1. はじめに——問題の所在
事業承継の相談の席では、決算書と登記事項証明書を並べて見ることがある。多くの場合、そこには一本の線が引かれていない。工場や倉庫の建物は会社名義だが、その敷地は先代個人の名義である。社長の自宅には、会社の借入を担保する権利が設定されている。会社名義の登記簿には、事業とは関係のない古い共同住宅や、使われないまま持ち続けている山林が残っている。
これは例外的な状態ではない。地方の同族企業では、会社の資産と家の資産が混ざっているほうがむしろ通常である。そして重要なことに、その混在は事業が続いているあいだ、ほとんど問題を起こさない。所有者と経営者が同一の人物であるかぎり、名義がどちらであっても土地は同じように使われ、地代も家賃も内部の帳簿上の処理にすぎないからである。
混在が問題として立ち現れるのは、その同一人物が二人以上に分かれる瞬間である。先代が退き、後継者が経営を引き継ぎ、株式と個人資産が相続人のあいだに配分される。このとき、これまで一体として扱われてきた資産は、会社に属するものと個人に属するものへ、機械的に切り分けられる。切り分けの結果が事業の継続条件と衝突したとき、承継は止まる。
本稿の問いは三つある。第一に、会社の資産と家の資産を分ける必要は、どのような理屈から生じるのか。第二に、どこまで分ければ足りるのか。第三に、分けるための手段として、不動産の売却はどの場面で承継計画の一部になるのか。
方法としては、同族企業を扱ってきた経営学の枠組みと、所有をめぐる組織の経済学の議論を用いる。具体的には、家族・所有・経営という三つの円で同族企業を捉える見方、株式会社における所有と経営の分離をめぐる古典、そして企業の境界と資産の特殊性に関する議論である。そのうえで、株式の評価・相続財産の構成・後継者の資金調達という三つの局面に、混在が何をもたらすかを順に検討する。
註:あらかじめ断っておく。非上場株式の評価方法、相続税の計算、事業承継に関する税制上の措置——これらの具体的な税率や適用要件は、本稿では扱わない。制度は改正が重なり、適用の可否は個々の会社の資産構成と親族の状況によって変わる。数字と要件の判断は、税理士・公認会計士・弁護士の領分である。本稿が引き受けるのは、その手前にある地図、すなわちどこに論点があり、どの順で専門職に相談すべきかを描くところまでである。
以下、第2節で同族企業を捉える理論的な枠組みを整理する。第3節では、混在がなぜ生じるのかを地方の企業に固有の経路から説明する。第4節から第6節が本論であり、株式の評価、相続財産の構成、後継者の資金調達という三つの局面を順に扱う。第7節で売主および承継の当事者の実務に落とし、第8節で本稿の限界と残された論点を述べる。
なお筆者は静岡県磐田市で不動産の媒介を業とする者である。自社で買い取る事業を持たないため、本稿で不動産の売却に触れる箇所も、当社が買主として関与する場面を想定していない。立場を隠して中立を装うことはしない。
2. 同族企業をどう捉えるか——三つの円と所有の理論
2.1 家族・所有・経営という三つの円
同族企業を分析する枠組みとして広く用いられてきたのが、家族・所有・経営という三つの円の重なりで企業を描く見方である。タジウリとデイヴィスが1980年代に示したこのモデルは、企業に関わる人を、家族の一員であるか、株式を持つか、経営や業務に携わるかという三つの属性で分類する。三つの円が重なることで、七つの区画が生まれる。
創業経営者は、通常この三つすべてに属する。家族の長であり、株式の大半を持ち、日々の経営を担う。この一人三役の状態では、どの帽子をかぶって判断しているかを本人も区別する必要がない。ところが承継とは、この重なりが時間をかけて解けていく過程にほかならない。株式を持つが経営はしない相続人、経営はするが株式は少ない後継者、家族ではないが業務の中枢にいる従業員。区画が分かれれば、同じ資産に対する利害も分かれる。
この図の中で、不動産はきわめて座りの悪い資産である。株式は所有の円に、給与は経営の円に明確に属する。しかし工場の敷地は、名義の上では家族の円にありながら、機能の上では経営の円にある。混在とは、資産の帰属と用途がそれぞれ違う円に置かれている状態のことである。
2.2 分離していないことの利益と、その先送りされた費用
株式会社をめぐる古典的な議論は、これと逆方向の現象を扱ってきた。バーリとミーンズは1932年に、大規模な株式会社では株式の所有が広く分散し、実質的な支配が経営者の手に移ることを指摘した。チャンドラーが1977年に描いたのも、専門経営者が階層組織を通じて企業を動かすようになる過程である。所有と経営の分離は、近代企業の標準的な姿として論じられてきた。
同族中小企業は、この標準の対極にある。ジェンセンとメックリングが1976年に定式化したエージェンシー費用——所有者と経営者の利害がずれることから生じる監視や保証の費用——は、所有者と経営者が同一人物であれば原理的に小さい。判断は速く、短期の業績に縛られず、長期の投資に踏み込める。同族企業の強みとされてきたものの多くは、この分離していないことに由来する。
ただし、分離していないことには代価がある。会社と個人の境界が曖昧なまま資産が積み上がるという代価である。この費用は事業が続いているあいだ、ほとんど計上されない。先送りされ、承継の局面で一括して現れる。混在の費用は、発生した時点ではなく、分けようとした時点で支払われる。
2.3 企業の境界と、資産の特殊性
なぜ資産の帰属がそれほど問題になるのか。コースが1937年に示したように、何を企業の内部に置き、何を市場との取引に委ねるかは、取引費用の大小によって決まる。ウィリアムソンは1985年の議論で、この境界の問題に資産の特殊性という概念を導入した。特定の相手や用途に結びついた資産ほど、関係が壊れたときに失う価値が大きく、それゆえ交渉の場で人質になりやすい。
事業用不動産は、しばしばこの特殊性を強く帯びる。設備の重量に合わせた床、専用の引込線や搬入路、周辺の取引先との距離。ほかの用途に転じれば価値が落ちる資産の上に、事業が乗っている。個人名義の土地に会社の建物が建っている状態は、双方が互いに縛られている状態である。関係が良好なあいだは、それでも何の不都合もない。当事者が交代したときに、初めて交渉の問題として立ち現れる。
3. 混在はなぜ起きるか——地方の同族企業に固有の経路
混在を、経営者の怠慢や計画性の欠如として説明するのは正しくない。多くの場合、それは当時の条件のもとで合理的だった選択の積み重ねである。原因を三つに分けて見ておく。原因が分かれば、どこから手を付けるべきかも決まる。
3.1 創業期の資金制約が、名義を決めた
創業からまもない会社には、信用がない。決算書の蓄積も、担保に供せる資産もない。そこで先代は、自分の名義で土地を取得し、あるいは実家から引き継いだ土地に工場を建てた。個人の信用で借り、個人の資産を担保に入れ、その上に事業を乗せた。会社が土地を買えるようになったのは、事業が軌道に乗ってからである。しかしその頃には、すでに事業は動いており、名義を組み替える理由がなかった。
つまり名義は、事業上の必要ではなく、資金調達上の制約によって決まった。制約が消えたあとも名義だけが残る。ここに経路依存が生じる。
3.2 家計と会社の会計が、一体で回ってきた
同族企業では、生活と事業の資金がしばしば同じ流れの中にある。役員報酬の水準は会社の資金繰りに合わせて動き、個人の預金が一時的に会社へ回り、会社の資金が個人の支払いに充てられる。その痕跡が、役員貸付金や役員借入金として決算書に長く残る。
不動産も同じ流れの中で取得された。事業の利益で買った土地が個人名義であること、個人の資金で建てた建物が会社名義であること。どちらも珍しくない。所有者と経営者が同一人物であるかぎり、どちらの財布から出たかは実質的な意味を持たなかったからである。
3.3 地方では、土地を持つことに合理性があった
土地を保有し続けることは、地方の事業者にとって長らく合理的な選択だった。賃料を払い続けるより、担保に使え、将来の拡張にも備えられる資産を持つほうが有利だと考えられてきた。加えて、事業用に適した土地の供給が薄い地域では、いったん手放せば代わりが見つかりにくいという事情もある。
その前提は、地価の水準が緩やかにしか動かない市場では変わりつつある。磐田市の住宅地の公示地価は2026年で1平方メートルあたり50,086円、前年比プラス0.16パーセントであり、周智郡森町の土地の相場は同年時点でおよそ26,900円、前年比マイナス0.74パーセントとされる(磐田市の人口は2026年7月末現在で163,224人)。値上がりによる利益を前提に土地を持ち続ける理屈は、この水準の市場では立てにくい。保有には固定資産税と管理の手間が伴い、事業に使っていない資産であればそれは純粋な費用である。
| 混在の型 | よくある形 | 承継の局面で表面化すること |
|---|---|---|
| 事業用地が個人名義 | 先代個人の土地の上に、会社の工場・倉庫・店舗が建っている | 会社が土地を使い続ける根拠が曖昧なまま相続され、使用の条件を相続人と交渉し直すことになる |
| 個人資産が会社名義 | 会社名義の旧社宅、遊休地、事業と関係のない共同住宅や山林 | 事業に使われていない資産が株式の価値の側に乗り、承継の負担を重くする |
| 個人資産の担保提供 | 社長の自宅に、会社の借入を担保する権利が設定されている | 自宅の相続と会社の借入が連動し、居住と事業の双方で相続人の選択肢が狭まる |
| 会社と個人の貸借 | 役員貸付金・役員借入金が長年にわたり積み上がっている | 債権または債務として相続の対象になり、精算するか引き継ぐかが争点になる |
| 名義と実態のずれ | 登記簿上の所有者が、すでに亡くなった先々代のままである | 事業承継の前に、過去にさかのぼった相続登記の手続きが必要になる |
この表の五つは、どれも独立した問題ではない。ひとつを動かすと他が動く。たとえば個人名義の事業用地を会社へ移せば、担保の設定を組み替える必要が生じ、その資金をどこから出すかという問題が生まれる。順序の設計が要るのは、このためである。
4. 第一の論点——不動産は株式の価値に映る
4.1 換金できないのに、価値を持つ資産
同族企業の株式は、上場株式と決定的に違う点を持つ。売る場所がないということである。取引所はなく、買い手を探す市場もない。加えて中小企業の多くは、会社法のもとで株式に譲渡制限を設けており、譲渡には会社の承認が要る。これは外部の資本が入り込むことを防ぐための設計であり、その意味では機能している。
ところが承継の局面では、この換金できない資産が、価値を持つ財産として扱われる。相続財産の中では株式に価値が付き、遺産を分けるときにも一定の価値として計算に入る。換金できないのに評価はされるという非対称が、同族企業の承継を難しくしている中心にある。そして、その評価の大きさを左右する要素のひとつが、会社が抱える不動産である。
4.2 会社が持つ不動産は、株式の背後にある
株式とは、会社の資産と収益力に対する持分である。したがって会社が不動産を持てば、その価値は株式の価値の背後に回り込む。非上場株式の評価の考え方には、会社の純資産に着目する系統と、同種の事業を営む会社の指標に比準する系統があるとされ、どの考え方がどの程度用いられるかは会社の規模や業種によって変わるとされる。ここで重要なのは方式の名前ではなく、資産に着目する評価が入る以上、会社の不動産は株式の価値に反映されうるという構造である。
この構造のもとで、二つの非対称が効く。ひとつは、建物が年々償却されて帳簿上の価値を減らしていくのに対し、土地は償却されないことである。もうひとつは、古くに取得した土地の帳簿価額が取得当時のままであり、現在の水準との差、いわゆる含み益として潜んでいることである。決算書の上では小さく見える資産が、評価の場面では大きく立ち上がることがある。
4.3 稼いでいない資産ほど、承継を重くする
ここから、実務上もっとも重要な帰結が導かれる。会社が持つ不動産のうち、事業の収益に寄与していないもの——使われていない旧社宅、閉じた拠点の跡地、事業と関係のない共同住宅や山林——は、収益力を高めないまま、株式の価値だけを押し上げる方向に働きうる。
これは逆転した状態である。承継の負担は、事業がどれだけ稼いでいるかではなく、会社がどれだけ資産を抱えているかによって決まってしまう。後継者は、事業の将来から生まれる利益ではなく、過去に積み上がった資産の重さを引き受けることになる。事業に使っていない資産を承継の前に整理する理由は、まずここにある。
4.4 逆に、株式に映らない事業用資産がある
対称的な問題も生じる。個人名義の事業用地は、株式の価値には映らない。しかし事業はその土地の上で動いている。株式をすべて取得しても、敷地は手に入らない。事業の実体と株式の内容が食い違うのである。
さらに、会社が土地を使う条件そのものが会社の収益力を左右する。建物の所有を目的とする土地の賃貸借であれば借地借家法による保護が働くのに対し、無償で使わせている使用貸借では、その保護は弱い。事業の基盤が、書面のない黙示の合意の上に乗っている場合すらある。会社の価値を評価する際、この足元の不安定さは織り込まれる。
註:評価方式の選択、会社の規模区分、各種の調整の要否——これらの具体的な計算方法と適用要件は、税理士・公認会計士の判断による。本節が示したのは、どの資産がどの向きで評価に効きうるかという構造だけである。実際の数字は、承継の方針を決める前に試算を依頼して確かめるべきものである。
5. 第二の論点——相続財産の構成と、支払いの通貨
5.1 株式を後継者に集めるという要請
事業を継続させるうえで、株式は後継者に集めるのが望ましいとされる。理由は単純である。株主の意思が割れれば、役員の選任も、重要な財産の処分も、決議を通せなくなる。会社法は株主総会の決議に一定の賛成を求めており、議決権が兄弟姉妹に等しく散らばれば、後継者は自分を選任することも、事業上の判断を実行することもできなくなりうる。
議決権の分散は、その場では対立を生まないことが多い。全員が後継者を支持しているあいだは、株主が誰であっても意思決定は通る。問題が現れるのは次の世代である。株式が相続を繰り返して枝分かれし、会社と日常的な関わりを持たない株主が増える。第2節の三つの円でいえば、所有の円だけに属する人が増えていく状態である。
5.2 集中させた分だけ、残りは不動産に寄る
ところが株式を後継者に集めるほど、他の相続人の取り分は他の財産で埋めるほかない。同族企業の経営者の遺産は、株式と不動産に偏り、現金の比率が小さいことが多い。すると他の相続人に渡るのは、必然的に不動産か、そのための金銭となる。
ここで、残っている不動産が事業用地であれば、第4節で見た問題がそのまま起きる。工場の敷地を、事業に関わらない相続人が引き継ぐ。会社は他人の土地の上で操業を続けることになり、地代の水準も契約の期間も、これから交渉すべき事項になる。事業を守るために株式を集中させた結果、事業の足元が他人の手に渡るという転倒が生じる。
5.3 遺留分——最低限の取り分は、金銭で請求される
分け方の設計には、法律上の下限がある。民法は一定の範囲の相続人に、最低限の取り分を保障している。遺言や生前の贈与によってその下限を下回る配分がなされた場合、権利を持つ相続人はその不足を請求できる。
この請求の性質は、2018年の民法改正(2019年7月1日施行)で整理された。かつては請求によって財産そのものの共有関係が生じうる仕組みだったが、改正後は金銭の支払を求める権利として構成されている。事業用資産や株式が請求のたびに細分化されることは避けやすくなった。しかし裏を返せば、後継者の側が金銭を用意しなければならないことが、以前より明確になったということでもある。
註:中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律には、遺留分に関する民法の特例が置かれている。ただし利用には所定の手続と関係者の合意が必要であり、適用の可否は個々の事情による。要件の確認と手続は、弁護士および税理士に委ねるべき事項である。
5.4 資産の形と、支払いの形が違う
以上を通貨の問題として言い換えると、承継の困難がはっきりする。相続で受け取る財産の多くは不動産と株式という換金しにくい形をとる。ところが承継に伴って生じる支払い——納税、他の相続人への金銭、事業に必要な資金——は、いずれも現金で起きる。資産の形と支払いの形が一致していない。
この不一致を埋める方法は限られている。株式は売る先がない。事業用資産を売れば事業が止まる。手をつけられるのは、事業に使っていない不動産である。売却が承継計画の一部として位置づくのは、まずこの経路においてである。
なお、分け方が決まらないまま相続が進み、事業用不動産が複数の相続人の共有になる場合がある。会社が土地を使う条件が、人数分の合意を要する事項に変わるため、事業の観点からは避けたい帰結である。共有そのものの法的構造と、その解消の手順は別稿の主題であり、本稿では立ち入らない。
6. 第三の論点——後継者の資金調達と、個人保証
6.1 目に見えない承継対象としての個人保証
中小企業の借入には、経営者個人の保証が付いていることが多い。会社が返せなくなったとき、経営者個人が代わって返す約束である。事業を引き継ぐとは、株式と役職を引き継ぐことであると同時に、この保証を引き受けるかどうかの判断を迫られることでもある。決算書にも登記簿にも表れないが、後継者にとってはもっとも重い承継対象になりうる。
この点については、金融機関と中小企業の関係者のあいだで作られた経営者保証に関する指針が知られている。そこでは、法人と経営者個人の資産や経理が明確に分離されていることが、保証を求めない判断を検討する際の要素のひとつとして挙げられているとされる。会社と家の資産を分けることは、この文脈では税務上の要請ではなく、後継者が保証なしで事業を引き受けられるかどうかに直結する条件である。
6.2 個人名義の事業用地をどう扱うか
個人名義の事業用地について、承継の局面で取りうる選択肢は大きく四つある。いずれを選んでも、どこかで現金が動く点は共通している。
- 賃貸借として書面で整理する——地代の水準と契約期間を明示し、会社が土地を使う根拠を確定させる。名義は動かさないが、会社は費用を負担し続ける
- 会社が買い取る——事業の基盤が会社の内部に入る。ただし会社に資金または借入が必要で、取得した不動産は第4節でみたとおり株式の価値の側に乗る
- 後継者個人が取得する——相続または売買により、事業を担う人物のもとに名義を寄せる。後継者個人の資金調達の問題になり、他の相続人との配分の設計と連動する
- 第三者に売却する——事業がその土地を使い続ける必要がない場合にかぎり選べる。移転や集約の計画と組み合わせて検討される
どれが正解かは、事業がその土地にどれだけ縛られているかによって決まる。第2節でみた資産の特殊性が高いほど、外部に出す選択は取りにくい。逆に、その土地でなくても事業が成り立つのであれば、承継の前に整理しておくほうが選択肢は広い。
6.3 金融機関から見た、分かれていない会社
承継は、金融機関が与信を見直す機会でもある。このとき、決算書に事業と関係のない資産が並び、役員との貸借が積み上がっていると、事業そのものの実力が読み取りにくくなる。読み取りにくさは、そのまま説明の手間と、判断の慎重さに変わる。
分離は、この読み取りの費用を下げる作業でもある。事業に使う資産と、そうでない資産。事業の収益と、個人の収支。二つが分かれていれば、後継者は自分が引き受ける事業の輪郭を、外部に対しても自分自身に対しても説明できる。分けることの効用は、税や評価の側面だけでなく、説明可能性の側面にもある。
6.4 分けることにも費用はかかる——どこまで分けるか
ただし、分離は無償ではない。名義を動かせば登記の手続きと費用が生じ、資産の移転に伴う課税関係も発生する。売買の形をとるか賃貸借にとどめるか、いつ実行するかによって、負担の大きさと時期は変わる。ここは税理士と設計すべき領域であり、本稿で具体的な税率や要件に踏み込むことはしない。
したがって問いは、分けるべきか否かではなく、どこまで分けるかである。事業に不可欠な資産であっても、その名義が会社である必要は、かならずしもない。条件が書面で確定し、事業が継続できる形になっていれば、個人名義のままで足りる場合がある。逆に、事業に使っていない資産を会社に置き続ける理由は、ほとんど見つからない。優先順位は、この二つの区別から自然に決まる。
7. 実務への含意——何を、どの順で決めるか
以上の議論を、承継の当事者が実際に取れる手順に落とす。順序には理由がある。後の判断で使う材料を、先の工程で作っておく必要があるためである。
7.1 まず、すべての不動産を一枚にする
会社の分と個人の分を、同じ一枚の表に並べる。登記事項証明書と固定資産税の課税明細書を突き合わせ、所在・地番・地目・面積・名義・現在の使われ方・担保の設定の有無を欄にする。会社名義と個人名義を分けて作らないことが肝要である。分けて作れば、混在という問題そのものが見えなくなる。
この作業で、たいてい想定外のものが出てくる。名義が先々代のままの筆、会社が使っていると思っていた土地が実は隣地所有者のもの、逆に会社名義でありながら誰も存在を知らなかった山林。第3節の表の五つの型が、自分の会社ではどの形で現れているかが、ここで確定する。
7.2 事業に使っているかどうかで、二つに分ける
一覧ができたら、判定はひとつの問いで行う。その資産を失ったとき、事業は止まるか。止まるなら事業用、止まらないなら非事業用である。感情や経緯は、この判定にはいったん持ち込まない。先代が苦労して取得した土地であっても、いま事業が使っていなければ非事業用に分類される。
判定に迷う資産は、迷うという事実自体が情報である。将来の拡張のために持っている、代わりが見つからないから手放せない、賃貸に出しているので収益はある——こうした理由を言葉にできるかどうかが試金石になる。言葉にできない保有は、費用だけが続く保有である。
7.3 売却が承継計画の一部になる四つの場面
不動産の売却は、それ自体が目的になることは少ない。承継の設計の中で、次の四つの場面において手段として立ち上がる。
- 会社名義の非事業用資産を整理する場面——収益に寄与しない資産を外に出すことで、株式の価値の重さを下げ、同時に会社の資金を作る
- 他の相続人への支払い原資をつくる場面——代償金や、遺留分に基づく金銭の請求に応じるための資金を、事業を止めずに用意する
- 拠点の移転や集約を行う場面——承継を機に立地や規模を見直し、旧拠点を処分する。設備投資の計画と同じ時間軸で検討される
- 事業の外に資産が出る場面——後継者が家族の中にいない場合など、事業とともには引き継がれない不動産が生じる。この局面の是非そのものは別稿の主題である
7.4 時間軸を合わせる——決めてから現金になるまで
承継には期限のある手続きが含まれる。他方、不動産が現金になるまでには時間がかかる。とくに事業用不動産は、住宅に比べて買主となる層が薄い。工場や倉庫は用途が限られ、地方であればなおさらである。加えて、境界の確定、越境物の処理、土壌や建材に関する調査など、事業用の物件に固有の確認事項があり、法令上の調査が求められる場合もある。準備に要する期間は住宅より長く見ておくべきである。
したがって、売却の検討は承継の設計と同時に始める。逆にしてはならない。分け方が決まってから慌てて売り出せば、残された時間の短さが交渉の場に表れ、条件は売主に不利な方向へ動く。
7.5 誰に、どの順で渡すか
一覧と二分の作業までは、当事者と社内でできる。そこから先は分業になる。株式の評価と税の試算は税理士・公認会計士へ、遺言や遺留分をめぐる設計と親族間の合意形成は弁護士へ、借入と保証の扱いは取引金融機関へ渡す。不動産の媒介業者が担えるのは、非事業用資産について市場で現実に見込める価格の水準と、売却に要する期間の見立てを出すところまでである。
なお、期限が迫っている局面では、買主を探すのではなく買い取る事業者に売る方法が検討されることがある。当社は買主にならず、買取や買取保証を率先して行わない。ただし売り方としてそれを否定するものではない。比較する場合は、手数料と諸費用を差し引いた手取りの額に直し、引渡しまでの期間と条件を揃えたうえで並べる。同じ土俵に載せるまでは、どちらが有利かを判断する材料は揃わない。
8. 結論と今後の課題
本稿の結論を、三つの命題にまとめる。第一に、会社の資産と家の資産の混在は、経営者と所有者が同一人物であるあいだは費用を生まない。費用は先送りされ、承継の局面で一括して支払われる。第二に、その費用は三つの経路で現れる。事業に使っていない不動産が株式の価値を押し上げること、資産が不動産の形で残るのに支払いが現金で起きること、そして個人名義の資産と個人保証が後継者の引き受け条件を規定することである。第三に、分離とは名義を動かすことではなく、事業に必要な資産とそうでない資産のあいだに線を引くことである。売却は、その線の外側に置かれた資産についての手段として、承継計画に組み込まれる。
8.1 本稿の限界
限界は明確である。第一に、本稿は税務と法務の各論を意図的に外している。株式の評価方法、相続税の計算、事業承継に関する税制上の措置、これらの適用要件と数値は本稿の射程外に置いた。制度は改正を重ね、適用の可否は個々の会社の資産構成と親族の状況によって変わるためである。判断は税理士・公認会計士・弁護士に属する。本稿が提供したのは論点の配置図にすぎない。
第二に、本稿は実証的な裏づけを持たない。混在がどの程度の頻度で生じ、それが承継の成否をどれだけ左右するかについて、筆者は信頼できる統計を示す立場にない。示したのは、理論的な枠組みと実務上の見聞から構成した仮説である。
第三に、同族企業の多様性を捨象している。とくに、賃貸不動産の運用そのものを事業とする同族会社では、事業用と非事業用という本稿の中心的な区別が成り立ちにくい。農業を営む法人でも、農地に関する規制が加わることで議論の前提が変わる。本稿の枠組みは、製造業・卸売業・小売業のように、不動産を事業の器として使う会社を暗黙の想定としている。
8.2 地方における事業用不動産という論点
本稿が十分に展開できなかった論点のひとつが、事業用不動産の市場の薄さである。住宅であれば買主の層は広い。しかし工場・倉庫・作業場は、用途が特定の業種に結びつき、面積や天井高や接道の条件が合う買主はかぎられる。地方都市では、その母数がさらに小さくなる。
この薄さは、承継の設計に二つの含意をもたらす。ひとつは、売却を出口として想定するなら、判断から現金化までの時間を長く見積もる必要があること。もうひとつは、用途を転換して住宅や別の事業の器として売る可能性を、早い段階で検討に含める必要があることである。用途地域や接道の条件によって転換の可否は分かれるため、これは行政の窓口での確認を伴う作業になる。市場が薄い地域における出口の設計は、それ自体で一本の論考を要する主題である。
8.3 別稿に投げる論点
本稿から派生する論点を四つ挙げておく。第一に、分け方が決まらないまま不動産が共有になった場合の法的構造と解消の手順。第二に、相続の当事者と専門職をどう束ね、どの順で合意を積むかという運営の問題。第三に、売却に伴う譲渡所得課税と売り時の関係。第四に、不動産を保有し続けることの費用を、事業の収益とどう比較するかという論点である。いずれも本サイトの別稿で扱う。
最後に、本稿があえて触れなかったことを述べておく。事業承継の中心にあるのは資産ではなく人である。後継者にその意思があるか、能力をどう育てるか、従業員と取引先の信頼をどう引き継ぐか。資産の分離は、その人の問題を解くための条件を整える作業にすぎない。条件が整っていなければ意思は挫かれるが、条件だけが整っても事業は続かない。不動産の側から見える範囲を描いたのが本稿であり、その範囲は承継という営みの一部でしかないことを、書き手として明記しておく。
