1. はじめに——問題の所在
不動産の仕事のうち、書類に残る部分は驚くほど少ない。売買契約書、重要事項説明書、登記の申請書。取引が終わったあとに残るのはこれらだが、その取引を成立させた判断の大半は、そこに書かれていない。なぜこの価格で出したのか。なぜ売り出す前に境界を確定させたのか。なぜこの買主候補に先に声をかけたのか。判断の理由は、担当者の頭の中にある。
頭の中にあるものは、その人が辞めれば消える。中小の不動産会社にとって、これは抽象的な心配ごとではない。数名の会社では、地域の事情を最もよく知る者が一人か二人しかいないことが普通である。その一人が引退するとき、失われるのは労働力ではなく、二十年かけて溜まった判断の材料そのものである。同じ地域で事業を続けているという事実は、その材料が組織に残っていることを意味しない。
そこで本稿の問いを立てる。担当者の頭の中にある地域の事情を、調査票・データベース・記事という形に外へ出すことに、どういう意味があり、どこに限界があるのか。外に出すという操作を、ここでは外化と呼ぶ。外化は良いことだ、記録は多いほうがよい、という素朴な前提を置かずに、何が出せて何が出せないのかを分けるところから始める。
この問いは、別稿で扱った情報の地理的粘着性の議論から直接に伸びている。そこでは、地域固有の情報は移転費用が高く現地に留まるという性質を扱い、それが地域企業の優位の源泉になると論じた。ただし同稿が扱ったのは情報という財の性質と、それが動くか動かないかという条件であった。本稿が扱うのは、その情報が一つの組織の内部で形を変えていく過程である。移すか移さないかではなく、どう変換され、変換のたびに何が失われるかを見る。
方法として用いるのは、野中郁次郎と竹内弘高が1995年に提示した知識創造の枠組みである。彼らは、知識が暗黙知と形式知のあいだを往復しながら増えていく過程を、共同化・表出化・連結化・内面化という四つの変換モードとして描いた。頭文字を取ってSECIモデルと呼ばれる。この枠組みの利点は、外化を一つの作業としてではなく、循環する過程の一局面として位置づけられる点にある。書けば終わり、ではないことが最初から視野に入る。
先に結論の骨格を述べておく。第一に、外化の主たる価値は、知識を保存することよりも、問いを組織で共有することにある。第二に、外化に伴う取り落としは避けられないが、何が落ちたのかを記録する仕組みは設計できる。第三に、この螺旋は自動では回らず、多くの場合は最後の内面化の局面で止まる。書式は増えたのに現場の判断が変わらないという事態は、ここから生じる。
以下、第2節で知識創造の枠組みを整理する。第3節から第6節までで四つの変換モードを不動産仲介の実務に一つずつ当て、それぞれの装置と取り落としを特定する。第7節でモデル自体の限界と、螺旋が止まる条件を扱う。第8節で売主が使える点検手順に落とし、第9節で残された課題を述べる。
筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たず、買取や買取保証を率先して行わない立場をとっている。本稿で外化の装置として挙げるものには、自社で運用している調査票や記事が含まれる。したがって本稿は、自分たちの道具を自分たちで検分する文章でもある。うまくいっていない部分を省いては意味がないので、そこも書く。
2. 知識創造理論の構造
枠組みを、数式や図式に頼らずに再構成しておく。ここを曖昧にしたまま実務に当てると、暗黙知という語が、単に言葉にしにくい何かを指す便利な呼び名に堕してしまう。
2.1 暗黙知という概念の出どころ
暗黙知はマイケル・ポランニーの用語である。彼が1966年の著作で述べた中心命題は、人は語ることができるより多くのことを知っている、というものであった。自転車に乗れる人は、乗り方を言葉で完全に説明できない。人の顔を見分けられる人は、見分けの基準を列挙できない。それでも、乗れるし、見分けられる。知っていることと、言えることは、範囲が違う。
ポランニーがさらに指摘したのは、この知り方の構造である。人は複数の細部に注意を向けながら、細部そのものではなく、細部が指し示す全体を捉えている。細部を一つずつ意識に上げると、かえって全体の把握が壊れる。ピアニストが指の動きを個別に意識すると演奏が崩れるように。この構造は、外化の限界を考えるうえで重要である。細部を列挙する作業は、全体を捉える働きそのものを再現しない。
似た区別は、ギルバート・ライルが1949年に立てた、方法についての知と事実についての知の対比にも見える。何かのやり方を知っていることと、何かが事実であると知っていることは別である。前者は実演によって示され、後者は命題によって示される。不動産の現場でいえば、この土地の登記名義が誰かは後者であり、この土地を見て何をまず疑うべきかは前者にあたる。
2.2 四つの変換モード
野中と竹内が加えたのは、暗黙知と形式知を対立させて終わらせず、両者のあいだの変換を経営の対象として扱った点である。彼らは変換の向きの組み合わせから四つのモードを立てた。暗黙知から暗黙知への変換が共同化、暗黙知から形式知への変換が表出化、形式知から形式知への変換が連結化、形式知から暗黙知への変換が内面化である。
| 変換モード | 知識の向き | 不動産仲介での場面 | 主に使われる装置 |
|---|---|---|---|
| 共同化 | 暗黙知から暗黙知へ | 現地への同行、境界の立会い、面談への同席 | 経験の共有そのもの。言葉を介さない |
| 表出化 | 暗黙知から形式知へ | 調査票への記入、査定の根拠の文書化 | 様式・項目・対話による言語化 |
| 連結化 | 形式知から形式知へ | 地区ごとの注意点の集約、記事や資料の作成 | 記録の蓄積と突き合わせ |
| 内面化 | 形式知から暗黙知へ | 書式を持って現地に立つ、事例を読んで判断が変わる | 反復と実地での適用 |
四つは並列の選択肢ではなく、順に回る循環として構想されている。共同化で共有された経験が表出化で言葉になり、連結化で他の言葉と結び合わされて体系になり、内面化で再び個人の身体に戻る。戻った先では、出発点より広い範囲の暗黙知が形成されている。これが螺旋と呼ばれる所以である。同じ円を回るのではなく、回るたびに位置が上がるという想定が置かれている。
2.3 場という条件
この循環が回るには条件が要る。野中の議論で場と呼ばれるのは、変換が起きるための共有された文脈である。物理的な空間とはかぎらない。同じ現場に立つこと、同じ資料を見ながら話すこと、同じ失敗を覚えていること。これらが共有されていない相手とのあいだでは、同じ言葉を交わしても知識は変換されない。
この点は、第4節以降で繰り返し効いてくる。調査票という様式は、それを書く者と読む者が同じ現場の見え方を共有しているときにだけ、書かれた項目以上のものを伝える。共有がないと、様式は項目の羅列に戻る。様式そのものの出来より、様式が使われる場の条件のほうが結果を左右する。
註:本稿はSECIモデルを検証すべき仮説としてではなく、実務を分解するための座標として用いる。四つのモードの区分は分析のための道具であり、現実の一つの行為が複数のモードにまたがることは珍しくない。第7節でこの点の批判を扱う。
3. 共同化——同行でしか渡らないもの
四つのモードのうち、最も古くから存在し、最も費用が高いのが共同化である。暗黙知が、言語を経由せずに、そのまま別の人へ移る局面をいう。徒弟が親方の手元を見て覚える過程が典型例として挙げられてきた。不動産の現場でも、この過程は現に働いている。
3.1 共同化はどこで起きているか
最も分かりやすいのは現地への同行である。同じ土地に二人で立ち、片方が擁壁の裏の植生に目をやり、片方がそれを見ている。そこで交わされるのは、ここは水が回っているかもしれない、という短い一句にすぎない。しかしその一句は、どこを見てそう言ったのかという文脈と一緒に渡る。同じ言葉を電話で聞いた場合には渡らない部分が、現地では渡る。
境界の立会いも共同化の場である。隣地の所有者がどういう言い方で何を了承し、どこで口調が変わったか。合意そのものは書面に残るが、合意に至る過程の呼吸は残らない。次に同じ地区で立会いを行う者にとって、その呼吸は事前に知っているかどうかで段取りが変わる種類の知識である。
売主との面談への同席も同じ構造を持つ。相続で兄弟が並ぶ席で、誰がどの順で話し、誰が黙るか。売り急ぐ理由を口にしない売主が、どの話題で表情を変えるか。これらは記録票の家族構成欄には収まらない。同席した者だけが、次の面談で同じ気配に気づけるようになる。
3.2 共同化には規模の上限がある
共同化の効率は低い。一度に移せる相手の数が少なく、時間がかかり、移った内容を確認する手段がない。同行を一日行っても、相手が何を受け取ったかは分からない。学習の理論では、この種の学びを共同体への参加の深まりとして捉える見方が示されてきた。参加の深まりには時間が要る、という点だけを取っても、共同化には拡大の限界がある。
この制約は、地域の中小業者にとって二重の意味を持つ。一方で、共同化は小規模な組織が最も自然に行える変換である。人数が少なく、同じ現場に一緒に行く機会が多いからである。他方で、共同化に頼りきることは、組織の知識をその二人か三人の関係に閉じ込めることを意味する。関係が切れた瞬間に、蓄積の経路そのものが失われる。
3.3 共同化が偏りを再生産する危険
見落とされやすい問題として、共同化は正しい判断だけでなく、誤った習慣も同じ効率で伝えることがある。ある地区は昔から価格が伸びない、この種の物件は買い手がつかない、といった見立ては、根拠が検証されないまま同行を通じて次の世代に渡る。渡ったあとは、その見立てを裏づける事例だけが記憶に残り、反する事例は例外として処理されやすい。
組織の慣行が、明示的な指示ではなく反復によって受け継がれるという指摘は、企業行動を進化の過程として捉える研究群でも早くからなされてきた。慣行は効率的だから残るのではなく、単に受け継がれたから残る。共同化だけで知識を継承する組織は、この検証されない慣行の蓄積に対して無防備である。
したがって、共同化は次の表出化へ渡す前段としてこそ意味を持つ。同行の帰り道で、なぜそう見立てたのかを言葉にさせること。言葉にさせた時点で、その見立ては検証の対象になる。次節で扱う表出化は、知識を保存する作業である以前に、暗黙のままなら検証されずに済んだものを検証の場に引き出す作業である。
4. 表出化——調査票は何を捕まえ、何を取り落とすか
野中と竹内が四つのモードのうち最も重要と位置づけたのが表出化である。暗黙知が言葉や図になる局面であり、ここを通らないかぎり知識は個人のものにとどまる。不動産仲介において、この局面を担う中心的な装置が調査票である。
4.1 調査票は記録簿ではなく質問票である
物件調査の様式は、しばしば記入すべき事項の一覧として理解されている。しかし表出化の観点から見ると、その本質は質問の集合である。接道の幅員は何メートルか、私道の持分はどうなっているか、上下水道の引込みはどこまで来ているか、農地が含まれる場合の農振区分は何か。項目は、調べるべき対象を指し示すことによって、調べる者の注意を配分している。
この理解に立つと、様式の良し悪しは、記録の網羅性ではなく問いの精度で測られる。磐田市の物件であれば、市街化区域か市街化調整区域かを問う欄がなければ、そこを確認しないまま売り出す担当者が出る。市の都市計画の資料では市の総人口のおよそ45%が調整区域に住むとされており、この地域では例外的な確認事項ではない。逆に森町は線引きのない非線引き都市計画区域であるから、同じ欄をそのまま持ち込んでも空欄になる。用途地域と農業振興地域の区分を問う欄のほうが効く。
様式が地域ごとに違ってよいのは、このためである。特定の時と場所の事情についての知識は集約の過程で削られるというハイエクの1945年の指摘は、様式の設計にもそのまま当てはまる。
4.2 表出化を助けるのは、比喩と問い直しである
野中らが表出化の手立てとして挙げたのは、比喩・類比・仮説といった、厳密ではない言語の働きであった。厳密な定義から入ると言語化は止まる。まず不正確でも言ってみて、それを問い直すことで精度が上がっていく。現場でこれに相当するのは、なぜそう思ったのかという問い返しである。
この地区は動きが遅い、という担当者の発言に対して、何と比べて遅いのか、どの物件のときにそう感じたのか、と重ねて問う。多くの場合、最初の一言の背後にあったのは、二年前の一件の記憶であったり、問い合わせは来るが内覧に至らないという特定の段階の詰まりであったりする。問い直しは、印象を検証可能な命題に変える作業である。
4.3 表出化が取り落とす三つのもの
それでも、表出化は完全ではない。取り落とされるものは、少なくとも三種類に分けられる。第一は、項目にないものである。様式は注意を配分すると同時に、配分されなかった領域を視野から外す。この物件の異様さが項目のどこにも当てはまらないとき、その異様さは記録されない。担当者が違和感を持ったという事実自体が、様式に居場所を持たない。
第二は、確信の度合いである。建築可否について窓口で得た見込みと、過去の類似案件から推測した見込みは、書面上は同じ一行になる。どちらも建て替え可能の見込みと書かれる。しかし前者は根拠のある形式知であり、後者は個人の暗黙知の言い換えにすぎない。確信度の欄がない様式は、この二つを同じ強さの情報として下流に渡してしまう。
第三は、否定的な情報の扱いである。調べたが分からなかった、という結果は記録に残りにくい。空欄は、調べていないのか、調べたが不明だったのか、該当がないのかを区別しない。三つは実務上まったく違う意味を持つ。空欄の意味が確定しない様式は、次にその物件を扱う者に、同じ調査を最初からやり直させる。
4.4 取り落としを減らすための三つの欄
- 自由記述欄。項目に当てはまらない違和感を、そのまま書き残すための場所を設ける
- 確信度の欄。窓口で確認した、資料で確認した、推測である、の三段階に分けて記す
- 空欄の意味を分ける欄。未調査・調査したが不明・該当なしを、記号で区別できるようにする
これらはいずれも、取り落としをゼロにする手段ではない。落ちたという事実を記録に残す手段である。何が落ちたか分からない記録と、ここは落ちていると分かる記録では、下流での使われ方が違う。前者は完全な情報として扱われ、後者は補うべき情報として扱われる。
5. 連結化——記録と記事が新しい知を生む
連結化は、形式知どうしを組み合わせて別の形式知をつくる変換である。四つのモードの中で、情報技術と最も相性がよく、また最も過大評価されやすい局面でもある。データベースを導入すれば知識が蓄積されるという言い方は、この局面だけを見て他の三つを忘れた議論である。
5.1 個別の記録が地区の知に変わるとき
連結化の最も素朴な形は、個別の調査票を横に並べることである。同じ地区の物件を十件並べると、一件ずつを見ていたときには見えなかったものが現れる。この地区は公図と現況のずれが多い、この一帯は上水道の引込みが細い、この学区の物件はある時期に集中して建てられている。個々の記録は事実の羅列でも、束ねると地区の性格についての命題になる。
重要なのは、この命題が新しい知識だという点である。どの一件の調査票にも書かれていなかったことが、束ねる操作によって生まれている。連結化が単なる保管と違うのはここである。保管は元の情報を保つだけだが、連結化は元になかったものを生む。データベースの価値は、検索できることよりも、横に並べられることにある。
同じ操作は、公開されている統計と自社の記録のあいだでも成り立つ。取引価格情報や地価公示は誰でも同じ費用で手に入る形式知である。それ自体を眺めても、その地域で何が起きているかは分からない。自社が扱った案件で、なぜその価格に落ち着いたのかという記録と突き合わせて初めて、公開データの数字が読める数字になる。
5.2 外に向けて書くことが連結化になる理由
連結化のもう一つの形が、記事や資料として外部に向けて書くことである。社内向けの記録と外部向けの記事では、読み手が共有している前提の量が違う。社内では、旧豊田町の側という一句で通じるものが、外部の読み手には通じない。通じるように書き直す作業は、前提を明示する作業にほかならない。
この作業には、書き手の側に効く副産物がある。前提を明示しようとすると、自分がその前提をどこまで確かめていたかが露わになる。確かめていなかった部分は書けない。書けないと分かった時点で、調べるか、断定を弱めるかのどちらかを選ぶことになる。外向けに書くという制約は、内部でなら通っていた曖昧さを許さない。
5.3 連結化の落とし穴——平均への丸めと、様式への従属
第一の落とし穴は、束ねる過程で個別性が平均に丸められることである。地区ごとの傾向を出すという操作は、その傾向から外れる物件を例外として扱う操作と表裏である。例外として処理された事例のほうが、実は次の判断にとって重要だったということが起こりうる。丸めは情報を圧縮するが、圧縮の際に何を捨てたかは記録されない。
第二の落とし穴は、様式が問いを規定してしまうことである。データベースの項目が固定されると、その項目で表せることだけが記録され、記録されたものだけが分析され、分析されたものだけが知識として認められるようになる。項目の外にある現象は、存在しないものとして扱われる。第4節で述べた表出化の取り落としが、連結化の段階で制度として固定される。
第三の落とし穴は、連結化が容易であるがゆえに、そこだけが独走することである。組織学習の研究では、既存の知識を精緻に活用することと、未知の領域を探索することの配分が問題として扱われてきた。手元の記録を組み合わせて体系を整える作業は前者に属する。前者は成果が見えやすく、費用も低い。結果として、共同化や内面化に払うべき時間が、資料づくりに吸い取られていく。
この三つに共通するのは、連結化の産物が完成品のように見えるという点である。整った資料は、それ自体が知識であるかのような外観を持つ。しかし枠組みに従えば、連結化はまだ循環の途中にすぎない。資料が誰かの判断を変えないかぎり、知識は増えていない。次節で扱う内面化が、その最後の一段にあたる。
6. 内面化——書式は判断を育て、また鈍らせる
内面化は、形式知が個人の暗黙知に戻る変換である。読んだこと、教わったことが、意識しなくても働く判断の型になる局面をいう。四つのモードのうち最も観察しにくく、最も省略されやすい。資料をつくったところで仕事を終えたと感じてしまうのは、この局面が目に見えないからである。
6.1 書式を持って現地に立つという経験
内面化が起きる典型的な場面は、経験の浅い担当者が調査票を手に現地へ行くときである。項目を一つずつ確認していくうちに、なぜこの項目があるのかが分かってくる。私道の持分を問う欄の意味は、持分がないために通行と掘削の承諾が要る物件に一度当たってみないと、身につかない。項目は、それが実際に効いた経験と結びついたときにはじめて判断の型になる。
この過程は、専門職の学習を、行為の最中の省察として捉える見方と重なる。実務家は、あらかじめ与えられた理論を適用しているのではなく、目の前の状況が想定と食い違ったときに、その場で自分の枠組みを問い直している。書式は、その問い直しの手がかりを与える。書式なしに現地へ行った者は、何が想定と違うのかを言えないまま帰ってくる。
したがって、書式の役割は判断を代行することではなく、判断が育つ足場を与えることにある。この区別は言葉の上では細かく見えるが、運用上は大きな違いを生む。足場として扱えば、項目を確認したうえで、項目にないことにも目が向く。代行と扱えば、項目を埋めた時点で調査は終わる。
6.2 チェックリストの逆機能
書式が判断を鈍らせる経路は、少なくとも三つある。第一は、埋めることの目的化である。全欄を埋めた調査票は、見た目には完成しているが、埋まっていることと確かめられていることは違う。窓口に行かず、過去の類似案件から推測して欄を埋めても、書面上の見え方は同じである。第4節で確信度の欄を提案したのは、この見え方の同一性を壊すためである。
第二は、注意の資源が有限であることに由来する。人間の判断能力には限りがあり、すべての情報を検討することはできない。この制約のもとでは、目の前にある項目の処理に注意が使われ、項目の外を見る余力が減る。項目が多い様式ほど安全だとはかぎらない。項目の数と、現場での気づきの量は、ある点を超えると逆に動く。
第三は、責任の所在が様式に移ることである。書式どおりにやったという言い方が成り立つようになると、書式の外で起きたことは担当者の責任ではなくなる。これは組織の防御としては機能するが、知識の蓄積という観点では有害である。書式の外で起きた事故こそ、次の項目を生む材料だからである。
6.3 内面化を促す仕掛け
第一に、項目の由来を残すことである。この欄がなぜあるのかを一行添える。境界の立会い予定を問う欄の横に、隣地所有者の所在が分からず確定測量に数か月を要した事例があった、と書いておく。由来つきの項目は、単なる作業指示ではなく、他人の経験を圧縮した形で運んでいる。読む側は、その圧縮を解いて自分の判断に取り込める。
第二に、様式を更新する権限を現場に置くことである。項目を足す提案が現場から出てくるかどうかは、内面化が起きているかどうかの外形的な指標になる。項目の意味を理解していない者は、項目を足そうと思わない。逆に、様式が一度も更新されない組織では、循環が第5節で止まっていると考えたほうがよい。
第三に、事故と失敗を記録の対象にすることである。契約が白紙に戻った案件、想定より販売期間が延びた案件、売り出したあとで判明した事情。これらを、担当者の落ち度としてではなく、様式の不足として扱う。落ち度として扱えば、次からは隠される。様式の不足として扱えば、次の項目になる。同じ出来事の扱い方が、知識が増えるか減るかを分ける。
註:内面化は個人の中で起きるため、外から進捗を測ることが難しい。本節で挙げた三つの仕掛けは、内面化そのものを測る手段ではなく、内面化が起きていれば観察されるはずの兆候を作り出す手段である。
7. モデルの限界と、螺旋が止まる条件
ここまで枠組みに沿って実務を分解してきたが、枠組み自体を無批判に受け取るべきではない。SECIモデルには、提示された当初から向けられてきた疑問がいくつかある。それらを確認したうえで、地域の小規模な不動産業に固有の制約を加える。
7.1 暗黙知という語の拡張
第一の疑問は、暗黙知という語の使われ方に関わる。ポランニーが論じた暗黙知は、原理的に言語化できない知り方の構造を指していた。細部を意識に上げると全体の把握が壊れる、という主張がその核にあった。これに対して知識創造の枠組みでは、暗黙知はしばしば、まだ言語化されていないが努力すれば言語化できるものとして扱われる。
この違いは実務上も無視できない。まだ言語化していないだけなら、様式と時間を投じれば外化は進む。原理的に言語化できないのであれば、投じた資源は一定のところで頭打ちになる。実際にはこの両者が混在しており、どこまでが前者でどこからが後者かを事前に判別する方法はない。外化への投資は、収穫が逓減する地点を事前に知りえないまま行う投資である。
7.2 螺旋は自動では回らない
第二の疑問は、四つのモードが順に回るという想定に向けられる。モデルの記述は、循環が自然に進むかのように読める。しかし現実には、どの接続点でも流れは止まりうる。止まり方には型がある。
- 共同化から表出化への接続が切れる。同行はしているが、帰り道に理由を言葉にする習慣がない
- 表出化から連結化への接続が切れる。調査票は書かれているが、束ねて読む者がいない
- 連結化から内面化への接続が切れる。資料は整っているが、現場の判断が資料の前と変わらない
- 内面化から次の共同化への接続が切れる。個人の腕は上がるが、その腕が次の同行で共有されない
この四つのうち、中小の不動産業で最も頻繁に観察されるのは三番目である。資料をつくること自体は費用が低く、成果が目に見える。一方、その資料を読んで判断を変えることには、これまでの判断を否定する痛みが伴う。痛みを伴う工程は省略されやすい。書式は増え続けるのに現場の質が変わらないという状態は、この省略の帰結である。
7.3 小さな組織では、場と個人が一致してしまう
第三に、モデルが想定している組織の規模の問題がある。SECIモデルが素材としたのは、部門が分かれ、開発と製造と営業が別々の暗黙知を持つ規模の企業であった。異なる知識を持つ集団が接触することが、変換の原動力として想定されている。
社員が数名の会社では、この前提が成り立たない。共同化の場と、表出化を行う人と、連結化を行う人と、内面化する人が、同じ一人であることが起こる。同じ一人の中で四つが回るなら、それは組織の知識創造ではなく個人の熟達である。熟達した個人は貴重だが、その個人が抜ければ組織には何も残らない。第3節で述べた共同化への依存の危険は、ここで最も深刻な形をとる。
この制約への対処は、規模を大きくすることではない。異なる暗黙知を持つ相手を、組織の外に求めることである。土地家屋調査士、司法書士、税理士、行政の窓口、地域の金融機関。これらとのやりとりは、自社の中では起こらない知識の突き合わせを生む。専門が違えば、同じ物件について見ているものが違う。違いが表出化を強制する。
7.4 蓄えた知識は減価する
最後に、蓄積された知識が古くなるという問題がある。窓口の運用は担当者の異動と制度改正で変わる。地区の買主層は世代交代で入れ替わる。空き家の制度も動く。磐田市が空き家バンクを開設したのは2021年4月であり、森町の空き家・空き地バンクは定住推進課の移住交流係が運営している。こうした制度の運用は、数年単位で更新されうる。
したがって、蓄積の量それ自体は品質の指標にならない。何年分の記録があるかではなく、直近にどれだけ更新されたかを見るべきである。古い記録が残っていること自体は害ではないが、古いと分かる形で残っているかどうかが問題になる。日付のない知識は、いつまでも現在の知識のふりをする。
8. 売主の実務への含意
以上を、売却を考えている所有者が使える形に落とす。ここでの課題は明確である。知識が組織に蓄えられているかどうかは、外から直接には見えない。看板の古さも、社員数も、実績件数も、蓄積の証明にはならない。見えるのは、説明の形と、書面の形だけである。
8.1 蓄積は、説明の中の三つの徴候に現れる
第一の徴候は、根拠の出どころが区別されて語られることである。窓口で確認しました、資料で確認しました、これは推測ですが、という区別が自然に出てくるかどうか。第4節で述べた確信度の問題は、そのまま説明の質に現れる。すべてを同じ確信の強さで語る説明は、区別する習慣が組織にないことを示している。
第二の徴候は、分からないと言えることである。この土地の建築可否は現時点では分かりませんので、市の担当課で確認してから資料に書きます、という答えは、調査の手順が組織に定着している証拠になる。逆に、確認前から断定する答えは、第6節でいう書式の外を見ない状態か、そもそも確認の工程を持っていない状態を示す。
第三の徴候は、担当者が代わっても説明が変わらないことである。同じ会社の別の人に同じ質問をして、答えの筋が揃うかどうか。揃うなら知識は組織にあり、揃わないなら個人にある。個人にあること自体が悪いわけではないが、その個人が担当を外れたときに何が起きるかを、売主は知っておいたほうがよい。
8.2 売主自身も外化の当事者である
見落とされがちだが、暗黙知を持っているのは業者だけではない。長くその家に住んだ所有者、あるいは実家を相続した子は、その物件についての形式知にならない記憶を持っている。どこで雨漏りしたか、いつ増築したか、隣との境の杭を誰が入れたか、畑の一部を昔誰かに貸していなかったか。これらは登記にも図面にも残らない。
所有者の記憶が外化されないまま売却が進むと、二つの損失が生じる。一つは、告知すべき事情が契約後に判明して、契約不適合責任の問題になることである。もう一つは、価格に効く事情が伝わらないことである。増改築の履歴や、地盤改良を行った記録は、買主の不安を減らす材料になりうるが、言われなければ販売資料には載らない。
したがって、売主の側でも表出化の作業を行う価値がある。相談の前に、覚えていることを箇条書きで書き出しておく。順序も体裁も要らない。書き出しておくと、業者からの質問に対して、記憶を探しながら答えるのではなく、書いたものを見ながら答えられる。曖昧な記憶は曖昧なまま、そう書いておけばよい。第4節で述べた確信度の区別は、売主の側にも同じように使える。
8.3 何を、どの順で書面に落とすか
| 段階 | 外化すべき内容 | 確かめ方 |
|---|---|---|
| 相談の前 | 所有者しか知らない履歴。雨漏り、増改築、境界の経緯、貸し借り | 覚えている範囲で箇条書きにし、確かでない項目にはその旨を添える |
| 査定の場面 | 価格の根拠。参照した事例、物件固有の加減、確信の度合い | 口頭の説明をそのまま書面にしてもらい、推測の部分が明示されているかを見る |
| 媒介契約の前 | 売り出しまでに詰めるべき論点。建築可否、境界、農地区分、残置物 | 誰がどの窓口でいつまでに確認するかを、担当と期日つきで書いてもらう |
| 販売の期間中 | 反響と内覧の推移。問い合わせ数と内覧数を分けた数 | 宅地建物取引業法が定める業務処理状況の報告を、数字の形で受け取る |
| 条件を変えるとき | 変更の理由。何を見てその判断に至ったか | 価格や条件を動かす前に、根拠となった事実を書面で示してもらう |
この表の眼目は、書面にすること自体ではない。書面にする過程で、相手が調べていない部分が浮かび上がることにある。第5節で述べたとおり、外部の読み手に通じる形に書き直す作業は、書き手に前提の明示を強いる。売主が書面を求めることは、業者の側に表出化を要求することであり、その要求に応じられるかどうかが、蓄積の有無を映す。
なお、この枠組みは買取という売り方を選ぶ場合にも使える。複数の買取会社に見積もりを求めるとき、同じ内容の書面を全社に渡せば、各社の提示額は比較可能になる。条件が揃っていない見積もりを金額だけで並べても意味は薄い。所有者の側で先に外化を済ませておくことが、比較の土台をつくる。
9. 結論と今後の課題
本稿は、地域の不動産業が抱える知識を、野中=竹内の四つの変換モードに沿って分解した。結論は三点にまとめられる。
第一に、外化の主たる価値は、知識を保存することではなく、問いを組織で共有することにある。調査票は記録簿ではなく質問票であり、その良し悪しは網羅性ではなく問いの精度で測られる。磐田市で効く項目と森町で効く項目が違うのは、そのためである。全国共通の様式が地域で最も詰まりやすい論点を落とすのは、様式の出来が悪いからではなく、様式が問いの体系だからである。
第二に、外化に伴う取り落としは避けられないが、何が落ちたかを記録する仕組みは設計できる。確信度を分ける欄、空欄の意味を区別する記号、項目に収まらない違和感を書く場所。これらは取り落としをなくす装置ではなく、取り落としを可視化する装置である。完全な記録という幻想を捨てることが、記録を使えるものにする。
第三に、四つの変換は自動では連ならない。地域の中小業者で最も切れやすいのは、整った資料から現場の判断への接続である。資料が誰かの判断を変えないかぎり、知識は増えていない。この観点からは、蓄積の量ではなく更新の頻度が、組織の知識創造の実態を映す指標になる。
9.1 本稿の限界
限界は三つある。第一に、本稿は外化の効果を測る手立てを持たない。調査票を改良したことで判断がどれだけ良くなったかは、事後の印象としてしか語れない。取引の結果には、外化の質以外の要因が数多く混じるため、切り分けは容易でない。この点で本稿の主張は、検証済みの命題ではなく、実務の設計指針にとどまる。
第二に、SECIモデルそのものが持つ性格上の制約である。第7節で述べたとおり、暗黙知という語の範囲は論者によって揺れ、変換の可能性についても楽観が混じっている。本稿はこの枠組みを座標として用いたが、座標の目盛りが正確であることを保証するものではない。四つのモードという区分自体が、現実の一続きの営みを人為的に切っている可能性は残る。
第三に、本稿の記述は筆者が営業する地域の観察に依存している。磐田市のように市街化区域と市街化調整区域の線引きがある市と、森町のように線引きのない町では、様式に立てるべき項目が違う。都市部の分譲マンション市場では、そもそも物件固有の暗黙知の比重が小さい可能性が高い。地域を越えた一般化には慎重であるべきである。
9.2 別稿に投げる論点
本稿から伸びる論点を三つ挙げる。一つは、外化を促す誘因の問題である。第7節で、資料から判断への接続が切れやすいと述べたが、なぜ切れるのかを個人の怠慢に帰しても対処にならない。何を成果として数えるかという評価の設計が、表出化と内面化のどちらに時間を割くかを規定している。この関係は、報酬設計と指標設計の枠組みで別に扱われるべきである。
二つ目は、評価軸が説明の内容そのものを変える経路である。本稿は、知識が組織に蓄えられているかどうかを説明の形から見分けられると述べた。しかし、社内で何を良い成果と呼ぶかが変われば、同じ知識を持っていても説明の仕方は変わる。知識の蓄積と、その知識がどう語られるかは別の問題であり、後者は組織文化の枠組みを要する。
三つ目は、法定の報告義務を知識創造の装置として設計しなおす可能性である。宅地建物取引業法は媒介契約に基づく業務処理状況の報告を定めているが、この報告は形式的な履行に終わりやすい。報告を、売主への説明であると同時に、自社の記録の更新点として位置づけられるか。第8節の表で販売期間中の欄に触れた論点は、そこだけで一本の検討に値する。
最後に一点を確認しておく。本稿の結論は、記録の多い会社を選べという主張ではない。整った資料は、それ自体が判断の質を保証しない。売主にとって意味があるのは、目の前の説明が、根拠の出どころを区別して語られているか、分からない部分を分からないと述べているか、そして担当者が代わっても同じ筋で語られるかを見ることである。蓄積の実態は、書棚の厚みではなく、その三点に現れる。
