1. はじめに——問題の所在
売り出し価格を決めるのは売主である。媒介を依頼された業者が述べるのは意見であって、売主を縛る数字ではない。この点は制度上もはっきりしている。ところが、売主が決められるのは提示する数字までであって、その数字で取引が成立するかどうかは、決めた時点ですでに売主の手を離れている。中古住宅の買主の多くは住宅ローンを使う。とすれば、価格の実質的な上限は、その物件を買おうとする人が金融機関から借りられる額と、手元から出せる自己資金の合計で規定されている。上限を決めているのは売主でも査定額でもない。金利である。
本稿の問いは三つに分かれる。第一に、金利の変化は買主の購買力をどれだけ動かすのか。第二に、動いた購買力は売り出し価格の上限にどこまで転写されるのか。第三に、転写されない部分があるとすれば、それは何によって吸収されているのか。第一の問いは算術で答えが出る。第二と第三は市場の性質に依存し、答えは確率的にしか述べられない。この二つを混ぜて語ることが、売り時をめぐる議論を不毛にしている。
1.1 基準時点を先に置く
金利を論じる文章は、どの時点のどの金利を指しているかを明示しなければ意味をなさない。本稿では基準を二点に固定する。住宅金融支援機構の【フラット35】について、取扱金融機関が提供する金利のうち最も多いものは、2026年8月の資金受取分で年3.290%である。借入期間21年以上35年以下・融資率9割以下・新機構団体信用生命保険付きの場合の数値である。1年前にあたる2025年8月の同じ区分は年1.870%であった。
本稿で金利の水準に言及するときは、この二点のみを用いる。他の水準を仮定して議論を広げることはしない。以下に現れる試算はすべてこの二つの数値に基づく概算であり、諸費用・税・火災保険料・繰上返済を含まない。実際に借りられる額は、買主の収入・ほかの借入・物件の担保評価・金融機関の審査で変わる。算術が示すのは、それらの条件が同じであれば金利だけでどれだけ動くか、という一点である。
1.2 方法と構成
方法は二層に分ける。第一層は元利均等返済という返済方式の算術である。ここには推測の余地がない。毎月の返済額と借入元本の関係は、金利と返済回数が決まれば一意に定まる。第二層は、その算術が現実の市場でどこまで価格に転写されるかである。ここには資本化の程度、需給の状態、買主層の構成といった不確実な要素が入る。前者を確実なものとして示し、後者を不確実なものとして扱う。両者の境目を曖昧にしないことが、本稿の方針である。
以下、第2節で金利と購買力の関係を理論的に整理する。第3節で元利均等返済の算術を明示し、二つの金利のもとで数値を示す。第4節で借入可能額の変化を吸収する三つの緩衝材を検討し、第5節で地方都市の薄い市場に固有の条件を扱う。第6節では想定される三つの反論に応答する。第7節で売主の実務に落とし、第8節で限界と残された課題を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たず、買取および買取保証を率先して行わない立場をとっている。この立場は本稿の議論と無関係ではない。金利上昇局面で買主の購買力が縮むとき、その縮みをもっとも早く価格に映すのは市場で買主を探す経路ではなく、事業者が自ら買主となる経路だからである。この点は第6節で扱う。
2. 金利と購買力——理論の骨格
金利とは何か。アーヴィング・フィッシャーが1930年の『利子論』で与えた定式化はいまも有効である。利子率は、現在の財と将来の財を交換するときの比率にほかならない。年3%とは、いま手にする100が1年後の103と等価であるという交換条件を意味する。この比率が上がるということは、将来の財を現在に引き寄せる費用が高くなるということである。
住宅の購入は、この交換のもっとも大規模な例である。買主は、まだ稼いでいない将来の所得を担保に、いま住宅という耐久財を手に入れる。ジョン・メイナード・ケインズが1936年の『雇用・利子および貨幣の一般理論』で利子率を貨幣を手放すことへの対価として位置づけたのも、同じ現象を貸し手の側から見た記述である。借り手にとっての費用は、貸し手にとっての報酬である。
2.1 買主が最適化しているのは価格ではなく返済額である
ここで理論から実務へ橋を架ける必要がある。住宅を買おうとする世帯は、生涯所得の制約のもとで消費を平準化しようとする。フランコ・モディリアーニとリチャード・ブランバーグが1954年に示したライフサイクル仮説、ミルトン・フリードマンが1957年に示した恒常所得仮説は、いずれも消費が単年の所得ではなく長期の所得見通しに依存すると論じた。住宅の購入はこの平準化の道具である。一括で払えない財を、月々の支払に均して長期に配分する。
この構造は、買主の意思決定の変数を入れ替える。買主が第一に見るのは物件の総額ではない。毎月いくら払うことになるか、である。現在の家賃と比べられる数字、家計の中で位置づけられる数字は、総額ではなく月額のほうだからである。売主が総額で考え、買主が月額で考える。この視点の非対称が、金利の効果を見えにくくしている。
買主が月々の返済額を制約として持つ以上、購買力は次の三つで決まる。第一に、家計が住居費に配分できる月額。第二に、金利。第三に、返済期間。第一の要素は所得と生活設計で決まり、短期には動かない。第三の要素は年齢と金融機関の規定で上限が定まる。したがって短期に大きく動くのは第二の要素、すなわち金利だけである。
2.2 資本化という概念
もう一つ必要な概念が資本化である。将来にわたって発生する便益や費用が、現在の資産価格に織り込まれる現象を指す。都市経済学では、公共財の便益や税負担が地価に転写される経路を説明するために使われる。金利についても同じ論理が当てはまる。金利が上がれば、同じ住宅から得られる将来の居住便益を現在価値に割り戻したときの値が小さくなる。理論上、住宅価格は下がる方向に力を受ける。
ただし資本化は完全ではない。転写の程度は、需要側の代替可能性、供給側の弾力性、取引の頻度、価格の硬直性に依存する。理論が示すのは力の方向であって、実現する幅ではない。この区別は本稿全体を通じて維持する。金利上昇が価格を押し下げる方向に働くことは理論的に言える。何割押し下げるかは、算術ではなく市場の観察に属する問題である。
理論の骨格を要約する。金利は現在と将来を結ぶ交換比率であり、住宅購入はその交換の典型である。買主は総額ではなく月々の返済額を制約として行動し、その制約のもとで支払える総額は金利に依存して変動する。そして金利の変化は、資本化を通じて価格に転写されるが、その転写は部分的である。次節では、このうち算術として確定する部分だけを取り出して数値で示す。
3. 元利均等返済の算術
本節は本稿でもっとも確実な部分である。ここに書くことに解釈の余地はなく、四則演算と累乗だけで確定する。読者が自分の物件の想定買主について同じ計算を再現できるよう、式そのものを言葉で示す。
3.1 返済方式の定義
元利均等返済とは、毎回の返済額を返済期間を通じて一定にする方式である。元金と利息の合計が一定であり、その内訳が期間の経過とともに移り変わる。返済の初期は利息の割合が大きく、後期は元金の割合が大きくなる。もう一つの方式である元金均等返済は、毎回の元金充当額を一定にするため、初期の返済額が大きく、期間とともに下がっていく。日本の住宅ローンでは元利均等返済が広く用いられており、本稿の試算もこれに従う。
記号を置く。借入元本を P、年利を r、返済回数を n とする。月利 i は年利を12で割った値、すなわち i は r 割る 12 である。返済期間が35年であれば n は 35 掛ける 12 で 420 回となる。このとき毎月の返済額 M は、次の関係で定まる。M は、P に i を掛け、さらに (1 + i) の n 乗を掛けたものを、(1 + i) の n 乗から 1 を引いた値で割った額である。
この式は逆にも使える。毎月払える額 M が先に決まっている買主にとって、借りられる元本 P は次のようになる。P は、M に (1 + i) の n 乗から 1 を引いた値を掛け、それを i と (1 + i) の n 乗の積で割った額である。売主にとって意味を持つのは、こちらの向きである。買主は月々の負担から出発し、そこから元本を逆算しているからである。
3.2 二つの金利で計算する
第1節で置いた基準時点を使う。借入元本3,000万円、返済期間35年(420回)、元利均等返済、ボーナス返済なしという条件で計算する。年1.870%(2025年8月)の場合、月利は 0.01870 割る 12 でおよそ 0.00155833 となる。この i と n を先の式に入れると、毎月の返済額はおよそ97,389円である。年3.290%(2026年8月)の場合、月利はおよそ 0.00274167 となり、毎月の返済額はおよそ120,365円となる。
差は月あたり22,976円である。返済回数420回を掛けると、35年間の総返済額の差はおよそ965万円になる。借りた元本は同じ3,000万円であるから、この965万円はすべて利息の増分である。1年間の金利の変化が、家計に対して家一軒分に近い追加負担を発生させている。
3.3 同じ返済額で借りられる元本
売主にとって重要なのは、ここから先である。前項の計算は「同じ元本を借りたら返済額がいくら増えるか」を示した。しかし現実の買主は、月々払える額のほうを先に固定している。家計が住居費に回せる額は、金利が上がったからといって増えない。したがって問うべきは「同じ返済額で借りられる元本はいくらになるか」である。
毎月97,389円という返済額を固定し、年3.290%・35年で借りられる元本を逆算する。3.2で示した逆向きの式に、月利0.00274167と回数420を入れると、元本はおよそ2,427万円となる。1年前と同じ月々の負担で借りられる額は、3,000万円から2,427万円へ、およそ573万円縮んだことになる。比率にすればおよそ0.81倍、言い換えれば購買力が2割近く失われている。
| 年利(フラット35の最も多い金利) | 毎月の返済額 | 35年間の総返済額 | 同じ返済額で借りられる元本 |
|---|---|---|---|
| 1.870%(2025年8月・資金受取分) | 約97,389円 | 約4,090万円 | 3,000万円 |
| 3.290%(2026年8月・資金受取分) | 約120,365円 | 約5,055万円 | 約2,427万円 |
| 差 | 約22,976円 | 約965万円 | 約573万円 |
註:試算の前提は、借入元本3,000万円、返済期間35年、元利均等返済、ボーナス返済なし。金利は【フラット35】の最も多い金利(借入期間21年以上35年以下・融資率9割以下・新機構団信付き)で、2026年8月および2025年8月の資金受取分の値である。諸費用・税・火災保険料・繰上返済は含まない。実際に借りられる額は買主の収入・ほかの借入・担保評価・審査によって変わる。
この573万円という数字は、物件の価値が下がったことを意味しない。同じ家、同じ土地、同じ立地である。変わったのは、その家を買おうとする人の資金調達の条件だけである。しかし売主が売り出し価格を決める場面では、この二つは同じ形をして目の前に現れる。1年前の成約事例をそのまま根拠に価格を置けば、当時と同じ月々の負担では届かない価格を提示することになる。
4. 縮んだ購買力を吸収する三つの緩衝材
前節の算術は、借入可能額が縮むことを示した。しかし借入可能額は購買力そのものではない。買主が支払える総額は、自己資金と借入可能額の合計である。したがって金利上昇の影響が価格へ届くまでには、いくつかの緩衝材が挟まっている。ここを飛ばすと、金利が上がった分だけ価格が下がるという直線的な結論に飛びついてしまう。実際にはそうならない。緩衝材を三つに分けて検討する。
4.1 自己資金——埋められる買主と埋められない買主
第一の緩衝材は自己資金である。前節の例では、同じ月々の負担で借りられる額がおよそ573万円縮んだ。この差を頭金で埋められる買主にとって、金利上昇は購入可能な物件の範囲を変えない。総支払額は増えるが、買える価格帯は維持される。
問題は、その埋め合わせができる買主が誰かである。573万円を追加で用意できるのは、まとまった貯蓄を持つ世帯、住み替えで前の住宅の売却代金を充てられる世帯、親族からの資金援助を受けられる世帯に限られる。若年の一次取得者層はここに含まれにくい。つまり自己資金という緩衝材は、市場全体に均一に効くのではなく、買主層を選別しながら効く。結果として、金利上昇は価格を一律に下げるのではなく、価格帯ごとに異なる圧力をかける。
この非対称は売主にとって実務的な意味を持つ。自分の物件を買う可能性が高いのがどの層かによって、金利上昇の効き方が変わるからである。住み替え層が主たる買主となる物件では、緩衝材が厚い。一次取得者層が主たる買主となる物件では、緩衝材が薄い。同じ市内でも、区画の広さ、建物の状態、学区、価格帯によって、この層は入れ替わる。
4.2 返済期間——延ばしても効きが鈍る
第二の緩衝材は返済期間である。期間を延ばせば毎月の返済額は下がる。同じ返済額でより多く借りられるようになる。ここまでは直観どおりである。しかし算術は、この手段の効きが金利の上昇とともに鈍ることを示す。
同じ3,000万円の借入で、返済期間を35年から40年へ延ばす場合を計算する。年1.870%では毎月の返済額はおよそ97,389円から88,809円へ下がり、下げ幅は約8.8%である。年3.290%ではおよそ120,365円から112,469円へで、下げ幅は約6.6%にとどまる。金利が高いほど返済額に占める利息の比率が大きく、期間を延ばしても元金の充当がゆっくり進むだけで、月々の負担はさほど軽くならない。
元本の側から見ても同じである。毎月97,389円という負担を固定したまま、年3.290%で返済期間を40年に延ばしたとき、借りられる元本はおよそ2,598万円である。35年の場合のおよそ2,427万円からは回復するが、1年前の3,000万円にはおよそ402万円届かない。返済期間の延長は差を縮めるが、埋めきらない。加えて、完済時年齢の上限という制約が別に働くため、すべての買主が使える手でもない。
4.3 買主層の入れ替わり——価格ではなく需要の中身が動く
第三の緩衝材は、買主層そのものの入れ替わりである。ある価格帯の物件に届かなくなった層は市場から消えるのではなく、下の価格帯へ移動する。移動した先では買主が増え、そこでは価格に上向きの圧力すら生じうる。金利上昇の効果は、市場全体の一律の下落ではなく、価格帯をまたいだ需要の再配分として現れる。
同時に、借入に依存しない買主の相対的な重みが増す。現金で購入する層、事業として取得する層、隣接地の所有者。これらの買主にとって金利の変化は直接の制約にならない。ただし、事業として取得する層は資金調達コストや目標利益率を通じて金利の影響を受けるため、無関係ではない。むしろ提示額を引き下げる方向に働く。借入に依存しない買主の比重が増すことは、売主にとって有利な変化とは限らない。
三つの緩衝材を通して見ると、金利上昇が価格に及ぼす影響は、単純な引き算ではなく、買主の構成を組み替える力として理解するのが正確である。売主が問うべきは「相場はいくら下がったか」ではなく「自分の物件を買う層は、いま何をいくらまで借りられるのか」である。前者には答えがなく、後者には計算できる答えがある。
5. 薄い市場では、金利以外の融資条件が効く
前節までの議論は、買主が住宅ローンを申し込めば所定の金利で借りられることを前提としていた。この前提は、都市部の新しい分譲住宅では概ね成り立つ。地方都市の中古住宅では成り立たないことがある。金利が同じでも、物件によって借りられる額と期間が変わるからである。本節は、金利という価格変数の背後にある数量制約を扱う。
5.1 総額が小さいことは、緩衝材にならない
地価の水準を確認しておく。2026年の地価公示をもとにすると、磐田市の住宅地の平均は1平方メートルあたり50,086円、坪でおよそ16.6万円、前年比プラス0.16%である。駅別では磐田駅周辺が57,111円、豊田町駅周辺が44,160円、御厨駅周辺が43,242円。周智郡森町では2026年時点で1平方メートルあたりおよそ26,900円、坪でおよそ8.89万円、前年比マイナス0.74%とされる。磐田市の住宅地のおよそ半分の水準である。
総額が小さければ金利の影響も小さいはずだ、という見方がある。実額としては正しい。第3節の573万円は元本3,000万円に対する数字であり、元本が半分なら差も概ね半分になる。しかし比率は変わらない。同じ返済額で借りられる元本がおよそ0.81倍になるという関係は、元本の大小に関わらず成り立つ。そして地方都市では、買主の所得水準もまた低い傾向にある。分子と分母が同じ方向に動くため、体感される負担はさして軽くならない。
むしろ薄い市場に固有の困難は別のところにある。買主の数が少ないことである。年間の成約件数が限られる地域では、ある物件に対して現れる購入検討者は一人か二人ということが珍しくない。その一人の融資審査が通るかどうかが、取引が成立するかどうかを直接に決める。都市部であれば審査が通らなかった買主の代わりに次の買主が現れるが、薄い市場ではその次が来るまでに数か月を要する。金利は確率を通じてではなく、個別の可否として効く。
5.2 担保評価と返済期間の制約
中古住宅の融資では、金利のほかに二つの数量制約が働く。第一は担保評価である。金融機関は物件の担保としての価値を評価し、それに応じて融資額の上限を置く。建物の築年数が進み、法定耐用年数を超えている木造住宅では、建物部分の評価がほとんど付かず、土地の評価だけで上限が定まることがある。第二は返済期間である。担保評価と同じ理由から、築古の住宅では返済期間に上限が設けられることがある。
第4節で見たとおり、返済期間の短縮は月々の返済額を押し上げる。同じ返済額で借りられる元本という観点では、期間が短くなることは金利が上がることと同じ方向に働く。年3.290%で毎月97,389円を払う場合、返済期間35年ならおよそ2,427万円だが、30年ならおよそ2,227万円である。築年数という物件側の属性が、買主の借入可能額を直接に削っている。
5.3 建築可能性という前提条件
地方都市ではもう一つの制約が加わる。買主が建て替えや新築をできるかどうかである。磐田市は市街化区域と市街化調整区域の線引きがある都市計画区域であり、市の都市計画の資料では市の総人口のおよそ45%が市街化調整区域に住んでいるとされる。調整区域では、既存宅地の扱いになるか、分家住宅の要件を満たすか、都市計画法の許可が見込めるかによって、買主が将来建て替えられるかどうかが分かれる。
この見込みは、買主の住宅ローン審査に直結する。建て替えができない土地は担保としての価値が限られ、融資が付きにくい。森町のように市街化調整区域の区分がない非線引き都市計画区域では線引きに起因する制約は生じないが、代わりに農業振興地域の農用地区域に該当するかどうかが同様の役割を果たす。いずれの場合も、確認せずに売り出せば、買主の審査の段階で判明して取引が戻る。
整理すると、薄い市場における金利の効き方は二重である。表側では、他の市場と同じく借入可能額を通じて価格の上限を押し下げる。裏側では、担保評価・返済期間・建築可能性という数量制約と結びつき、条件の整っていない物件から順に買主を失わせる。金利が上がる局面ほど、物件側の不確定要素を先に潰しておくことの価値が上がる。これは価格の話ではなく、取引が成立する確率の話である。
6. 三つの反論への応答
ここまでの議論に対しては、実務の現場で繰り返し提起される反論がある。いずれも部分的に正しい。正しい部分と正しくない部分を切り分けておく。
6.1 「金利は上がったのに、地価は下がっていない」
最初の反論は事実にもとづく。2026年の地価公示では磐田市の住宅地の平均は前年比プラス0.16%であり、下落していない。同じ年に金利が大きく上がった以上、第2節の資本化の議論は反証されたのではないか、という問いである。
三点で応答できる。第一に、公示地価は特定の標準地について毎年1月1日時点の正常な価格を判定した公的な指標であり、個別の成約価格そのものではない。標準地の選定と評価の手続きに由来する平滑化が働くため、市場の変化が現れるまでに時間差が生じる。第二に、資本化は他の条件を一定としたときの関係であって、現実には人口・世帯数・所得・供給量が同時に動く。磐田市の人口は2026年7月末時点で163,224人、世帯数は72,421世帯であり、人口が減る局面でも世帯数の動きは同じとは限らない。第三に、価格の下方硬直性が働く。売主は取得時の価格や当初の希望価格を参照点として保持し、下げることに強い抵抗を示す。結果として、需要の縮小はまず価格ではなく取引量と販売期間に現れる。
したがって「地価が下がっていないから金利は効いていない」という推論は成り立たない。効き方が価格に出るまでに、取引量の減少と滞留期間の伸長という段階を踏むためである。売主が観察すべきは平均地価の変化率ではなく、自分の物件に対する問い合わせ数と内覧数の推移である。
6.2 「上がる前に駆け込みで買われるから、需要はむしろ強い」
第二の反論は期待の効果に関するものである。金利がさらに上がると予想されれば、購入を検討していた層は時期を前倒しする。短期的には需要が強まる。この観察は正しい。
ただし前倒しは需要の創出ではなく移転である。前倒しされた分だけ、その後の期間の需要は薄くなる。加えて、前倒しできるのは既に購入の意思決定を終えていた層に限られる。物件を探し始めたばかりの層は前倒しの対象にならない。したがって駆け込みは、市場全体の水準を押し上げるというより、時間軸に沿った需要の分布を歪める。この歪みが解けたあとに、購買力の縮小がそのまま現れる。
売主にとっての含意は明確である。駆け込みの局面で得られた反響を、その後も続く需要の強さと読み違えないことである。同じ売り出し価格で二か月前に得られた反響が、いま得られるとは限らない。
6.3 「地方は現金購入が多いから、金利は関係ない」
第三の反論は、地方の中古住宅市場では現金で購入する買主の比率が高いという観察にもとづく。相続で得た資金による購入、住み替えに伴う売却代金の充当、事業者による取得。これらは金利の直接の制約を受けない。
ここで区別すべきは、平均的な買主と限界的な買主である。価格を決めるのは平均ではなく、その価格でなお買う意思を持つ最後の買主、すなわち限界的な買主である。現金購入層が一定数いても、その層の支払意思額が借入依存層より高いとは限らない。むしろ現金購入層は代替の選択肢を多く持ち、価格に対して敏感であることが多い。借入依存層が価格帯から脱落すると、残った現金購入層の交渉力が上がる。買主の頭数が減ることは、売主の立場を弱める。
事業者による取得についても同じ論理が働く。買取再販を行う事業者は、想定再販価格から再販経費・保有期間の資金調達費用・目標利益を差し引いて提示額を組み立てる。金利が上がれば保有期間の資金調達費用が増え、想定再販価格そのものも下がる。したがって事業者の提示額は、金利上昇局面ではむしろ市場価格より速く下がる。当社が買主にならず、買取および買取保証を率先して行わない理由の一つはここにある。買取という売り方そのものを否定するものではないが、購買力が縮む局面ほど、市場で買主を探す経路と事業者に売る経路の差が開きやすい。この差は、売主が手取りの金額に直して比較したうえで選ぶべきものである。
7. 売主の実務への含意
以上を、売主が売り出しの前に実行できる手順に落とす。順序には理由がある。買主を特定してからでなければ、いくら借りられるかを計算できず、計算しなければ価格の上限を検証できないからである。
7.1 自分の物件を買う人が、いくら借りる人かを先に特定する
最初にするのは価格の決定ではなく、買主の特定である。区画の広さ、建物の状態、学区、駐車台数、想定される価格帯から、その物件を実際に買う世帯像を絞る。一次取得の子育て世帯なのか、市内の住み替え層なのか、隣接地の所有者なのか、事業者なのか。第4節で見たとおり、この層によって自己資金という緩衝材の厚みが変わる。
層が絞れたら、その層が組むであろう借入条件で第3節の逆算を行う。返済期間は何年が想定できるか。月々いくらまでなら現在の家賃と比較して納得できるか。そこから借りられる元本を計算し、自己資金の見込みを足す。この合計が、その層にとっての価格の上限である。査定額を先に見てから考えるのではなく、この上限を独立に出しておくと、査定額の妥当性を売主自身が検証できる。
7.2 価格帯の区切りを、返済額の言葉で確認する
買主は物件をポータルサイトの価格帯で絞り込む。1,500万円、2,000万円、2,500万円といった切りのよい金額が検索の区切りとして機能する。上乗せを載せた結果この区切りを一つまたいでしまうと、本来なら候補に入れていた買主の一覧に表示されないまま時間が過ぎる。
重要なのは、金利が上がるとこの区切りの意味が変わることである。同じ月々の負担で届く価格帯が下にずれるため、1年前に2,500万円の帯で探していた層が、いまは2,000万円の帯で探している。売主が価格を据え置いたつもりでも、買主から見れば実質的に値上げしたのと同じ位置に移動している。上乗せ幅を決めるときは、金額そのものではなく、あとで一度値下げしたときに区切りを一つまたげる幅かどうかで判断するほうが、動きやすい設計になる。
7.3 価格を下げる以外の手を、同じ表に並べる
金利上昇局面で売主がとりうる手は、価格を下げることだけではない。動かせる変数は四つある。何を動かすのか、どの場面で効きやすいのか、何に注意すべきかを一つの表に並べて比較する。
| 手 | 何を動かすか | 効きやすい場面 | 留意点 |
|---|---|---|---|
| 価格を下げる | 買主が必要とする借入額 | 買主層が広く、比較対象の多い物件 | 幅と時期を先に決めないと滞留を招く |
| 買主層を変える | 需要の所在そのもの | 現金購入層・事業者・隣地所有者が想定できる物件 | 届け方の設計が要り、時間がかかる |
| 融資が通る条件を整える | 借入可能額と融資の可否 | 建築可否・境界・登記に不明点がある物件 | 調査と手続に費用と期間を要する |
| 引渡し条件で調整する | 買主が入居までに要する初期費用 | 残置物・修繕・引渡し時期に争点がある物件 | 価格に織り込むか実費で負担するかの比較が要る |
三つ目の手は、金利上昇局面で相対的に価値が上がる。第5節で述べたとおり、担保評価と融資期間は借入可能額を直接に削る。建て替えの可否を行政の窓口で確認しておく、境界標の有無を現地で確認する、確定測量を行うかどうかを先に決める、登記名義人の住所が現住所と合っているかを確認する。これらは価格を下げずに買主の借入可能額を回復させる、あるいは融資が付かないことによる白紙解除を防ぐ手である。
7.4 改定の日付と幅を、売り出す前に決めておく
購買力が縮む局面では、価格の見直しが遅れることの費用が大きくなる。市場が下向きに動いているとき、判断を先送りするほど、あとで必要になる下げ幅は大きくなるからである。そして人は、値下げを損失として認識するため、動きが目の前で止まってから考え始めると判断が遅れる。
制度の側に、使える区切りが用意されている。宅地建物取引業法第34条の2は、専任媒介契約の有効期間を3か月を超えることができないと定め、業務の処理状況の報告についても、専任媒介であれば2週間に1回以上、専属専任媒介であれば1週間に1回以上と定めている。この2週間と3か月という区切りに、反響を数える日と価格を見直す日をあらかじめ載せておく。売り出す前に日付で決めておけば、下げ幅は小さく収まりやすくなり、切迫を市場に伝えずに価格を動かせる。
- 想定する買主層と、その層の借入条件を書き出す
- その条件で借りられる元本を逆算し、自己資金の見込みを足して価格の上限を出す
- 上限と査定額を突き合わせ、上乗せ幅を価格帯の区切りから逆算して決める
- 反響を数える日と価格を見直す日を、売り出し前に日付で決める
- 建築可否・境界・登記の不明点を、売り出し前に潰しておく
最後に、数えるものを分けておくことを勧める。問い合わせの数と内覧の数は別に数える。問い合わせが来ないのであれば、価格か、写真か、間取り図の有無かという情報の出し方の問題である。内覧まで来て決まらないのであれば、現地で見えるものの問題である。前者は価格の調整で動くが、後者は価格を下げても動かないことがある。金利の影響は主に前者に現れるため、まとめて数えていると、何が起きているのかが見えなくなる。
8. 結論と今後の課題
本稿の結論は三つである。第一に、売り出し価格の実質的な上限は、買主が借りられる額と自己資金の合計で規定されており、その借入可能額は金利によって大きく動く。元利均等返済の算術によれば、月々の返済額を固定したとき、年1.870%で3,000万円だった元本は年3.290%でおよそ2,427万円となる。差はおよそ573万円、比率にしておよそ0.81倍である。この計算に解釈の余地はない。
第二に、この縮みがそのまま価格に転写されるわけではない。自己資金・返済期間・買主層の入れ替わりという三つの緩衝材が働くためである。ただし緩衝材の効き方は一律ではない。自己資金は買主層を選別しながら効き、返済期間の延長は金利が高いほど効きが鈍り、買主層の入れ替わりは価格帯をまたいだ需要の再配分として現れる。金利上昇の影響は、市場全体の一律の下落ではなく、買主の構成を組み替える力として理解するのが正確である。
第三に、地方都市の薄い市場では、金利は価格変数としてだけでなく数量制約と結びついて働く。買主の数が少ない市場では、一人の買主の融資が通るかどうかが取引の成否を直接に決める。担保評価と返済期間の上限、建て替えの可否といった物件側の条件が借入可能額をさらに削るため、購買力が縮む局面ほど、これらの不確定要素を売り出し前に潰しておくことの価値が上がる。
8.1 本稿の限界
限界を正直に述べる。第一に、本稿が用いた金利は【フラット35】という長期固定金利の商品の、それも取扱金融機関が提供する金利のうち最も多いものである。実際の買主が変動金利型を選ぶ場合、当初の返済額はこれより小さくなり、購買力の縮み方も異なる。変動金利型を含めた買主の商品選択が価格の上限にどう影響するかは、本稿では扱えていない。
第二に、本稿の試算は借入元本3,000万円・返済期間35年という一つの条件に依拠している。地方都市の中古住宅ではより小さい元本と短い期間が現実的であり、その場合の差の実額は当然に小さくなる。比率としての関係は元本の大小に依存しないが、買主が体感する負担は元本の水準と所得の水準の組み合わせで決まるため、比率だけで議論を尽くすことはできない。
第三に、金利から価格への転写がどの程度の幅で、どの程度の時間差で生じるかについて、本稿は理論的な方向を示すにとどまり、地方都市の実証的な検証を行っていない。公示地価と成約価格の乖離、取引量と滞留期間の推移を用いた検証は、公表される取引価格情報を積み上げることで可能だが、薄い市場では標本数が小さく、推定精度に限界がある。この点は独立した課題として残る。
8.2 別稿に投げる論点
第一に、金利は住宅市場の循環を構成する三つの変数のうちの一つにすぎない。人口動態と可処分所得という残る二つと組み合わせたとき、全国の循環と地方都市の循環がどのようにずれるのかは、別に論じる価値がある。地方では人口要因が支配的になり、金利の変動が相対的に小さな役割しか果たさない可能性もある。
第二に、本稿は売主が直面する時間の価値を明示的に扱わなかった。金利上昇局面で早く売ることの利益と、待つことの利益を同じ土俵に載せるには、売主自身の割引率を推定する必要がある。三か月早い現金化にいくらの価値があるのかという問いは、購買力の議論とは独立した枠組みを要する。
第三に、上乗せ幅と改定の設計そのものが、価格戦略として体系的に論じられるべき主題である。高く出して段階的に下げる方式と、相場に寄せて短期で決める方式のどちらが有効かは、買主の分散、滞留の許容度、売主の期限という条件によって変わる。本稿が示した価格の上限は、その戦略を組み立てるための境界条件を与えるにすぎない。
売主にできることは、相場を当てることではない。自分の物件を買う人が、いま何をいくらまで借りられるのかを計算し、その上限から逆算して価格と日付を決めることである。金利の水準を動かすことはできないが、その水準のもとで買主の借入可能額を削っている物件側の条件は、売り出す前に減らすことができる。本稿が示したかったのは、この二つの区別である。
