければ結論が反転しうる。
もう一点、保有税にも時点がある。固定資産税は地方税法の定める賦課期日、すなわち1月1日現在の所有者に対して、その年度の分がまとめて課される。年の途中で引き渡す場合、法律上の納税義務者は売主のままであり、実務では引渡し日を境に日割りで買主から精算金を受け取る慣行がある。売り出しが年をまたぐかどうかで、負担の構造が変わることは知っておいてよい。
3.3 買取の時点構造は短いが、ゼロではない
買取の場合、時間軸は大きく縮む。市場に公開して買主を探す区間がないため、査定から契約までが短く、契約から決済までも買主側の融資審査を要しないことが多い。売り出し期間中の保有費用は、ほぼ発生しない。ここが買取の実質的な利点であり、価格だけを見ていると見落とされる部分である。
ただし、買取の入金時点も厳密には今日ではない。査定の提示から契約までに現地調査と社内の決裁があり、契約から決済までにも登記の準備や抵当権抹消の段取りが要る。相続登記が未了であれば、その完了が先行条件になる。比較の際は、買取を今日と置いて仲介を三か月後と置くような粗い設定ではなく、どちらにも実際の日数を入れるほうがよい。両案の時間差が縮めば、後述する無差別割引率は跳ね上がる。
4. 実効割引率をどう推定するか
ここが本稿の中心である。割引率が主体ごとに違う以上、教科書に載っている数字を借りてくることはできない。しかし、自分の割引率を一つの数字として直感で答えられる人もいない。そこで本節では、四つの入口から推定し、単一の値ではなく上限と下限の範囲として挟む方法を示す。範囲で挟めば、第5節で求める無差別割引率がその範囲の内側にあるか外側にあるかを判定できる。判定に必要なのはそれだけである。
4.1 第一の入口——現に負っている借入の金利
最も明快な入口は、いま自分が支払っている金利である。売却代金が入れば返済に充てるつもりの債務があるなら、受取が三か月遅れることの費用は、その三か月分の利息にほかならない。住宅ローンが残っている、事業性の借入がある、あるいは当座をしのぐために消費者向けの借入をしているなら、それぞれの約定金利がそのまま割引率の候補になる。
この入口の利点は、数字が契約書に書いてあることである。推定ではなく確認で済む。複数の借入があるなら、金利の高いものから返す前提で考えるのが自然であり、その金利が上限側の目安になる。売却代金で返す予定の債務がないなら、この入口からは何も出てこない。
4.2 第二の入口——その資金を何に使うか(機会費用)
借入がない場合、割引率は資金の代替用途によって決まる。ここで守るべき原則が一つある。比較するのは、リスクの等しい用途どうしでなければならない。マーコウィッツ(1952)以降のポートフォリオ理論が明らかにしたのは、期待収益率はリスクと切り離せないという点である。株式で年数パーセントを期待できるからといって、その率をそのまま割引率に使うと、確実に手に入る金額と不確実な期待値を取り違えることになる。
実務的には次の順で考えるとよい。売却代金を預貯金に置くだけなら、割引率は低い水準にとどまる。繰上返済に充てるなら、その金利分だけ確実に支出が減るのだから、金利がそのまま割引率になる。この二つは金額が確定しており、比較の土俵として適切である。事業への投下や有価証券の購入は、期待値としては高くても不確実性を伴うため、同じ土俵には載せにくい。
4.3 第三の入口——借りられないことの費用(信用制約)
第一と第二の入口は、資金が市場を通じて融通できることを前提にしている。しかし現実には、借りたくても借りられない売主がいる。高齢で新規の借入が難しい、収入の証明が出しにくい、すでに与信の枠を使い切っている。こうした信用制約のもとでは、割引率は市場金利とほとんど無関係に決まる。
この場合、割引率は、その資金がいま無いことで失われるものから逆算するほかない。施設の入居が三か月遅れる、住み替え先の契約を落とす、二重の住居費を三か月余分に負担する。これらは金額に直せる。三か月で30万円の余分な負担が生じるなら、必要な資金1,500万円に対して三か月で2%、年率に直せば8%前後の水準になる。ケインズ(1936)が流動性選好の議論で予備的動機と呼んだものは、この入口に近い。
4.4 第四の入口——時間選好と心理的費用
最後の入口は、金銭に還元しにくいものである。サミュエルソン(1937)が定式化した割引効用モデルは、将来の効用を一定率で割り引くという単純な形をとっていた。その後の研究は、人間の割引が一定率ではなく、近い将来については急激に、遠い将来については緩やかに効くことを指摘してきた。レイブソン(1997)が双曲割引の名で論じたのはこの性質である。
売却の現場では、これは早く終わらせたいという感情として現れる。売れるかどうか分からない状態が続く不安、内覧の受け入れや片づけの負担、家族と繰り返す相談の疲れ。実在する費用であり、無視すべきではない。しかし割引率に混ぜてはならない。混ぜると検証が効かなくなり、どんな高い対価にも事後的な正当化を与えられてしまうからである。
推奨するのは、別立てで金額を置くことである。三か月の心労に自分はいくらまで払うか。20万円か、50万円か。数字にしてみると、第5節で見るように、実際に支払っている差額とは桁が合わないことが多い。合わないと分かった時点で、判断の材料としては十分である。
4.5 一点ではなく範囲で挟む
四つの入口から出てくる数字は一致しない。一致しなくてよい。下限は資金の最も安全な用途——多くは預貯金か繰上返済——から出る率、上限は現に負っている最も高い金利か、信用制約から逆算した率である。この二つで範囲を作り、第5節で求める無差別割引率がその範囲の上に出ているか、中に入っているかを見る。上に出ていれば、早期現金化の対価は自分の事情に照らして割高だという判定になる。
5. 試算例を現在価値で組み直す
概念の整理はここまでとし、実際の金額に当てはめる。用いるのは当サイトが掲げている試算例である。前提を書かずに金額だけを引くと、一般化された事実のように読まれてしまうため、前提と注記を先に置く。
5.1 試算例の前提
想定するのは、静岡県磐田市にある築25年の戸建てで、市場で2,000万円で売れると見込まれる物件である。買取価格は市場価格の75%と想定する。この割合は会社によっても物件によっても変わり、これを上回ることも下回ることもある。仲介手数料は、売買価格が800万円を超える場合の上限額(売買価格の3%に6万円を加え、これに消費税を加えた額)で計算した。登記費用・印紙・その他諸費用は、いずれの場合も10万円と置いている。実際の金額は物件の状態・時期・市況によって異なる、あくまで想定にもとづく試算例である。
この前提のもとで、仲介で売った場合の手取りは、2,000万円から仲介手数料726,000円と諸費用10万円を差し引いた約1,917万円となる。買取の場合は、1,500万円から諸費用10万円を差し引いた約1,490万円である。差は約427万円。この金額を、時点を揃えて評価しなおすのが本節の作業である。
註:買取であっても、当社のような媒介業者を通して買取会社へ売却する場合には、仲介手数料が別途かかる。この試算例では561,000円であり、手取りは約1,434万円、差は約483万円に広がる。買取に手数料がかからないのは、不動産会社が直接の買主になる場合に限られる。
5.2 二つの案を、時点つきで書き直す
第3節で見たとおり、入出金は複数の時点に分かれる。ここではまず粗い近似として、買取案は一か月後に約1,490万円を受け取り、仲介案はそれより何か月か遅れて約1,917万円を受け取ると置く。両案の入金日の間隔を、以下では単に販売期間と呼ぶ。買取そのものにも一か月を要する以上、この間隔は仲介の所要期間そのものより短くなる点に注意されたい。
ここで問うべきは、次の一点である。今日1,490万円を受け取る代わりに、販売期間だけ待って1,917万円を受け取ることが得になるのは、待つことの費用が年何パーセントまでのときか。この問いに答える数字が、第2節で定義した無差別割引率である。
5.3 無差別割引率の水準
約1,490万円を約1,917万円に育てるには、資金を1.29倍にする必要がある。これを販売期間の長さごとに年率へ引き直すと、次のようになる。
| 仲介で売れるまでの想定期間 | 無差別割引率(年複利) | 参考:単利で年率換算 |
|---|---|---|
| 3か月 | 約174% | 約115% |
| 6か月 | 約66% | 約57% |
| 12か月 | 約29% | 約29% |
| 18か月 | 約18% | 約19% |
| 24か月 | 約13% | 約14% |
読み方はこうである。仲介なら6か月で売れると見込むなら、早期現金化に対して年66%相当の対価を支払っていることになる。第4節で推定した自分の割引率の範囲が、この水準に届いているかを見る。届いていなければ、その対価は自分の事情に照らして割高である。届いているなら、買取を選ぶ判断はその売主にとって合理的である。
この表からもう一つ読み取れることがある。販売期間が短いほど、無差別割引率は急速に上がる。3か月で売れる見込みの物件を買取に回すのと、24か月かかる見込みの物件を買取に回すのとでは、支払っている対価の率が一桁違う。買取が割高になりやすいのは、実は売れやすい物件のほうなのである。この非対称は、直感に反するがゆえに見落とされやすい。
なお、媒介を通して買取会社に売る場合には、差が約483万円に広がるため、6か月の想定でも無差別割引率は年79%前後に上がる。同じ買取という言葉でも、手数料の有無で対価の率は明確に変わる。
6. 逆から読む——何か月まで待てるか
前節では販売期間を先に置いて割引率を求めた。同じ関係は逆からも読める。割引率を先に置き、その売主にとって手取りの差と釣り合う販売期間を求めるのである。実務ではこちらのほうが使いやすいことが多い。売主が知りたいのは率ではなく、いつまで待てるかだからである。
6.1 無差別販売期間
手取りの差約427万円が、待つことの費用とちょうど釣り合う期間を、割引率ごとに示すと次のようになる。この期間より早く売れる見込みがあるなら仲介が有利、これより長くかかる見込みなら買取が有利、という判定になる。
| 売主の実効割引率(年) | 手取りの差と釣り合う販売期間 |
|---|---|
| 3% | 約102か月(8年半) |
| 5% | 約62か月(5年2か月) |
| 10% | 約32か月(2年8か月) |
| 20% | 約17か月 |
| 50% | 約7か月半 |
この表の含意は大きい。売主の割引率が年10%——住宅ローンの水準からすればかなり高い部類である——であっても、二年八か月かかると見込まれないかぎり、待つほうが有利という結論になる。年20%という、消費者向けの借入でも高い部類の水準を当てはめてなお、一年五か月である。逆に言えば、買取が数字の上で有利になるのは、割引率が年50%に迫るような切迫した状況か、販売期間が年単位で見込まれる物件に限られる。
後者は珍しくない。買主の母集団が薄い物件——市街化調整区域で再建築の可否が不明な土地、接道が確保できていない土地、山林や農地が混ざった相続物件——では、販売期間が年単位に及ぶことがある。その場合、表の判定は買取側に傾く。買取という手段が意味を持つのは、こうした局面である。
6.2 販売期間中の保有費用を織り込む
ここまでの計算は、待っている間に出ていくものを無視していた。第3節で見たとおり、売り出し期間中は出金だけが続く。固定資産税・都市計画税、火災保険料、電気・水道の基本料金、草刈りや通風などの管理の手間、遠方に住むなら往復の交通費。これらを月あたりの金額として置き、仲介案の手取りから差し引けば、比較はより正確になる。
仮に月2万円と置いてみる。販売期間を6か月とすれば12万円であり、仲介案の手取りは約1,905万円に下がる。このとき無差別割引率は、年66%前後から年63%前後へ下がる。数字としては数ポイントの動きにすぎない。保有費用は、この規模の取引では判断を覆すほどの大きさを持たないというのが、ここから得られる結論である。
ただし条件つきの結論である。空き家の管理を業者に委託している、遠隔地から定期的に通っている、建物の修繕が発生し続けているといった事情があれば、月あたりの金額は数倍になりうる。販売期間が年単位に及べば累積も効く。月2万円でも三年で72万円である。
註:ここで用いた月2万円という保有費用は、計算の構造を示すための仮定であって、観測された平均値ではない。読者は自分の物件について、固定資産税の納税通知書、保険証券、公共料金の明細から実額を拾って置き換えてほしい。
6.3 地価の趨勢は、待つ理由にも売る理由にもなりにくい
待つあいだに価格が上がるのではないか、あるいは下がるのではないか。この期待や不安を計算に入れるべきかという問いがある。理屈の上では、将来額の側に織り込むのが正しい。第2節で述べたとおり、割引率の側で二重に調整してはならない。
では、どれだけ織り込むべきか。磐田市の住宅地の公示地価の平均は、2026年地価公示にもとづく市町村別平均で1㎡あたり50,086円、前年比は+0.16%である(実際の取引価格とは異なる)。駅別に見ても、磐田駅周辺が+0.51%、豊田町駅周辺が-0.03%、御厨駅周辺が+0.10%と、いずれも小さい。この程度の変動率は、上の表の割引率と比べれば桁が二つ違う。
したがってこの市場では、地価の趨勢を理由に待つことも、下落を理由に急ぐことも、数字の上では支持しにくい。判断を決めるのは市況ではなく、売主自身の割引率と見込み販売期間である。相場を読む努力より、自分の期限を書き出す作業のほうが手取りに効く。
7. 将来額の不確実性をどう扱うか
ここまでの計算には、大きな単純化が一つ含まれている。仲介案の約1,917万円を、確定した金額として扱ってきたことである。実際には、その金額で売れる保証はない。値下げをするかもしれないし、想定より高く決まるかもしれないし、期限までに売れないかもしれない。この不確実性をどう扱うかは、現在価値の計算で最も誤りが生じやすい部分である。
7.1 分子で調整するか、分母で調整するか
不確実性の扱い方には二つの流儀がある。一つは、将来のキャッシュフローそのものを期待値に直す方法である。分子を調整する、と言い換えてもよい。もう一つは、キャッシュフローは据え置いたまま、割引率にリスク分を上乗せする方法である。こちらは分母を調整する。企業の投資判断ではしばしば後者が使われるが、家計の売却判断では前者のほうが扱いやすい。
理由は二つある。第一に、リスク分として何ポイント上乗せすべきかを決める根拠が、個人にはない。第二に、上乗せしてしまうと、第5節・第6節で見たような読み方——率を見て高いか安いかを判定する——ができなくなる。割引率の中に待つ費用とリスク調整が混ざり、意味を取り出せなくなるからである。守るべき原則は一つ、同じ要因を分子と分母の両方で数えないことである。
7.2 期待値に直す——三つのシナリオで足りる
分子を調整する具体的な手順は単純である。シナリオを三つ書き、それぞれの確率を自分で置き、加重平均する。精密である必要はない。桁が合えばよい。
- 上振れ:売り出し価格に近い水準で早期に決まる。手取り約1,917万円、期間3か月
- 中位:一度の価格改定を経て決まる。手取りは改定幅の分だけ下がり、期間は6か月から9か月
- 下振れ:期限までに決まらず、最終的に買取または大幅な改定で決着する。手取りは買取案に近づく
この三つに確率を置いて加重平均すれば、仲介案の期待手取りが出る。多くの場合、期待手取りは約1,917万円より低くなり、期待期間は3か月より長くなる。その両方を反映させたうえで無差別割引率を計算しなおすと、第5節の表より低い値が出る。つまり、確定額で計算した表は仲介案に有利すぎるのであり、この補正は不可欠である。
7.3 下振れシナリオの正体——選択肢は消えていない
ここで見落とされやすい構造がある。下振れシナリオ、すなわち期限までに売れなかった場合の帰結は、多くの場合ゼロではなく、そのときに改めて買取を検討するという選択に落ち着く。買取という選択肢は、仲介を試みているあいだも消えずに残っているのである。
この点は判断の非対称を生む。先に仲介を試みて後から買取に切り替えることはできるが、先に買取で売ってしまえば仲介を試みることはできない。順序が逆なだけで、選べる範囲がまったく違う。この非対称は待つことに選択権としての価値を与えるが、その評価は実物オプションの枠組みに属するため、別稿に譲る。
ただし、時間が経っても買取の提示額が同じである保証はない。市況の変化に加え、長く売れなかったという事実そのものが買主側の評価に影響することがある。下振れシナリオの手取りは、今日の提示額よりいくらか低く見積もっておくのが安全である。
7.4 買取側の金額も確定ではない
公平のため、逆側にも触れておく。買取の提示額もまた、契約に至るまでは確定していない。現地調査や社内決裁を経て金額が変わることがあり、契約不適合責任の免責範囲や残置物の扱い、決済日の設定によって実質的な手取りは動く。提示額を確定額として扱い、仲介案だけを期待値に割り引くのは公正ではない。両案とも金額と時点に幅があるものとして扱い、期待値どうしを同じ時点で比べる。精緻な確率分布は要らない。要るのは、片方だけを厳しく見積もらないという規律である。
8. 売主の実務への含意
以上を、売主が実際に手を動かせる手順に落とす。必要なのは電卓と一枚の紙である。順序には意味があり、金額を比べる前に時点を揃え、時点を揃える前に自分の割引率の範囲を決める。この順で進めれば、途中で数字に押し流されずに済む。
8.1 手順1——すべてを手取りに統一する
最初の作業は、提示された金額を手取りに直すことである。売買価格、仲介手数料、登記費用、印紙、残置物の処分費、引越費用、そして譲渡所得への課税。これらを一つの数字に合流させるまで、比較は始まらない。価格が高いほうが手取りも高いとは限らない。とくに媒介を通して買取会社に売る場合は手数料が発生するため、価格の差より手取りの差のほうが大きくなる。
税については、居住用財産の特別控除や相続した空き家に関する特例の適用可否で税額が大きく変わることがある。適用の見込みが案によって異なるなら、税引後の金額まで直してから比べる。判断が反転しうる項目は、この部分が最も大きい。
8.2 手順2——それぞれの金額に日付を書く
次に、手取りの各項目に日付を書き入れる。買取案は契約と決済の見込み日、仲介案は売り出しから成約までの見込み期間と決済日。販売期間中の保有費用は月あたりの金額で置く。税は翌年の納付時点に置く。日付を書くという作業自体が、それまで曖昧だった前提を露わにする。担当者に見込み期間を尋ねる根拠にもなる。
- 買取案:査定提示日、契約予定日、決済予定日、そのときの手取り額
- 仲介案:売り出し予定日、成約の見込み時期(幅で書く)、決済予定日、そのときの手取り額
- 両案共通:販売期間中の月あたり保有費用、翌年の納税見込み額と納付時期
- 動かせない期限:相続税の申告期限、施設の入居日、住み替え先の引渡し日など
8.3 手順3——無差別割引率を出し、自分の範囲と突き合わせる
二つの手取りと日付が揃えば、無差別割引率は計算できる。差額を早い側の手取りで割り、期間で年率に引き直すだけである。単利での概算で足りる。第5節の表と同じ計算だが、数字は自分の物件のものを使う。出てきた率を、第4節で挟んだ自分の割引率の範囲と比べる。範囲より高ければ、早期現金化の対価は割高である。
8.4 手順4——率が高すぎたときに、次に何をするか
無差別割引率が自分の範囲を大きく超えていた場合、結論は待つことではなく、待てる状態を作ることである。急いでいる理由が資金にあるなら、必要額の全額を売却で賄う必要があるかを確かめる。一部を借入で橋渡しできるなら、その金利は表の率よりはるかに低いことが多い。理由が期限にあるなら、その期限が動くかを確かめる。動かせない期限は、書き出してみると一つか二つしかないことが多い。
もう一つの道は、販売期間そのものを短くすることである。境界の確定、相続登記の完了、建築可否の事前確認、残置物の整理、物件状況の書面化。これらは売り出す前に着手できる作業であり、買主側の不安を減らして決断を早める。無差別割引率の分母は時間であるから、時間が縮めば率は上がり、買取の相対的な魅力は下がる。
8.5 手順5——買取を選ぶと決めたときの作法
計算の結果として買取が合理的だと判定されることは、当然にありうる。その場合でも、価格の妥当性は別途に確かめる余地がある。同じ物件資料と同じ決済条件を複数の買取会社に同時に示し、期日を切って回答を並べる。提示額ではなく手取りに直して比べる。この一手間は、支払う対価の水準そのものを動かす。
当社は自社で買主とならず、買取および買取保証を率先して行わない。事情があって買取を選ばれる場合も、複数社に同一条件で見積もりを出してもらい、比較していただく形をとる。本節の計算は、その比較の土台として使えるように組み立てた。判定の結果がどちらであっても、根拠を書面に残しておくことを勧める。あとから振り返ったとき、判断の質を検証できるのは記録だけである。
9. 結論と今後の課題
三か月早い現金化はいくらの価値か。本稿の答えは、その価値は売主ごとに違い、しかも計算できる、というものである。違うことと計算できないことは同じではない。割引率という一つの数字を推定できれば、価値は金額として出る。
議論の骨格を要約する。第一に、時点の違う金額はそのままでは比較できない。比較の前に、すべてを手取りに統一し、それぞれに日付を書き、同じ時点に引き直す作業が要る。第二に、引き直しに使う割引率は主体ごとに違う。借入の金利、資金の代替用途、借りられないことの費用、時間選好という四つの入口から、単一の値ではなく上限と下限の範囲として挟むのが現実的である。
第三に、二つの案が等しくなる無差別割引率を求めれば、判定は率の比較に還元される。試算例では、販売期間を6か月と見込むとき年66%前後、3か月と見込むとき年174%前後という水準になった。逆から読めば、割引率が年10%の売主にとって、手取りの差約427万円と釣り合う販売期間はおよそ2年8か月である。第四に、この計算は将来額を確定として扱うかぎり仲介案に有利すぎる。期待値に直す補正が要る。ただし補正は両案に等しく施す。
9.1 本稿の限界
限界を三点記す。第一に、本稿は理論的整理であって実証分析ではない。第5節・第6節で用いた75%という買取割合も、3か月から24か月という販売期間も、月2万円という保有費用も、計算の構造を示すための想定であって観測値ではない。読者は自分の物件の条件で同じ計算をやり直す必要がある。
第二に、本稿は割引率を期間に対して一定と置いた。しかし人間の割引は一定率ではないことが指摘されており、近い将来ほど急に割り引く傾向があるとされる。この性質を前提にすると、無差別割引率と自分の割引率を比べるという本稿の判定手順そのものが、期間の長さによって歪むことになる。より精密な扱いは行動経済学の枠組みを要する。
第三に、本稿は金銭に還元できる要素だけを扱った。売却をめぐる家族の合意形成、思い出のある家を手放すことの重み、近隣との関係。これらは割引率にも金額にも収まらない。本稿の計算は判断の全体を置き換えるものではなく、金銭で表せる部分を見えるようにする道具にすぎない。
9.2 残された課題
課題を三つ挙げる。ひとつは、見込み販売期間をどう推定するかである。本稿の判定は、この一点に強く依存している。ところが薄い市場では、期間の分布を統計的に把握すること自体が難しい。売り出し価格と期間の関係をどう見積もるかは、別の枠組みで扱うべき論点である。
もうひとつは、待つことの選択権としての価値である。本稿は仲介を試みることを、将来の金額を待つ行為として扱った。しかし第7節で触れたとおり、仲介から買取への切り替えは可能で、逆はできない。この非対称は待つことに追加の価値を与える。その評価は実物オプションの理論に属し、本稿の枠組みでは扱いきれない。
最後に、割引率の推定を売主が一人で行うことの難しさがある。第4節で示した四つの入口は、いずれも自分の家計の内側を見る作業であり、他人には代われない。しかし手順を示し、必要な数字がどこに書いてあるかを伝えることはできる。査定額を提示する側にできるのは、金額を大きく見せることではなく、比較の土俵を揃えることである。時点の揃った表を一枚作ること。本稿が実務に対して主張したいのは、その一点に尽きる。
